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因果応報、春の祟り
プロローグ、始まりは肝心よ
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某月某日。
重い呪いの念に巻き付けられながら、士匄は地に押さえつけられていた。視線の先には、返り血を浴びた宰相と切り落とされた父の首である。
「嗣子は刖にて」
士匄は強い力で押さえつけられ、体を、特に足を固定される。押さえつけてくるのが人なのかそうでないのか、わからぬ。ぎ、と喉奥から呻くように奇声をあげた。
刖とは脚を斬る欠損刑である。
「う、嘘でしょう、あ、」
あまりの惨劇を目の当たりにし、趙武は引きつった声で叫んだ。
士匄の脚に刃が食い込み、ぶちぶちと筋肉の繊維をちぎりながら
「がああああああああああああああああっ」
全て落ち、
「うそ、うそです、なに、こ、れ」
響きわたる士匄の叫び声に趙武は首を振りながら、両耳を手で押さえた。
■□■
昔話をしよう。ユーラシア大陸東アジア、今は山西省に晋という公国があった。紀元前六世紀、春秋時代である。
この時代、大夫《たいふ》と呼ばれる血統的身分がある。簡単に言えば貴族というものである。士匄もそのような貴族の、しかも大貴族の嗣子であった。年の頃二十半ば、男ぶりの良いその顔は我の強さが窺える。
「わたしが新たな邑を受け取りに行くということでしょうか?」
彼は父親の士爕に呼び出され、いきなり命じられた。当主の室のため、南側の窓から明かりが差す。春であり、庭には目を喜ばせる桃が咲きこぼれはじめていたが、強風の季節でもある。とくにこの日は黄砂が舞うように吹き荒れ、扉を全開にして楽しむこともできなかった。
「周の貴き大夫の方がぜひに、と強くおっしゃった。家格として卑しい我らを信頼してのこと、嗣子として邑を引き継ぐ儀を行うよう」
邑とは当時の集落単位と思えば良い。聞けば晋都・絳より離れた地であった。
士爕の言葉に士匄は口を歪ませる。士氏に領地が増えるのは良い。しかし、己が行くのは面倒だ。我の強い若者である、ありありと顔に出てしまった。厳父と言って良い士爕は苦々しくにらむ。どうも、この息子は耐えると言うことを知らぬ。
「親に対する意をお許しを。わたしがわざわざ行うことでもありますまい。だいたい父上は、この邑の引き取りを断っておられた。周人のあからさまな賄賂でしょう。父上はそういったことが大嫌いではないですか」
堪え忍ぶということをバカバカしいと思っている士匄は、ずけずけとストレートに言い切った。親に対する謙譲もくそもない言葉遣いである。
まず、親の命に頷かぬ。次に家長が決めたことにケチをつける。最後に親の真意を勝手に推測する。最初に、親に意見します許してください、と挨拶しただけマシと言えるかどうか、というレベルであった。士爕が眩暈を起こしたいほど怒りを覚えたのは言うまでも無い。
しかし、士爕は忍耐力と自制心に優れた男であった。瞬間の怒声をおしこめ、静かに重い声で
「汝が知る必要はない」
と返した。士匄の言うとおり、この邑は大国晋の卿、士爕に周の貴族が個人的な繋がりを求め渡された賄賂である。卿とは大臣のことと思えば良い。
建前上、この黄河流域一帯を治めるのは周王であり、晋以下各国はそれを支える諸侯ということになっている。が、この宗主国が乱により弱体化し、諸侯は周を代行するという名目で争っているのが現状であった。周内部の貴族たちは他国の有力者とつながり、己の地位を強めようという動きもある。
士爕もそれで目を付けられたのだ。確かに、その経緯は責を持つ士爕が知ればよく、小僧ごときは知らぬで良いことではある。
「父上。わたしは嗣子としてこの邑を受け取りにいくのです。これが他意なきものか、賄賂かくらいはきちんと父上に伺うは必要ではございませんか。わたしは無知蒙昧、出来の悪い嗣子だ。もしどなたかに尋ねられたなら『父上が弱腰にも周の貴族ごときの押し売りに負け、まぬけにも賄賂と気づかずしょうもない邑を喜んでいただきました』などと、妄言吐きかねません。不孝な息子をお許しください」
