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第二十四話
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彼女が自ら離れていこうとした瞬間、そのまま行かせるべきだと思った。
これ以上苦しませないためにも、華乃を傷つけないためにも。
彼女が決めて答えを出したなら、それを追いかけてはならないと。
過去の幻影を思いだすかのように見上げてきた眼差しの奥に、深い悲しみが見え隠れしていても。
力が抜けてバランスを崩した彼女の体を支えはしても。
彼女があの日の夜のことを覚えていたと知っても――
美綾を強く抱きしめたい衝動を抑えこんで、腕にも指先にもこれ以上力がはいらないように押しとどめて、あふれそうになる言葉も必死で呑み込んでいたのに。
彼女が離れた途端逃がせなくて、貴影は追いかけるように電車を降りて美綾の腕を掴んでいた。
こんなところでいちゃつくなと、サラリーマンが降り際に呟く。
迷惑そうに体をずらして降りるOL。
振り返って何度も見る大学生の視線。
けれど、階段へと向かう人の流れは止まらずに、電車もいつもと同じように発進していくと、あたりは静寂に包まれた。
貴影は美綾の腕を縋るように掴んでいた。美綾は涙に満ちた目を大きく見開いて、責めるように表情をしかめる。
「なんっで! 離して、離してよ!」
彼女の悲痛な声と言葉は、貴影の耳には真逆の意味に聞こえた。だからただ掴んでいただけの手にほんの少し力を込めてひいた。たったそれだけで、貴影は彼女の体を抱きしめることができた。華奢な体を、痛みを与えないようにけれど決して離さないようにきつく腕の中に閉じ込める。
「や、離して!」
彼女が抵抗しようと両手を動かしてもがく。そんな力じゃ無意味だと教えてやりたくて、さらに腕に力をいれた。
彼女のさらさらの髪が腕に触れて、そっと指先に絡めた。この髪に何度触れたいと思っただろう。
「どうして……」
美綾の体から力が抜ける。肩が小刻みに震えるのを感じながら彼女の体を支えた。
どうしてだろうな、とぼんやりと思う。
泣いている彼女を一人にできなかったからか。
自分に想いを寄せる女の子だからか。
ただいつも触れたいと思っていた。抱きしめたいと思っていた。彼女の髪にこうして指を絡めたいと思っていた。
貴影はそっと美綾の頭を撫でる。髪をすきその艶やかな感触を指先で感じとる。指の間を髪が通り抜けていくたびに、自分の中のなにかが壊れていくのがわかった。
あの夜守った髪だった。それから時間をかけて伸ばされた髪。
どうしようもなく愛しさがあふれて、初めて女の子を意識したあの瞬間が蘇る。
「好きだったの」
美綾が大切なものを伝えるように言葉を紡ぐ。
「あの日、あの時からあなたのことを想っていた。あなたのことが好きだった」
華乃の存在を知っていながらも、こうして泣きながら告白してくる女の子たちがいた。そのたびにきっぱりと断ってきた。女の子たちとは慎重に距離をおいて、期待させる振る舞いをしないように意識して気をつけてきた。
けれど美綾に対しては違う。
彼女は由功のものだと思っていたから、そんな必要はなかった。
由功の大事な女の子だから、特別に扱っても構わない。貴影にとっても大切な思い出の女の子だから大事にしたい。由功を口実にすれば、彼女を大切に守ることができる。
『青桜』の女性社員に言われたからその通りに口紅を選んだ。彼女の唇がどんな色に染まるのか見たかった。
口紅を塗った時は確かに嬉しそうにほほ笑んでいたのに、ありがとうと言ったあとは泣きそうだった。
ああ、こういうことかと思った。
司から髪にキスをされて動揺していたときも、手首についた指の痕に気づいたときも、ただ大事にしたかっただけなのに、自分の態度はきっとずっと、彼女に期待をさせて傷つけてきたのだと。
そして今また、こうして抱きしめて彼女に残酷に接している。
大切に優しく抱きしめながら、彼女の気持ちを耳にしながら、何を応えるつもりなのかと自問自答する。
「オレには華乃がいる」
「知っているわ」
華乃とは違う形で大切にしたいと思っていた。守りたいと思っていた。由功が守るように、一緒に守りたかっただけだ。
「彼女を大事にしたい」
「うん、わかっている」
涙声で答える美綾の体が大きく震える。抱きしめる手を緩められないくせに、どうして他の女が大事だと告げているのか。
「御嵩くんの気持ちはわかった。だからお願い、もう離して」
頭ではわかっている。離したほうがいいと、もうこれ以上期待させるべきじゃないと、追い込んではならないと、壊してはならないと。
「お願い……優しくしないで、こんな風に抱きしめないで。今度こそもうあなたのことは――あきらっ」
その言葉を聞きたくないし、言わせたくない――!!
