20 / 1,197
第一節「全て始まり 地に還れ 命を手に」
~畏れ と 憤り~
しおりを挟む
勇が来た道を戻り行く。
統也の仇を取る為に。
もちろん剣聖や少女も一緒だ。
そのお陰か、勇の足取りはどこか軽快で。
「ところで剣聖さん、【マモノ】って何なんですか?」
とはいえ道程はそれなりに遠い。
一つ二つ話を交わす事が出来る程には。
そういう事もあって折角だからと訊いてみたのだけれども。
「なぁにィ~!?」
途端にまたしても剣聖の重低音の唸りがその場に響く。
勇が苦手な怒号前の溜めだ。
―――が、途端にその声は止まり。
勇が恐る恐る振り向けば、そこにはしゃくれながらも視線を背ける剣聖の姿が。
彼もまたお互いの会話が噛み合わない事に気付いているのだろう。
だからか渋い表情を浮かべ、顎鬚を「ワシャリ」と撫で上げていて。
「―――【マモノ】ってのはだな、『魔』の『者』っつうこった。 早い事言やぁ、人間の天敵みたいなもんだぁよ」
さすがに冗談抜きに知らない相手へと怒るほど非常識ではないらしい。
その説明はと言えばざっくばらんではあるけれど。
「へぇ~。 でもそんな生き物聞いた事も無いな」
ただ、こうして教えて貰ってもやはり思い当たらない。
少女も小刻みに頷きを見せるばかりである。
勇の言う通り、この現代においてそんなものは存在しない―――はずだった。
当然、こんな街に現れる事も無ければ、ジャングルの奥地に居るなんて話も無い。
精々、昔ばなしや空想上の『鬼』だとか『妖怪』と、それらしいのが居るくらいだろう。
だがこうして目の前に現れて。
剣聖の存在、言葉と相まって真実味を帯びる。
これは決して夢幻ではないという事に。
そして、そんな異質を感じているのは勇や少女だけでは無い。
剣聖もまた、そう質問に答えながらもキョロキョロと周囲を伺う様を見せていて。
「しっかしなんだぁ、この岩壁の連なりはァ。 進み難いったらありゃしねぇ」
剣聖の言う岩壁とは、つまりビル壁の事。
勇達が【魔者】を知らないのと同様に、剣聖もビルを知らないらしい。
ツンツンと指で突き、時は貫いたりなどで募った不満をぶちまけるという。
知らないのを良い事にやりたい放題である。
やはりこの道は剣聖には少し窮屈そう。
統也の作戦が悪い意味で的中していた様だ。
「すいません、この道でしかあの場所に戻れるかどうかわからないので……」
「ったく、しゃあねぇなぁ」
もちろん勇も嫌がらせでこんな道を選んでいる訳ではない。
この道が唯一の、現場へと向かう為の道程だから。
統也が死んだ場所、その風景はハッキリと憶えている。
しっかりと頭の中に焼き付いているのだ。
何度も何度も思い返せる程に。
でもそこから離れる程に記憶が薄くなる。
無我夢中で逃げていたからだろう。
だからこそ何度も振り返っては微かな記憶と当てはめて。
道を間違えない様にと、確実に進んでいく。
それから歩くこと数分。
ふと勇が何かに気付く。
今歩いている路地裏、その先にはコンビニエンスストアの看板が。
勇はその看板をよく覚えている。
どこを曲がるか悩んだ時、咄嗟と目に入ったから。
更に進むと、今度は既視感のある建物もが見える。
あの命運を分けた路地裏傍のビルだ。
そしてその景色が見えた途端、勇の記憶と重なり合う事に。
そう、遂に辿り着いたのだ。
忌まわしき悲劇の現場へと。
この時、勇の足がピタリと留まる。
警戒心が足を止めさせたのだ。
〝まだ魔者が居るかもしれない〟と。
ドックドック……
