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4巻
4-3
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「心配はいらない。精霊王様に聞いたのだが、この世界と僕たちの人間界とでは時間の流れが違うらしい」
そう言われてレオンは精霊王の方を見る。
すると自信満々に鼻を高くした精霊王が胸を張る。
「そうさ。もともと精霊とは時間の流れなどに左右されない唯一の生命。ここでどれだけの時を過ごしたって人間界の時間は数分程度も進まない」
三か月前、精霊王はこの話をヒースクリフたちにした。
そのうえで、時間をかけてここで魔法の修業をすれば悪魔たちにも勝てる見込みがあるだろうと言ったのだ。
「もちろん、僕も心配が完全になくなったわけではない。でも、考えないことにした。今のままでリーンに帰っても何もできないからね。それなら精霊王様のもとで力をつけようと思ったのさ」
そう言ったヒースクリフの顔は、精霊界に来た時よりも少しすっきりとしていた。
「そっか……それで特訓って一体何をしていたの? 僕には座って魔力を練っているようにしか見えなかったんだけど」
レオンの問いに答えたのは精霊王だ。
「精霊の魔力を掴むための特訓さ。人間、精霊、悪魔。それぞれは確かに別種の魔力を持っているが、全くの無関係というわけじゃないからね」
精霊王によれば、三つの魔力はそれぞれ三竦みの関係になっているらしい。
悪魔の持つ「陰」の魔力は人間の「陽」の魔力に強く、「陽」の魔力は精霊の魔力に強く調和する。そして精霊の魔力は「陰」の魔力を打ち消す力があるらしい。
「でもよ、悪魔の魔力が『陰』、人間の魔力が『陽』なのはわかったけど、精霊の魔力は一体何なんだ?」
話を聞いていたマークが首を傾げる。
それを聞いてため息を吐いたのは精霊王とルイズの二人だった。
「あのね、マーク。特訓を始める前にちゃんと説明してもらったでしょう? 精霊の魔力っていうのは『陰』と『陽』のかけ合わせのようなものなのよ」
精霊王の代わりにルイズが説明を始めると、精霊王は満足そうに頷いた。
ルイズが自分の言葉をしっかりと理解していたことが嬉しかったようだ。
「陰」と「陽」の魔力。精霊の魔力はその二つを融合させたようなものだった。
悪魔の魔力を打ち消し、人間の魔力と調和するのはそれが理由だった。
「かつて、世界を生み出した神は悪魔の世界――魔界、人間の世界、そして精霊の世界をそれぞれ作った。悪魔の世界と人間の世界は『陰』と『陽』の二つの魔力で満たされお互いを支え合い、引っ張り合って世界のバランスを保っていた」
精霊王が語る。
悪魔と人間の世界はお互いがなくては存在できないような、釣り合いのとれた関係性だったという。
「それでは、精霊界は?」
そう質問したのはヒースクリフだった。いつの間にかその場にいた全員が精霊王の話に耳を傾け、興味を示している。
「精霊界は二つの世界を管理する役割さ。『陰』と『陽』の二つの性質を持ち合わせたこの世界は悪魔と人間の世界のバランスを保つために存在している。どちらかの世界のバランスが崩れた時、この世界にはその影響が顕著に表れるのさ」
精霊王はそう言うと魔法で高く飛び上がる。
それは「ついてこい」と言っているようで、レオンたちはその後を追った。
「見なよ。ここは昔、木や花や草が綺麗に育ち、魔力に満たされた美しい森だった。今は見る影もない」
精霊王の後をついて空中に上がると、森の終わりがよく見えた。
家のある方とは反対の森の終わり。
その向こうには荒れ果てた荒野が広がっている。
「これは……一体」
レオンたちは言葉をなくした。森の中では溢れるばかりに感じられた魔力が荒野からは全く感じられない。虚無の世界だった。
「魔界が崩壊を始めた頃からこの世界の森は枯れ始めたのさ。まぁ、どうして魔界が滅び始めたのかは僕にもわからないんだけどね」
精霊王はそう言って笑った。
「管理といっても僕にできることはもうほとんどない。滅びゆく世界をただ見守るしかないのさ」
