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第三十六節「謀略回生 ぶつかり合う力 天と天が繋がる時」
~Amour et souffrance et...<愛と苦しみと>~
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豹変したリデルが語った事実。
それはもはや倫理感すら疑う程に信じられないもので。
そこに覗き見えるのはもはや鬼気。
如何な犠牲さえも厭わないその姿勢は、実の父すら手に掛ける程の業を秘めていたのだ。
「お父様は良い餌になったわ……反抗勢力の一つを取り纏めていたのも知っていたから。 デュランは『どうしてそこまで』とは言ってくれたけれど、私は彼の笑顔を見れればそれで良かったの。 今の私の喜びは彼の喜び。 彼の幸せが私の幸せなのよ」
「そんな……お父さんはあれだけ君の事を愛してくれていたのに……」
リデルが打ち明けた衝撃の事実はディックさえも絶句させる。
彼女も、その父も強く信頼していたからこそ。
絶望とも言える所業を前にただただ立ち尽くすのみ。
それでもなお誇らしげな姿を見せるリデルを視界に納めたままで。
「そう、私は幸せよ? 誰もが勝てない男の傍に居られる事が。 だからディッキー……貴方も諦めるべきよ。 どうせこの人達では勝てないから。 抱える物の重みを誰よりも知るあの人には絶対に。 そして彼が成そうとしている事も、へらへらと笑っていられる奴等なんかには絶対に叶えられない……!!」
両手を大きく広げ、背筋が反る程に高く高く胸を掲げる。
その姿はまさに勝ち誇ったが如く。
この時彼女は完全にこう悟ったのだ。
〝デュランと勇達とでは世界を背負う為の器が違う〟と。
信奉しているデューク=デュランがより強固な存在として確立したから。
宿敵である勇達の存在が比較対象となった事によって。
例えそれが虚勢であろうとも、無知からであろうとも関係は無い。
リデルはそう信じた。
それだけでもう覆す事の出来ない壁が出来上がったのだから。
その他の何者からの声も通さない大きな隔たりが。
「何故貴女はそこまでデュランの事を信じられるんだ!? 娘の命を奪った【救世同盟】の党首なんだろ!?」
「だからよ! だから信じられるの! リューシィが信じた【救世同盟】だから私は信じられる。 それで例えディッキーと離れる事になっても、リューシィの心はここに居るの! だからもう寂しくないのよ……!!」
もしかしたらその隔たりは最初から生まれていたのかもしれない。
リューシィが死んだその日から。
愛する夫は移民系で国を捨てた【救世同盟】の敵。
愛した娘はその手を血で染める事も厭わなかった【救世同盟】の愛国者。
そしてその二つに寄り添って生きて来た彼女の心は限界を超えた。
世間からしてみれば彼女は若過ぎたのだ。
十五から恋をして、三年間以上も一人の男に寄り添って。
十九にして子を成して、家を空ける事の多い夫を待ちながら子育てをして。
そして二人とも、突如として消えた。
その十数年間はきっと幸せだったのだろう。
何も困らない、充実した毎日だったのだろう。
だからこそ、失った時の苦しみは計り知れない。
それだけリデルは依存していたのである。
頼もしい夫に。
愛くるしい娘に。
今はその対象がデュランに変わっただけに過ぎない。
そうしないと彼女はもう生きる希望すら失いそうだったから。
例え夫が帰って来たとしても……もう遅いのだ。
リデルはもう、染まりきってしまった。
「そのリューシィが愛した【救世同盟】を私は愛している。 そしてデュランの事も。 そう、今の私はデューク=デュランの女! あの人が愛してくれているから、私はもう何も怖くないッ!!」
時に人は言う。
「愛は盲目」だと。
単に言えばリデルもそうなのかもしれない。
デュランという男を心から愛してしまったが故に。
だからもう、リデルは恐怖さえも克服したのだ。
そのデュランが覆せない程の強大な力を持っているからこそ。
何があろうと負ける事は無いと、まるでその強さを衣として借るかの様に。
「フッフフッ……そう、今の私はデュランの愛人。 じゃあどうする? 私を人質にして彼を脅すかしら? でもきっとそれは無駄ね。 あの人はそんな事じゃ止まらない。 むしろ私を犠牲にする事で、その怨念さえも力にするわ。 理想を叶えるまで、あの人は絶対に止まらない」