勇の鼓動が急激に高鳴り。
背筋に悪寒がゾクリと広がって。
全身にピリリとした痺れが駆け巡る。
道角の先に振り向けばあの光景が待っている。
その事実が勇にこれ以上に無い緊張を与えていたのだ。
逃げ出したい。
ここから離れたい。
この先の光景を見たくない。
そんな思考がたちまち勇の心に絡みつく。
その身を振り向かせんとばかりに縛り上げながら。
だが、勇の足は―――震えず不動だった。
ここまでの緊張は初めてだ。
でも、緊張した事が無い訳ではない。
剣道の試合でも同じ様な緊張を抱いた事は有る。
重圧を感じさせる場面なら幾度と無く。
その度に逃げたくなって。
それでも踏み留まって。
そして勝利し続ける事が出来た。
だからもう、勇はこんな事では引き下がらない。
その下地があるからこそ、弱音を拭い去る事が出来るのだ。
覚悟を決め、肝を据え。
なおも緊張が走る中、心の赴くままに。
その視線を運命の現場へ―――流れる様に移していく。
居た。
そこに奴もが居た。
視線の先に魔者が二人、勇達を背にして地面に座り込んでいたのだ。
何やら地面に向けて手を動かしているが、何をしているかまではわからない。
それでも標的の存在は捉える事は容易だった。
一人の後頭部に目立つ程黄色い髪が覆っていたのだから。
統也を殺して出てきたあの時に気付いて、ずっと憶えていた。
その特徴、その風貌を。
今こうしてすぐ気付けるほど明瞭に。
しかし同時に、見たくも無い光景までもが視界に映る。
大地に転がったままの統也の身体である。
あの時からずっと変わらず捨て置かれていたのだ。
魔者達が別の何かに興味を示したまま。
それが堪らず勇に歯を食い縛らせる。
怒りと苦悶を織り交ぜた表情を浮かべさせながら。
気付けば呼吸も、「フーッ、フーッ」と鼻息を荒げさせる程に強くなっていて。
そんな時、不意に勇の肩へと「ポン」という軽い感触が伝わる。
勇の感情を悟ったのだろう。
剣聖が後押しせんとばかりにその大きな手を乗せていたのだ。
顔こそ無味ではあったが、その意思だけは温もりを通して伝わってくるかの様で。
「行くぞ」
加えてのその一言が、勇の決意を誘い込んだ。
するとたちまち鋭い頷きを誘い、凛として正面を見据えさせる事に。
たった一言でも、大きな勇気を貰った気がしたから。
心も息遣いも、不思議と落ち着きを取り戻していて。
三人が揃って裏路地から姿を晒し、ゆっくり魔者達に近づいていく。
その距離はおおよそ五〇メートル程度か。
それでもなお勇達に気付く様子は無い。
魔者達はそれほど何かに夢中なのだ。
「あいつら何を……」
それが魔者達には聴こえない程の囁きを誘う。
勇にはただただ不思議だったのだ。
ここまで夢中になる様な何があるのか、と。
「遊んでやがるのよ」
だが剣聖の口から間も無く答えが返る。
そう、剣聖の言う通り彼等は遊んでいるのだ。
人が遊ぶのと同様に。
意思があるからこそ、好奇心を持つ。
楽しい事に惚ける事は人のそれと全く同じだから。
では一体何で遊んでいるのだろうか。
その事実を目の当たりにした時―――勇は戦慄する。
彼等が座り込んでまさぐっていたのは戦利品。
突如目の前に無数に現れたひ弱な生命体で。
そう、それは人間の体だったのである。
ただ殺すだけではなかったのだ。
彼等にとっては、人の体は玩具と何ら変わらない。
動こうが、動くまいが、戯れ道具としか見てはいないのだ。
だからあそこまで残酷になれ、人を狩る事が出来る。
今こうして、体だけとなった誰かを弄り倒す。
