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第一章 黒瑪瑙の陰陽師

《十四》

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 大結界から約十キロ先にある国立公園。
 その中にある広場を開放し避難者が集まる仮設の避難所の役目を果たす。

 数多くのテントが立ち並び、土地見衆から派遣された医療スタッフが避難者の外傷、霊力面での負荷、心身のケアを順次対応していく。

 避難者総勢千人。

 無事妖魔の巣くう大結界から脱出するも、誰もが心に影を落としていた。

 大戦終結記念をした斉天祭。
 平和を象徴とする記念祭に起こってしまったテムイ暴走による災禍事件は、人々に不安の色を濃く残していく。

 避難者への対応に、医療スタッフたちが休む暇はない。
 診察用に設置されたテント全てに長蛇の列が並び、医療道具を持ったスタッフがテントからテントに忙しなく移動する光景があった。

 西の空はわずかに橙色に霞むが、それでもまだ明るい青空が広がっている。
 厳しい夏の残暑が風となって、避難所のテントを吹き抜けていく。
 もちろん、避難所の中は空調が効いており、夏の暑さを寄せ付けない。

 ただし、テントから出ていた彼らには額から汗が伝う。

「ジャケットの空調オンにしてもこの暑さはきついわ……」

 鳥前は土地見衆から提供された飲料水を飲むと、冷たい容器を首元に当て暑さを凌ぐ。
 三本のかぎ爪マークの深緑のジャケットは、付属された小型のファンが回り中に風を通していった。

「うーん、斉天祭で検索をかけてもテムイの暴走について一切記事が見当らないな……」

 鳥前は手元の電子端末に『斉天祭』と検索をかけるも、現状の状況が全く結果として表示されない。
 検索のキーワードを変え調べ続けるも、結果は同じ。
 やがて諦めて隣を見る。
 そこには、自分以上暑さに耐え忍ぶ占田の姿があった。

「俺が外見てるから、占田氏はテントで涼んでなよ」
「いや、ここは意地と根性で立つよ」
「いるのはいいけど、暑さでぶっ倒れないでよね。俺、運ぶの絶対嫌だから」

 占田はジャケットの空調を最大限にまで上げると、ファンの振動音がうるさいくらいに響かせる。
 占田の大柄な体格が空調の影響で益々ふくれ上がり、だるまの様になっていた。
 持参していた冷却シートを額に張り、手には桜下の忘れたジャケットを持ち続けていた。

「さく氏、きっとあそこにいるよな」

 鳥前は遠くで赤くライトを光らせる、高い鉄塔に視線を向ける。
 大結界内で一番高さのある鬼門の塔は、彼らがいる国立公園からその姿がはっきりと見えた。

 大結界から脱出後。
 結界整備師たち四人は無事に再会を果たす。
 だが、そこに桜下の姿はなく、大結界の完全閉鎖の知らせを受ける。

 きっと大丈夫だ、と。
 四人は自身の胸に言い聞かせるも、不安を完全に拭うことは出来ない。
 現在、信野は霊力酔いの影響で診察所のテントに向かい、西村も付き添っている。
 残った占田と鳥前は避難所のテントにいることも落ち着かず、国立公園の入り口に立ち続けていた。

「ん?」

 すると、占田のジャケットが小刻みに震え始める。
 最大限に設定した空調の振動音かと、占田は錯覚するが、

「あ、電話がきた」

 ジャケットから取り出された携帯電話。
 そこに表示された表記に、すかさず受信ボタンを押す。

「占田です。聞こえますか?」
『ごめん、占田さん。折り返しが遅くなった』

 歳は二十代半ばの男性の声。
 なにかあった? と、聞こえる声に占田の緊張が和らいでいく。

「驚かないで聞いて下さいね」
『なんだ、なんだ? あっ、さては生メルちゃんと会えた、とか?』
「そんなわけないでしょう」
『お、おう……』

 占田の淡々と怒る声色に、電話の男が気迫に押されていく。
 僅かに生まれた沈黙の間で占田は一呼吸を置き、男に真実を伝えた。

「斉天祭でテムイが暴走して、そのせいで妖魔が大量に出現した。俺たちは避難して無事ですけど、さくがまだ大結界の中に取り残されています」

 平静を装うも、占田の額からは暑さとは違う別の原因から汗が流れていく。
 電話の男から僅かに息を飲む声が聞こえる。
 だが、驚きはない。
 しばらくの思考した後、やがて言葉が紡がれる。

『みんなは、怪我はない?』
「俺と鳥前と西村さんは何ともない。信野さんは……霊力酔いで医者に診て貰っているけど、話せるぐらいに元気はあった。西村さんが信野さんの付き添いで行ってくれて、鳥前は俺と一緒にいる」
『よかったぁ……』
「けど、さくがまだ大結界から出ていないんですよ」