前半は正論、後半は憎まれ口という名の甘えの極地である。士爕が士匄を表情無く殴りつけた。士匄はわかってやったことであり、文句一つ言わずに姿勢を正した。そうなれば、儀礼正しい青年そのものとなる。やればきちんとやる息子、という部分も含めてため息をつきながら、士爕が口を開いた。
「汝の言うとおり、周の大夫は我が士氏とよしみを通じたい本音を隠し、口では善意で、晋の邑近く周には飛び地であるため譲りたいとおっしゃられた。むろん、私は断った。我らは武に長じ卿の家となったが、それ以上に法制の家である。このような些細なことでも歪みかねん」
そう。士爕は敢然と断ったのである。謙譲と私欲の無さも有名な、いわば賢臣である。周の貴族が秘密裏に賄賂を送ってきたことも苦々しいというのに、それが晋公ではなく卿の己にである。再三断ったのは言うまでもない。
「しかし、食いつかれた。というところでしょうか」
士爕を揶揄することなく、口を出した士匄に、士爕は苦い顔を向けたが頷いた。問題の貴族は諦めなかった。
周都には各国の情報が集まる。
士の一族は法制の家であり、正道を歩み謙譲に溢れ欲が無い。
しかし、士の一族はきっちり領地を広げている、処世の家でもある。
本当に無欲であれば大きな威勢など持ちようが無い、というわけだ。このあたり、周は衰えても王都であり、その貴族たちも老練さがある。晋という国は質実な軍事大国であり、この手のいやらしさに染まるのはもうすこし後であった。
何度も粘られているうちに、士爕は折れた。
「食いつかれすぎた。これは父の不覚、浅さであった。匄、私の無様を教訓として汝は同じ過ちを犯すな。二度と来るなと最初に強く出るべきであった。周からの使者が幾度も我が士氏を通うとならば、無い腹を探られかねん。ようやく、我が君と卿たちは上手くいっているのだ。汝もこころえよ。針一本の穴が堤防を壊し氾濫を起こす。それがまつりごとというものだ」
この時期、晋には大きな争いは無いが、君主と卿らの間で政治権の綱引きが静かに行われている。小さな傷が大きな乱を起こす可能性もおおいにあった。それをにおわせながら、士爕が深い声で再度、行け、と命じてきた。
ただ賄賂を受け取るだけではなく、もっと重い物を背負え、と言われた気がして、士匄は承りました、と拝礼した。
とまあ、その時は父上ごもっとも、と思ってしまったんだよなあ、と、士匄は晋都絳より離れた邑を見た。受け取りの邑である。空が黄砂で汚れ、強い風が衣をはためかせ、士匄はうんざりした。
「このようなこと、家宰にでもまかせればよいのだ。父上は律儀すぎる」
邑の門を抜け、士匄は舌打ちをした。が、考え直す。士爕は受け渡しだけを命じたが、これは周の貴族と士匄が個人的に繋がるチャンスでもあった。士爕が心底嫌がった発想である。
力を失ったとはいえ周の余光は使い勝手が良い。士匄は俄然機嫌がよくなった。付き従っている家臣たちは特に驚かない。この若者は頭の回転が速く勘が鋭すぎるせいか、感情が生のままで出る場合が多い。しかも、極めて楽観的であり、己の良い方向へ物事を解釈する。きっと今回もそれであろうと思ったのだ。
歓待と引き渡しの儀に待ち受けていたのは、邑宰と持ち主の貴族本人であった。
「この度は我が邑の祀りをお引き受けいただくことお許しいただき、光栄でございます。この地は虞舜の前は開かれておらず、夏の世から商殷まで華氏が治めておりました。我ら周建国の際に同族の武王に献じられ、私どもの家にはその後下賜されたもの。常に姫姓統治のものでございましたが、士氏へお世話をお願いしたい所存でございます」
貴族が儀に則って生け贄である羊の血を唇に塗って言った。そうして、同じ文言が書かれた竹簡を渡してくる。士匄も同じように唇に血を塗って口を開く。
「この度、邑の祀りを承り恐悦至極に存じます。わたしの祖は堯にて王の同族、祁姓陶唐氏であり、虞の世をそのまま、夏の世には御龍氏となり、商殷にて豕韋氏、周にて唐杜氏でございました。周より晋へ渡り士氏を名乗り范邑を頂いておりますので范家を称しております。祁姓の我らに大切な姫姓の邑を治めること祀ることお任せいただき我が祖と共に喜びとし務めて参ります」