腕を、体を、深紅に染め上げて。
嬉々として笑い合いながら。
そしてもし何もしなければ、いずれは統也の身体も。
その事実が勇の怒りと共に、恐怖心までをも燃え上がらせた。
〝一歩間違えれば自分もあの中の一人になってしまう〟
その様な恐ろしい考えが途端に生まれ事によって。
それが迷いを生み、再び歩みを止めさせていて。
でも剣聖がそんな彼に掛ける言葉は何一つ無い。
それは見捨てたからでは無く、「この先は本人次第」だと思っているからだ。
するとその折、魔者の内の一人がとうとう勇達の存在に気付く事に。
「ンガッ!?」
しかし勘の良い者なのだろう。
剣聖の存在にすぐさま気付き、飛び上がる様にその身を引かせていて。
「ゲゲェッ!? ソ、『そーどますたー』ァア!?」
にしても先ほどの魔者とそっくりな反応だ。
大袈裟なくらいの怯えようで。
それにもう一人も気付き、途端に追従するかの如く慄き後ずさっていく。
「ヒイッ!? 『そーどますたー』ガモウ来テルナンテ聞イテネーゾ!? マ、マダ死ニタクネェ!!」
脅え、助けを請い、逃げ惑う姿は弱者そのものだ。
まるで先ほど自分達が追い掛けた人々と同様の。
もしかしたらこれが剣聖を知る者の真なる反応なのかもしれない。
きっとそれ程までに恐れられている存在なのだろう。
「まぁ待てよぉ、誰も今すぐ殺すたぁ言ってねぇ! 何だったら見逃してやってもいいぞぉ?」
だが、剣聖はそんな怯え惑う魔者達に緩やかな声を投げ掛ける。
勇達との会話でもお馴染みの、強くとも落ち着きを伴ったものだ。
それが勇には不思議でならなかった。
今、剣聖と魔者は話を交わしている。
互いに殺し殺される相手と、である。
彼等にとってはそれが普通なのだろうか?
勇の心にそんな素朴な疑問が突如浮かび、ただただ唖然とするばかりで。
「ホ、本当カヨ。 ナ、ナラヨォ―――」
「だが条件がある」
でもその会話内容はと言えば依然一方的だ。
たちまち魔者達が「ギクリ」と顔を引きつらせ、慄くままに身を寄せ合う。
そんな折、剣聖が大きな右手を勇の頭頂部へと「ポンっ」と乗せ。
唖然としていた勇の意識を呼び戻す。
「―――どっちだ?」
「あ、左……左の奴!!」
左の魔者―――それは遅れて気付いた方。
忘れたくても忘れられない怨敵だ。
それを聞き届けるや否や、突如として剣聖がその魔者に人差し指を「ビシッ」と向けた。
「オイ左の奴ゥ!! おめぇがこのガキを殺せたらおめぇら二人とも見逃してやらぁ!!」
「えっ!?」
驚く勇などお構い無しに、頭に乗せていた掌で「ポンポン」と叩く。
丁寧にも「ガキ」が勇である事を悟らせんばかりに。
思わぬ展開に、勇は戸惑いを隠せないでいる。
しかしそんな勇に対し、魔者の方はと言えば―――
怯えていた顔を不敵な笑み浮かぶ表情へと徐々に変貌させていて。
「オマエ、見覚エアルゾ! サッキ仲間置イテ逃ゲテッタ奴ダ、カカッ!!」
「ううっ!?」
そう、魔者は勇を憶えていたのである。
統也を置いて逃げた弱い存在である事を。
何をする事も出来ずに怯えていた弱者である事を。
だからこそもう勝機を悟ったのだろう。
故に今、笑っている。
まるで勇を煽るかの様な一言と共に。
そしてその一言が勇の動揺を呼び込んだ。
〝統也を置いて逃げた〟
この事実は未だ勇の心を縛っている。
吐き出したとはいえ、すぐには解けない程に。
それをあろう事か異形に悟られてしまった事がショックだったのだ。
目を震わせてしまう程の迷いを生む程に。
「アンナノ楽勝ダッ、一発デ仕留メテヤルヨォ」
