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1章 魔法少女とは出逢わない

1章73 水の無い世界に愛の花を ②

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 空で火花が散る。


 桜の色と血の色。


 どちらがこの世界で咲き誇るのか。


 俺は何もせず、何も出来ずに、呑気な花見客のようにそれをただ見上げている。


 水無瀬はついにクルードをはっきりと上回り始めた。

 今や彼女が優勢だと言っても過言ではないだろう。


 人間が独力で大悪魔を撃破する。

 それは通常ありえない出来事であり、俺の知識にある過去の偉人を含めたとしてもそんなことが可能なのは二人くらいしか心当たりがない。

 つまり、彼女はそんな伝説となるような偉業、それを今俺の目の前で達成しようとしている。


 確かに彼女は元々人間としては逸脱した存在の強度があり、そんな“魂の設計図アニマグラム”をしていた。

 だが、ここまでのことが出来るほどではなかったはずだ。

 だってそれは人間の範疇を超えてしまうから。


 それとも元々彼女の“魂の設計図アニマグラム”にはそれだけの性能があったのだろうか。

 それともそうではなかったのに、今ここでその力を手に入れるという奇跡を起こしたのか。


 わからない。

 俺には何もわからない。


 視えてはいてもそれを読み解けない。

 役立たずの魔眼と脳みそでは何も測ることが出来ない。


 もしもこれが人間には不可能なことであるなら、彼女は奇跡を起こしていることになり。

 もしもこれが彼女の“魂の設計図アニマグラム”に描かれている範疇のことであるなら、“魂の設計図アニマグラム”で規定される人間の範疇というものが間違っていたことになる。


 いずれの答えが出たとしても、俺が当然そうだと思い込んでいた何かしらの概念が破壊される。


 認めたくない。

 受け入れられない。

 いくらそう喚いたところで、目の前で実際に起こっていること以上の事実は存在しない。


 普段から得意げにそう嘯いているのは他ならぬ俺自身だ。

 ならば、この事実の前に膝を着きこうべを垂れなければならない。

 無様な敗北者として。


「マナーッ! がんばれーっ!」


 裏切者であったはずの少女が声援を送る。

 素直にその願いを口にしている。


 それに比べ、俺の心には陰鬱で鬱屈としたモノが渦巻いている。

 いくら忘れ、覆い隠し、気のせいだと見えないフリをしようとも――


 それが――

 これこそが俺という人間の本質なのだ。


 だが、裏腹に俺の心臓は鼓動する。

 心は否定しても、魂は震え、生命は高鳴る。


 クスリはとっくに切れてしまっているはずなのに。

 トクトクトク――と。

 彼女の姿を眼にして俺の中心が脈を打つ。


 傷つき倒れ、それでも立ち上がり困難に立ち向かう。

 そして奇跡を以て覆す。


 心臓が一つ打つ度に血は流れ魔力が生まれる。

 彼女が戦う姿を見ることで鼓動は速まる。

 ならば、今この身に生まれる力は、彼女から与えられたモノである。

 そういうことになる。


 不屈の心にて、自身だけでなく、他の者すらも強くする。


 それは物語に登場する英雄の姿そのものであり――


 そして本来俺がそうあるべきはずだった姿だ。


 不可能だと斬り捨て。

 無理だと諦め。

 俺には出来なかったこと。


 それを今、彼女は為そうとしている。






 愛苗の放った魔法弾をクルードは拳で弾こうとする。

 だが打ち付けた拳が逆に跳ね上げられ、がら空きになった顔面と胴体に他の魔法弾が直撃し、大悪魔は吹き飛ばされた。

 これまでとは違う、明確な力負けだ。


「ガッ――何故だ……ッ! ニンゲンが、ニンゲンのくせに……ッ!」

「人間だけど私は魔法少女です……!」


 今までとは逆に防戦するクルードを愛苗が追う。


「魔法少女なんて嘘だッ! そう言ってんだろうが……!」

「ウソじゃない! アニメだけど、でもウソなんかじゃないっ!」

「なんの話を……ッ!」


 魔法弾で牽制しそれを凌ぐために出来た隙に接近して、魔法のステッキに灯した魔法球でクルードを打つ。


「病院で……、心も身体も弱っちゃってた時に……! メロちゃんと一緒に観て、諦めない姿に勇気をもらった! その思い出はウソじゃない! プリメロは諦めなかった。あなたたちみたいに他の子をイジメる人をやっつけた! だから私も……!」