 救助された四人の無事を安堵する男に、占田は改めて桜下の不在を伝える。
 すると、男は安堵から一転した。

『さくなら平気だろ。そもそも……オレ、アイツに休暇取れと言ったはずなのに何勝手に出てきているんだ。休めや、あのアホ』

 不安を一切拭い捨て当たり前のように話し始める。
 だが、男は悪態を付きつつも苛立ちは見せない。
 そのまま、占田の不安な心境に寄り添うように言葉を続けた。

『だから占田さんが心配することはないよ。アイツなら、涼しい顔して戻ってくる。いつもの様に、憎たらしく、ね』
 迷いなく断言された言葉に、占田は肩を落とす。

「そんな風に言えるのは貴方だけですよ」
『そうですか? にしても、斉天祭でテムイが暴走したのに、こっちはそんな事件全く知らない。どれくらい経ちましたか?』

 占田は一旦携帯を耳元から離し、ディスプレイの端に表記されている時間を確認する。

「今が五時だから……だいたい二時間くらいは経っていますね」

 占田は再度携帯を耳元に当て伝えると、電話の男は状況の異常さに気がつく。

「どうしましたか?」

 沈黙を続ける電話の男。
 占田が心配な面持ちで問いかける占田の声に、やがてゆっくりと言葉を返す。

『分かった。西村さんには苦労かけるけど、舞殿の方が落ち着いたらさくを迎えに行ってくれって、オレから連絡する。コッチは終わって今、向かっているけど、どうしても四、五時間かかる』
「そうですよね。今日は新京都に出張でしたよね」
『そうなんだよぉ、うちの秘書スケジュール配分鬼かぁ!』

 電話越しに聞こえる男の嘆きを、占田は苦笑いを浮かべ頷くしか方法がなかった。

「いつも、お疲れ様です」
『いやいや、今日一番お疲れなのは、占田さんたちでしょ? まずはそこでゆっくり休んで、考えるのはそれからにしよう!』
「そうですね。ちょっとボケッとしています」
『そうだ、そうだ。休めるときに休んで。じゃ、また何かあったら電話して』

 ブツリ、と男は軽快に言葉を残し、占田との通話を終える。

「あの人は通常運転、みたいだな」

 電話のやりとりを横で観察していた鳥前は、電話の男の表情を頭の中で思い浮かべる。
 それは、とても容易なことだった。

「きっと出張帰りで疲れていたところ、テンションハイなんだろうな」
「その割には、全く動じてなかったよ。流石だね」

 占田が電話での会話を思い返しながら、携帯の画面に視線を落とす。

 すると、待ち受け状態の画面から一件、通知のメッセージが受信された。


【斉天祭状況把握☆】
 みんなは避難所でゆっくり休んでください。西村さんは舞殿の安全が確保されたらさくの回収よろしく! 
 お疲れ様でした、オレはやっと終わったのでこれからそっちに向かいます! 
 トホホ……(>_<)


「うん、ホントに通常運転だ」

 占田は真顔になりながらメッセージを読み終える。
 メッセージは結界整備師たち全員に送信され、鳥前も自分の携帯端末に送られてきた通知に微妙な表情を浮かべるほかなかった。

「まあ、変なテンションだけど。なんかホッとしたわ、俺」
「そうだね、西村さんは大変だけど。俺たちはゆっくり休もう」

 占田は携帯をジャケットに終い、ほっと笑みを零す。

「おーい」

 その頃合いで、占田と鳥前を呼ぶ声が後方より響き渡る。
 二人が振り返ると、信野が手を振りながらのんびりとした足取りでこちらに向かってやってきた。

「携帯見たけど、相変わらずテンション高い文面だな……」

 信野も携帯に送られてきた内容に、信野も無精髭をなぞりながら乾いた笑みを浮かべていた。

「信野氏、霊力酔いは?」

 鳥前の問いに、信野は携帯をしまいながら肩をすくめる。

「大結界出てからは大分良くなっているよ。はぁ、西村さんは大げさだ。おかげで土地見衆の診察で随分時間をくっちまった」
「大げさだ、で済んで良かったっすよ。で、その西村氏はどこに?」

 たしか、信野の診察に付き添いで向かったはず。
 そう聞き及んでいた鳥前だったが、西村の不在に首を傾げる。
 信野はタバコを取り出そうとし内ポケットに手を伸ばそうとするもピタリと手が止まる。
 俺たちの近くでタバコを吸うんじゃないと、占田と鳥前が視線で訴えていたからだ。

「西村さんなら、検非違使衆のとこに行った」

 信野はどこか苛立ちが混ざった口調で伝えると、タバコの吸い癖がついた手をジャケットのポケットにしまう。

「避難所の奥にでっかいテントが張ってあるところあるだろう? あそこが検非違使衆の仮設駐屯地。大結界が閉鎖される少し前に西村さんの携帯に霊力数値のデータが送られてきたんだ。まあそれが、さくが現地で直接取ってきたデータだとは言わなくてもわかるだろ」

 信野の言葉に、占田と鳥前は別れ際の桜下の姿を思い浮かべてしまう。
 信野もまた同様に、小さくため息をつくと再度言葉を続ける。

「さくが調べてくれた霊力数値の提示と、検非違使側も大結界に再突入する手前、結界整備師の見解も欲しいってところで西村さんが出向いている」
「そうだったんだ。まあ、それなら西村さんが一番適任だよね。何せ現場責任者だし」

 占田は信野の説明を聞き終えると納得し頷く。
 西村は斉天祭の大結界現場責任を任されていた。
 桜下を含めた五人の結界整備師の中で、部長にあたる一番の上司。
 彼が唯一、検非違使たちに意見を申し立てる立場を持っていた。