「カカカカッ!!」
対して魔者達はもう既に勝ったつもりらしい。
ゆるりとその身を立ち上がらせ、途端に強気な態度を見せつける。
さっきまで怯えていたのが嘘だと思える程の笑いを上げながら。
きっと魔者にとっては人間など只の動く的でしかないのだろう。
勇の様な子供であればなおさらだ。
だからこそ、好都合な条件だとでも思ったに違いない。
彼等にとっては、玩具が自ら走ってくる様なものだったのだから。
対しての勇は恐怖と怒りが均衡している不安定な状態で。
過呼吸、体の震えが止まらない。
このまま戦えば間違いなく、冷静に戦う事は出来ないだろう。
しかしこの時、不意に勇の頭から剣聖の手が離れて。
途端に冷ややかな外気が温まっていた頭頂部を優しく撫でる。
それがふと、勇の震えた意識を呼び戻す事に。
それも、剣聖の声に耳を傾けられるだけの余裕をも与えていて。
「お互い、一発だ」
「え?」
「どちらも一発食らえば終わりだ。 ならその一発……おめぇが食らわせろ」
しかしてその一言が勇に一つの疑念をもたらす事となる。
〝なぜ一発なのか〟と。
魔者は人間一人軽く殺せる程の剛腕の持ち主で。
その攻撃は間違いなく、勇を一撃の名の下に屠る事が出来るだろう。
対してこちらの武器は軽くて短い剣一本。
例え勇に技術があろうとも、たったそれだけで勝てる相手とは思えない。
おまけに使い慣れてもおらず、竹刀の様に扱える訳でもなく。
どうみても一発で終わるとは思えない。
そんな実直な疑問が脳裏に過ったのだ。
だが―――
「―――はいっ!」
今の言葉は、そんな疑念と恐怖をも払拭していた。
チラリと覗き込んだ時、勇には見えていたのだ。
剣聖の揺るがぬ自信を秘め、魔者達を真っ直ぐ見据える眼を。
それこそが信頼の証。
勇が負けるとは微塵も思っていない態度だったから。
その姿こそが、勇にとってそれ以上無い激励となっていたのである。
統也の仇を取る為に。
もちろん剣聖や少女も一緒だ。
そのお陰か、勇の足取りはどこか軽快で。
「ところで剣聖さん、【マモノ】って何なんですか?」
とはいえ道程はそれなりに遠い。
一つ二つ話を交わす事が出来る程には。
そういう事もあって折角だからと訊いてみたのだけれども。
「なぁにィ~!?」
途端にまたしても剣聖の重低音の唸りがその場に響く。
勇が苦手な怒号前の溜めだ。
―――が、途端にその声は止まり。
勇が恐る恐る振り向けば、そこにはしゃくれながらも視線を背ける剣聖の姿が。
彼もまたお互いの会話が噛み合わない事に気付いているのだろう。
だからか渋い表情を浮かべ、顎鬚を「ワシャリ」と撫で上げていて。
「―――【マモノ】ってのはだな、『魔』の『者』っつうこった。 早い事言やぁ、人間の天敵みたいなもんだぁよ」
さすがに冗談抜きに知らない相手へと怒るほど非常識ではないらしい。
その説明はと言えばざっくばらんではあるけれど。
「へぇ~。 でもそんな生き物聞いた事も無いな」
ただ、こうして教えて貰ってもやはり思い当たらない。
少女も小刻みに頷きを見せるばかりである。
勇の言う通り、この現代においてそんなものは存在しない―――はずだった。
当然、こんな街に現れる事も無ければ、ジャングルの奥地に居るなんて話も無い。
精々、昔ばなしや空想上の『鬼』だとか『妖怪』と、それらしいのが居るくらいだろう。
だがこうして目の前に現れて。
剣聖の存在、言葉と相まって真実味を帯びる。
これは決して夢幻ではないという事に。
