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村での四日目

第77話

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 スカラボさんは語り始めました。



 私は職業軍人ではありません。
 税を払い切れずに連行され、軍に放り込まれた民間人です。
 同じ境遇の者はたくさんいました。みんな過酷な仕事を押し付けられ、下級兵として休みなくこき使われる日々を過ごしていた。
 それでも何らかの技能を持つ者は、下っ端としてですがその力を生かせる部署に配属されていきます。
 けれど、私はあいにく何の技能も持っていなかった。
 給金は少なく、未払いの税には高金利の利子がつく。だから、税を払いきるのは容易ではない。軍役を課されるのはもともと高額の未払い金を抱え込んだ男達ですので、ほとんどの者はもう民間に戻れる見込みなどありませんでした。
 事実上の奴隷です。

 ある時、私の配属された部隊の下級兵の一部が呼び出されました。
 実は技能のない兵に対して何らかの選別試験が部隊ごとに行われているという噂がその少し前から流れていましたので、それだと思いました。
 私を含め十数人が広場に集まった。
 そこにはボロをまとった小さな子供達も来ていました。みんな街路に生きる孤児だなということは格好で分かります。
 ご存知の通り、ここ数年は税の取り立てで親が連れて行かれ家財を売られ、住む家をなくした子供達が増えています。
 だから何人もの孤児達を強制的に引っ張ってくるのは簡単なこと。
 その子らが涙の乾いた顔で手足を縛られ地面に座らせられている。
 周りを取り囲むのは、緋色の軍帽を被った別部隊の屈強の上級兵達。

 私達下級兵は顔に見覚えのない上官に命じられました。
 この孤児の首をはねろ、と。
 全身の血の気が引きました。

 剣が配られる。上官は誰でもいいから一人選んでやれという。
 集められた者達は誰も人を殺した経験などありません。
 みんな剣を持つ手を震わせ、足を進めることなどできない。
「こ、この子らは何か罪を犯したのでありますか?」
 そう誰かが質問しました。
「浮浪罪。景観破壊罪。臭気罪。廃棄食品物色罪。その他多くの罪だ」
 そう上官が答える。
「そんな罪で首をはねるなんて」
 質問した男がつぶやくと、上官は言った。

 勘違いするな。
 罪などどうでもいい。
 これはお前達に対する試しだ。
 役立たずの貴様らが、わずかでも見込みがあるかどうか見ている。
 こんな仕事すらできない奴は真に使えないゴミだ。
 ゴミは別の用途に使う。

 私の隣りにいた男がヒソヒソと言いました。
 噂では命令を果たせなかった兵は何かの実験の材料にされて殺されちまうというぞ。実際もうかなりの人数が殺されてるらしい。
 だから、俺はやる。

 その男は進み出て……ためらう様子は見せましたが、自分を鼓舞するように何やら喚いて剣を振り上げ、一人の子の頭をはね飛ばしました。
「よくやった。貴様は合格だ」
 上官は実に無感情な調子でそう言い渡したものです。
 子供達が怯えて一斉に泣きだしました。
 うるさいから早くやれ、と上官は促す。

 人のあるべき心の欠片すら感じさせないその状況。
 やらなければ自分が殺されるという話は本当だと確信できました。
 最初の男に続き、みんな次々と子供の首をはねていく。
 謝りながらはねる者。
 神に祈りながらはねる者。
 泣きながら悪態をついてはねる男もいましたし、はね損なって何度も子供の首に剣を打ち込み直す兵もいました。
 子供の首をはねることが出来なかったのは四人。
 彼らは私達とは別にどこかへ連行されていきました。
 もう生きてはいないでしょう。

 私ですか。
 話の流れでお分かりでしょう。
 自分が死ぬのは怖かったのです。
 だから他者の命を奪うことが出来ました。
 真っ赤な髪をおかっぱにしたあどけない顔の女の子でした。
 色白で、鼻は小さく、くっきりした二重瞼の子でしたね。
 硬直したまま震え、全身を火照らせ、恐怖に声も出ない様子でした。
 一瞬後に自分は確実に死ぬんだと分かるのはどんな気持ちなんでしょうね。

 夢に見ます。
 今でも。
 何度も何度も繰り返し見ます。
 目を見開き、歯の根も合わないあの子の顔。



 長い沈黙。
「贖罪、逃避と言ったのはそういうことだったんだね」
 フィンさんが静かに声を掛けました。
 ラミアさんは何か言いたげに口を開きかけて、でも閉じる。
 僕も感情をうまく言葉に出来ません。
 酷いと言うだけでは……まったく足りない。

「話はこれで終わりではありません」
 スカラボさんは言いました。
「贖罪すべきことはまだあるのです」

 そして、再びスカラボさんは語り始める。



 選別後の私はそれまでとは別人のようになっていたと思います。
 軍で役立たずの烙印を押されることがどんなに恐ろしい結果を招くか、身に染みた私は兵士としての技能を磨くことに力を注ぎました。
 そして様々な武器を扱ううちに自分には吹き矢の才があると気がついたのです。
 練習を重ねた私の吹き矢の命中精度の高さはやがて上官の目に止まり、私は下級兵から中級兵に引き上げてもらえました。
 同時に所属部隊の変更。新しい配属先は女王直属の軍事研究機関の下部組織でした。そこで私は機関で開発された多種多様な薬を実戦投入するための実験を手伝わされることになったのです。