故に彼女はこうして笑えるのだ。
敵である勇達を前にして。
何があろうとデュランが負ける訳は無い、と信じ切っているのだから。
「だから私はあの人の理想の為には……死ぬ事も厭わないッ!! それが私の夢ッ!! そしてこの国を愛して死んだリューシィの夢だからッ!!!」
そして彼女も止まらない。
例え自分を犠牲にしようとも。
信じるデュランの為にはもはや、礎になる事さえ誇りとなりえる。
「それがリデル=ベルナールの誇り!! 私という存在の生きた証になるのよおッ!!!」
でも、そうして吐き出された叫びは……まるで訴える様だった。
心のどこかで「助けて」と訴えているかの様だった。
待つ事に疲れて。
生きる事に疲れて。
期待する事にも疲れて。
そうして得られた安寧は、娘も親も踏み躙る道程にあったから。
だから壁の中に引き籠るしかなかったのだ。
もう誰にも顔見せ出来ない程に、多くの人の血で血塗られてしまったから。
娘の血と。
父親の血と。
本来国を愛するべき民の血と。
そして己の血を以って。
真っ赤に染まり、黒く塗り潰されてしまった心はまさに血玉の色。
生温い錆臭を漂わせる程に濃く、何重にも深く塗り固められて。
もう拭う事さえ叶わない。
いや、少し違うか。
その血こそが彼女の壁の礎なのだろう。
積み重ねて来た業が壁となる程に深かったから。
助けを求めても乗り越えられない程に高く、声が届かない程に厚く。
その間にも壁はどんどんと高さと厚みを増していったから。
こうして出来上がった壁はもはや、勇達でさえも拭い去る事など出来はしない。
たった一人を除いて。
その男の行動を誰が予想しただろうか。
誰が理解出来るだろうか。
……理解など必要は無い。
こうなるのは必然だったのだ。
ずっと彼女を愛していたから。
そして置いて行ってしまったから。
その罪深さを誰よりも知っていて、誰よりも理解出来るから。
「もういいんだリデルッ……!! もう苦しまなくていいんだ……ッ!!」
叫び上げるリデルを抱き締めるディックがそこに居た。
その身を覆い尽くさんばかりに深く抱き込み。
腰を折らんばかりに強く抱き締め。
耳が触れ合う程に首を回し。
大粒の涙を零す男の姿が―――そこにあったのだ。
「こんな事になるならッ君を一緒に連れて行けばよかった……ッ!! こんな事になるなら最初から君に全てを打ち明ければ良かったッ!! すまないッ、本当にすまないリデルッ!! ……ウッ……ウッウッ―――」
声を震わせ、肩も震わせて。
枯れ枯れになる程に咆え、嗚咽を掻き鳴らす。
ディックもまた苦しかったのだろう。
そう叫びたかったのだろう。
愛した妻が目の前で苦しみ叫ぶ姿を見て、胸が引き裂かれる想いに苛まれていたのだろう。
彼だけがずっと気付いていた。
気丈に振る舞い、デュランを讃えるその影で苦しんでいた事に。
そして今やっと気付いたのだ。
自分が犯した罪の深さに。
愛して止まないリデルをここまで追い詰めてしまっていたという事実に。
一時も忘れた事は無かったのだろう。
例え軽口を叩こうとも。
例え別の女を抱こうとも。
だからいつもひょうひょうとしていて。
雲の様に掴み所が無かったのは、リデルの事を心配していたから。
そんならしくない姿を悟られたくなかったから。
でももう、抑える事は出来なくて。
リデルの叫びが引き金となって、その想いが遂に爆発した。
彼女を想う気持ちはもう止められなかったのだ。
ディックの叫びは、訴えは、涙と嗚咽に混じってリデルの肌へと流れ行く。
冷めきった彼女の背中に温もりを与えるかの様に。
それが引き金になったのかはわからない。
もしかしたら、きっと彼女もこうしたかったのだろう。
ずっと我慢してきたのだろう。
「ウッ……ウッウッ……うああ……アッアッ、ああああッッ!!」
リデルの眉が窄み、目元が歪み、潤いを滲ませて。
たちまち彼女の目からも大粒の雫が浮かび上がる。
居残り続ける事も出来ない大きな大きな悲しみの雫が。
心の奥底から訴えたかった本当の叫びが、今この場に響き渡る。
二人は最初から今までずっと愛し合ってきた。
例えどんな障害があろうとも関係無く。
そして心が歪んでも、壊れても、その愛情は変わる事は無い。
こんな歪んで変わり果ててしまった世界でも。
二人の想い合う心はいつまでも不変。
だから今、こうして抱き合う事が出来る。
互いの心を共有し、悲しみも苦しみも分かち合い、共に叫び合える。
だから今、二人は夫婦だ。