「けどさ、信野さん。あんたは行かなくて良かったのか?」

 そうと分かりきっていたとしても、占田は信野に問いかける。
 野暮な話だと理解はしても、本人の意志を確認しなければ占田の気は済まなかった。

「会いたい人、いたんじゃないのか?」

 沈黙が漂う三十秒の間。
 占田と鳥前にとって、それが五分と錯覚するほどだった。

 やがて、信野はおもむろに手をタバコが入っている内ポケットに手を伸ばす。

「いねえよ、そんなヤツ」

 信野の声に怒りも苛立ちもなかった。
 ただ、無関心を装った素っ気ない態度で箱からタバコを一本取り出し、内熱式のライターで火を点ける。
 信野が吸うタバコの煙が風に揺らめき消えていく。

 夕日が滲む空に紫煙が何回も同化する様を、ぼんやりと眺めるほかなかった。

「もうそんな時間か……」
 時計の針は午後五時より少し右に傾き出していた
 テムイの暴走がなければ、今頃北門近くに構えていた自社のテントを撤収させていたに違いない。

 何もなかったもしもの話。
 信野はすぐ、タバコの煙と交えて一緒に吐き出す。

「……」

 煙に乗った心情が、虚空にどこにも行けずに漂う。
 信野は煙が消えるまで、視線でどこまでいくか追っていく。

 ちょうど、東から強い風が吹き。
 煙が鬼門の方角へ飛んでいく、その時。

「あれは……」

 国立公園の入り口から十メートルほど離れたところに、ち横に伸びて続く街路樹がある。

 新緑の影、降りしきる蝉時雨。
 夏の色濃さが広がる炎天下に、雪を思わせるような白い姿がこちらにむかってやってくる。
 信野はその服装に見覚えがあった。

「陰陽衆……」

 白を基調とした紫の飾り色がある和装の軍服。
 二十代後半と思わしき女は陰陽衆の証である白の軍服を身に纏う。

 髪の色は漆黒。
 肩の位置で真っ直ぐに黒髪が切りそろえられているが、唯一、右の前髪から垂れた部分のみ白く染まっていた。

 まるで等身大の日本人形が軍服を身に纏い、芯が通った佇まいで堂々と歩いてくる。

 そして、彼女が腰に携える二十六寸の愛刀がよく栄えた。

 非の打ち所がないはっきりとした目鼻立ちと、彼女から漂う清涼感のある気品。
 結界整備師三人の注目の的となっている。

「あの姉ちゃん。こっちに来るぞ?」

 鳥前はやってくる女に両手を前に出し身構えのポーズを取る。
 鳥前のわざとらしい反応に、占田は後ろから鳥前の頭を軽くコツく。

「やめなって、なんか小物感すごいよ」
「何をするんだ、ピザ男氏」

 鳥前の悪態を受け流し、占田はやってくる女の注意深く様子を見守る。
 一方、信野の心情は疑問と怒りがこみ上げていた。

「あの女……」

 陰陽衆が何故ここに。
 どうして、今更来たんだ。たった一人しかいないじゃないか。
 お前達がテムイを作らなければこんな事にはならなかった。

 国直属の機関である陰陽寮、その中で天下に位置する陰陽衆であっても関係ない。
 この鬱憤をぶつけることだけが、信野の思考を巡らしていく。

「……」

 女が三人の視線に気がつく。
 信野は思わず殴りかかろうと、一歩前へ出た時だった。

「えっ……」

 驚きに、男の怒りは収まった。

 じっと見据える女の黒い瞳。
 ただ静かな眼差しが、信野がよく知る結界整備師ととても似ていた。

「……」

 彼女は避難所の前に集まる三人の前にやってきて、瞼を閉じ深々と頭を下げる。
 自身が陰陽衆ということも棚に上げ、丁寧にお辞儀をする姿は、謝罪しているようだった。

「お、おい!」

 似ているようで全然似ていない。
 魚の骨が喉につっかえたような違和感。
 引き留めようとする信野を待たず、女はその場を去って行く。

「信野さん、鳥前……今の人……」
「占田氏、俺は言いたいことわかるぞ……」

 占田と鳥前も、それぞれ通り過ぎていった女に思うところがあった。
 二人で納得しながら頷き、女の後ろ姿を見送っている。

「二人もそう思うよな……」

 信野が桜下の姿と重ねている中、占田と鳥前がそれぞれ言い放つ。

「あんな美人見たことない。陰陽寮、とんでもないものを隠し持っていたな」
「清楚系の女剣士。ぱっと見二十代ってところだけど、うん悪くない。どことなく、騎士の雰囲気も出ていて……うん、アリだ。めっちゃアリだ……」

 純度極まった、己の欲。
 彼ら発言に、信野の眉間が急速に皺を作っていく。

「おいピザ男と小物。テントに戻るぞ」

 ようやく落ち着いたところで。
 信野は携帯の吸い殻入れにタバコを押しつけた。
 

 ○


 同じ頃。

 検非違使衆は避難所の一角に仮設の駐屯所を設営し、大結界再突入へ検非違使たちが集まっていた。
 しかし、人数は揃うものの、妖魔に対抗する武器、退魔武具の数が調達されていない。

 突入を前に歯止めがかかっている違和感。
 検非違使衆関東域大尉の櫂は心当たりがあった。

「陰陽衆め。大理卿だいりきょうを介して武器の調達を遅らせ、一体何が目的だ」

 テント内に設置された机には妖魔出現による被害の報告書が積まれている。
 櫂が椅子に座り足を組みながら報告書に目を通していくと、テントの外から声が聞こえた。

「櫂大尉、お連れしました」
「通せ」

 櫂は自分の部下が連れてきた男、テントの中に通す。
 テントの入り口を開き現れた、背丈二メートルの大男。
 パイナップルのような髪型に、肩には深緑のジャケットを羽織る。