貴影は美綾の濡れた頬を両手で包んだ。それ以上の言葉は言わせたくなくて彼女の唇を塞ぐ。
唇の柔らかさと温かさが伝わってくる。緩んだ隙を逃さずに、貴影は言葉も呼吸も奪うように深く彼女に口づけた。
どうして気持ちは変化するのか。
どうして気持ちは永遠ではないのか。
どうして人は一人の人だけをずっと想い続けることができないのか。
止められなかった。もう止めることはできなかった。
誰かがこの場所にいて、自分の行動を止めてくれるならそうして欲しかった。
どんな言葉も今の自分の心を表現できない。
せめて止め処なくあふれる愛しさが彼女に伝わるように貴影はキスを深めていく。
そして漠然と思う。
守りたかったのに、壊したのは自分だと思った。
美綾も華乃も壊される。そして二人ともを失うのかもしれないと。
***
どうしてこんな風になってしまったのかわからなかった。
ただ、今は理由も言い訳も後回しにして彼と一緒にいたかった。
唇を塞がれたときは驚いてなにが起きているのかわからなかった。ためらいなど一切なく舌が口内に入り込んで、それが彼のものだと思ったら、それだけで素直に受け入れることができた。
互いの唾液を混ぜ合うように、そこから少しでもなにかが伝わるように必死で舌を絡めた。言葉はお互いに空回りしてしまうから、本音を誤魔化してしまうから、貪るようにキスをして気持ちをぶつけあう。
衝動が落ち着いて唇が離れたとき、多分どちらかが、もしくは二人ともが『離れたくない』と口にしたのだと思う。
貴影が一人暮らしであることを初めて知った。
ベッドに倒れこむ瞬間に美綾に見えたのは、青く光る水槽。そこには色鮮やかな熱帯魚が、外の出来事など関知せずに優雅に泳ぐ。
貴影が激しく繰り返す口づけに再び夢中で応えた。柔らかい舌が自分の中で動くたびに、捕えたくて追いかける。呼吸を忘れるほど舌や唇に吸いついた。そのうちに首を傾ける角度や彼の唇の感触や唾液の味を覚えていく。
貴影の首の後ろに腕をまわして、離れずにすむようにしがみついた。
制服のリボンがほどかれて、ブラウスのボタンがはずされる。服を脱がす彼の動きを手伝って自ら腕を抜いた。ブラのホックがはずされて、閉じ込められていた胸が解放される。
少しでも戸惑ったり恥じらったりしたら、彼が行為を止める気がした。我に返れば、それ以上触れてもらえない予感があった。だから美綾はそれらを捨て去る。
彼の手が胸に触れて優しく愛撫した時も、ぴくりと震えただけで拒んだりはしなかった。優しく触れながら、そっと胸の先を指ではさむ。小刻みな緩い刺激だけで体の奥が目覚めていく。
美綾もまた貴影の存在を刻みたくて、シャツを脱ぎ捨てた彼の肩のラインをなぞった。
唇が離れて貴影と目が合う。
目が合いそうになるといつもそらしていたけれど、今はじっと見つめ合いたかった。彼の瞳の奥に悲し気に光るものが見えたけれど、美綾は見ないふりをして抱きついた。
互いの胸と胸が触れあう。心臓の音が重なるほど強く激しく押しつける。ふたたびキスを繰り返して、貴影の指が膝の横から内腿、そして脚の付け根までを繰り返し辿っていった。そんな些細な動きだけで美綾の体は快楽を拾い上げる。
指が下着に触れて美綾の形を確かめる。敏感な場所を探り当てると円を描くようにゆっくりとなぞった。彼に触れられたくてたまらないように、そこは少しずつ形を露わにする。下着が張りついてきて汗なのか愛液なのかわからなかった。
同時に彼の唇は首筋から鎖骨に吸いつき、時折美綾の髪を食む。そして胸の先にキスをするように唇で軽く挟んだあと、熱い舌が包んだ。
「んっ!」
声があがりかけて、美綾は両手で口を押さえた。貴影はその隙に美綾のスカートと下着を剥いで、自身も衣服を脱ぎ捨てた。