そう言って荒野を眺める精霊王の横顔は、レオンにはとても寂しそうに見えた。
「俺たちを特訓してくれているのはそれが理由なのか? 俺たちが悪魔に対抗できるだけの力をつければバランスが保たれるのか?」
マークが精霊王に問いかける。
悪魔の世界と人間の世界がバランスを取って存在する関係にあるのなら、魔界が崩壊したのは「陰」の魔力が強大になったからなのではないかと彼は考えたのだ。
悪魔の魔力は人間であるマークたちにとってははるかに強大なもの。自分たちが力をつければ強大になった悪魔たちの世界とのバランスを取れるのではないか、と。
しかしマークのその言葉を精霊王は笑い飛ばした。
「馬鹿なことを言うね。君たちが多少強くなったからって世界のバランスは保たれるようなものじゃない。そんな簡単な問題じゃないんだよ」
その答えを聞いてマークは肩を落とした。
「もともと釣り合いは取れていたんだ。悪魔は強大な力を持っているが人間よりも数が少なく、人間は力こそ弱いが繫栄していた。バランスが崩れたのはある日突然。何が原因なのかは誰にもわからない。ある一人を除いてね」
精霊王は少し悲しそうに言った。その「ある一人」が誰なのか、レオンだけでなくその場にいた全員が気になっただろう。
精霊王は、
「神だよ」
と不敵に笑った。
それが本気なのか、それともからかっているのかレオンたちにはわからなかったが、精霊王はその話についてそれ以上の追及を許さなかった。
「あの……どうして私たちに魔法を教えてくれるんですか?」
ルイズが聞いた。
悪魔に対抗できないと困るのは人間だけで、精霊王には関係ない。
「見守るしかない」と言っていた精霊王がレオンの精神の修復のために手を貸してくれたことも、ルイズには不思議に思えた。
「暇潰しさ。わかるだろう。こんな世界で君たちには想像もできないほど長い間、世界を管理してきたんだ。少しくらい他のことをしてみたくなった。だからね、気まぐれで君たちを助けることにしたのさ。僕の気が変わらないうちに早く強くなるんだね」
そう言うと精霊王は元の場所に戻ろうとする。それを見てマークが叫んだ。
「よし、俺絶対強くなってやるからな!」
マークはそのままさっきまでいた場所に飛んでいき、特訓の続きを始めた。
それを見たルイズたちも顔を見合わせて少し笑い、それぞれ特訓に戻る。
精霊王の横顔は少しだけ嬉しそうだった。
「根性だけはありそうだ」
その時、レオンが精霊王を呼び止めた。
「精霊王様! 僕も、皆と一緒に特訓をしてもいいでしょうか。どうしても、自分で倒さなければいけない相手がいるんです」
この時レオンの頭に浮かんでいたのはディーレインの顔だった。
たった一度、短い時間戦っただけの相手だが、レオンは彼にとても強い繋がりを感じていた。
レオンと同じように彼の中にも悪魔の魂が存在しているからかもしれない。
それもレオンの身体の中にいるファ・ラエイルとかつて友情を築き、今もなお人間界の支配を企む、ア・ドルマの魂が……
◇
ダレンたちヒースクリフ派の人間が集まるリーンの町のすぐ近くに、この国の王都が存在する。
文字通りの国の中心、王族が暮らす宮殿もこの王都にある。
そんな王都の町だが、そこに住む人々は大きな不安を抱えていた。
「やはり、ヒースクリフ様は無実のようだぞ」
「アーサー王子は自分が王位を継ぐために実の弟を殺すつもりらしい」
そんな噂が町民たちの間で流れているのだ。
その噂は決して表には出ず、裏でひそひそと話される程度だったが、それでも徐々に町中に広まっていき、平民たちの不安を煽っていた。
そんな王都内だったが、民の間で流行る噂話など意にも介さない勢力がいる。
それは噂の的となっている人物が率いる、王国を牛耳らんとする勢力だ。
王城内の謁見の間。
国王のみが座ることが許される豪華な玉座にその男は座っている。
アーサー・デュエンである。
片腕を肘掛けに、もう片方の腕で頬杖をつき偉そうにしている。
その前には配下の貴族たちが跪いて並び、こうべを垂れている。
「アーサー様、第二王子とその派閥の者たちの行方は既に捉えております。やつら、やはりリーンに逃げ込んでいたようです」
