寝癖と塩と金平糖

三冬月マヨ

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番外編

白い日

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 それは、麗らかな春の日の事。
 特にそこに用がある訳では無いが、何故か人が集まる場所。
 そんな場所で、瑞樹みずきは虚ろな目をしていた。
 
「う、わ…。年々、人が増えてる気がする…」

「必要な物だけ買ってさっさと行くぞ。人熱れが気持ち悪い」

「お、おお…」

 優士ゆうじの塩な物言いに、そう云えば人混みが嫌いだったな、こいつ。と瑞樹は思い出した。
 それなのに、わざわざ日曜日のこの日に百貨店に来たのには理由がある。
 一つは、今日が休暇である事。
 一つは、今日が最終日だから、人は少ないだろうとの目論見から。
 しかし、駆け込み乗車では無いが、同じ考えの者は一人や二人では無かった。

『ホワイトデーセール』

 頭上を見上げれば、そんな垂れ幕が下がっている。桃色の生地に、白い文字で書かれているそれは、春のこの時期に相応しい色合いだろう。
 だが、その垂れ幕の下で繰り広げられる光景が春らしいかと言うと、答えは否だ。

「…ムサい…」

 瑞樹はぼやきながら、ワゴンにある商品を手に取る。瑞樹の隣に立つ優士は表情を消して、ただ無言で品物を物色している。
 それもその筈だ。
 明日を本番に控えたホワイトデーは、男の祭りなのだ。即ち、今、この特設売り場に居るのは、何処を見ても野郎ばかりなのだ。しかも、駆け込みをする野郎ばかりなのだ。皆、後が無いのだ。今日、この日を逃せばバレンタインのお返しの品を手に入れる事が出来ない。バレンタインの返礼であると一目で解り、また優越感を味わえる『ホワイトデー』の文字が描かれている袋に入れて貰うなり、紙に包んで貰えるのは今日までなのだ。今日を逃したら、ここに居る彼等に明日はない。『バレンタインの返礼も出来ない軟弱者』と云う札を貼られてしまう。それは是が非でも避けねばならない。己は甲斐性無しではないと証明をしなければならない。となれば、血眼になって品物を物色しようと云うものだ。己の行動等顧みる余裕等無いのだ。自作等とんでもない。それが出来るのならば、こんな場所には来ていない。
 だから、あちらこちらから野太い悲鳴が聞こえてきたり、やたらと汗臭かったりするのは、もう致し方が無いと言えよう。

「…地獄って…こういう事を言うのかな…」

 だが、これは観劇等では、無い。
 今、ここに居て、現地の熱気を浴びている瑞樹は、半分閉じかけた瞼で遠くを見ながらそう呟いた。

「現実から逃げるな」

「…お、う…」

 真っ先に現実から逃げたのはそっちだろう。との言葉を瑞樹は飲み込む。こんな場所で言い合いなんてしたくはない。熱気に充てられて、きっととんでもない事になる。だから、さっさと目当ての物を見つけ出して、速やかに会計を済ませてしまおう。
 そう思うのだが、品選びは遅々として進まない。
 その理由が『去年のと同じので良いよ~。あれ、美味しかったから。ね、亜矢あやちゃん』と云う、瑠璃子るりこの言葉のせいだ。

「って、去年買ったのって、何処の製造の物だったっけ?」

「瑞樹に贈った物ならともかく、その他の他人に贈った物を俺が覚えていると思うか?」

(瑠璃子先輩、白樺ごめん)

 間髪入れずに返って来た優士の言葉に、瑞樹は両手で頭を抱えた。確かに二人は他人だが、世話になっている先輩と同僚だ。それなのに、この塩。相変わらずの塩。遠慮も配慮もない塩。

(…でも)

 と、ちらりと横目で瑞樹は優士の顔を盗み見る。

(俺への贈り物なら覚えてるって事だよな)

 吐き出された塩の中に、微かな金平糖を感じて、瑞樹は口元を僅かに緩めた。

「へへ…」

「いきなり笑うな。熱さでおかしくなったのか?」

(でも、塩っ!!)

