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46.ツアー開幕

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——ステージが呼んでいる。
 舞台袖で、緊張した空気を吸い込んで、目を閉じた。ほんの数秒間。インイヤーモニターから聴こえる仲間達の演奏と、その向こうに微かに響く観客の声。喉を突き抜けて、心臓の奥に響く、震えるような音。
——呼ばれてるんだ。俺は今、求められている。
 あそこに、立てと。無数の光を浴びて、音に包まれて、自分自身も音そのものになれと、云われている。
 もう少し、あと少しだ。あと10秒。会場の空気は、すでに十分に温まっている。
「楽しい……」
 まだステージに上がってもいないのに、JUNはそう呟いた。幸せだった。人生で1番楽しくて、気持ちのいい時間は、この場所にある。そう信じて疑わなかった。音楽こそが、JUNの人生なのだ。
 間も無くだ。JUNはゆっくりと、最初の一歩を踏み締めた。それから、慎重に息を吐いて。次の呼吸で、真っ直ぐステージの中へと飛び出した。
 割れんばかりの拍手が巻き起こる。そして——音、音、音。一見乱雑に、それぞれが好き放題かき鳴らしているように思える音が、JUNの上に重なって、大きな塊となった——それから、ふと空気が張り詰めて。
 JUNはゆっくりと、囁くように息を吐いた。
「You see?」
 観客に問いかける。彼らが皆、興奮して頬を赤く染めているのが、美しかった。眩しい。あちこちで見えるタオルのカラフルさも、手のひらの白も。目の輝きも。全てがこの空間に光を与えている。
「WE'RE RERIIIIIISED!!」
 叫ぶように歌った。それから、NICKYの叩くドラマの音が弾ける。そこに重なるように、ギターとベースがぴったりの呼吸でハーモニーを奏でた。
 1曲目。最新のアルバムでは8曲目を飾る、今のURANOSを象徴するような楽曲。この日のために、ここまで、積み重ねてきた全てを、この一曲に詰め込んだ。と、言っても過言ではない。
 マイクをスタンドに差したまま、ステージ中央の壇上で歌う。ここからは、会場が1番よく見える。開幕一発目はここから、一人一人の顔を眺めるのがいいと、メンバーに提案したのはJUN本人だった。
 リハーサルよりも、ゲネプロよりも、格段に歌いやすい。聞いている人がそこにいるというだけで、JUNはどこまでも「磨かれた楽器」になることができる。ただ歌っているだけなら、ガラクタの楽器と変わらない。けれど、受け取ってくれる人がいるなら。奏でてくれる人がいるなら……。
「準備できてるか?」
 観客を煽り、手を挙げた。すると、応えるように数千の白い手がステージを向くのがわかった。それがJUNの目をさらに輝かせ、音を増幅させる。ああ、気持ちいい。これが欲しかったんだ。髪を掻き上げ、唇を舐めた。
 そのまま、2曲目が始まる。空気がかなり熱くなってきた。照明が明るくなる。JUNはコードを手に引っ掛けて、マイクをスタンドから引き抜いた。
 上手側、下手側、そして中央。一階席の隅々まで渡り歩く気持ちで、観客に挨拶をする。返ってくる笑顔。これが愛おしくて、大好きだ。そして、二階席、三階席。離れているのに、観客一人一人と目が合うのが分かった。
「おい、一番上までしっかり見えてんぞ! そんなもんか宮城!?」
 返ってくる拍手と歓声。JUNは跳ぶような調子でステージのあちこちを動き回り、フロアの隅々までを眺め回した。
 やがて、曲が終盤へと向かう。JUNは、ステージ上手側を向いて、MEGと笑い合った——ギターソロだ。
「いくぜ! 俺らのギターヒーローMEGだ!」
 MEGの金髪がスポットライトに照らされる。そうして、燃えるように真っ赤なギターが会場全体をロックに染め上げた。
 URANOSに幅広い世代の男性ファンが多い理由の一つに、このMEGのギター技術がある。彼は、これまでにJUNが出会ってきた中でも最高のギタリストだ。同世代の中では右に出る者はいないと、JUNは思っている。
 JUNはステージ後方を振り向き、NICKYと目を合わせた。ハイタッチの代わりに、指とスティックを差し合わせる。NICKYはスティックを手の中で回し、楽しそうに演奏を続けた。彼は、センスもパワーも抜群なのだ。彼なくしてURANOSのハードロックはあり得ない。
 今度は下手側を向く。IRUMAは、指板に視線を落としている。少し緊張しているようだ。
 ギターソロが終わった後、Cメロを歌いながら、JUNはIRUMAの近くに歩いて行った。それでようやく、IRUMAの顔が上がる。頷いて笑ってみせると、IRUMAもチラリと笑みを覗かせた。よかった、ちゃんと楽しそうだ。
 IRUMAのベースはいつも安定している。高校から始めたとは思えないほどの音の綺麗さだ。どんな難しいコードでも完璧に、MEGやJUNが自由に動けるよう支えている。彼の生来の器用さがよく表れていて、JUNの大好きな、心地よいベースだ。
「いくぞ宮城ーー!!」
 下手側で、MEGが叫ぶ。それに合わせて、JUNは観客に歌うよう呼びかけた。ステージ上を移動しながら、イヤモニを外して、観客の声に耳を澄ませる。重なる無数の声。大勢の感情が混じり合って、大きなエネルギーが飛んでくる。
「最っ高……!」
 そうして、フロア全体に向かってキスを投げた。自然と笑顔が溢れる。ステージの上では、自分を飾らなくてもいいのだ。2曲目のエンディングに合わせて、あちこち動き回りながら、アドリブで歌い続ける。曲が終わると、また温かい拍手に包まれた。