その中でも一番前にいた男が頭を下げたままアーサーに述べる。
黒い髪と顎髭を持つ中年の貴族で名前をバダルという。アーサー派の中でも重鎮の男で侯爵の位を持つ。
バダルはアーサーに命令を受け、ヒースクリフの行方を捜索し、彼らがリーンの町に逃げ込んでいることを突き止めていた。
「そうか、概ね予想通りだな」
アーサーは報告を受けても眉ひとつ動かさずに返事をする。
まるで最初から知っていたかのような口ぶりだった。
牢屋から逃げ出したヒースクリフがそのまま王都に留まるとは思えず、逃げ込むのならリーンしかないだろうと思っていたのだ。
金で雇った犯罪者まがいの魔法使いたち。それがアーサーの手駒であった。
彼らは皆、自国や他国で影に生きた者たちであり、隠密行動に特化している。
さらに独自の情報網をそれぞれが持っており、迅速に情報を入手・伝達できる。
アーサーが情報戦において大きなアドバンテージを持っている主な理由だ。その魔法使いたちからも事前に報告を受けていた。
リーンにヒースクリフがいて、そこにはレオンとヒースクリフを支持する魔法使いが集まっていることも知っている。
しかし、自分についてきた貴族たちや雇った裏社会の人間たち、そして利害の一致で手を組むことになったディーレインの戦力を考慮すれば、恐れることはないと思っている。
「ひとつ懸念があるとすれば、リーンの町に逃げ込んだ第二王子やレオン・ハートフィリアが一向に姿を見せなくなったことでしょうか」
バダルは自分の家来をリーンの町に忍ばせてその内情を探らせていた。
レオンたちが逃げ込んだ屋敷も突き止めていたのだが、ある日を境にレオンたちが姿を見せなくなったことを気にしていたのだ。
しかし、アーサーはそれを鼻で笑う。
「ふん、どうせ臆病にも建物の中でおびえているのだろう。リーンから出ていったという情報はない。放っておけ」
アーサーからすれば、これはもう既に勝ち戦だった。
わざわざヒースクリフたちを捕らえに行かないのは、そんなことをしなくてもいずれ彼らの方からやって来るというのがわかっているからだ。
また、レオンの存在も大きい。先の戦いでディーレインがレオンに敗れたことがアーサーにとって些細な気がかりだ。
いかに情報力に自信のあるアーサーでも、まさかディーレインが負けるとは思わなかった。
レオンの存在だけがアーサーにとっては読めない事柄で、それ故に慎重になる。
とはいえ、精霊たちの力を借りて屋敷の中から別の場所に移ったなどとは、アーサーにも思いつかなかった。
「あの者たちはどうしますか」
バダルが尋ねる。
それが誰のことを言っているのか、アーサーにはすぐにわかった。
「地下室でおとなしくさせておけ、決して人目に触れるような場所には行かせるな。特に生き返った不気味な連中はな」
アーサーの命令にバダルは頷く。
話しているのはディーレインたちのことだ。
悪魔のことをアーサーは公にしたくなかった。
ディーレインが善意から手助けをしてくれているとは思っていない。
何か事情があり、一時的な協力関係にあるだけだとわかっている。
そして、その協力関係が終われば彼は再び敵になるのだろうと推測していた。
もしもディーレインの力が公になり、その力が悪魔のものだと民たちに気づかれればアーサーの立場は一変してしまう。
悪魔から力を借りていると噂されるだけでも王位は遠のくと、アーサーは理解していた。
そのため、彼らにはあまり派手に動いてほしくないのだ。
アーサーは配下の貴族たちから全ての報告を受けると、その全てに的確に細かく指示をしてから下がらせた。
部屋から貴族たちがいなくなり、アーサーだけになる。
ほっと一息つこうとしたのも束の間――
「随分と慎重なんだな、王子様」
声をかけられた。アーサーが驚いて振り返ると、いつの間に現れたのか窓際にディーレインが立っていた。
「放っておけ、国に関することは私が決める。お前はあのレオンという魔法使いを倒すことだけを考えていろ」
アーサーの口調はきついものだったがディーレインは気を悪くした様子もなく、余裕の笑みを浮かべている。
「俺たちの目的は達成した。あいつに負けてやったのはただの気まぐれみたいなもんだ。俺にとって一番大事なのは一族の復興だからな」