「去年はマシュマロとクッキーだったか? 製造元とか何処でも良いだろう。違うと言われたら、売り切れていたと言えば良いだけの話だ」

「ひで…あ、いや、そうだな!」

 酷いと言い掛けた瑞樹だったが、じとりと優士に睨まれて慌てて言い直した。
 これ以上、ここに居たら優士がカチカチの岩塩になってしまう。それだけは避けなければならないと、瑞樹の本能が叫んでいた。

 ◇

 それでも、出来るだけ記憶を頼りに、去年と似た様な色合いのマシュマロとクッキーの箱をそれぞれ手に取った。
 そして、会計所へと向かう二人の目に異様な光景が入り込んで来た。
 ホワイトデーの特設売り場には、幾つものワゴンが並べてある。そのどれもに野郎共が群がり、男臭く、更には、その頭上に汗で出来た雨雲があってもおかしくはない様相を体している。いるのだが。

「…? 何で、あそこだけ静かなんだ…?」

「売り切れ…と云う訳でも無さそうだが…」

 だが、異様なこの会場で、更に異様な光景がそこにはあった。
 怒声や罵声に悲鳴、汗が飛び散る会場の中で、何故かそこだけが静かだったのだ。
 野郎共が居ない訳では、ない。
 寧ろ、他のワゴンよりも居るぐらいだ。
 違うとすれば、野郎共はワゴンに群がらずに、距離を置いてそれをぐるりと囲っている事ぐらいか。
 皆、顎を引き、背筋を伸ばして両手を後ろに回して組んでいる。はっきり言わなくとも物々しく、お近付きにはなりたくない雰囲気だ。

「…どっかの著名人とか…偉い人でも来てるのか?」

 物々しい警護の様だと思いながら、瑞樹が首を傾げれば。

「…だが、着ている物に統一性が無い。…訓練を受けた佇まいでもないが…」

 優士が顎に手をやり、それを否定した。

「う~ん…?」

 確かにそれは優士の言う通りだ。
 それならば、この物々しさは何なのだろう? この輪の中に居るのは誰なのだろう?
 気になった瑞樹が、人垣の隙間からでも中が見えないだろうかと動こうとした時、人垣がザッ…と崩れた。それはまるで、行く手を阻む海が二つに割れる様な感じだった。

「お時間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした。ですが、ありがとうございます。お蔭でゆっくりと選ぶ事が出来ました。それでは、お買い物の続きをどうぞ」

「は?」

「え?」

 穏やかな笑顔を浮かべながら、割れた波の合間から出て来た人物を見て、瑞樹と優士の目が点になる。
 そんな二人に気付いた件の人物が目を軽く瞬かせてから、近付いて来た。

「こんにちは、瑞樹樣、優士樣。お二人もお買い物ですか?」

 瑞樹と優士に、雪緒ゆきおが朗らかな笑顔を向けると、割れた海の野郎共から、一斉に怯えの様な感情が湧き上がるのが解った。

「ゆ…」

「はい。雪緒さんも? 高梨隊長にですか?」

 思わず怯んだ瑞樹の代わりに、優士が淡々と答える。瑞樹だけにでは無く、塩と評されている声と表情で。別に雪緒に遭遇したからと言って、機嫌が悪い訳では無い。これが優士の通常運転なのだ。

「ああ、いえ。こちらは生徒達に。ゆかり様へはこれからです」

 それを雪緒は解っているので、優士の問いに笑顔で答えたのだが、何故か人垣の方から『ひえ…』とか『命知らずな…』とか、不穏な呟きが聞こえて来る。が、そんな有象無象の益にならない呟きより、雪緒の言葉の方が二人には、特に瑞樹には重要なので、それらは右から左へと聞き流した。

「せいと…」

 そう言えば、すっかり忘れてしまいそうになるが、雪緒は養護教諭だった。瑠璃子から『倫太郎りんたろう君から聞いたんだけど、保健室の天使って呼ばれてるんだよ』と聞かされた時は、妙に納得したのだった。静かで穏やかで優しくて、怒ると怖いが、とにかく聖人君子とは、雪緒の事を言うに違いないと瑞樹は思ったものだ。そんな瑞樹の隣では、優士が塩まみれの視線を送っていたが、瑞樹は気付かない振りをした。

「ええ、本当はお一人お一人にお返しをしなければいけないのでしょうが…数が数ですので…」

 申し訳無さそうに眉を下げて雪緒が笑いながら、手にしている物を見せて来る。一つは飴の詰め合わせに、一つはクッキーの詰め合わせだ。これを保健室に置いて、お返しとしているのだと雪緒は笑う。ついでに貰ったチョコレートは、総てせい月兎つきとの胃袋の中だと教えて貰った。

(…あの二人にあげられる程の量って…)

 一体、どれほどの人気なんだと怯む瑞樹の腕に、優士の腕がぶつけられた。

「優士?」

「立ち話もあれですから、会計を済ませてお茶でも飲みませんか?」

(おお…っ…!)