竹簡を渡し、互いに儀に則った動作で礼をすると、証の玉璧を生け贄と共に埋めようとした。
その時である。
「ここは、我が地である!」
みすぼらしく、襤褸のような衣服を纏った男が分け入ってきて、叫んだ。よくよく見れば染めていない麻衣で断ち切りのみの喪服、素衣素冠であり、葬式帰りに路頭にでも迷ったのか、といいたくなるような風体であった。年の頃はわからない。老人のようにも見え、疲れ果てた壮年のようにも思えた。
「このものは」
士匄はするどい声で聞いた。周の貴族は困惑した顔をする。
「時々来てはこのようなことを叫ぶ狂人です。我らもほとほと困っている。邑人どもも、迷惑をしているのだ」
軽く目配せすると、士匄は傍に控えている己の家臣に
「斬れ」
と端的に言った。家臣どもは逡巡せずにみなでなで斬った。士匄がなさなかったのは、帯剣していないからである。この当時、剣は匹夫や大夫以下の武器であり、士匄のような大貴族は常備しない。
男はあっさりと斬られた。薄汚れた麻衣に血が広がっていく。そこからの士匄は常軌を逸していた。その死骸を邑の外へ持ちだそうとした家臣どもに
「生け贄と一緒に放り込め」
と言ったのである。神聖な儀に不浄不祥な狂人の死体など、と家臣たちもさすがに抗弁し、周人たちも息を飲んだ。業を煮やした士匄は、その汚らしい死体を奪い引きずりながら運ぶと、坑の中に蹴り落とした。どう、と底に落ちた死体の上に生け贄を降ろさせ、玉璧――板状の瑪瑙を置く。
「古来、人の贄こそが最も盟い確かになり祖への祀りとなる。この男は己が地と叫んでいた。つまりわたしが治める地を差し出しに来たと言うことだ。吉兆となるであろうよ」
鼻を鳴らし、埋められていく地を見ながら士匄は嘯いた。その声音は自信と傲岸に満ちている。
この男は頭の回転早く、弁が立つ。その自信により前に踏み出す力は強い。が、どうしようもないほどの我の強さがあり、結果、傲岸としかいえない態度をとる。
家臣どもは蒼白になりその様子を伺った。これはさすがに、主である士爕に言上せねばならぬであろう、とも思った。
「父上には言うな。あの方は少々心配性。めんどくさい」
士匄はだれた仕草をしながら家臣たちを睨み付ける。この嗣子は彼なりのルールを持っている。それは常識的にも法制としても正しいこともあれば、意味のわからぬこともある。ただ、彼のルールから逸脱した者は
法を犯した
と責められ、下手すれば罰をくらう。結局、この自儘な嗣子の前に、家臣たちは黙るしかなかった。その様子を見た士匄が傲慢な仕草をしたかといえば、そうでもない。
「しかし、お前たちの働きは良き。素早く、鮮やかであった。今日は邑にて宴席であるが、おまえ達も侍って良い。思う存分肉を食え」
心底労る顔で、士匄は家臣どもに笑んだ。彼らは下役であり、肉などめったにありつけぬ。お心遣いありがとうございます、と丁寧に、喜色を隠さず拝礼した。
士匄は傲岸であるが、傲慢ではない。このようなところで、妙なかわいげがあった。
さて、宴席もその際の儀礼も省略する。士匄はこの周の貴族に個人的な友誼を結ぶと――半ば強引にせまったのである――無事役目を終えて帰った。
帰る最中、襤褸の男を斬った家臣どもが川に落ちたり落石で潰されたり食中毒で死んだりとしたが、士匄は運が悪い奴らだなあ、という程度で何も思わなかった。
士匄にとって、まあめんどくさい仕事が終わって一段落、であったが、数日経って体が重い、頭が痛い、などの症状が出だした。理由は明白であった。
「今日も、祓え」
士氏に仕える巫覡が頷き、夜明け前から祝詞をあげる。士匄に憑いていた鬼――現代語で言わば幽霊である――が祓われた。
「このところ、毎日ではございませぬか。体質とはいえ、何か不祥なことをなされたのでは」
言われ、士匄は考えるが心当たりがない。
「わからん。続くようなら先達に相談もしよう。とりあえず出る。父より後に出仕すれば、殴られかねん」