そして、そんな異質を感じているのは勇や少女だけでは無い。
剣聖もまた、そう質問に答えながらもキョロキョロと周囲を伺う様を見せていて。
「しっかしなんだぁ、この岩壁の連なりはァ。 進み難いったらありゃしねぇ」
剣聖の言う岩壁とは、つまりビル壁の事。
勇達が【魔者】を知らないのと同様に、剣聖もビルを知らないらしい。
ツンツンと指で突き、時は貫いたりなどで募った不満をぶちまけるという。
知らないのを良い事にやりたい放題である。
やはりこの道は剣聖には少し窮屈そう。
統也の作戦が悪い意味で的中していた様だ。
「すいません、この道でしかあの場所に戻れるかどうかわからないので……」
「ったく、しゃあねぇなぁ」
もちろん勇も嫌がらせでこんな道を選んでいる訳ではない。
この道が唯一の、現場へと向かう為の道程だから。
統也が死んだ場所、その風景はハッキリと憶えている。
しっかりと頭の中に焼き付いているのだ。
何度も何度も思い返せる程に。
でもそこから離れる程に記憶が薄くなる。
無我夢中で逃げていたからだろう。
だからこそ何度も振り返っては微かな記憶と当てはめて。
道を間違えない様にと、確実に進んでいく。
それから歩くこと数分。
ふと勇が何かに気付く。
今歩いている路地裏、その先にはコンビニエンスストアの看板が。
勇はその看板をよく覚えている。
どこを曲がるか悩んだ時、咄嗟と目に入ったから。
更に進むと、今度は既視感のある建物もが見える。
あの命運を分けた路地裏傍のビルだ。
そしてその景色が見えた途端、勇の記憶と重なり合う事に。
そう、遂に辿り着いたのだ。
忌まわしき悲劇の現場へと。
この時、勇の足がピタリと留まる。
警戒心が足を止めさせたのだ。
〝まだ魔者が居るかもしれない〟と。
ドックドック……
勇の鼓動が急激に高鳴り。
背筋に悪寒がゾクリと広がって。
全身にピリリとした痺れが駆け巡る。
道角の先に振り向けばあの光景が待っている。
その事実が勇にこれ以上に無い緊張を与えていたのだ。
逃げ出したい。
ここから離れたい。
この先の光景を見たくない。
そんな思考がたちまち勇の心に絡みつく。
その身を振り向かせんとばかりに縛り上げながら。
だが、勇の足は―――震えず不動だった。
ここまでの緊張は初めてだ。
でも、緊張した事が無い訳ではない。
剣道の試合でも同じ様な緊張を抱いた事は有る。
重圧を感じさせる場面なら幾度と無く。
その度に逃げたくなって。
それでも踏み留まって。
そして勝利し続ける事が出来た。
だからもう、勇はこんな事では引き下がらない。
その下地があるからこそ、弱音を拭い去る事が出来るのだ。
覚悟を決め、肝を据え。
なおも緊張が走る中、心の赴くままに。
その視線を運命の現場へ―――流れる様に移していく。
居た。
そこに奴もが居た。
視線の先に魔者が二人、勇達を背にして地面に座り込んでいたのだ。
何やら地面に向けて手を動かしているが、何をしているかまではわからない。
それでも標的の存在は捉える事は容易だった。
一人の後頭部に目立つ程黄色い髪が覆っていたのだから。
統也を殺して出てきたあの時に気付いて、ずっと憶えていた。
その特徴、その風貌を。
今こうしてすぐ気付けるほど明瞭に。
しかし同時に、見たくも無い光景までもが視界に映る。
大地に転がったままの統也の身体である。
あの時からずっと変わらず捨て置かれていたのだ。
魔者達が別の何かに興味を示したまま。
それが堪らず勇に歯を食い縛らせる。
怒りと苦悶を織り交ぜた表情を浮かべさせながら。
