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マランダ

第56話

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 ホウライ山に連なる山々の麓を突き抜けていく林道を進み、ドモラを目指す。
 時々姿を見せるのは狐や鹿や猪など。人には出会いません。
 そして、草原に出る。

 気持ちの良い風が草を撫で、空は夕焼け。
 そこはもうマランダ。諸侯の一人、ワイズ・リードさんの領地です。
 国内には王の直轄領と領主権を持つ貴族の領土が入り組んで存在しますが、マランダはそんな貴族領の一つ。
 一日進み続けた僕達は、マランダの町で夜の宿をとることに決めました。

 諸侯が支配する地は、領主の権勢によって軍事力・経済力はまちまちです。
 ただ基本的にどこも国からはある程度独立して領地運営をしています。
 もちろん領主は国すなわち王に対して納税や軍役といった義務を負うのですが。

「マランダには王宮の駐留国軍や治安隊はいないから比較的のんびりできそうね」
 ラミアさんが言いました。
「ちょっと買い物したいから明日の出発はお昼すぎでいい?」
 別に反対する人はいません。

 僕達は城壁に囲まれた小さな城塞都市の門をくぐり中へ入っていきました。通行人の検閲などはなく、人々は自由に出入りしています。
 ですが、町の中は活気に溢れているとは言えません。
 人の往来も決して多くはなく、地味な雰囲気です。
 でも、僕はこのマランダに来たことに少し特別な感傷を抱いていました。


 マランダ卿ワイズさん。宮廷にいた時に何度も会っています。
 ワイズさんの一人娘と僕は幼なじみなのです。
 そのお嬢さんの名はルルベル。僕より二つ年上。

 幼い当時、学業のために王都に住んでいたルルベルは、ワイズさんに連れられてよく宮廷に遊びに来ていました。
 従姉のジュスティーヌは僕が病気になる前から相手してくれませんでしたし、僕にとってお姉さんのような存在というとルルベルなのです。
 
 思い出されます。
 お姉さんというには、ちょっと頼りないルルベル。
 桃色の髪にほわんとした顔立ちをしていて、のんびり屋で泣き虫。
 僕が一人でいるのを見つけると、必ずそばに来て構ってくれる。
 王宮の庭園で一緒に遊んで過ごした幼い日々。

 ルルベルは僕が虫を捕ってくると怖いと言って泣く。
 僕がいじっているうちにその虫が弱ってくると、かわいそうと言って泣く。
 それで困って僕は虫を手の平に乗せたままオロオロしてしまう。
 そのうちに虫は何だか活気を取り戻す。
 ルルベルは良かったと安堵し、元気に飛び立って自分に向かってきた虫に怯えてまた泣きながら逃げる。
 そんな人。

 でも、ただ気が弱いだけの人ではなかった。
 二人で町に出て僕が野犬に襲われた時、彼女は泣きながら前へ出て僕をかばい自分が噛まれた。
 けれど犬に噛まれて怪我したことを大人には言わない。転んだんだと言い張る。
 犬が処分されたらかわいそうだから。

 そうだ。爺の手を焼かせて父に怒られしょげ返っていると、ルルベルはいつも理由も聞かずにぎゅっと抱きしめてくれたものでした。
 僕が死病に倒れて寝込んでしまった時には、毎日お見舞いに来てそばについていてくれた。
 そして他に誰もいない時、苦しくてうなされている僕をやっぱりぎゅっと抱きしめてくれる。
 癒されました。
 今思えばよく感染させずに済んだなと思いますけど。

 その後、童学校を卒業するとルルベルは領地に戻り、会う機会も減っていってしまいましたが……。

 ルルベル、今はどこに住んでるんだろう。やっぱりここかな。
 元気にしてるかな。
 父の暗殺疑惑の件で気持ちが塞いでいた僕は、もう一度ルルベルに会いたいと思い始めていました。
 今の僕は、もう二度と彼女に抱きしめられることは叶わないのですが。


 僕達は古びた小さな宿屋を見つけ部屋を確保しました。
 他にお客はいないようです。 
 ……と思ったら僕らのすぐ後にもう一人お客がやって来ました。
「あらあら、まあまあ、今日は千客万来ねぇ」
 受付台の向こうで女将は目を丸くしています。
 これで驚くほど普段はお客が少ないのでしょう。