年功序列、謙譲と孝、そして己への戒めに厳しい父親である。子は親より先に宮城に出て控えることが肝要。士匄は、それは正しいながらも少々堅苦しいと思いながら、首をコキコキと鳴らしたあと、うんざりした顔で家を出た。
若い大夫の控え室に来た士匄を見て、憐れみ少々蔑んだ顔をしたのは、後輩の趙武である。その姿は美しい少女のように嫋やかで衣に潰されそうな細さであったが、きっちり成人男性であり、趙氏の長でもあった。父が早世しているのである。
今、士匄は趙武を教導する立場となり、二人で行動することが多い。
「ちょっと。范叔、あまり寄ってほしくないんですが。今日もですか? なんですか、そのぼやっとした鬼を背負って。その、とても不浄で凶のかたまりのような状況なのですが」
范叔とは士匄の字《あざな》である。それはともかく、士匄は憑いた雑霊を手で祓う仕草をしながら、
「祓っては憑いてくる。これでも道すがらかなりどけたのだ。宮城に入ればさすがに増えぬが、これ以上落ちん」
と、憮然とした顔を表し座した。
最も早く控えていた韓氏の嗣子、韓無忌が、すっと立ち上がると寺人に、巫覡を呼ぶよう、低く重みのある声で言った。
ここ数日、士匄は雑多な幽霊に取り憑かれる毎日である。元々、憑かれやすい体質であるため、いつものことと当初は軽く見ていたが、こうも多く寄ってくるのは異常であった。
「何か心当たりは無いのですか? 対症療法に祓うだけでは意味がありません。きちんと原因を究明したほうが良いです。私も見ていて不快です」
見た目によらず、趙武ははっきりと言った。これは趙武が非礼無遠慮というわけではない。そのくらい、士匄の状況が周囲にも迷惑なのである。凶に触れれば凶になる。それが古代の考え方でもある。
「知らん。はっきり言おう。呪われる心当たりなど、多すぎてわからん。呪うようなものどもは卑しく逆恨みをする。我が家、わたし含めそのようなことはあるであろう」
士匄は苦虫を噛み潰したような顔をして、言った。
さて。読者のかたはお察しであろう。原因は先日の、冒涜的ともいえる儀式である。が、この真相に彼らが気づくまで、しばしお待ち頂きたい。
重い呪いの念に巻き付けられながら、士匄は地に押さえつけられていた。視線の先には、返り血を浴びた宰相と切り落とされた父の首である。
「嗣子は刖にて」
士匄は強い力で押さえつけられ、体を、特に足を固定される。押さえつけてくるのが人なのかそうでないのか、わからぬ。ぎ、と喉奥から呻くように奇声をあげた。
刖とは脚を斬る欠損刑である。
「う、嘘でしょう、あ、」
あまりの惨劇を目の当たりにし、趙武は引きつった声で叫んだ。
士匄の脚に刃が食い込み、ぶちぶちと筋肉の繊維をちぎりながら
「がああああああああああああああああっ」
全て落ち、
「うそ、うそです、なに、こ、れ」
響きわたる士匄の叫び声に趙武は首を振りながら、両耳を手で押さえた。
■□■
昔話をしよう。ユーラシア大陸東アジア、今は山西省に晋という公国があった。紀元前六世紀、春秋時代である。
この時代、大夫《たいふ》と呼ばれる血統的身分がある。簡単に言えば貴族というものである。士匄もそのような貴族の、しかも大貴族の嗣子であった。年の頃二十半ば、男ぶりの良いその顔は我の強さが窺える。
「わたしが新たな邑を受け取りに行くということでしょうか?」
彼は父親の士爕に呼び出され、いきなり命じられた。当主の室のため、南側の窓から明かりが差す。春であり、庭には目を喜ばせる桃が咲きこぼれはじめていたが、強風の季節でもある。とくにこの日は黄砂が舞うように吹き荒れ、扉を全開にして楽しむこともできなかった。
「周の貴き大夫の方がぜひに、と強くおっしゃった。家格として卑しい我らを信頼してのこと、嗣子として邑を引き継ぐ儀を行うよう」
邑とは当時の集落単位と思えば良い。聞けば晋都・絳より離れた地であった。
士爕の言葉に士匄は口を歪ませる。士氏に領地が増えるのは良い。しかし、己が行くのは面倒だ。我の強い若者である、ありありと顔に出てしまった。厳父と言って良い士爕は苦々しくにらむ。どうも、この息子は耐えると言うことを知らぬ。