互いに生まれたままの姿をさらした。
水槽の淡い水色の光と、開いたままのカーテンから差し込む月の光が肌を照らす。
「美綾……」
貴影が美綾の頭をそっと撫でた。初めて呼ばれた自分の下の名前。彼の声がその名を紡ぐだけで、堪えきれずに目尻から涙が伝った。
美綾もおそるおそる、貴影と同じように彼のこめかみに指を伸ばした。触れた漆黒の髪はやわらかくて少しひんやりしていた。
「……い、た、か影……お願い」
美綾も心の中だけでしか呼べなかった名前を声に発した。自分が呼んでいいかわからなかったけれど、この瞬間だけでも許してほしいと願う。
「お願い……抱いて」
心も体も飢えたように彼を求めていた。彼が抱いているであろう、不安も戸惑いもためらいもすべて消してあげたかった。
だから抱き寄せる。
あなたのせいではないと、あなたが悪いのではないと伝えるために。
これは自分の欲望とわがままのせいであると教えるために。
目尻の涙を拭う彼の指を美綾は包む。そうして自ら秘する場所へと導いた。
「貴影……」
彼の指がそっと触れる。そこはとっくに蜜であふれていて、彼の指をスムーズに奥深くまで呑み込んでいく。それは美綾の中を探るようにささやかに動いては、弱い場所を確かめる。
美綾が小さく体を跳ねさせるたびに、指の動きは大胆になった。次々に生まれてくる快感を美綾は必死で受け止める。
奥だけではなく繊細な部分までも攻めて、彼は美綾を乱していった。
もう声は殺さなかった。
自分がどれほど感じているか、乱れているか、求めているか教えたかった。彼の前で胸を揺らしその先を尖らせる。こぼれる蜜でシーツを汚しながら、ねだるように腰を動かす。
高く甘く切ない声が吐息とともに唇から漏れた。好きな男の部屋に響くのは、淫らなその声と卑猥な蜜の音。
彼の視覚にも聴覚にも触覚にもあますことなく痴態を刻みたい。
「美綾っ……」
切羽詰まった貴影の声さえ愛しくて、美綾は自ら足を広げてさらす。
「うん……大丈夫、だから」
貴影は準備を終えると美綾の膝に手を添えた。そうしてゆっくりと押し当てる。卑猥な場所で小さくキスを交わしたあと、彼のものがゆっくりと美綾の体を貫いた。
心が繋がれないのであれば、せめてここだけでも一瞬だけでも繋がりたい。彼の熱を感じたい。
求め合うように互いを抱きしめ合った。
貴影が腰を動かすたびに、汗の雫が降りおちる。それはまるで流すことのできない涙のようにも思えた。
(ごめんね……ごめんなさい)
それでも体は貪欲に貴影を奥まで誘おうとうごめく。離したくないと引き留める。
深い場所がぶつかるたびに、美綾の耳には破壊の音が重なる。
今この瞬間にも壊れていることがわかるのに、止めることはできない。
自分も彼も彼女も壊れていく。
心も体も関係も、積み上げてきたなにもかもが壊れる。
それでも今は押し寄せる快感の波に身を委ねる。いっそこのまま溺れてしまえばいい、二人で。
だから美綾は必死に貴影の体にしがみついた。
誰にともなく心の中で謝罪の言葉を繰り返しながら。
これ以上苦しませないためにも、華乃を傷つけないためにも。
彼女が決めて答えを出したなら、それを追いかけてはならないと。
過去の幻影を思いだすかのように見上げてきた眼差しの奥に、深い悲しみが見え隠れしていても。
力が抜けてバランスを崩した彼女の体を支えはしても。
彼女があの日の夜のことを覚えていたと知っても――
美綾を強く抱きしめたい衝動を抑えこんで、腕にも指先にもこれ以上力がはいらないように押しとどめて、あふれそうになる言葉も必死で呑み込んでいたのに。
彼女が離れた途端逃がせなくて、貴影は追いかけるように電車を降りて美綾の腕を掴んでいた。
こんなところでいちゃつくなと、サラリーマンが降り際に呟く。
迷惑そうに体をずらして降りるOL。