「そんなものがなんになる! 嘘の話だ! それにお前は仕組まれた魔法少女だ! ソイツじゃない!」

「くぅ――っ⁉」


 負けじと愛苗の盾にパンチを打ち付けるクルードに押し返される。しかし彼女はまたすぐに向かっていく。


「確かにプリメロはアニメで、現実には不思議も魔法もなくって……っ。本当なら奇跡なんて起こらない……!」

「そうだろうがッ!」

「だけど――私がここにいる……! 不思議も魔法もここにある……っ!」


 空中で激しく動き回り、言葉と魔法に魂をのせて衝突を繰り返す。


「それでも敵わなかっただろうが! どうせどいつもこいつも助からねェよ……ッ! テメェには出来ねェって折れかけたはずだッ!」

「泣いてる子がいて! その子を助けるために誰かが奇跡を起こさなきゃいけなくって……っ。その誰かがもしもどこにも居ないのなら――」

「もしもじゃねェッ! そんなヤツはいるわけねェッ!」

「――それなら! その奇跡を起こすのはきっと私なんだ! それが魔法少女で、私は魔法少女だから……っ!」


 お互い相打ちになり距離が空く。

 だがどちらもすぐにぶつかりに行った。


「だからそれは仕込みだって言ってんだろうが! オマエの近くに居たヤツは悪魔で! オマエを騙して! オマエを裏切ってた!」

「私はもう! 先に、助けてもらったから……! 不思議と魔法で奇跡を起こしてもらって、ホントは死んじゃうはずだったのに、メロちゃんに生命を助けてもらったから……っ!」

「そんなのは都合のいい捻じ曲げだ!」

「ちがうっ! だって……! それからずっと私の生命に、心臓に、不思議と魔法は宿ってる……! 今もトクトクトクって、動いてる! 絶対にウソなんかじゃないから、だから! 今度は私の番なんだ……っ!」

「ウガッ――⁉」


 肉薄し押し合いながら愛苗の身体を包むオーラが弾けるとクルードはたたらを踏む。

 その隙に愛苗は魔法弾を複数撃ち込んでクルードを地に叩き落とした。


「マ、マナぁ……っ」


 その強い姿に強い言葉にメロは心を打たれる。

 胸に刺さる罪悪感、それ以上の強さで彼女の勝利を願う。


「素晴らしい……」


 同じく戦況を見守っていたアスも感嘆する。


「ニンゲンがニンゲンのままで大悪魔を超えていこうとしている……! ありえないことだ。これは彼女が凄いのか、それとも“生まれ孵る卵リバースエンブリオ”の性能なのか……! 再現性はあるのか! やっぱり彼女だけが特別なのか! どっちです⁉ アナタは何者なのです……⁉」