 それにしても新たなお客の異様な風体。
 古臭いクラシックな騎士の甲冑をフル装備で纏った小柄な男性。重そうです。
 兜で顔も見えません。長槍ランスを肩に乗せて持ったまま。
 そんな姿で一人旅をしているなんて普通の神経の持ち主ではなさそうです。
 フィンさんとガンプさんは興味深そうに眺めています。
 あの甲冑は○○年代のなんたらかんたらとヒソヒソ話を始めました。


 僕達は二階の部屋に案内されました。
 ようやく大部屋でくつろぐことができます。
「すごい! 寝転んでも服が汚れないや!」
 テンテは妙なことで感激しています。

「ここの領主さんは古代八家の血筋の方ですわよ」
 テンテを見ながらルキナさんが言いました。
「ふぅん」
 テンテは特に興味はなさそうです。
 でも、僕は思い出して声を上げかけました。
「そうだ、確か……」

 古代八家の一つに数えられるリード家の当主で、有力廷臣でもあるのがアース卿。ワイズさんはその弟さんでした。
 アース卿は人を寄せつけない冷たい雰囲気を纏っていて、人当たりの良いワイズさんと兄弟だというのが不思議に思えたものです。
 有能だけど独り身で人間嫌い、普段はあまり前に出てこない人。それが僕のアース卿に対する印象です。
 でも、そういったことを僕が知っているのは変だ。

「何?」
 フィンさんに聞かれました。
「あっ、いえ、確かテンテも古代八家の血筋だと言ってましたよね……」
「どうでもいいやい」
 自分の足のにおいをクンクン嗅ぎながら言い放つテンテ。
 ずっと裸足で過ごして汚れたその足をルキナさんはおもむろに掴み、タオルで拭き始めました。
「キャハハ! くっ、くすぐったいって!」
 テンテはのたうちまわります。

「あの、僕は興味あったもので」
 そう言うと、足を拭き終わったルキナさんは微笑んで話を続けてくれました。
「血筋と言ってもマランダ卿は古代八家当主ではないですわよ。当主はアース卿カルダ・リード。その弟さんですわ」
 さっき僕が思い出したことを教えてくれるルキナさん。

「アースといえば、このマランダに隣接するかなり広い諸侯領ね」
 ラミアさんが呟きます。
「わしゃあアースで魔牛ストーンカを退治したことがあるぜよ」とガンプさん。
「アース卿にお礼を請求できますわね」
 そう言って笑った後、ルキナさんは付け加えました。
「もっともアース卿は女王派の重鎮になっておられるようですけど」

「えっ! ではマランダ卿も?」
 僕の声は思わず大きくなる。
「いえ。この兄弟は4年ほど前に仲違いして絶縁してしまっているようですわよ。マランダ卿のお立場は微妙なのではないかしら」
 4年前。僕が婚約破棄された頃……。

「ずいぶんと良う知っちょるのう」
 ガンプさんが感心して唸ります。
「ええ。できるだけ情報を集めて敵情をしっかり把握しておくのもわたくしの務めですもの」
 ルキナさんの答えにガンプさんは複雑な表情。
「敵情のう。あんたらいったいどこまで……いや、まあ、別にいいぜよ」
 そこでなぜかニヤニヤするフィンさん。

 ルキナさんは話を戻します。
「いずれにせよマランダ卿は貧乏貴族の小領主。大勢に影響力を持つお方ではありませんわね」
「貧乏……なんですか?」
 僕は何だか心配になって聞きました。
「ご兄弟の父君が二人に領地を分けて相続させたのですが、大半は長男のアース卿が受け継いでますわね。マランダ卿のこの小さな領地では税収はそう多くはないと思われますわ」
「そうですか……」

「貴族の話って何だか面倒くさいなぁ。山で生きてくだけで充分だい!」
 テンテがあくびをしながら言います。
「そういえば古代八家で貴族になったのはリード家だけですわね」
 ルキナさんは同意するようにうなずきました。