「よく来てくれた、西村整備師。そこに座ってくれ」

 櫂はやってきた男、西村に空いている椅子を指さす。
 だが西村は、櫂の指示を無視し、手にした電子端末を机の上に置いた。

「これはうちの部下が、閉鎖直前に送信した大結界の霊力数値だ」

 西村は端末の画面を表示させ、櫂が見やすいように提示する。
 上から睨み付けられる視線に、櫂は厳かに言い放つ。

「いいから座れ。部下が帰還せず苛立つ気持ちは私も同じだ」

 緊迫した状況が、彼らの神経を張り詰めさせた。
 向けられた櫂の威圧と西村の視線が拮抗する。

「……」

 やがて西村が先に視線を逸らし、指定された席に着く。
 櫂は机の上に置かれた端末を手に取ると、慣れた操作でデータを読み取っていった。

「たしかに、テムイの暴走前と直後、二つの時刻を比較しても大結界の霊力は基準値のまま。結界整備師を疑うつもりは元よりなかったが……大結界がテムイを経由して災禍発生を促したのではなく、設置されたテムイが暴走し妖魔を呼び寄せた、と断言せざるを得ないな」
「その数値より、今は一段階上がっていると考えてくれ。恐らく、取り残された舞師様と検非違使さんが無事に鬼門にたどり着けるように、うちの整備師が妖魔の抑制に大結界の霊力を上げているはずだ」

 未だ戻らない部下の行動を西村は把握していた。
 気持ちを仕事に集中させ、会話を続ける。

「厳密なまでにはいかないが、恐らく小魔級の活動が停止するくらいには数値を上げている。人が動ける範囲で、妖魔に圧をかけるとなればそれが限界だ。それ以上は身体に影響を及ぼしかねない」
「東側の妖魔は我々が制圧した。北側に逃れた残党がいたとしても、小魔級ならば動けないままそこに留まるが……問題は数だな……」

 櫂が読んだ報告書の中には、ワニの形態をした妖魔が周りの妖魔を食らい強化された報告があった。


 妖魔には、大きく分けて三つの階級が存在する。
 帳の支配下で暮らす、小魔しょうま
 小魔が霊力を引き上げた上位個体、準魔じゅんま
 支配圏の長を担う最上位個体、帝魔ていま
 帝魔が帳を造り、準魔を配下にさせることで彼らの生活圏は守れている。


「厄介なのは、呪詛によって共食いを行っていることだな……小魔の被害で収まりはつくが。準魔級となれば、相手に出来る人員も限られる」

 共食いによる、妖魔の強化。
 正常な妖魔であれば、共食いという現象を起こすはずがない。
 だが、呪詛の毒が妖魔を狂わせ、凶暴性を跳ね上げる。

「万が一だが、準魔級となれば中の様子はどうなってくる?」

 櫂は改めて、西村に問いかける。
 西村もまた、北門の喫煙所で見た共食いをする妖魔の光景を思い出した。

「準魔となってくると、そりゃあ動ける。ただ大結界の端から端まで動ける体力があるかと言われれば微妙なところだ。聞けば、南門と西門の周辺に妖魔が多いんだろう? そこで何体か準魔もどきが発生したとしても霊力不足で留まる。反対側の東門……ましてや鬼門に近づくことなんてできやしない」
「準魔もどきというのは、北側に発生した六本足のワニの個体だな」

 櫂は北門の報告に上げられた、妖魔を食らい尽くしたワニの個体を思い返す。
 小魔から準魔にかけての途中経過になる小魔集合体。
 人にとって十分な脅威ともなりえるが、それでも大結界の中では思うように動くことは出来ない。

でない限り鬼門に行くことはないな」
「……そうか」

 西村の意見を一通り聞き終え、櫂は妖魔の残留地帯が記載されている報告書に改めて目を通す。

「現に妖魔が仲間を食らい霊力を増しているという報告は受けている。鬼門のある東側に救助隊を付けるだけでなく、南と西側にも討伐隊を派遣しなければ、舞殿突入時に支障を来す……」

 大結界の内部は検非違使の報告と西村が渡したデータによって作戦の筋道を立てていくが、

「いや違うな……」

 途中で言葉を詰まらせた。
 彼女はすぐに一枚の大きな紙を机に広げ目を通していく。

 そこには大結界内の地図が展開され、場所ごとに起きた被害が一目で分かるようになっていた。
 櫂の視線が、西と南の大結界側に羅列された被害報告に集中する。

「西と南はすでに手遅れと考えるべきだ。西と南の妖魔が合わさり、東に直接行けずとも北へ向かう。そこに残る妖魔を吸収すれば、妖魔は準魔となり、最悪鬼門に向かうことも出来る……か……」
「おい」