 具体的な仕事内容は薬剤を塗った吹き矢を動物や実験用の人間に撃ち込むことです。選別で不合格になった兵の一部はこの実験にも使われていました。
 薬剤は各種の毒だったり、麻酔薬・幻覚剤・興奮剤のような脳に作用するものだったりと多種多様です。媚薬もありましたし、肉体を強化するものもあった。身体の形状変化を伴うものすらあった。
 どんな変化が起こるかですか? 皮膚の硬質化だったり、手足の肥大化だったり。そのように聞きました。私は実験の結果を見たわけではありません。
 変化後はそのまま死んでしまうことが多かったようですが、詳細は分からない。聞きたくもなかった。すみません、だから薬剤を撃ち込んだ後のことはあまり知らないのです。試験結果の記録は私の仕事ではありませんでしたし。
 薬は大別して対象を殺害する目的のものと、コントロールする為の薬と、肉体や精神を強化する狙いの薬があったかと思います。

 殺害目的の薬剤はやはり毒薬が多かった。様々な種類の毒が次々と開発されテストされました。
 即死毒から、時間をかけて対象を衰弱死させる毒まで。
 撃ち込む量によって死亡時間をかなり正確にコントロールできる毒もありました。
 呼吸を止める毒。脳を溶かす毒。体内に悪性腫瘍を一気に発生させ増殖させる毒。

 変わったものではこんな毒もありました。
 その毒物を与えられた被験体は、全身を毒に冒されたまま何日も元気に生き続けます。そして、放置しておけばやがて苦しむこともなく安らかに死ぬ。
 かといって安楽死させるための薬ではありません。
 薬に冒された被験体の体は猛毒化していて、その肉を食べ血を飲んだ者はわずかな時間のうちに突然死んでしまうのです。
 そんな薬剤を屠殺前の食肉用家畜に密かに投与したとしたら? どうなるでしょう。そう、極めて恐ろしい殺人兵器の出来上がりです。

 私は心を凍らせ、命じられるままに淡々と動物や人間に薬剤を撃ち込み続けました。致死性の高い薬によって目の前で人が死んでしまった時には……殺したあの子の夢を必ず見た。
 いくら心を凍てつかせ考えまいとしても、結局私の魂は蝕まれていく一方。そして、精神の不調は肉体をも冒した。
 しかし、遠距離から対象の狙った箇所に正確に吹き矢、つまり薬を撃ち込める私の技能は高く評価されました。
 おかげで給金は上がり、未納の税を全て払いきることができた。もちろんそれですぐに解放されるほど甘くはありませんでしたが、私はある程度は自由な立場を取り戻せたのです。
 そして紆余曲折の後、病が進んで衰弱しきった私はようやく希望が通って除隊を認められることになったわけです。

 軍にいた末期の頃には、野生動物を使った薬剤試験の実行が主な仕事になってきていました。
 自然の中で動き回る動物に吹き矢を撃ち込むのは、より実戦に即した試験だったと言えるでしょう。例えば強力な麻酔剤を使えばあのフェンリルすら簡単に捕獲することができるのですから。
 フェンリルを捕獲する理由? それは聞いてませんよ。
 ただ、やれと言われるからやるだけです。
 ……そして去年、新たな薬剤の試験が実施されたのです。

 その薬剤に関しては機関の担当者が不可解なことを話していたので深く印象に残っています。女王自身が開発に携わったものだと、そいつは誇らしげに語ったのです。
 そして、悪意や憎悪、嗜虐、強欲、憤怒、暴食、色欲、奸知など、人の持つ多くの悪徳を対象に移植する薬なのだとその男は言いました。
 成功すれば聖人君子をも狂気の殺戮者に変貌させることができるだろうと。
 ただし彼らの目標は滅多にいない聖人君子の狂戦士化などではありません。大人しい動物を恐るべき猛悪獣に変えるのが目的でした。
 害することを好み、執念深く憎み、殺戮を楽しみ、必要ない物をも欲し、理由なく怒り、無駄に食い散らかし、ひたすら繁殖し、ずる賢い。
 そんな魔獣を生み出すのだ、と興奮気味に説明してましたから。
 意味が分かりませんでした。私なりに考えて、要するに新手の興奮剤のような薬なのだろうと理解しました。

 新薬の実験の第一段階として、元々凶暴なワタリ熊が対象に選ばれました。
 攻撃的な本能を持つ獣であるがゆえに薬が効きやすく、効果を観察するのに適しているだろうという理由からです。
 私達吹き矢部隊はワタリ熊が生息する山に赴いてしばらく滞在し、そこに住む群れの個体全てに薬を撃ち込みました。
 日をおいて様子を見に行った機関の担当者は大喜びでしたね。
 我々は悪鬼の創造に成功した、と。
 山の動物達は、ワタリ熊とワタリ熊の食料になる種以外は絶滅していたそうです。
 むごたらしい有様の死骸を残して。
 

 除隊後、悪夢に苛まれながら生ける屍のようになって放浪していた私。幾度も自殺を考えた。
 そんな中で、あのヤンマ君が武芸者に傭兵依頼をしている場面に遭遇したのです。
 話を聞いていて肌が粟立ちましたよ。
 すっかり忘れていた。
 私達が実験に使ったのはこの地方のワタリ熊。
 実験後はそのまま放置されていたに違いありません。
 その、自然を超えて凶悪化したワタリ熊が村を襲う。
 村人達はワタリ熊の変化を知らない……。
 運命的なものを感じた。
 ここが私の死に場所なんだと思いました。
 あの実験に手を貸した者として、微力であっても撃退に力を尽くして死のう……と。
 贖罪というには小さな自己満足に過ぎないのですけどね。



「私の話はこれだけです」
 語り終えたスカラボさんは、うつむいて押し黙りました。

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