誰にも負けない程に愛し合う二人だから……夫婦なのだ。
デュランでさえも癒す事の出来ないリデルの深い壁。
それをディックは間違いなく溶かし崩す事が出来たのである。
それはもはや倫理感すら疑う程に信じられないもので。
そこに覗き見えるのはもはや鬼気。
如何な犠牲さえも厭わないその姿勢は、実の父すら手に掛ける程の業を秘めていたのだ。
「お父様は良い餌になったわ……反抗勢力の一つを取り纏めていたのも知っていたから。 デュランは『どうしてそこまで』とは言ってくれたけれど、私は彼の笑顔を見れればそれで良かったの。 今の私の喜びは彼の喜び。 彼の幸せが私の幸せなのよ」
「そんな……お父さんはあれだけ君の事を愛してくれていたのに……」
リデルが打ち明けた衝撃の事実はディックさえも絶句させる。
彼女も、その父も強く信頼していたからこそ。
絶望とも言える所業を前にただただ立ち尽くすのみ。
それでもなお誇らしげな姿を見せるリデルを視界に納めたままで。
「そう、私は幸せよ? 誰もが勝てない男の傍に居られる事が。 だからディッキー……貴方も諦めるべきよ。 どうせこの人達では勝てないから。 抱える物の重みを誰よりも知るあの人には絶対に。 そして彼が成そうとしている事も、へらへらと笑っていられる奴等なんかには絶対に叶えられない……!!」
両手を大きく広げ、背筋が反る程に高く高く胸を掲げる。
その姿はまさに勝ち誇ったが如く。
この時彼女は完全にこう悟ったのだ。
〝デュランと勇達とでは世界を背負う為の器が違う〟と。
信奉しているデューク=デュランがより強固な存在として確立したから。
宿敵である勇達の存在が比較対象となった事によって。
例えそれが虚勢であろうとも、無知からであろうとも関係は無い。
リデルはそう信じた。
それだけでもう覆す事の出来ない壁が出来上がったのだから。
その他の何者からの声も通さない大きな隔たりが。
「何故貴女はそこまでデュランの事を信じられるんだ!? 娘の命を奪った【救世同盟】の党首なんだろ!?」
「だからよ! だから信じられるの! リューシィが信じた【救世同盟】だから私は信じられる。 それで例えディッキーと離れる事になっても、リューシィの心はここに居るの! だからもう寂しくないのよ……!!」
もしかしたらその隔たりは最初から生まれていたのかもしれない。
リューシィが死んだその日から。
愛する夫は移民系で国を捨てた【救世同盟】の敵。
愛した娘はその手を血で染める事も厭わなかった【救世同盟】の愛国者。
そしてその二つに寄り添って生きて来た彼女の心は限界を超えた。
世間からしてみれば彼女は若過ぎたのだ。
十五から恋をして、三年間以上も一人の男に寄り添って。
十九にして子を成して、家を空ける事の多い夫を待ちながら子育てをして。
そして二人とも、突如として消えた。
その十数年間はきっと幸せだったのだろう。
何も困らない、充実した毎日だったのだろう。
だからこそ、失った時の苦しみは計り知れない。
それだけリデルは依存していたのである。
頼もしい夫に。
愛くるしい娘に。
今はその対象がデュランに変わっただけに過ぎない。
そうしないと彼女はもう生きる希望すら失いそうだったから。
例え夫が帰って来たとしても……もう遅いのだ。
リデルはもう、染まりきってしまった。
「そのリューシィが愛した【救世同盟】を私は愛している。 そしてデュランの事も。 そう、今の私はデューク=デュランの女! あの人が愛してくれているから、私はもう何も怖くないッ!!」
時に人は言う。
「愛は盲目」だと。
単に言えばリデルもそうなのかもしれない。
デュランという男を心から愛してしまったが故に。
だからもう、リデルは恐怖さえも克服したのだ。
そのデュランが覆せない程の強大な力を持っているからこそ。
何があろうと負ける事は無いと、まるでその強さを衣として借るかの様に。
「フッフフッ……そう、今の私はデュランの愛人。 じゃあどうする? 私を人質にして彼を脅すかしら? でもきっとそれは無駄ね。 あの人はそんな事じゃ止まらない。 むしろ私を犠牲にする事で、その怨念さえも力にするわ。 理想を叶えるまで、あの人は絶対に止まらない」
故に彼女はこうして笑えるのだ。
敵である勇達を前にして。
何があろうとデュランが負ける訳は無い、と信じ切っているのだから。
「だから私はあの人の理想の為には……死ぬ事も厭わないッ!! それが私の夢ッ!! そしてこの国を愛して死んだリューシィの夢だからッ!!!」