 西村の脳裏に去って行く桜下の姿が過ぎる。
 焦る西村に対し、櫂は力強く頷く。

「東側に総力を集中させ、妖魔を迎え撃つ。舞師春明様を始め、桜下整備師、そしてうちの部下。彼らを救出する為尽力する」

 方針を固め胸の内を西村に話すと、視線を上に向ける。

「お前も、そろそろ降りてこないか」
「あ?」

 櫂の言葉の意味が分からす、西村は釣られて上を見上げる。

 ストン、と。

 布張りにされた壁が一枚めくれ上がれ、一人の男が床に着地する。

「武器が届いていないらしいが、足りているのか?」

 身を隠すに使った布は空中に消え、風間が何事もないように会話に介入する。
 横ではぎょっと目を見開く、二メートルの男。
 驚く西村をよそに、櫂は淡々と言葉を続ける。

「足らせる。こちらもそう長引かせたくはない。西と南に退魔武具装備の検非違使を集中させる。鍛冶衆に式神札を頼んでいるから、届き次第、こっそり後ろからついてこい」
「それは平気なのか?」

 声が上ずる風間に、櫂はため息交じりで言い放つ。

「平気なわけないだろう。うちは退魔武具が主体、式神を使う隊士はいないからな。正規の発注をかければ後々怪しまれる。だが、ほんの数枚であれば、退と言い訳は出来る」
「……感謝する」
「勘違いするな。自身の武器が揃わずとも春明様の元に向かうだろう? お前がどこで何をするかは勝手だが、武器を持たない人間が戦地に向かうなど私が許さない」

 冷たい口調で語るものの、彼女の機転に風間は頭を下げる。
 そのやりとりの横では、西村がうっすらと苦笑いを浮かべていた

「それと、西村整備師。ここでの内容は一切他言無用、分かっているな?」

 淡々と、言葉を続けながら櫂は振り返る。
 ギロリと睨む彼女の目に、西村はさらに顔を引きつらせた。

「言ってどうする、一銭の得にもならないだろ?」
「私の背後を取るくらいの価値はあるだろう?」
「……銃口を突き付けられるの間違いじゃないか?」

 櫂の圧力ある眼差しに耐え得きれず西村は視線を逸らす。
 しかし、これからの桜下たちを救出に向かうという方針に落ち着き、不快感はなかった。

 彼なら大丈夫だ、と。
 西村が安堵の言葉を言い聞かせた時、

「櫂大尉、ご多忙のところ失礼致します。至急、お伝えしたいことが」

 テントの扉越しにかかる声。
 櫂の部下がやってきたのは間違いなかった。

「失礼」

 すぐに反応をしたのは、風間だった。
 テントの隅まで移動し、テントの布を掴むと端に油性ペンで素早く書き込み。
 式神術の印を書き上げると、風間の姿が布に隠されていった。

「……なんだ、入れ」

 風間の勝手な行動に、櫂は不機嫌な表情を見せるも、今はそれどころではない。
 風間が隠れる姿を見届ける、部下の検非違使に応答する。
 すると、検非違使が耳元で報告した内容に彼女の表情がより険しいものに変わっていった。

「ん?」

 話しの内容が全く聞き取れないものの、今までとはまた違う深刻さが西村まで伝わってきた。

「……分かった、私が相手をする」

 櫂の指示を聞き検非違使はすぐにテントを後にする。
 深いため息を漏らし、テントに残る二人に告げた。

「風間、西村整備師。すまないが急な客が来てしまった。そちらに時間を割いても構わないか?」
「こちらは問題ないが……、席を外した方がいいか?」
 西村の問いかけに、すぐに櫂は首を横に振った。
「いいや、寧ろいてくれ。私一人では抑えが効かず、相手に何をしでかすか分からない」

 なんだって、と。
 西村は聞き返したくなるが、櫂から漂う張り詰める空気にそんな勇気は起きなかった。
 程なくして、テントの向こうから再び検非違使が声を掛ける。

「通せ」
 言い放った櫂の指示に従い、検非違使はやってきた客人を招き入れる。

「……っ」

 入ってきた女性に、西村は息を飲んだ。
 人形のような面立ちをした白い軍服の女。

 テントの中に入ってくる彼女を、西村は無意識に誰かと重ねていた。

「……こんな場所までご足労頂いて。現場に来るとは珍しいじゃないか、蘆屋日永あしやひなが

 櫂は眉をつり上げ、棘を隠そうともせずに言葉を言い放つ。

「ええ、実際に見てみないと分からないことだらけですから」 

 対する白い軍服の女、日永は人形のような表情を一切崩さず櫂の威圧を切り返していく。

「……蘆屋日永」

 その名前に、西村も聞き覚えがあった。


 大戦時、霊術を卓越した超人たちがいた。

 彼らは陰陽師と呼ばれ、陰陽衆という組織を築き上げ、災禍の最前線で戦いを続ける。
 しかし、いかに優れた陰陽師たちでも凶暴化した妖魔を長期にわたって押さえ込むことは出来なかった。
 戦火の中命を落としていく陰陽師たち。
 その絶望の中、立ち上がった陰陽師がいた。
 名は蘆屋道満あしやどうまん
 生き残った陰陽師たちを取りまとめ、崩壊寸前の陰陽衆を立て直した。

 大戦終結後は斉天大聖が残した技術を用いて転位術の解明。
 テムイによる移動手段の最適化を始めとし、荒れた人の情勢を豊かなものへと導く。
 そして、自身は陰陽衆の最高責任者『陰陽頭おんみょうのかみ』となり、災禍に対抗しうる霊術の開発を続けている。
 日永は陰陽衆の第一補佐官を務め、同時に、