 JUNはイヤモニを首にぶら下げたまま、ステージの中央へ戻った。
「こんばんは」
 挨拶をすると、観客が楽しそうにリアクションをとった。それに笑みを返して、手を振る。
「熱いですね。外はあんなに雪なのに」
 観客と共に、メンバーたちも笑っていた。一階席の誰かが、メンバーの名前を叫ぶ。
「改めまして、俺たちがURANOSです。初めましての方も、そうじゃない方も……ツアー初日、1発目っていう最高の日に来てくれてありがとう。今日、この場所で、あなたに会えて嬉しいです。一緒に楽しみましょう! よろしくお願いします!」
 挨拶は簡単に、ひとまずこんなものでいいだろう。曲間をなるべく短くして、数を増やすのが今回のツアーの構成だ。セットリストは普段の単独ライブよりプラス4曲。1回あたりのMCを短く切り、開場時間も早めて、本編を長くした。なかなか体力勝負だが、やれることは全てやりたい。ここにいる人たちは、URANOSの音楽を聴きに来たのだから。
 3曲目。メジャーデビュー曲かつ、おそらく今のところ最も知名度の高い曲のひとつだ。この曲でこそ、デビューしてから今まで、URANOSがどのような道を歩んできたかを表すことができる。
 4曲目。MEGのお気に入りの曲。コード進行がやや複雑だが、歌うには楽しすぎる。JUNにとっても思い入れのある曲だ。
 5曲目。NICKYのテクニックが話題になった曲。フェイクを入れるのがこんなに楽しい曲は他にない。これを演奏すれば、最高にステージを盛り上げることができる。
 6曲目。少ししっとりした雰囲気の、IRUMAが詞を書いた曲。いつかに、ヒナキも好きだと言っていた。URANOSの中では数少ない失恋ソングの一つでもある。
 7曲目、8曲目……そして9曲目。少し長めに喋るMCを挟んで、ドラマ「ラヴァーズ・イン・チェインズ」の主題歌。原作のストーリーをイメージしたとMEGが言っていた。初めての恋愛で苦難を強いられる若い2人。不当に運命の鎖に縛られ、恋人を奪われる男……火野カガリの歌だ。
 そして10曲目。そのカップリング曲。JUNがヒナキを思って、彼に見惚れた時の気持ちを書いた歌。
「Sorrow in your eyes…I saw sorrow in your eyes…」
 バラードを歌うのは好きだ。本当に自分が楽器になったような気分になれる。ただ、楽器とは違うのは、言葉に意味を込めることができるというところだけだ。これは歌、だから。単語の一つ一つ、音のひとつひとつに感情を込めて、紡ぐように歌い続ける。
 眼裏に、初めてヒナキの瞳を見た時の光景が甦った。あんなに綺麗な色のものは、この世に二つと存在しないだろう。全て見透かされたような気持ちにもなった。けれどそれ以上に、惹かれてしまったのだ。あの美しいものを手に入れたいと、本心から思ってしまった。
——会いたい。
 率直な気持ちを声に乗せる。今になってようやく、昨夜のヒナキとの会話が蘇ってきた。彼にも聞こえればいいのに。この声が……言葉おもいが……。
「あなたの全部を」
 知りたいと、思った。歌いながら、気持ちが昂ってゆくのが自分でも分かった。
 ヒナキの秘密を知ることができた。嬉しかった。驚いたというよりも、感動したという方が正確だ。彼の正体を知るまでは、自分だけが普通と違う、「奇妙な」存在だと思っていたのだから。
——同時に、俺のことも全部知って欲しいと思った。許して欲しいと思った。彼に許されるかどうか、それでしか自分を推し量れなくなるほどに、俺はあの人が大切になってしまった。
 最前付近にいる女性が、涙を流すのが見えた。彼女以外にも、様々な人が感動してくれている。彼らにも、JUNと同じように大切な人がいるのだろうか。
「それを愛だと——」
 気づいた。誰とも深く関わろうとしなかったJUNが、自分の心の奥深くまでを知って欲しいと思ったのは、彼だけだ。
——俺にはあの人だけなんだ。
 ふと、三階席の後方に目を向けた。昨日から急遽解放した、後方立ち見席だ。ちょうど照明が明るくなり、フロア全体がはっきりと見渡せる状態になった。
 大した理由もなく、偶然視線がそちらを向いただけだったのだが、JUNは視界に飛び込んできたものに驚きを隠せず、目を瞠った。瞬きを繰り返す。幻じゃないだろうか、と本気で思った。
 見覚えのある美しいシルエット。たった今、会場に入ってきたようだ。マスクをつけて、帽子をかぶっているが、の両目は確実にJUNを見据えている。見慣れた茶髪に、こんなに離れていても感じる華々しいオーラ。そして、あの目の輝き……。
 『あなたの目に写る わたしの姿を見て』。そのフレーズを歌う間、JUNは自身の鼓動が大きくなってゆくのを聞いていた。NICKYのベースドラムに重なって、いやそれよりも少し早いテンポで。
 『初めて好きになれた』唇が震えそうになる。けれど、JUNは心から綻ぶような笑みを浮かべた。曲がエンディングへと向かう。『悲しみよりも』……。
「……ありがとう」
——ヒナキさん。
 JUNはマイクを両手で握り、震える声で囁いた。高永ヒナキその人が、そこに立っていた。







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