「親に対する意をお許しを。わたしがわざわざ行うことでもありますまい。だいたい父上は、この邑の引き取りを断っておられた。周人のあからさまな賄賂でしょう。父上はそういったことが大嫌いではないですか」
堪え忍ぶということをバカバカしいと思っている士匄は、ずけずけとストレートに言い切った。親に対する謙譲もくそもない言葉遣いである。
まず、親の命に頷かぬ。次に家長が決めたことにケチをつける。最後に親の真意を勝手に推測する。最初に、親に意見します許してください、と挨拶しただけマシと言えるかどうか、というレベルであった。士爕が眩暈を起こしたいほど怒りを覚えたのは言うまでも無い。
しかし、士爕は忍耐力と自制心に優れた男であった。瞬間の怒声をおしこめ、静かに重い声で
「汝が知る必要はない」
と返した。士匄の言うとおり、この邑は大国晋の卿、士爕に周の貴族が個人的な繋がりを求め渡された賄賂である。卿とは大臣のことと思えば良い。
建前上、この黄河流域一帯を治めるのは周王であり、晋以下各国はそれを支える諸侯ということになっている。が、この宗主国が乱により弱体化し、諸侯は周を代行するという名目で争っているのが現状であった。周内部の貴族たちは他国の有力者とつながり、己の地位を強めようという動きもある。
士爕もそれで目を付けられたのだ。確かに、その経緯は責を持つ士爕が知ればよく、小僧ごときは知らぬで良いことではある。
「父上。わたしは嗣子としてこの邑を受け取りにいくのです。これが他意なきものか、賄賂かくらいはきちんと父上に伺うは必要ではございませんか。わたしは無知蒙昧、出来の悪い嗣子だ。もしどなたかに尋ねられたなら『父上が弱腰にも周の貴族ごときの押し売りに負け、まぬけにも賄賂と気づかずしょうもない邑を喜んでいただきました』などと、妄言吐きかねません。不孝な息子をお許しください」
前半は正論、後半は憎まれ口という名の甘えの極地である。士爕が士匄を表情無く殴りつけた。士匄はわかってやったことであり、文句一つ言わずに姿勢を正した。そうなれば、儀礼正しい青年そのものとなる。やればきちんとやる息子、という部分も含めてため息をつきながら、士爕が口を開いた。
「汝の言うとおり、周の大夫は我が士氏とよしみを通じたい本音を隠し、口では善意で、晋の邑近く周には飛び地であるため譲りたいとおっしゃられた。むろん、私は断った。我らは武に長じ卿の家となったが、それ以上に法制の家である。このような些細なことでも歪みかねん」
そう。士爕は敢然と断ったのである。謙譲と私欲の無さも有名な、いわば賢臣である。周の貴族が秘密裏に賄賂を送ってきたことも苦々しいというのに、それが晋公ではなく卿の己にである。再三断ったのは言うまでもない。
「しかし、食いつかれた。というところでしょうか」
士爕を揶揄することなく、口を出した士匄に、士爕は苦い顔を向けたが頷いた。問題の貴族は諦めなかった。
周都には各国の情報が集まる。
士の一族は法制の家であり、正道を歩み謙譲に溢れ欲が無い。
しかし、士の一族はきっちり領地を広げている、処世の家でもある。
本当に無欲であれば大きな威勢など持ちようが無い、というわけだ。このあたり、周は衰えても王都であり、その貴族たちも老練さがある。晋という国は質実な軍事大国であり、この手のいやらしさに染まるのはもうすこし後であった。
何度も粘られているうちに、士爕は折れた。
「食いつかれすぎた。これは父の不覚、浅さであった。匄、私の無様を教訓として汝は同じ過ちを犯すな。二度と来るなと最初に強く出るべきであった。周からの使者が幾度も我が士氏を通うとならば、無い腹を探られかねん。ようやく、我が君と卿たちは上手くいっているのだ。汝もこころえよ。針一本の穴が堤防を壊し氾濫を起こす。それがまつりごとというものだ」
この時期、晋には大きな争いは無いが、君主と卿らの間で政治権の綱引きが静かに行われている。小さな傷が大きな乱を起こす可能性もおおいにあった。それをにおわせながら、士爕が深い声で再度、行け、と命じてきた。