ディーレインが言う。
その言葉に思わずアーサーは立ち上がる。
「目的は達成した」という言葉がアーサーを焦らせた。
それは彼にとって悪い知らせだ。ディーレインと手を組んだのは彼がレオンに興味を示していたからだ。
アーサーにとってもレオンは邪魔な存在であり、倒してくれるのならば構わないという気持ちで手を組んだ。
しかし、ディーレインが目的を達成したのであれば話は変わってくる。
彼がレオンと戦う理由がなくなり手を引くようなことがあれば、形勢が覆る可能性があった。
一転して焦りの表情を見せたアーサーを見て、ディーレインは愉快そうに笑った。
「おいおい、勘違いするな。あんたを王にするっていう約束はまだ生きてる。俺は約束は守る。良いな?」
アーサーにはそう言うディーレインがとても軽薄そうに見えた。
とても信頼のおける男ではない。
しかし、それをわかっていて手を組んだ部分もある。
今更ごちゃごちゃ言っていても状況は良くならない。
「……それならば良い」
アーサーは短くそう言うと、再び玉座に腰を下ろす。
「しかし、一か月か。もう少し早くならんもんかね」
ディーレインは退屈そうにしている。
どうやら王位争いなどというものは、ディーレインの目には不毛に映るらしい。
心の底では早く終わってくれと思っていると、アーサーにもよく伝わってくる。
「悪いが、こればかりは致し方ない。国王の継承は教会の定め事なのだ。それを無視していては国民からの支持は得られない」
アーサーにとってもそれは歯がゆい思いをしている事象の一つであった。
任期を終え、退任する予定の現国王アドルフによってどちらかの王子が次の王に選ばれる選任の儀式は、何故か突然中止となり、アドルフはアーサーを新たな王に選出した。
実際にはアーサーが国王を何らかの手段で操っていたのだが、とにかく選出された彼はすぐにでも自分が国王だと名乗りたかった。
しかし、国王の継承は教会の意向により、しっかりと「一か月後」と定められているのだ。
それを無視して国王を名乗れば、待っているのは国民からの反発である。
権力だけではどうにもできない壁だった。
「はいはい、教会ね。……そんなに重要なところなのに、あの司祭にあんな扱いをして大丈夫なのか?」
ディーレインは以前自分が魔法をかけた教会の司祭のことを思い出していた。
この世界の神、レターネを祭る聖レイテリア教会。その教会から国に派遣されてきたエルシムという名前の司祭である。
アーサーに頼まれ、ディーレインがエルシムにかけたのは「服従」の魔法。
それがどんなことであれ、アーサーの言うことならばエルシムは疑問を持たずに呑み込むという傀儡を作り出す魔法だった。
「それも仕方のないことだ。もとより、貴様と手を組んだことが知れれば私の立場は危うくなる。そして、エルシム司祭がいればバレる確率が高くなるのだ。こうするしかない」
魔法をかけられたエルシム司祭は王城の上階にある部屋に軟禁された状態である。
魔法の影響で本人はそのことに何の疑問も持っていない。
一か月後にアーサーが王位を継承した後もディーレインの魔法は続き、アーサーは誰に邪魔されることもなく国の実権を握り続けるという算段であった。
そして、軟禁されている者がもう一人。
アーサーとヒースクリフの実の父である国王アドルフだ。
彼にも似たような魔法がかけられていて、これによってアーサーは選任の儀式を中止させ、自分を国王に指名させた。
アドルフはエルシム司祭と同じように軟禁され、外部との連絡も取れないようにされている。
もともとその横暴な性格で強引に自分の利益だけを求めて国王を務めてきたのがアドルフだ。民からの信頼は薄く、貴族たちからの評判も悪い。
彼を支える者はもうおらず、アーサーの反逆とも言えるこの行動に異を唱える者は誰もいなかった。
「一か月だけ大人しくしていろ。そうすれば司祭は私の言う通りに私を国王にしてくれる。そして、用済みとなった父上にはどこか辺境の国で余生でも過ごしてもらうとしよう」
アーサーはそう言って不気味に笑う。ディーレインのことも含め、何の不安もないとは言えない状況ではある。