「蘆屋家のご令嬢が何故ここに……」

 道満の娘でもあった。

 西村は突然来訪した陰陽衆の権力者に驚きのあまり言葉を漏らしてしまう。

「貴方は……ああ、智徳ちとく様の」
 日永は西村が羽織るジャケットのマークを確認すると、綺麗な会釈を見せる。

「うちの社長を知っているのか」
「それは勿論、御社のことはよく存じています。土地見衆連合を築いた三大柱の一角。そしてあの方は、

 日永の光る黒い瞳がじっと西村を見据える。
 あまりにも、似すぎている。
 西村は鳥肌を立たせながら、彼女の言動を観察していた。

「積もる話はございますが、時間がありません。用件だけ済ませ、私もこの場を失礼させて頂きます」

 日永は西村から櫂へ、顔を向け直すと容赦なく言い放つ。

「櫂大尉、これよりは陰陽衆が現場の調査を勤めます。検非違使衆は避難民の救護活動に専念して下さい」

 空気を軋ませる気配がすぐさまテント内を漂わせる。
 西村が恐る恐る隣を見ると、額に筋を走らせ日永を睨み付ける櫂の姿があった。

「ほお、それはまた随分とご丁寧に言ってくれるじゃあないか。発注した武器を止めさせ、我々を封じる魂胆。貴様たちが調査という名目で舞殿に立ち入る見え透いた行為。もう少しうまく隠したらどうだ?」
「……話が上手く伝わっていませんね」
「検非違使が出しゃばるな、はっきりそう言えばいい。勿論、譲る気はないが」

 櫂は日永に対して挑発的な態度を続ける。
 一方で、日永は首を傾げて無表情のまま黙っていた。

「丁度良い、ここに大結界の霊力数値がある。事件が起きた直後、ある結界整備師が各門に赴き直接データを取ったものだ。上に回して渡すつもりだったが、貴様が来たおかげで手間が省けて済む」

 櫂が机の上に置いたままだった西村の電子端末を日永に渡す。
 記載された大結界の情報を、日永は画面をスライドさせ読み続けていく。

 時間ごとの四門の数値。
 地層の霊力。
 大結界の出力設定。

 それら詳細が表示され、最後に点検者である桜下のサインが書かれていた。

「……相変わらず」

 紐のような字体を読み、女は思わずか細い声を出す。
 情報を読み終え、日永は鉄面皮のまま電子端末を櫂に返す。

「貴方は二つ、勘違いをしていらっしゃる」

 斬り込むように、女は言い放つ。
 櫂は怪訝な顔で眉間を寄せるが、そんなものは彼女には通用しない。

「一つは、武器の発注手配に停止をかけたのは我々陰陽衆ではございません。聞けば、この時期は内部域の大結界に兵力を集中させていますよね? まずは貴方たちの上席、大理卿にご相談されるのが筋かと」
「切り捨てた、ということか……」

 検非違使衆、大理卿。
 日本各地に点在する検非違使たちの総括。
 陰陽寮の介入ではなく大理卿の判断で武器発注を停止させられた。
 突き付けられた自体に、櫂は怒りを通り越し呆れかえっていた。

「そうか。ならば武器が来ないと分かればここで待つ必要もない。その上で貴様は『待て』と言うんだな」

 元々、大理卿は信用ならない。
 櫂は腕を組み気持ちを落ち着けようとする中、続けざまに日永が語り出していく。

「もう一つは、すでにテムイの暴発については把握しています。大結界のせい、もしくは検非違使衆の警備不足など陰陽衆は考えていない。しかし、妖魔が出現した条件を調べなければ再発の恐れもある」
「こちらの大結界に突入と平行ですればいいじゃないか」
「現場は維持し分析を続けたい。その中で検非違使衆が突入されると、言ってしまうととても邪魔です」

 はっきりと告げた日永の言葉に、櫂が不敵に笑みを浮かべている。

「救助活動を邪魔と言うのか」
「我々が大結界に取り残された人の救助も平行して行います。貴方たち検非違使衆が人数を揃えて立ち入ることが邪魔、ということです」
「何故、人数が増えると邪魔になる? 大結界のおかげで人が増えても霊力数値に影響が出ないだろう」
「私たちが調べるのは出現した妖魔の種族と、それらがテムイの転位術と同調性し何故出現したのか原因です。貴方たちがいると大結界に残る妖魔を攻撃するでしょう? 妖魔の死に肉体の痕跡は残らない。貴方たちが殲滅を行ってしまった後になると、こちらは何も得られず解明に繋がらない」