ただ賄賂を受け取るだけではなく、もっと重い物を背負え、と言われた気がして、士匄は承りました、と拝礼した。
とまあ、その時は父上ごもっとも、と思ってしまったんだよなあ、と、士匄は晋都絳より離れた邑を見た。受け取りの邑である。空が黄砂で汚れ、強い風が衣をはためかせ、士匄はうんざりした。
「このようなこと、家宰にでもまかせればよいのだ。父上は律儀すぎる」
邑の門を抜け、士匄は舌打ちをした。が、考え直す。士爕は受け渡しだけを命じたが、これは周の貴族と士匄が個人的に繋がるチャンスでもあった。士爕が心底嫌がった発想である。
力を失ったとはいえ周の余光は使い勝手が良い。士匄は俄然機嫌がよくなった。付き従っている家臣たちは特に驚かない。この若者は頭の回転が速く勘が鋭すぎるせいか、感情が生のままで出る場合が多い。しかも、極めて楽観的であり、己の良い方向へ物事を解釈する。きっと今回もそれであろうと思ったのだ。
歓待と引き渡しの儀に待ち受けていたのは、邑宰と持ち主の貴族本人であった。
「この度は我が邑の祀りをお引き受けいただくことお許しいただき、光栄でございます。この地は虞舜の前は開かれておらず、夏の世から商殷まで華氏が治めておりました。我ら周建国の際に同族の武王に献じられ、私どもの家にはその後下賜されたもの。常に姫姓統治のものでございましたが、士氏へお世話をお願いしたい所存でございます」
貴族が儀に則って生け贄である羊の血を唇に塗って言った。そうして、同じ文言が書かれた竹簡を渡してくる。士匄も同じように唇に血を塗って口を開く。
「この度、邑の祀りを承り恐悦至極に存じます。わたしの祖は堯にて王の同族、祁姓陶唐氏であり、虞の世をそのまま、夏の世には御龍氏となり、商殷にて豕韋氏、周にて唐杜氏でございました。周より晋へ渡り士氏を名乗り范邑を頂いておりますので范家を称しております。祁姓の我らに大切な姫姓の邑を治めること祀ることお任せいただき我が祖と共に喜びとし務めて参ります」
竹簡を渡し、互いに儀に則った動作で礼をすると、証の玉璧を生け贄と共に埋めようとした。
その時である。
「ここは、我が地である!」
みすぼらしく、襤褸のような衣服を纏った男が分け入ってきて、叫んだ。よくよく見れば染めていない麻衣で断ち切りのみの喪服、素衣素冠であり、葬式帰りに路頭にでも迷ったのか、といいたくなるような風体であった。年の頃はわからない。老人のようにも見え、疲れ果てた壮年のようにも思えた。
「このものは」
士匄はするどい声で聞いた。周の貴族は困惑した顔をする。
「時々来てはこのようなことを叫ぶ狂人です。我らもほとほと困っている。邑人どもも、迷惑をしているのだ」
軽く目配せすると、士匄は傍に控えている己の家臣に
「斬れ」
と端的に言った。家臣どもは逡巡せずにみなでなで斬った。士匄がなさなかったのは、帯剣していないからである。この当時、剣は匹夫や大夫以下の武器であり、士匄のような大貴族は常備しない。
男はあっさりと斬られた。薄汚れた麻衣に血が広がっていく。そこからの士匄は常軌を逸していた。その死骸を邑の外へ持ちだそうとした家臣どもに
「生け贄と一緒に放り込め」
と言ったのである。神聖な儀に不浄不祥な狂人の死体など、と家臣たちもさすがに抗弁し、周人たちも息を飲んだ。業を煮やした士匄は、その汚らしい死体を奪い引きずりながら運ぶと、坑の中に蹴り落とした。どう、と底に落ちた死体の上に生け贄を降ろさせ、玉璧――板状の瑪瑙を置く。
「古来、人の贄こそが最も盟い確かになり祖への祀りとなる。この男は己が地と叫んでいた。つまりわたしが治める地を差し出しに来たと言うことだ。吉兆となるであろうよ」
鼻を鳴らし、埋められていく地を見ながら士匄は嘯いた。その声音は自信と傲岸に満ちている。
この男は頭の回転早く、弁が立つ。その自信により前に踏み出す力は強い。が、どうしようもないほどの我の強さがあり、結果、傲岸としかいえない態度をとる。
家臣どもは蒼白になりその様子を伺った。これはさすがに、主である士爕に言上せねばならぬであろう、とも思った。
「父上には言うな。あの方は少々心配性。めんどくさい」