気付けば呼吸も、「フーッ、フーッ」と鼻息を荒げさせる程に強くなっていて。
そんな時、不意に勇の肩へと「ポン」という軽い感触が伝わる。
勇の感情を悟ったのだろう。
剣聖が後押しせんとばかりにその大きな手を乗せていたのだ。
顔こそ無味ではあったが、その意思だけは温もりを通して伝わってくるかの様で。
「行くぞ」
加えてのその一言が、勇の決意を誘い込んだ。
するとたちまち鋭い頷きを誘い、凛として正面を見据えさせる事に。
たった一言でも、大きな勇気を貰った気がしたから。
心も息遣いも、不思議と落ち着きを取り戻していて。
三人が揃って裏路地から姿を晒し、ゆっくり魔者達に近づいていく。
その距離はおおよそ五〇メートル程度か。
それでもなお勇達に気付く様子は無い。
魔者達はそれほど何かに夢中なのだ。
「あいつら何を……」
それが魔者達には聴こえない程の囁きを誘う。
勇にはただただ不思議だったのだ。
ここまで夢中になる様な何があるのか、と。
「遊んでやがるのよ」
だが剣聖の口から間も無く答えが返る。
そう、剣聖の言う通り彼等は遊んでいるのだ。
人が遊ぶのと同様に。
意思があるからこそ、好奇心を持つ。
楽しい事に惚ける事は人のそれと全く同じだから。
では一体何で遊んでいるのだろうか。
その事実を目の当たりにした時―――勇は戦慄する。
彼等が座り込んでまさぐっていたのは戦利品。
突如目の前に無数に現れたひ弱な生命体で。
そう、それは人間の体だったのである。
ただ殺すだけではなかったのだ。
彼等にとっては、人の体は玩具と何ら変わらない。
動こうが、動くまいが、戯れ道具としか見てはいないのだ。
だからあそこまで残酷になれ、人を狩る事が出来る。
今こうして、体だけとなった誰かを弄り倒す。
腕を、体を、深紅に染め上げて。
嬉々として笑い合いながら。
そしてもし何もしなければ、いずれは統也の身体も。
その事実が勇の怒りと共に、恐怖心までをも燃え上がらせた。
〝一歩間違えれば自分もあの中の一人になってしまう〟
その様な恐ろしい考えが途端に生まれ事によって。
それが迷いを生み、再び歩みを止めさせていて。
でも剣聖がそんな彼に掛ける言葉は何一つ無い。
それは見捨てたからでは無く、「この先は本人次第」だと思っているからだ。
するとその折、魔者の内の一人がとうとう勇達の存在に気付く事に。
「ンガッ!?」
しかし勘の良い者なのだろう。
剣聖の存在にすぐさま気付き、飛び上がる様にその身を引かせていて。
「ゲゲェッ!? ソ、『そーどますたー』ァア!?」
にしても先ほどの魔者とそっくりな反応だ。
大袈裟なくらいの怯えようで。
それにもう一人も気付き、途端に追従するかの如く慄き後ずさっていく。
「ヒイッ!? 『そーどますたー』ガモウ来テルナンテ聞イテネーゾ!? マ、マダ死ニタクネェ!!」
脅え、助けを請い、逃げ惑う姿は弱者そのものだ。
まるで先ほど自分達が追い掛けた人々と同様の。
もしかしたらこれが剣聖を知る者の真なる反応なのかもしれない。
きっとそれ程までに恐れられている存在なのだろう。
「まぁ待てよぉ、誰も今すぐ殺すたぁ言ってねぇ! 何だったら見逃してやってもいいぞぉ?」
だが、剣聖はそんな怯え惑う魔者達に緩やかな声を投げ掛ける。
勇達との会話でもお馴染みの、強くとも落ち着きを伴ったものだ。
それが勇には不思議でならなかった。
今、剣聖と魔者は話を交わしている。
互いに殺し殺される相手と、である。
彼等にとってはそれが普通なのだろうか?