 みんな寝静まった夜。
 窓から差し込む月明かりで部屋の中はほの明るい。
 僕の隣りに横になったテンテのつぶやきが聞こえてきます。
「お師様……ユニ……大丈夫かなぁ……」
 テンテを挟んで向こう隣りに寝るルキナさんが、黙って手を伸ばしテンテの頭を撫でました。
 ルキナさんと目が合う。
 微笑むルキナさん。
 背後には、にじり寄ってくるトリアさんの気配。
 また抱き枕にされそうです。
 

 翌日。午後までみんな自由行動です。
 食事を済ませるとラミアさんは真っ先に宿を出て行きました。
 他の人達も順次出掛けていく。

「アレン、私達も町を回ってみましょ?」
「そうですね」
 トリアさんに誘われ、僕も準備を始めます。
 お金がないので買い物はできないけど、一応荷袋は持っていこう。

「おいらも行くっ!」
 立ち上がるテンテ。
「そういえばアレンぃやラミアぇは何でそんな二重に顔隠してんの?」
 鉄仮面の上に麻袋を被り始めた僕を眺めながらテンテは質問してきました。

「お尋ね者だからよ」
 代わりに答えるトリアさん。
「へぇ、カッコイイや」
 トリアさんは微笑みました。
「テンテもたぶんもうお尋ね者よ?」
 一瞬きょとんとするテンテ。
「……あっ、そうか、ユニの件で? でも、おいらは仮面はいいや」
 あっけらかんとしています。
「そうね。遠方まで手配が回るにはまだ時間が掛かるでしょうし」
 

 部屋を出て一階に向かう途中、甲高い声が聞こえてきました。
「あちゃー! この町にゃ国軍はおらんつうだか?」
「へえ、軍は領主様の小さな私軍だけですなあ」
 女将と会話しているのは坊主頭で背の低い若い男性。
 階段を下りていく僕らに気付いて見上げた顔は丸く、大きな団子っ鼻。どんぐり眼が離れて付いて、前歯が突き出ています。
「変な顔」
 テッ、テンテ……!!

 聞こえなかったのか、男の人は女将の方に視線を戻し会話を続けます。
「どこ行きゃあ国軍に入れるんだべ?」
「さあ、王都ですかねえ」
 どうやら男の人は今は軽装ですが昨晩の甲冑の中身の人のようです。
 玄関に向かって二人の横を通りすぎる時、トリアさんが不意に声を掛けました。
「国軍に入りたいの?」

 騎士の中の人は一瞬面食らった顔をする。
「ん、んだ。国が乱れとるでな、田舎から一念発起して出て来ただ。国軍に入って世を正すだよ」
 ほのかに顔を赤らめながら男の人は力強く言います。
「へぇ~。国軍に入ったらそれができる?」
「もちろんだべ。他にできるとこがあっぺか? 民困らす賊共を討ち果たせるのは国軍だけだべや」
「ふぅん」
「ラミア軍とかミノス軍とか悪党めらが大暴れしとるの知っとるべ? 奴らからおらぁ、命賭けて国を守るだよ!」
 反応の良くないトリアさんの様子に、男の人はムキになって力説しました。
「そうなんだ。そういえば昨日の鎧は凄かったわね」
「ありゃあ、うちの家宝だよ。ひいひい爺ちゃんがあれ着てな、攻めてきた異民族との戦いで手柄立てたつうだ」
「そっか。あなたも手柄立てられるといいわね」
「え、あ、うん。あんがと」
 男の人は耳まで真っ赤になりました。

 宿屋を出ると僕は言いました。
「一般の人の認識はまだあんな感じなんでしょうか?」
 トリアさんは肩をすくめます。
「あの人が田舎者すぎるだけよ。それも比較的収穫に恵まれてる田舎ね。本当に苦しんでる人達は実情を分かってるわ」
「でも町の普通の人達からは王宮に対する批判的な声ってほとんど聞こえてきませんでしたね。追い詰められた農村での一揆はあるけど」
「それは分かるでしょ。治安隊が怖いのよ。そういうのを取り締まるのも彼等の仕事だもの。壁に耳ありってやつ」
「そうか……」

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