しかし、それでも概ね順調に進んでいると笑うだけの余裕は残っていた。
そう言われてレオンは精霊王の方を見る。
すると自信満々に鼻を高くした精霊王が胸を張る。
「そうさ。もともと精霊とは時間の流れなどに左右されない唯一の生命。ここでどれだけの時を過ごしたって人間界の時間は数分程度も進まない」
三か月前、精霊王はこの話をヒースクリフたちにした。
そのうえで、時間をかけてここで魔法の修業をすれば悪魔たちにも勝てる見込みがあるだろうと言ったのだ。
「もちろん、僕も心配が完全になくなったわけではない。でも、考えないことにした。今のままでリーンに帰っても何もできないからね。それなら精霊王様のもとで力をつけようと思ったのさ」
そう言ったヒースクリフの顔は、精霊界に来た時よりも少しすっきりとしていた。
「そっか……それで特訓って一体何をしていたの? 僕には座って魔力を練っているようにしか見えなかったんだけど」
レオンの問いに答えたのは精霊王だ。
「精霊の魔力を掴むための特訓さ。人間、精霊、悪魔。それぞれは確かに別種の魔力を持っているが、全くの無関係というわけじゃないからね」
精霊王によれば、三つの魔力はそれぞれ三竦みの関係になっているらしい。
悪魔の持つ「陰」の魔力は人間の「陽」の魔力に強く、「陽」の魔力は精霊の魔力に強く調和する。そして精霊の魔力は「陰」の魔力を打ち消す力があるらしい。
「でもよ、悪魔の魔力が『陰』、人間の魔力が『陽』なのはわかったけど、精霊の魔力は一体何なんだ?」
話を聞いていたマークが首を傾げる。
それを聞いてため息を吐いたのは精霊王とルイズの二人だった。
「あのね、マーク。特訓を始める前にちゃんと説明してもらったでしょう? 精霊の魔力っていうのは『陰』と『陽』のかけ合わせのようなものなのよ」
精霊王の代わりにルイズが説明を始めると、精霊王は満足そうに頷いた。
ルイズが自分の言葉をしっかりと理解していたことが嬉しかったようだ。
「陰」と「陽」の魔力。精霊の魔力はその二つを融合させたようなものだった。
悪魔の魔力を打ち消し、人間の魔力と調和するのはそれが理由だった。
「かつて、世界を生み出した神は悪魔の世界――魔界、人間の世界、そして精霊の世界をそれぞれ作った。悪魔の世界と人間の世界は『陰』と『陽』の二つの魔力で満たされお互いを支え合い、引っ張り合って世界のバランスを保っていた」
精霊王が語る。
悪魔と人間の世界はお互いがなくては存在できないような、釣り合いのとれた関係性だったという。
「それでは、精霊界は?」
そう質問したのはヒースクリフだった。いつの間にかその場にいた全員が精霊王の話に耳を傾け、興味を示している。
「精霊界は二つの世界を管理する役割さ。『陰』と『陽』の二つの性質を持ち合わせたこの世界は悪魔と人間の世界のバランスを保つために存在している。どちらかの世界のバランスが崩れた時、この世界にはその影響が顕著に表れるのさ」
精霊王はそう言うと魔法で高く飛び上がる。
それは「ついてこい」と言っているようで、レオンたちはその後を追った。
「見なよ。ここは昔、木や花や草が綺麗に育ち、魔力に満たされた美しい森だった。今は見る影もない」
精霊王の後をついて空中に上がると、森の終わりがよく見えた。
家のある方とは反対の森の終わり。
その向こうには荒れ果てた荒野が広がっている。
「これは……一体」
レオンたちは言葉をなくした。森の中では溢れるばかりに感じられた魔力が荒野からは全く感じられない。虚無の世界だった。
「魔界が崩壊を始めた頃からこの世界の森は枯れ始めたのさ。まぁ、どうして魔界が滅び始めたのかは僕にもわからないんだけどね」
精霊王はそう言って笑った。
「管理といっても僕にできることはもうほとんどない。滅びゆく世界をただ見守るしかないのさ」
そう言って荒野を眺める精霊王の横顔は、レオンにはとても寂しそうに見えた。
「俺たちを特訓してくれているのはそれが理由なのか? 俺たちが悪魔に対抗できるだけの力をつければバランスが保たれるのか?」
マークが精霊王に問いかける。