振り返って何度も見る大学生の視線。
けれど、階段へと向かう人の流れは止まらずに、電車もいつもと同じように発進していくと、あたりは静寂に包まれた。
貴影は美綾の腕を縋るように掴んでいた。美綾は涙に満ちた目を大きく見開いて、責めるように表情をしかめる。
「なんっで! 離して、離してよ!」
彼女の悲痛な声と言葉は、貴影の耳には真逆の意味に聞こえた。だからただ掴んでいただけの手にほんの少し力を込めてひいた。たったそれだけで、貴影は彼女の体を抱きしめることができた。華奢な体を、痛みを与えないようにけれど決して離さないようにきつく腕の中に閉じ込める。
「や、離して!」
彼女が抵抗しようと両手を動かしてもがく。そんな力じゃ無意味だと教えてやりたくて、さらに腕に力をいれた。
彼女のさらさらの髪が腕に触れて、そっと指先に絡めた。この髪に何度触れたいと思っただろう。
「どうして……」
美綾の体から力が抜ける。肩が小刻みに震えるのを感じながら彼女の体を支えた。
どうしてだろうな、とぼんやりと思う。
泣いている彼女を一人にできなかったからか。
自分に想いを寄せる女の子だからか。
ただいつも触れたいと思っていた。抱きしめたいと思っていた。彼女の髪にこうして指を絡めたいと思っていた。
貴影はそっと美綾の頭を撫でる。髪をすきその艶やかな感触を指先で感じとる。指の間を髪が通り抜けていくたびに、自分の中のなにかが壊れていくのがわかった。
あの夜守った髪だった。それから時間をかけて伸ばされた髪。
どうしようもなく愛しさがあふれて、初めて女の子を意識したあの瞬間が蘇る。
「好きだったの」
美綾が大切なものを伝えるように言葉を紡ぐ。
「あの日、あの時からあなたのことを想っていた。あなたのことが好きだった」
華乃の存在を知っていながらも、こうして泣きながら告白してくる女の子たちがいた。そのたびにきっぱりと断ってきた。女の子たちとは慎重に距離をおいて、期待させる振る舞いをしないように意識して気をつけてきた。
けれど美綾に対しては違う。
彼女は由功のものだと思っていたから、そんな必要はなかった。
由功の大事な女の子だから、特別に扱っても構わない。貴影にとっても大切な思い出の女の子だから大事にしたい。由功を口実にすれば、彼女を大切に守ることができる。
『青桜』の女性社員に言われたからその通りに口紅を選んだ。彼女の唇がどんな色に染まるのか見たかった。
口紅を塗った時は確かに嬉しそうにほほ笑んでいたのに、ありがとうと言ったあとは泣きそうだった。
ああ、こういうことかと思った。
司から髪にキスをされて動揺していたときも、手首についた指の痕に気づいたときも、ただ大事にしたかっただけなのに、自分の態度はきっとずっと、彼女に期待をさせて傷つけてきたのだと。
そして今また、こうして抱きしめて彼女に残酷に接している。
大切に優しく抱きしめながら、彼女の気持ちを耳にしながら、何を応えるつもりなのかと自問自答する。
「オレには華乃がいる」
「知っているわ」
華乃とは違う形で大切にしたいと思っていた。守りたいと思っていた。由功が守るように、一緒に守りたかっただけだ。
「彼女を大事にしたい」
「うん、わかっている」
涙声で答える美綾の体が大きく震える。抱きしめる手を緩められないくせに、どうして他の女が大事だと告げているのか。
「御嵩くんの気持ちはわかった。だからお願い、もう離して」
頭ではわかっている。離したほうがいいと、もうこれ以上期待させるべきじゃないと、追い込んではならないと、壊してはならないと。
「お願い……優しくしないで、こんな風に抱きしめないで。今度こそもうあなたのことは――あきらっ」
その言葉を聞きたくないし、言わせたくない――!!