士匄はだれた仕草をしながら家臣たちを睨み付ける。この嗣子は彼なりのルールを持っている。それは常識的にも法制としても正しいこともあれば、意味のわからぬこともある。ただ、彼のルールから逸脱した者は
法を犯した
と責められ、下手すれば罰をくらう。結局、この自儘な嗣子の前に、家臣たちは黙るしかなかった。その様子を見た士匄が傲慢な仕草をしたかといえば、そうでもない。
「しかし、お前たちの働きは良き。素早く、鮮やかであった。今日は邑にて宴席であるが、おまえ達も侍って良い。思う存分肉を食え」
心底労る顔で、士匄は家臣どもに笑んだ。彼らは下役であり、肉などめったにありつけぬ。お心遣いありがとうございます、と丁寧に、喜色を隠さず拝礼した。
士匄は傲岸であるが、傲慢ではない。このようなところで、妙なかわいげがあった。
さて、宴席もその際の儀礼も省略する。士匄はこの周の貴族に個人的な友誼を結ぶと――半ば強引にせまったのである――無事役目を終えて帰った。
帰る最中、襤褸の男を斬った家臣どもが川に落ちたり落石で潰されたり食中毒で死んだりとしたが、士匄は運が悪い奴らだなあ、という程度で何も思わなかった。
士匄にとって、まあめんどくさい仕事が終わって一段落、であったが、数日経って体が重い、頭が痛い、などの症状が出だした。理由は明白であった。
「今日も、祓え」
士氏に仕える巫覡が頷き、夜明け前から祝詞をあげる。士匄に憑いていた鬼――現代語で言わば幽霊である――が祓われた。
「このところ、毎日ではございませぬか。体質とはいえ、何か不祥なことをなされたのでは」
言われ、士匄は考えるが心当たりがない。
「わからん。続くようなら先達に相談もしよう。とりあえず出る。父より後に出仕すれば、殴られかねん」
年功序列、謙譲と孝、そして己への戒めに厳しい父親である。子は親より先に宮城に出て控えることが肝要。士匄は、それは正しいながらも少々堅苦しいと思いながら、首をコキコキと鳴らしたあと、うんざりした顔で家を出た。
若い大夫の控え室に来た士匄を見て、憐れみ少々蔑んだ顔をしたのは、後輩の趙武である。その姿は美しい少女のように嫋やかで衣に潰されそうな細さであったが、きっちり成人男性であり、趙氏の長でもあった。父が早世しているのである。
今、士匄は趙武を教導する立場となり、二人で行動することが多い。
「ちょっと。范叔、あまり寄ってほしくないんですが。今日もですか? なんですか、そのぼやっとした鬼を背負って。その、とても不浄で凶のかたまりのような状況なのですが」
范叔とは士匄の字《あざな》である。それはともかく、士匄は憑いた雑霊を手で祓う仕草をしながら、
「祓っては憑いてくる。これでも道すがらかなりどけたのだ。宮城に入ればさすがに増えぬが、これ以上落ちん」
と、憮然とした顔を表し座した。
最も早く控えていた韓氏の嗣子、韓無忌が、すっと立ち上がると寺人に、巫覡を呼ぶよう、低く重みのある声で言った。
ここ数日、士匄は雑多な幽霊に取り憑かれる毎日である。元々、憑かれやすい体質であるため、いつものことと当初は軽く見ていたが、こうも多く寄ってくるのは異常であった。
「何か心当たりは無いのですか? 対症療法に祓うだけでは意味がありません。きちんと原因を究明したほうが良いです。私も見ていて不快です」
見た目によらず、趙武ははっきりと言った。これは趙武が非礼無遠慮というわけではない。そのくらい、士匄の状況が周囲にも迷惑なのである。凶に触れれば凶になる。それが古代の考え方でもある。
「知らん。はっきり言おう。呪われる心当たりなど、多すぎてわからん。呪うようなものどもは卑しく逆恨みをする。我が家、わたし含めそのようなことはあるであろう」
士匄は苦虫を噛み潰したような顔をして、言った。
さて。読者のかたはお察しであろう。原因は先日の、冒涜的ともいえる儀式である。が、この真相に彼らが気づくまで、しばしお待ち頂きたい。
応援ありがとうございます!
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