悪魔の世界と人間の世界がバランスを取って存在する関係にあるのなら、魔界が崩壊したのは「陰」の魔力が強大になったからなのではないかと彼は考えたのだ。
悪魔の魔力は人間であるマークたちにとってははるかに強大なもの。自分たちが力をつければ強大になった悪魔たちの世界とのバランスを取れるのではないか、と。
しかしマークのその言葉を精霊王は笑い飛ばした。
「馬鹿なことを言うね。君たちが多少強くなったからって世界のバランスは保たれるようなものじゃない。そんな簡単な問題じゃないんだよ」
その答えを聞いてマークは肩を落とした。
「もともと釣り合いは取れていたんだ。悪魔は強大な力を持っているが人間よりも数が少なく、人間は力こそ弱いが繫栄していた。バランスが崩れたのはある日突然。何が原因なのかは誰にもわからない。ある一人を除いてね」
精霊王は少し悲しそうに言った。その「ある一人」が誰なのか、レオンだけでなくその場にいた全員が気になっただろう。
精霊王は、
「神だよ」
と不敵に笑った。
それが本気なのか、それともからかっているのかレオンたちにはわからなかったが、精霊王はその話についてそれ以上の追及を許さなかった。
「あの……どうして私たちに魔法を教えてくれるんですか?」
ルイズが聞いた。
悪魔に対抗できないと困るのは人間だけで、精霊王には関係ない。
「見守るしかない」と言っていた精霊王がレオンの精神の修復のために手を貸してくれたことも、ルイズには不思議に思えた。
「暇潰しさ。わかるだろう。こんな世界で君たちには想像もできないほど長い間、世界を管理してきたんだ。少しくらい他のことをしてみたくなった。だからね、気まぐれで君たちを助けることにしたのさ。僕の気が変わらないうちに早く強くなるんだね」
そう言うと精霊王は元の場所に戻ろうとする。それを見てマークが叫んだ。
「よし、俺絶対強くなってやるからな!」
マークはそのままさっきまでいた場所に飛んでいき、特訓の続きを始めた。
それを見たルイズたちも顔を見合わせて少し笑い、それぞれ特訓に戻る。
精霊王の横顔は少しだけ嬉しそうだった。
「根性だけはありそうだ」
その時、レオンが精霊王を呼び止めた。
「精霊王様! 僕も、皆と一緒に特訓をしてもいいでしょうか。どうしても、自分で倒さなければいけない相手がいるんです」
この時レオンの頭に浮かんでいたのはディーレインの顔だった。
たった一度、短い時間戦っただけの相手だが、レオンは彼にとても強い繋がりを感じていた。
レオンと同じように彼の中にも悪魔の魂が存在しているからかもしれない。
それもレオンの身体の中にいるファ・ラエイルとかつて友情を築き、今もなお人間界の支配を企む、ア・ドルマの魂が……
◇
ダレンたちヒースクリフ派の人間が集まるリーンの町のすぐ近くに、この国の王都が存在する。
文字通りの国の中心、王族が暮らす宮殿もこの王都にある。
そんな王都の町だが、そこに住む人々は大きな不安を抱えていた。
「やはり、ヒースクリフ様は無実のようだぞ」
「アーサー王子は自分が王位を継ぐために実の弟を殺すつもりらしい」
そんな噂が町民たちの間で流れているのだ。
その噂は決して表には出ず、裏でひそひそと話される程度だったが、それでも徐々に町中に広まっていき、平民たちの不安を煽っていた。
そんな王都内だったが、民の間で流行る噂話など意にも介さない勢力がいる。
それは噂の的となっている人物が率いる、王国を牛耳らんとする勢力だ。
王城内の謁見の間。
国王のみが座ることが許される豪華な玉座にその男は座っている。
アーサー・デュエンである。
片腕を肘掛けに、もう片方の腕で頬杖をつき偉そうにしている。
その前には配下の貴族たちが跪いて並び、こうべを垂れている。
「アーサー様、第二王子とその派閥の者たちの行方は既に捉えております。やつら、やはりリーンに逃げ込んでいたようです」
その中でも一番前にいた男が頭を下げたままアーサーに述べる。
黒い髪と顎髭を持つ中年の貴族で名前をバダルという。アーサー派の中でも重鎮の男で侯爵の位を持つ。
バダルはアーサーに命令を受け、ヒースクリフの行方を捜索し、彼らがリーンの町に逃げ込んでいることを突き止めていた。