貴影は美綾の濡れた頬を両手で包んだ。それ以上の言葉は言わせたくなくて彼女の唇を塞ぐ。
唇の柔らかさと温かさが伝わってくる。緩んだ隙を逃さずに、貴影は言葉も呼吸も奪うように深く彼女に口づけた。
どうして気持ちは変化するのか。
どうして気持ちは永遠ではないのか。
どうして人は一人の人だけをずっと想い続けることができないのか。
止められなかった。もう止めることはできなかった。
誰かがこの場所にいて、自分の行動を止めてくれるならそうして欲しかった。
どんな言葉も今の自分の心を表現できない。
せめて止め処なくあふれる愛しさが彼女に伝わるように貴影はキスを深めていく。
そして漠然と思う。
守りたかったのに、壊したのは自分だと思った。
美綾も華乃も壊される。そして二人ともを失うのかもしれないと。
***
どうしてこんな風になってしまったのかわからなかった。
ただ、今は理由も言い訳も後回しにして彼と一緒にいたかった。
唇を塞がれたときは驚いてなにが起きているのかわからなかった。ためらいなど一切なく舌が口内に入り込んで、それが彼のものだと思ったら、それだけで素直に受け入れることができた。
互いの唾液を混ぜ合うように、そこから少しでもなにかが伝わるように必死で舌を絡めた。言葉はお互いに空回りしてしまうから、本音を誤魔化してしまうから、貪るようにキスをして気持ちをぶつけあう。
衝動が落ち着いて唇が離れたとき、多分どちらかが、もしくは二人ともが『離れたくない』と口にしたのだと思う。
貴影が一人暮らしであることを初めて知った。
ベッドに倒れこむ瞬間に美綾に見えたのは、青く光る水槽。そこには色鮮やかな熱帯魚が、外の出来事など関知せずに優雅に泳ぐ。
貴影が激しく繰り返す口づけに再び夢中で応えた。柔らかい舌が自分の中で動くたびに、捕えたくて追いかける。呼吸を忘れるほど舌や唇に吸いついた。そのうちに首を傾ける角度や彼の唇の感触や唾液の味を覚えていく。
貴影の首の後ろに腕をまわして、離れずにすむようにしがみついた。
制服のリボンがほどかれて、ブラウスのボタンがはずされる。服を脱がす彼の動きを手伝って自ら腕を抜いた。ブラのホックがはずされて、閉じ込められていた胸が解放される。
少しでも戸惑ったり恥じらったりしたら、彼が行為を止める気がした。我に返れば、それ以上触れてもらえない予感があった。だから美綾はそれらを捨て去る。
彼の手が胸に触れて優しく愛撫した時も、ぴくりと震えただけで拒んだりはしなかった。優しく触れながら、そっと胸の先を指ではさむ。小刻みな緩い刺激だけで体の奥が目覚めていく。
美綾もまた貴影の存在を刻みたくて、シャツを脱ぎ捨てた彼の肩のラインをなぞった。
唇が離れて貴影と目が合う。
目が合いそうになるといつもそらしていたけれど、今はじっと見つめ合いたかった。彼の瞳の奥に悲し気に光るものが見えたけれど、美綾は見ないふりをして抱きついた。
互いの胸と胸が触れあう。心臓の音が重なるほど強く激しく押しつける。ふたたびキスを繰り返して、貴影の指が膝の横から内腿、そして脚の付け根までを繰り返し辿っていった。そんな些細な動きだけで美綾の体は快楽を拾い上げる。
指が下着に触れて美綾の形を確かめる。敏感な場所を探り当てると円を描くようにゆっくりとなぞった。彼に触れられたくてたまらないように、そこは少しずつ形を露わにする。下着が張りついてきて汗なのか愛液なのかわからなかった。