 櫂と日永、二人の口論が飛び交う。
 彼女たちの戦いに、西村は何も言わずその場を静観し続けた。

 介入すれば火の粉が、西村に降り注ぐのは間違いない。
 しかし、桜下たちの救助に話を戻して欲しいという切実な思いもあった。

 西村が思案する中、またしても一人の男が姿を現す。

「俺は坊ちゃんが救助されれば、検非違使衆と陰陽衆、どちらが大結界に入ろうと構わない」

 再び風間が式神術を解き、テントの影から姿を現す。
 日永は見透かしたように、風間の登場には何も驚きを示さなかった。

「坊ちゃんたちは鬼門に滞在している。陰陽衆がまず鬼門に赴き救助した後、調査をすれば問題ないだろう?」

 風間は日永に刺すような視線を向け、苛立ちを隠せずにいた。
 日永は少し考え、やがて言葉を口にする。

「想定通り、そうなれば良いですけど」
「なんだって?」

 言葉を荒げながら風間は日永の方向へ距離を詰めていく。
 その前に西村が立ちはだかった。
 風間の前に手をかざし諭すように語りかける。

「気持ちは分かるが、落ち着きなさい」
「……すまない」

 風間はふぅとため息をつくと姿勢を正しその場に止まる。
 落ち着きを取り戻し、再度日永に問いかける。

「坊ちゃんたちが鬼門にたどり着いていない、と言うのか?」
「その可能性も考えられます。だって、貴方たち誰一人、鬼門からの救援信号を受け取っていないのでしょう?」

 日永の言葉を聞き、三人はそれぞれ眉間に皺を寄せる。
 これまでの大結界内で起きた出来事や情報を揃えた上で、取り残された三人は鬼門にいると判断をしていた。
 しかし、今この時点で鬼門に辿り着いたという報告を三人は受けていない。

「大結界内の霊力の乱れが電波を阻害し、救援信号を送れないのは分かります。けれど、戦況とは常に変わるもの。先ほど拝見した霊力データの発信元が鬼門でしたから結界整備師はいるでしょうけど、舞師様そして残された検非違使が鬼門にいる確信などどこにも、」
「……いや、いるよ」

 日永の容赦のない弁論を前に、櫂が立ち上がった。

「救助信号が来たんですか?」

 櫂は日永の問いに答えずゆっくりと近づいていく。

「おい」

 西村が櫂の腕を掴み静止を促す。
 西村は櫂の怒髪天に触れたのかと、焦った表情で首を横に振り続ける。

「ふふっ、大丈夫だ。私は冷静だ」

 対して櫂は、朗らかに笑った。
 焦りで目が泳ぐ西村の表情を、櫂はゆっくり彼の手を払い除ける。

 ゆっくりと一歩一歩。
 日永の前に近づいていくと、櫂の背の高さがより際立っていた。

「うちの部下はな、ちっぽけな最善に賭けるヤツだ。通信が斬れる間際、春明様と舞殿を脱出し大結界側に向かうと言っている。そうなると、大結界で一番安全な場所と言えば鬼門しかない。そこに行けと言ったのも私だしな」

 妖魔が巣くう舞殿を突破し、魔境となった大結界を駆け抜ける。
 これが普通の部下であれば、五体満足、無事に鬼門にたどり着くなど不可能だっただろう。
 だが今は、あの青い瞳の検非違使が春明の護衛を担っている。

「私はアイツが春明様を鬼門に送り届けたのを信じるよ。戦況は変われど、アイツのベストが揺らいだところを見たことがない」
「……信頼しているのですね、その部下を」

 日永は悠然と構える櫂の様子に、その言葉に偽りはないと確信する。

「分かりました、櫂大尉。貴方の言葉を信じて、鬼門の様子を先に見ます。ですが、鬼門に彼らがいない場合は大結界周囲のテムイ、そして舞殿の調査に移らせて頂きます」

 しかし、櫂の言葉を受け止めながらも、日永は感情を無にして機械的に話を続けていく。

「道中に彼らがいれば保護致しますが、保証はしないで下さい。私も調査中は隈なく周囲を探索する身。彼らを見つけられなければ、残念ながらそういうことです」

 初めからそちらに拒否権はない。
 これ以上、口論をするだけ時間の無駄。
 鉄面皮を被った白の軍服の女は陰陽頭の代弁者として転位術の発展を最優に置いていた。

「……っ」

 これを覆す権力は初めから櫂には持ち合わせていない。
 部下の無事をただ祈るしかない。
 現実に諦めていた時だった。

「一つ、聞いてもいいか?」

 声を上げた、パイナップル頭の大男。
 帰ろうと出口に向かおうとした日永だったが、ピタリと動きを止める。

「なんでしょう?」
「その調査というのはどれくらいかかる?」
「三時間ほどで、終わる見込みです」

 西村は機械じみた黒い瞳に怯むことなく、はっきりと言い放つ。

「長い。そんなに待てるか」

 西村は堂々とした面立ちで話しを続ける。

「結界整備監督として現場を明け渡して欲しいというのが本音だ。大結界の出力を通常に戻し、再度保守点検を行う。妖魔が一掃された後に地層のアフターケアを行わなければ、呪詛が出やすい地表となってしまう」

 妖魔を抑える為に大結界の出力を上げるのは、言わば地層からのエネルギーを前借りしている状態。
 緊急処置として借りた霊力を大結界の保守点検を通じて返さなければ、最悪の結果、汚染土地に繋がりかねない。

「保守点検さえすりゃあ、汚染土地は防げるよ。けどな、そんなにかかれば俺たち整備師が倍以上に働くわけだ。先週テムイを設置する時もそうだったが……そういうとこ、あんたは考えて言っているのかい?」

 テムイを急に設置する案が出たことで、大結界を徹夜で工事させられた。
 そのテムイが原因で妖魔の発生に繋がり、大結界に部下が取り残された。

「どれだけ俺たちに尻ぬぐいをさせれば気が済む」

 これまでの怒りが、一言に収束した。
 尻込みするようなドスが聞いた低音に、横で聞いていた風間は一歩身を引いてしまう。
 一方、櫂は日永の反応を気にして視線を彼女の方向に移す。
 日永は眉一つ動かさず、西村の意見を租借していた。

「確かに、汚染土地化は我々も見過ごすことは出来ない。地層の負荷が最小限に抑えられる具体的な時間を教えて下さい」
「……一時間。それまでに調査とやらを済ましてくれ。うちも、社長に言われているからな」
「……善処はします。櫂大尉、そういう事で宜しいですか?」

 日永が問いかけると、櫂は目つきを鋭くさせる。

「ああ、了解した」
「では、これより向かわせて頂きます」

 失礼致します、と日永は颯爽と検非違使衆のテントを後にする。

 冷血で合理性を求める。
 淡々とした嵐のような女。
 彼女の気配が完全に消えるまで、場の空気が会話する余韻を許さない。

「な……」

 静寂を打ち破ったのは、西村が漏れ出た声だった。

「なんだありゃあ!?」

 怒りよりも驚きが勝っていた。
 話し方や立ち振る舞いは桜下とほぼ同じ。
 ただし、合理性に特化した趣向は今の桜下には持ち合わせていなかった。

「びっくりしたぁ……。櫂、お前いつもあの嬢ちゃんと相手しているのか? それはストレス溜まるよ、俺だったら禿げる……櫂?」

 西村が振り返ると同時に、後ろから腕を引き寄せられ圧迫された。

「よぉく言ってくれた。流石西村!」

 櫂は西村の頭を片手で抱擁し、もう片方の手で髪を乱雑に撫でていく。
 陰陽衆に自らの意見を組ませて追い返した。
 櫂の嬉しさが西村の頭皮に集中していく。

「あのまま、待ちぼうけを食らっていたらたまったものじゃない。よく我々の意を組んで代弁してくれた。いやぁ、感謝する」
「おいそこを引っ張るなぁ! 禿げる、ほんと禿げちゃうから!」

 古い付き合いからくる行動が、西村の悲鳴を大きくさせた。
 西村の髪型をパイナップルと例えるなら、ちょうど葉の部分。
 櫂は西村の首を絞めながら、髪を葉のように引き抜こうとしていた。

「ああすまん、つい」

 息を詰まらせる西村を前に、櫂はようやく我に返る。
 彼を解放するも、淡々と謝罪の言葉を述べる櫂からは申し訳なさが伝わってこない。

「はぁ……、まあ、現場の状況よりきだが、多く見積もれば二時間は結界は保つ。社長を出しに使ってしまったが、業績が有名で助かった」

 西村が携帯を取り出すと、一件の通知が表示させる。


 西村さんは舞殿の安全が確保されたら、さくの回収よろしく! 


「軽く言っちゃって……ホント……」

 西村が検非違使衆の仮設基地に入る前に見た、一件の通知。
 改めて見返しため息をつくも、このメッセージがなければ、陰陽衆相手に強気にはなれなかった。

「だが君は、そう嬉しくは思えないわな」
 一本に直立に伸びた髪を整え、西村は視線を風間に移す。
「坊ちゃんは、一人ではない。あの検非違使に事を託した」

 唇を噛み締める風間の姿に、西村は無理をしているとすぐに察しがつく。

「まあ、もう一人いるから心配いらないさ」

 西村の言葉に風間が振り向く。
 もう一人、という人物に風間も心当たりがあった。

「気休めでも、そう言って下さって感謝する」
「気休めじゃないさ。多分、大結界の出力上げてから探しに行ってるよ。じっとしているような奴じゃないからね」
「本人は二人が鬼門に辿りつけば保護すると言っていたが?」

 風間が桜下と出会った会話を思い返し、西村を否定する。
 すると西村は、バツの悪そうな顔を浮かべながら頭をかきはじめた。

「あー、それは照れ隠しだね。堂々と助けますって言って見せたくなかったんだろうな」
「……春明様や俺に恩を着させまいとしたのか」
「いや、どうだろう。ただ単に恥ずかしがりなだけだよ、彼」

 西村の言葉の意味が上手く読めず風間は疑問を募らせる。
 それを代弁するように、横で様子を見ていた櫂が問いかけた。

「桜下整備師とは、どういう人物なんだ?」

 大理石の強度を打ち壊した気導術。
 落ち着いた立ち振る舞い。
 揺るがない真意を持った瞳。

 櫂の目に映った桜下はどこか浮き世離れしているようにも見えた。

「そうだなぁ、まあ一言で言わせちゃ……」

 西村は古い友人からの問いかけに深く考え込み。
 やがて苦笑いを浮かべながら、言い放った。


問題児天然


 ○


 避難所となった国立公園から白い人影が一つ離れていく。
 夏の暑さが降りしきる蝉時雨の中、彼女は氷点下に満ちるほど無表情を保ったままだった。
 彼女が目指すは十キロ先にそびえ立つ鉄塔。大結界の異常を示す赤いランプが点灯し続ける。

 早く事を、終わらせなければ。

 着用した二十六寸の愛刀を携え直し、彼女は軍服の下に隠れた唯一の宝を取り出す。
 それは首元から取り出したシルバーのロケットペンダント。
 小さな蓋を片手で開くと、自分と瓜二つ、白い少女の写真があった。

「晴瀬にちゃんと謝らなきゃ」

 どうやら帰る時間が夜になってしまいそうだ。
 白い軍服の女、日永はロケットペンダントを軍服の下に戻し、歩みを鬼門へ進めていく。
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