「そうか、概ね予想通りだな」
アーサーは報告を受けても眉ひとつ動かさずに返事をする。
まるで最初から知っていたかのような口ぶりだった。
牢屋から逃げ出したヒースクリフがそのまま王都に留まるとは思えず、逃げ込むのならリーンしかないだろうと思っていたのだ。
金で雇った犯罪者まがいの魔法使いたち。それがアーサーの手駒であった。
彼らは皆、自国や他国で影に生きた者たちであり、隠密行動に特化している。
さらに独自の情報網をそれぞれが持っており、迅速に情報を入手・伝達できる。
アーサーが情報戦において大きなアドバンテージを持っている主な理由だ。その魔法使いたちからも事前に報告を受けていた。
リーンにヒースクリフがいて、そこにはレオンとヒースクリフを支持する魔法使いが集まっていることも知っている。
しかし、自分についてきた貴族たちや雇った裏社会の人間たち、そして利害の一致で手を組むことになったディーレインの戦力を考慮すれば、恐れることはないと思っている。
「ひとつ懸念があるとすれば、リーンの町に逃げ込んだ第二王子やレオン・ハートフィリアが一向に姿を見せなくなったことでしょうか」
バダルは自分の家来をリーンの町に忍ばせてその内情を探らせていた。
レオンたちが逃げ込んだ屋敷も突き止めていたのだが、ある日を境にレオンたちが姿を見せなくなったことを気にしていたのだ。
しかし、アーサーはそれを鼻で笑う。
「ふん、どうせ臆病にも建物の中でおびえているのだろう。リーンから出ていったという情報はない。放っておけ」
アーサーからすれば、これはもう既に勝ち戦だった。
わざわざヒースクリフたちを捕らえに行かないのは、そんなことをしなくてもいずれ彼らの方からやって来るというのがわかっているからだ。
また、レオンの存在も大きい。先の戦いでディーレインがレオンに敗れたことがアーサーにとって些細な気がかりだ。
いかに情報力に自信のあるアーサーでも、まさかディーレインが負けるとは思わなかった。
レオンの存在だけがアーサーにとっては読めない事柄で、それ故に慎重になる。
とはいえ、精霊たちの力を借りて屋敷の中から別の場所に移ったなどとは、アーサーにも思いつかなかった。
「あの者たちはどうしますか」
バダルが尋ねる。
それが誰のことを言っているのか、アーサーにはすぐにわかった。
「地下室でおとなしくさせておけ、決して人目に触れるような場所には行かせるな。特に生き返った不気味な連中はな」
アーサーの命令にバダルは頷く。
話しているのはディーレインたちのことだ。
悪魔のことをアーサーは公にしたくなかった。
ディーレインが善意から手助けをしてくれているとは思っていない。
何か事情があり、一時的な協力関係にあるだけだとわかっている。
そして、その協力関係が終われば彼は再び敵になるのだろうと推測していた。
もしもディーレインの力が公になり、その力が悪魔のものだと民たちに気づかれればアーサーの立場は一変してしまう。
悪魔から力を借りていると噂されるだけでも王位は遠のくと、アーサーは理解していた。
そのため、彼らにはあまり派手に動いてほしくないのだ。
アーサーは配下の貴族たちから全ての報告を受けると、その全てに的確に細かく指示をしてから下がらせた。
部屋から貴族たちがいなくなり、アーサーだけになる。
ほっと一息つこうとしたのも束の間――
「随分と慎重なんだな、王子様」
声をかけられた。アーサーが驚いて振り返ると、いつの間に現れたのか窓際にディーレインが立っていた。
「放っておけ、国に関することは私が決める。お前はあのレオンという魔法使いを倒すことだけを考えていろ」
アーサーの口調はきついものだったがディーレインは気を悪くした様子もなく、余裕の笑みを浮かべている。
「俺たちの目的は達成した。あいつに負けてやったのはただの気まぐれみたいなもんだ。俺にとって一番大事なのは一族の復興だからな」
ディーレインが言う。
その言葉に思わずアーサーは立ち上がる。
「目的は達成した」という言葉がアーサーを焦らせた。