同時に彼の唇は首筋から鎖骨に吸いつき、時折美綾の髪を食む。そして胸の先にキスをするように唇で軽く挟んだあと、熱い舌が包んだ。
「んっ!」
声があがりかけて、美綾は両手で口を押さえた。貴影はその隙に美綾のスカートと下着を剥いで、自身も衣服を脱ぎ捨てた。
互いに生まれたままの姿をさらした。
水槽の淡い水色の光と、開いたままのカーテンから差し込む月の光が肌を照らす。
「美綾……」
貴影が美綾の頭をそっと撫でた。初めて呼ばれた自分の下の名前。彼の声がその名を紡ぐだけで、堪えきれずに目尻から涙が伝った。
美綾もおそるおそる、貴影と同じように彼のこめかみに指を伸ばした。触れた漆黒の髪はやわらかくて少しひんやりしていた。
「……い、た、か影……お願い」
美綾も心の中だけでしか呼べなかった名前を声に発した。自分が呼んでいいかわからなかったけれど、この瞬間だけでも許してほしいと願う。
「お願い……抱いて」
心も体も飢えたように彼を求めていた。彼が抱いているであろう、不安も戸惑いもためらいもすべて消してあげたかった。
だから抱き寄せる。
あなたのせいではないと、あなたが悪いのではないと伝えるために。
これは自分の欲望とわがままのせいであると教えるために。
目尻の涙を拭う彼の指を美綾は包む。そうして自ら秘する場所へと導いた。
「貴影……」
彼の指がそっと触れる。そこはとっくに蜜であふれていて、彼の指をスムーズに奥深くまで呑み込んでいく。それは美綾の中を探るようにささやかに動いては、弱い場所を確かめる。
美綾が小さく体を跳ねさせるたびに、指の動きは大胆になった。次々に生まれてくる快感を美綾は必死で受け止める。
奥だけではなく繊細な部分までも攻めて、彼は美綾を乱していった。
もう声は殺さなかった。
自分がどれほど感じているか、乱れているか、求めているか教えたかった。彼の前で胸を揺らしその先を尖らせる。こぼれる蜜でシーツを汚しながら、ねだるように腰を動かす。
高く甘く切ない声が吐息とともに唇から漏れた。好きな男の部屋に響くのは、淫らなその声と卑猥な蜜の音。
彼の視覚にも聴覚にも触覚にもあますことなく痴態を刻みたい。
「美綾っ……」
切羽詰まった貴影の声さえ愛しくて、美綾は自ら足を広げてさらす。
「うん……大丈夫、だから」
貴影は準備を終えると美綾の膝に手を添えた。そうしてゆっくりと押し当てる。卑猥な場所で小さくキスを交わしたあと、彼のものがゆっくりと美綾の体を貫いた。
心が繋がれないのであれば、せめてここだけでも一瞬だけでも繋がりたい。彼の熱を感じたい。
求め合うように互いを抱きしめ合った。
貴影が腰を動かすたびに、汗の雫が降りおちる。それはまるで流すことのできない涙のようにも思えた。
(ごめんね……ごめんなさい)
それでも体は貪欲に貴影を奥まで誘おうとうごめく。離したくないと引き留める。
深い場所がぶつかるたびに、美綾の耳には破壊の音が重なる。
今この瞬間にも壊れていることがわかるのに、止めることはできない。
自分も彼も彼女も壊れていく。
心も体も関係も、積み上げてきたなにもかもが壊れる。
それでも今は押し寄せる快感の波に身を委ねる。いっそこのまま溺れてしまえばいい、二人で。
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