そして彼女も止まらない。
例え自分を犠牲にしようとも。
信じるデュランの為にはもはや、礎になる事さえ誇りとなりえる。
「それがリデル=ベルナールの誇り!! 私という存在の生きた証になるのよおッ!!!」
でも、そうして吐き出された叫びは……まるで訴える様だった。
心のどこかで「助けて」と訴えているかの様だった。
待つ事に疲れて。
生きる事に疲れて。
期待する事にも疲れて。
そうして得られた安寧は、娘も親も踏み躙る道程にあったから。
だから壁の中に引き籠るしかなかったのだ。
もう誰にも顔見せ出来ない程に、多くの人の血で血塗られてしまったから。
娘の血と。
父親の血と。
本来国を愛するべき民の血と。
そして己の血を以って。
真っ赤に染まり、黒く塗り潰されてしまった心はまさに血玉の色。
生温い錆臭を漂わせる程に濃く、何重にも深く塗り固められて。
もう拭う事さえ叶わない。
いや、少し違うか。
その血こそが彼女の壁の礎なのだろう。
積み重ねて来た業が壁となる程に深かったから。
助けを求めても乗り越えられない程に高く、声が届かない程に厚く。
その間にも壁はどんどんと高さと厚みを増していったから。
こうして出来上がった壁はもはや、勇達でさえも拭い去る事など出来はしない。
たった一人を除いて。
その男の行動を誰が予想しただろうか。
誰が理解出来るだろうか。
……理解など必要は無い。
こうなるのは必然だったのだ。
ずっと彼女を愛していたから。
そして置いて行ってしまったから。
その罪深さを誰よりも知っていて、誰よりも理解出来るから。
「もういいんだリデルッ……!! もう苦しまなくていいんだ……ッ!!」
叫び上げるリデルを抱き締めるディックがそこに居た。
その身を覆い尽くさんばかりに深く抱き込み。
腰を折らんばかりに強く抱き締め。
耳が触れ合う程に首を回し。
大粒の涙を零す男の姿が―――そこにあったのだ。
「こんな事になるならッ君を一緒に連れて行けばよかった……ッ!! こんな事になるなら最初から君に全てを打ち明ければ良かったッ!! すまないッ、本当にすまないリデルッ!! ……ウッ……ウッウッ―――」
声を震わせ、肩も震わせて。
枯れ枯れになる程に咆え、嗚咽を掻き鳴らす。
ディックもまた苦しかったのだろう。
そう叫びたかったのだろう。
愛した妻が目の前で苦しみ叫ぶ姿を見て、胸が引き裂かれる想いに苛まれていたのだろう。
彼だけがずっと気付いていた。
気丈に振る舞い、デュランを讃えるその影で苦しんでいた事に。
そして今やっと気付いたのだ。
自分が犯した罪の深さに。
愛して止まないリデルをここまで追い詰めてしまっていたという事実に。
一時も忘れた事は無かったのだろう。
例え軽口を叩こうとも。
例え別の女を抱こうとも。
だからいつもひょうひょうとしていて。
雲の様に掴み所が無かったのは、リデルの事を心配していたから。
そんならしくない姿を悟られたくなかったから。
でももう、抑える事は出来なくて。
リデルの叫びが引き金となって、その想いが遂に爆発した。
彼女を想う気持ちはもう止められなかったのだ。
ディックの叫びは、訴えは、涙と嗚咽に混じってリデルの肌へと流れ行く。
冷めきった彼女の背中に温もりを与えるかの様に。
それが引き金になったのかはわからない。
もしかしたら、きっと彼女もこうしたかったのだろう。
ずっと我慢してきたのだろう。
「ウッ……ウッウッ……うああ……アッアッ、ああああッッ!!」
リデルの眉が窄み、目元が歪み、潤いを滲ませて。
たちまち彼女の目からも大粒の雫が浮かび上がる。
居残り続ける事も出来ない大きな大きな悲しみの雫が。
心の奥底から訴えたかった本当の叫びが、今この場に響き渡る。
二人は最初から今までずっと愛し合ってきた。
例えどんな障害があろうとも関係無く。
そして心が歪んでも、壊れても、その愛情は変わる事は無い。
こんな歪んで変わり果ててしまった世界でも。
二人の想い合う心はいつまでも不変。
だから今、こうして抱き合う事が出来る。
互いの心を共有し、悲しみも苦しみも分かち合い、共に叫び合える。
だから今、二人は夫婦だ。
誰にも負けない程に愛し合う二人だから……夫婦なのだ。
デュランでさえも癒す事の出来ないリデルの深い壁。
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