それは彼にとって悪い知らせだ。ディーレインと手を組んだのは彼がレオンに興味を示していたからだ。
アーサーにとってもレオンは邪魔な存在であり、倒してくれるのならば構わないという気持ちで手を組んだ。
しかし、ディーレインが目的を達成したのであれば話は変わってくる。
彼がレオンと戦う理由がなくなり手を引くようなことがあれば、形勢が覆る可能性があった。
一転して焦りの表情を見せたアーサーを見て、ディーレインは愉快そうに笑った。
「おいおい、勘違いするな。あんたを王にするっていう約束はまだ生きてる。俺は約束は守る。良いな?」
アーサーにはそう言うディーレインがとても軽薄そうに見えた。
とても信頼のおける男ではない。
しかし、それをわかっていて手を組んだ部分もある。
今更ごちゃごちゃ言っていても状況は良くならない。
「……それならば良い」
アーサーは短くそう言うと、再び玉座に腰を下ろす。
「しかし、一か月か。もう少し早くならんもんかね」
ディーレインは退屈そうにしている。
どうやら王位争いなどというものは、ディーレインの目には不毛に映るらしい。
心の底では早く終わってくれと思っていると、アーサーにもよく伝わってくる。
「悪いが、こればかりは致し方ない。国王の継承は教会の定め事なのだ。それを無視していては国民からの支持は得られない」
アーサーにとってもそれは歯がゆい思いをしている事象の一つであった。
任期を終え、退任する予定の現国王アドルフによってどちらかの王子が次の王に選ばれる選任の儀式は、何故か突然中止となり、アドルフはアーサーを新たな王に選出した。
実際にはアーサーが国王を何らかの手段で操っていたのだが、とにかく選出された彼はすぐにでも自分が国王だと名乗りたかった。
しかし、国王の継承は教会の意向により、しっかりと「一か月後」と定められているのだ。
それを無視して国王を名乗れば、待っているのは国民からの反発である。
権力だけではどうにもできない壁だった。
「はいはい、教会ね。……そんなに重要なところなのに、あの司祭にあんな扱いをして大丈夫なのか?」
ディーレインは以前自分が魔法をかけた教会の司祭のことを思い出していた。
この世界の神、レターネを祭る聖レイテリア教会。その教会から国に派遣されてきたエルシムという名前の司祭である。
アーサーに頼まれ、ディーレインがエルシムにかけたのは「服従」の魔法。
それがどんなことであれ、アーサーの言うことならばエルシムは疑問を持たずに呑み込むという傀儡を作り出す魔法だった。
「それも仕方のないことだ。もとより、貴様と手を組んだことが知れれば私の立場は危うくなる。そして、エルシム司祭がいればバレる確率が高くなるのだ。こうするしかない」
魔法をかけられたエルシム司祭は王城の上階にある部屋に軟禁された状態である。
魔法の影響で本人はそのことに何の疑問も持っていない。
一か月後にアーサーが王位を継承した後もディーレインの魔法は続き、アーサーは誰に邪魔されることもなく国の実権を握り続けるという算段であった。
そして、軟禁されている者がもう一人。
アーサーとヒースクリフの実の父である国王アドルフだ。
彼にも似たような魔法がかけられていて、これによってアーサーは選任の儀式を中止させ、自分を国王に指名させた。
アドルフはエルシム司祭と同じように軟禁され、外部との連絡も取れないようにされている。
もともとその横暴な性格で強引に自分の利益だけを求めて国王を務めてきたのがアドルフだ。民からの信頼は薄く、貴族たちからの評判も悪い。
彼を支える者はもうおらず、アーサーの反逆とも言えるこの行動に異を唱える者は誰もいなかった。
「一か月だけ大人しくしていろ。そうすれば司祭は私の言う通りに私を国王にしてくれる。そして、用済みとなった父上にはどこか辺境の国で余生でも過ごしてもらうとしよう」
アーサーはそう言って不気味に笑う。ディーレインのことも含め、何の不安もないとは言えない状況ではある。
しかし、それでも概ね順調に進んでいると笑うだけの余裕は残っていた。
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