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16.昨日のこと

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「死にかけたのはわかるんですけど、状況があんまり」
そう言って珠里は勉強中に大切にしている形見の簪を不用意に落としかけ、それを落とす前に掴もうと手を伸ばした所から記憶があいまいだと話した。

「ふむ、その簪は今どこにある?」

問われて朱里ははっと、顔を青くした。
長い間肌身離さず持っていた簪が何処に行ってしまったのか見当もつかなかった。

…お母さん

朱里が唯一持っている母の形見を失くしてしまったかもしれないと肩を落とした事で余計なことを思い出させてしまったかと聖蘭は内心舌を打った。

不安にさせたいわけではなかったが今更遅い。

「部屋にまだ転がっているやもしれん、気を落とすな」

出来れば何事もなく転がっていてくれと願いにも似た事を告げて聖蘭は朱里を励まそうとした。
そっと傍で朱里を見守っている牙狼に目配せをすると、牙狼はすぐに意図を察したらしく一つ頷いて聖蘭に答えて見せた。
言葉もなく意思疎通をする主と主従に対して朱里は今更ながら思い出したと突然頭を下げた。

「助けて頂いてありがとうございました!」

朱里の勢いに聖蘭は驚いてその長い睫毛を瞬かせた。
それから少しして、牙狼と二人面白いもの見る目で朱里を笑った。

「えらく突然だな」

朱里の頭を眺めながら牙狼が言うと、聖蘭は言葉の代わりに朱里の頭を軽く撫でた。

「ずっとお礼を言い忘れてたなって…」

照れた様子ではにかむ朱里は聖蘭の手をそのままにして顔を上げて告げた。

「礼を言うのはまだ早い、次がないとも言えない」
そう言って渋顔をする聖蘭は何か考え込むようにして朱里の頭から手をどかせた。

「私が襲われたのは偶然じゃないんですか?」

どこか様子のおかしい聖蘭に不安をあおられて、朱里は疑問を口にした。

「偶然と言うには些か疑問が残る。お前が危険に晒されると白雪が鳴った。2度も鳴った今関係がないとは言い切れない」

聖蘭の言葉によくわからないものの、自分に何か理由があるのかと朱里は黙り込んだ。

…人に見えないものが見えるせい?

朱里の中ではなんとなく形になりつつある見える力への疑問。
母はいつもその話をしようとする朱里を慰めてくれていたが、同時に困った表情を浮かべていた。
もしもそのことが原因なら、朱里は知らない間に母に守られていた?

次から次へと沸く疑問に考え込む朱里に、聖蘭は明るい声で朱里の名を呼んだ。
顔を上げた朱里の目に美少女がまぶしい笑顔を見せて問いかけた。

「それよりも腹は空いていないか?」

その言葉に朱里が答えるより早く朱里の腹が鳴った。
小動物を思わせる音に、聖蘭と牙狼が同時にふきだして笑った。

「ははっ、腹が答えるとはな」

そう言って眦に涙を浮かべて笑う聖蘭を朱里は真っ赤な顔で睨みつけた。

「すまないそら、朝餉を食べに行こう」

謝罪と共に先に立ち上がった聖蘭に小さな手を差し出されて朱里は1度迷ってからその手を取った。
小さいとはいえ骨の太い手は自分のまるい手と違ってしっかりと立ち上がる朱里を支えてくれる。

「しゃけは食べられるか?」

牙狼の言葉に朱里は頷いた。
食べものなら何でも好きだと答えた朱里を聖蘭と牙狼は不思議なものをみる目で朱里を見てからもう一度ふきだした。

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