 そうだ。自分達は雪緒の友人なのだ。友人ならば、一緒にお茶を飲んでもおかしくは無い。優士は早くこの場を去りたいだけなのかも知れないが、それはとても魅力的な提案だと、瑞樹は心の中で拍手を贈った。

「ああ、そうですね。人に酔ってしまいましたのか、疲れを感じていた処です。では、先に会計を済ませましょうね」

 笑顔で頷いて会計所へと向かう雪緒の後ろに瑞樹と優士が続く。その後ろからは、やはり、只事ではない、怯えの様な恐れの様な、そんな感情が漂って来ていた。

(何か、先刻からおかしいな?)

 気になった瑞樹は、後ろを振り返ろうとしたが。

「瑞樹、今は見るな」

 優士に強く腕を引かれ、更に荒塩を練り込まれた瑞樹は、それを断念した。

 ◇

「えっ!? 高梨隊長が居たの!?」

 雪緒と楽しいひと時を過ごし、別れて百貨店を背にした処で優士が放った言葉に、瑞樹は目を瞬かせた。

「ああ、柱の陰に隠れて居たが、あれは間違いなく高梨隊長だった。黒塵共がやたらとそちらに視線を遣るから、気になって目を向ければ…」

「…黒塵…って…あそこの奴ら大人しかっただろ…」

「高梨隊長が目を光らせていれば、どんなあやかしだろうと怯むだろう」

(塵から…妖扱い…どっちがましなんだろ…)

「雪緒さんが心配で様子を見に来たんだろうな…」

「あ~…隊長には毎年お酒って言ってたな…毎年違う物を贈ってるって…だから、隊長には留守番して貰ってるって言ってたけど…居たのか…」

 雪緒は『僕が行くと、選び易い様にと皆様が場所を開けて下さるのです。横から手が伸びて来る事も、押される事もありませんし、有難い事です。お優しい方が多くて、僕は本当に恵まれていますね』と笑っていたが、それは、間違いなく高梨が目を光らせていたからだろう。優士曰く『何時でも斬りかかれる状態』だったそうだから。そんなの、幾ら上司と言えど相手にはしたくはない。
 もし、優士に止められずに後ろを振り返り、高梨と目でも合って居たら…。
 もし、高梨に話し掛けられたとしたら…。

「ううっ、背中がゾクゾクするっ!!」

 そんな想像をした瑞樹は震え上がり、両手で身体を抱き締める。右手に持っていた袋がぐしゃっと云う音を立てたが、そんなのにかまけて等居られなかった。

「何を想像したのかは知らないが…今日、高梨隊長を見た事を話すなよ」

「え? 何で?」

「本人は…あれでも見守っているつもりだ。でなければ、雪緒さんに声を掛け…はしないか。留守番をしている筈だから…とにかく、あそこに居た事を知られたくはない筈だ。あれでも、一応、多分。口を滑らせれば、普段の訓練が恐ろしい量になる事は間違い無い。俺は皆に恨まれたくない」

「俺だって嫌だっ!!」

 優士の言葉に、瑞樹は大きく目を開いて叫んだ。通り過ぎる人々が何事かと目を向けて来るが、そんな物はどうでも良い。鬼の高梨を、更に鬼にする訳には行かないのだ。鬼になるのは、任務の時、妖と対峙している時だけで良い。

「解れば良い。…取り敢えず、の言い訳を考えておけ」

「え? あ――――――――っ!?」

 瑞樹が右手に下げていた袋は、その胸に抱かれてぐしゃぐしゃになっていた。中身が無事かどうかは、明日、瑠璃子と亜矢が知るだろう。

――――――――――――――――――――――――

 みく「え? ダンナのあれ? …皆、知ってるよね…」
 天野「…ああ…報復が怖いから言わないだけだ…知らないのは雪坊だけだ…」
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