勇の心にそんな素朴な疑問が突如浮かび、ただただ唖然とするばかりで。
「ホ、本当カヨ。 ナ、ナラヨォ―――」
「だが条件がある」
でもその会話内容はと言えば依然一方的だ。
たちまち魔者達が「ギクリ」と顔を引きつらせ、慄くままに身を寄せ合う。
そんな折、剣聖が大きな右手を勇の頭頂部へと「ポンっ」と乗せ。
唖然としていた勇の意識を呼び戻す。
「―――どっちだ?」
「あ、左……左の奴!!」
左の魔者―――それは遅れて気付いた方。
忘れたくても忘れられない怨敵だ。
それを聞き届けるや否や、突如として剣聖がその魔者に人差し指を「ビシッ」と向けた。
「オイ左の奴ゥ!! おめぇがこのガキを殺せたらおめぇら二人とも見逃してやらぁ!!」
「えっ!?」
驚く勇などお構い無しに、頭に乗せていた掌で「ポンポン」と叩く。
丁寧にも「ガキ」が勇である事を悟らせんばかりに。
思わぬ展開に、勇は戸惑いを隠せないでいる。
しかしそんな勇に対し、魔者の方はと言えば―――
怯えていた顔を不敵な笑み浮かぶ表情へと徐々に変貌させていて。
「オマエ、見覚エアルゾ! サッキ仲間置イテ逃ゲテッタ奴ダ、カカッ!!」
「ううっ!?」
そう、魔者は勇を憶えていたのである。
統也を置いて逃げた弱い存在である事を。
何をする事も出来ずに怯えていた弱者である事を。
だからこそもう勝機を悟ったのだろう。
故に今、笑っている。
まるで勇を煽るかの様な一言と共に。
そしてその一言が勇の動揺を呼び込んだ。
〝統也を置いて逃げた〟
この事実は未だ勇の心を縛っている。
吐き出したとはいえ、すぐには解けない程に。
それをあろう事か異形に悟られてしまった事がショックだったのだ。
目を震わせてしまう程の迷いを生む程に。
「アンナノ楽勝ダッ、一発デ仕留メテヤルヨォ」
「カカカカッ!!」
対して魔者達はもう既に勝ったつもりらしい。
ゆるりとその身を立ち上がらせ、途端に強気な態度を見せつける。
さっきまで怯えていたのが嘘だと思える程の笑いを上げながら。
きっと魔者にとっては人間など只の動く的でしかないのだろう。
勇の様な子供であればなおさらだ。
だからこそ、好都合な条件だとでも思ったに違いない。
彼等にとっては、玩具が自ら走ってくる様なものだったのだから。
対しての勇は恐怖と怒りが均衡している不安定な状態で。
過呼吸、体の震えが止まらない。
このまま戦えば間違いなく、冷静に戦う事は出来ないだろう。
しかしこの時、不意に勇の頭から剣聖の手が離れて。
途端に冷ややかな外気が温まっていた頭頂部を優しく撫でる。
それがふと、勇の震えた意識を呼び戻す事に。
それも、剣聖の声に耳を傾けられるだけの余裕をも与えていて。
「お互い、一発だ」
「え?」
「どちらも一発食らえば終わりだ。 ならその一発……おめぇが食らわせろ」
しかしてその一言が勇に一つの疑念をもたらす事となる。
〝なぜ一発なのか〟と。
魔者は人間一人軽く殺せる程の剛腕の持ち主で。
その攻撃は間違いなく、勇を一撃の名の下に屠る事が出来るだろう。
対してこちらの武器は軽くて短い剣一本。
例え勇に技術があろうとも、たったそれだけで勝てる相手とは思えない。
おまけに使い慣れてもおらず、竹刀の様に扱える訳でもなく。
どうみても一発で終わるとは思えない。
そんな実直な疑問が脳裏に過ったのだ。
だが―――
「―――はいっ!」
今の言葉は、そんな疑念と恐怖をも払拭していた。
チラリと覗き込んだ時、勇には見えていたのだ。
剣聖の揺るがぬ自信を秘め、魔者達を真っ直ぐ見据える眼を。
それこそが信頼の証。
勇が負けるとは微塵も思っていない態度だったから。
その姿こそが、勇にとってそれ以上無い激励となっていたのである。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
85
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる