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第一章 黒瑪瑙の陰陽師
《五》
しおりを挟む北側の門、三人の結界整備師たちが集まるテント内。
シュークリームを食べ終えた信野と西村は、テントを出て、数十メートル先の喫煙所へと移動する。
正確には、逃げたと言うべき案件。
当分二人は帰って来ないだろうと、桜下は察していた。
「はぁ、マジこの『しばらく』って概念ってなに?」
占田は手に汗を握りながらため息交じりで呟く。
その横では鳥前が電子端末を鞄の中にしまい、代わりにある物を取り出す。
「はいこれ。やるでしょ」
「……鳥前、お前ノリノリかよ」
手で握れるほどの太さの筒の棒。
持ち手部分は白くなっており、そこ以外は透明になっている。
それを二本、占田は鳥前から受け取ると持ち手部分についたボタンをカチカチと押し確認をする。
透明な筒が、派手に七色に変化していく。
その手際の良さに、桜下が思わず聞いてしまう。
「随分とカラフルな……誘導灯?」
「違うよ! これペンライト!」
真面目に問いかける桜下に占田は思わず笑いをこみ上げた。
同時に、ペンライトを取り出していた鳥前も腹を抱えている。
「これで交通整備とか何それ強い」
「……そんなに笑わなくたっていいじゃないですか。それ、どうするんですか?」
笑われたことにむっとしながら、桜下はペンライトに興味を示す。
すると、占田の表情が急に真顔に変わる。
「これは、我々の意志をメルたんに示す為の道具だ」
「つまり?」
「ライブの時に曲に合わせて踊る時に使う小道具だよ」
真顔のまま占田はペンライトのボタンを何回も押す。
その様子に鮮やかさはなく不気味さが際立つ一方。
桜下は、一歩身を引いた。
「鳥前さんもそれ使って踊るんですか?」
これ以上占田には聞かない方がいい。
そう直感した桜下は、今度は鳥前に問いかける。
「まあ……占田氏ほどではないけど、やれば楽しいし。あれ、さく氏、もしかして気になる感じ?」
「いや、私は結構です」
少し離れたところで占田がペンライトを手にして上下左右に腕を動かしている。
何か奇妙なことをし始めた、と桜下は首を傾げる。
一方で、鳥前はこの後どうなるかなんとなく予想はついていた。
「イっ……!」
ガン、と鈍い音が響き、占田の動きは止まった。
大きく横に手を振り回した瞬間、不注意で机の平面に手を思い切り叩きつけてしまう。
「いたた……」
「なんとなくぶつけそうだな、と思っていたけど。思いっきりいったね」
「気づいていたなら声かけてよ……」
ぶつけた手は赤くなるが、幸いにも怪我を負わずに済む。
鳥前は安堵しながら机に視線を移すと、既に桜下が動いていた。
「鳥前さん、片方持ってくれませんか?」
「今いく……ほら、占田氏はモニター持って」
はーい、と占田は机の上に置いてあるモニターを軽々と持つ。
同時に、桜下と鳥前がそれぞれ机の両端を持ち移動させた。
テントの隅に机、そして椅子を纏めると、踊るにはちょうどいいスペースが生まれる。
占田と鳥前はペンライトを持ち、それぞれ動きます点灯のタイミングを確認していく。
その脇では、桜下は椅子に腰をかけ、斉天祭のパンフレットを広げていた。
「……」
雅楽寮直轄、芸能事務所。
SIDAREプロダクション所属、都柄メル。
パンフレットの前半ページを飛ばし読みすると、そこから先は彼女の項目。
薄い冊子の中での情報の厚みに、桜下の目はどこか冷え切っていた。
桜下は、斉天祭に興味が無い。
より詳しく言えば、斉天大聖という聖人に関心が持てない。
夜間工事の件がなければ桜下が斉天祭に赴くなど、ありえはしなかった。
どこか他人事のように、紙面を数秒見ては次のページをめくり時間を潰す。
あっという間に都柄メルの情報が終わり、また機械的にページをめくろうとする。
その時だった。
「本家の子出るんだ……」
ポツリ、とその紙面の情報に言葉を漏らす。
振り付けの確認をしていた占田と鳥前も思わず青年の方を振り向く。
「いや、都柄メル……ちゃんの次、雅楽寮の本家筋の子が出るみたいでつい。練習、邪魔をしてすみません」
「いや、それは別にいいけど。本家筋っていうと……あの阿部家?」
占田は桜下の開いたパンフレットの一面をのぞき込む。
そこには二ページにまたがって特集された、緋色の髪の少年舞師の姿があった。
「あ、コイツ」
遅れてやってきた鳥前もパンフレットをのぞき見る。
すると驚く様子に、桜下は声を掛けた。
「鳥前さん?」
「コイツ、前の現場で会った」
鳥前は当時の記憶を思い出し、自然と鋭い口調になってしまう。
「鬼堂さんのところの大結界、この間俺点検に行ったじゃん。その時たまたまコイツ来ていてさ、すれ違ったんだけどめっちゃ目つき怖くて。俺何かしたって思うくらいガン飛ばしてくるの」
「え、なにそれ。急に喧嘩ふっかけられたわけ?」
占田が苦い顔を浮かべながら聞くと、鳥前は首を横に振る。
「いや、すれ違ったからほんの一瞬だけ。別に何か言われたわけじゃないよ。なんだかすごく怒っているように見えてさ、それだけ」
別に俺はコイツに対してなんか知っているわけじゃないよ、と。
鳥前は説明を付け加え、話を終える。
「ふーん、それでさくは阿部家の御曹司様のことが気になっている感じなのか。メルちゃんより」
最後に一言、占田は念押す。
都柄メルの話題に、桜下は面倒に感じながら、その問いに答えた。
「私は鳥前さんのように実際会ったことはないですよ。けれど、名前は前々から知っていました」
何年か前の記憶を遡り、言葉はゆっくりと紡がれる。
「阿部……そう春明、阿部春明様。随分前の現場ですけど、自分が現地について結界を点検しようと思ったら、すべて数値に異常なし。聞いてみれば、前日に小さなお祭りがありました。そこで彼が舞を奉納した影響で土地を綺麗にしてくれたみたいです。点検に行って、何もしないで帰ってきたっていうのはあれが初めてですよ」
まるで昔出会った友人を懐かしむよう。
当時のことを思い出しながら、桜下の指先はそっとパンフレットの少年の写真に触れる。
「なるほど、さく氏の推しも出ているわけだ」
「推し?」
鳥前の言葉の意味が分からず首をかしげる桜下に、占田が捕捉の説明をする。
「要するに、さくはこの子のファンだってことでしょ?」
「ファンって……」
二人が伝えたい意味を理解するも、桜下は言葉を濁す。
紙面に映る緋色の髪の舞師を、まるで遠い場所から建物を眺めるように見下ろす。
「どうでしょう。たしかに気にはなっていましたが、実際会ったことないですし。応援らしい応援もしていないですよ」
歯切れの悪い、諦めたような物言い。
早口で言い終えた後に、桜下の耳が仄かに赤くなっていた。
「……」
またいつものか、と。
占田と鳥前は顔を見合わせる。
青年の反応に、この話題は避けるべきだと二人は肩をすくめた。
「話し変わるけれどさ、西東家の舞師が斉天祭には絶対来ないよな。ほかの祭事事では見たことあるけど」
切り替わった占田の話題に、鳥前もそのまま便乗していく。
「まあ、あっちは斉天大聖を毛嫌いしてるから……境遇を考えると同情するけど、舞師ってプライド高いやつばっかりだし」
「うーん、俺は混天大聖のイメージが強いからなぁ。プライドが高いというより、それこそ神様めいてちょっと怖いというか……。そういえば、今年来てないじゃん。なんでだろ?」
「それこそ知らん、新京都でなんかやってるんじゃないの?」
鳥前が首を横に振ると話題はそこまで。
次第に都柄メルのライブで行われる振り付けの確認に戻っていた。
桜下は再び遠目で二人の練習姿を見ながら、パンフレットに視線を落とす。
ページはずっと、演目の最後を飾る、斉天。
演じる舞師の少年を、桜下はじっと眺めていた。
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