 興奮気味に叫ばれるその問いの答えを持つ者はいない。

 もしも居るとしたらそれはきっと本人だけだ。



「クソが……ッ! こんな……こんなはずはねェ……! オレサマがニンゲンなんぞに……ッ!」


 地に落ちるとクルードは八つ当たりで地面をぶっ叩き立ち上がる。

 苛立ちで弾けたコンクリの破片が新たに湧き出てきたグールの躰を潰した。


 クルードの目玉がギョロリとそれを見る。

 そしてグールの群れの方へ向かっていくと、適当に捕まえた一体に齧りついた。


「寄こせ……ッ! テメェらを寄こせ! オレサマに喰わせろ……ッ!」


 手当たり次第に引き千切り噛み千切り他の魂を喰らっていく。


「やめてっ! そんなの強さじゃない! 他の子から無理矢理取っちゃっても強くなんてなれない!」

「誰に強さを語ってんだァッ!」

「強いっていうのは他の人を助けられることです!」

「ウルセェ――ッ!」


 激昂したクルードは上空の愛苗へ魔力砲を吐き出す。

 彼女は魔法の盾を使わず魔法のステッキを構えてそれを受け止め、そして数秒耐えた後に掻き消した。

 クルードはその光景に絶句する。


「……きっと世界には、前の私みたいに、無理だって……、出来ないって諦めちゃってる子は、たぶんいっぱいいる……」

「こ、こんな……、ありえねェ……」

「でも、世界にはみんなを助けるだけの不思議と魔法は足りなくって、起こせる奇跡はきっと全然足りてないから……、だから代わりに私が願うんだ……!」


 愛苗の身体を包む魔力オーラがさらに増大し、圧倒的な威容を以て下界を見下ろす。


「それが叶いますようにって――泣いてる子を見つけ出して、叶いますようにって、私が本気で願ってあげるんだ!」

「ク、クソが……ッ」

「きっとそれが私の魔法で……、そのために魔法は――私はここにいる……っ! それが私なんだ!」

「クソッタレがァァァ……ッ!」


 言葉にこめられた意思の強さ、それにも趨勢が見え始めた。


 クルードはバッと振り返る。


「モヤシヤロウ……ッ!」

「アハァ――いいです……よッ!」


 アスへ呼びかけると、黒スーツの優男然とした悪魔は壊れた笑みを浮かべ、そして握った手を“世界樹の杖セフィロツハイプ”の顔面に叩きつけた。


「――ギエエエエエェェェェェッ⁉」


 杖が耳を塞ぎたくなるような不快な絶叫をあげる。

 すると、クルードの背後の空間に裂け目が出来た。


「なんだ……?」


 弥堂は【根源を覗く魔眼ルートヴィジョン】でその裂け目を視て、眉間を歪ませる。


「フフフ、我々悪魔はアナタたちとは違って肉体――実体を持たない存在。なのにここに居る我々にはそれがある。それは何故でしょう?」

「……魂の穢れ」

「正解。よく知っていますね。肉体を持たないのではなく必要としていない。それがなくても生命を維持できる。ですが、普段棲息する場所ならともかく、こちら側ではそれだと少々不便でしてね……」

「自分の欠片、もしくは分体を受肉させて現界する」

「そのとおり!」


 アスが弥堂をビシッと指差すと同時に、空間の裂け目から何かが出てくる。


「な、なに……?」


 動揺する愛苗の見下ろす先で、“それ”がクルードの躰に纏わりついた。


 裂け目の中には色の無い世界。

 その世界からまず気配だけが近づいてきて、裂け目に近づくころには白い靄や煙のようになる。そして裂け目からこちらへ出てくると黒く変色してドロリとしたオイルのようになる。

 それらがクルードの元へ集まっていく。


「存在する全てのモノ、その素となるのが“霊子エーテル”。実在する、物質化するというのは、その霊子に多くの不純物を含むことになる。霊子と魔素、それだけで存在する。それが一番美しい。だから、我々にとって受肉とは魂の穢れなのです」

「だから自分の全てはこちら側へは持ってこない」

「そうです。特に己の最も重要で根幹となる“魔核”は絶対に。しかしそれは完全な自分ではなく全力を出せないことにもなります」

「要は形振り構っていられなくなったということか」


 黒の粘体がクルードの躰を包みその体積を広げていく。

 黒く大きな、巨大な巨大な獣の姿を形作っていく。


「アハハハハハ――大悪魔アンビー=クルード! “憧憬に吼える獣”……ッ! その本性がこの世に全て顕わになりますよ……ッ!」


 何がそんなに嬉しいのか、狂ったように歓喜の高笑いをアスはあげる。


 弥堂は空を見上げ、


『今の内に殺せ』


 そんな言葉を呑み込んだ。





 どんどんと巨大化していくクルードの前に、愛苗は動かない。

 完全な姿に成るというのなら、その前に仕留めるのが効率的なはずだ。


 しかし、彼女はそれを待つ。

 全てを受け止める気だ。


 愛苗は目を瞑って手に握る魔法のステッキに意識を遣る。

 スーハー、スーハーと、深呼吸をしてギュッとその手に何かをこめる。

 すると、ステッキは槍のような長い杖に形状を変化させた。

 ボラフとの決戦時にも見せた形状だ。


「水の無い世界に愛の花を――」


 その杖を振って下ろし、呪文のような祈りのようなものを口にした。


 少女のその願いが『世界』を変える――








――ホームセンター。


 ゾンビの居なくなったその場所は少しの落ち着きを取り戻してきていた。


「あ、あの、お兄さん……? 女性と子供の乗り込み終わりました……!」


 先程の女性店員が戻って来て床に座り込むモッちゃんにそう声をかけた。

 しかしモッちゃんは呆けたように反応しない。


「あ、あの、お兄さん……? もしかしてどこかケガを……?」

「あ……? あぁ、そういうんじゃあねェ……、ワリィ……」


 もう一度、年上のはずの女性からそう呼ばれて肩に触れられると、モッちゃんはようやく彼女の方を向く。


「トラックの出発準備出来ましたけど、その、どうしますか……?」


 そう問われてモッちゃんは少し考える。

 この場の見える範囲にゾンビはいない。何が起こったかはわからないが全滅したようだ。

 そう考えるともう女性や子供を別で逃がす必要はないと思えたが、しかしこの後また新手が出てこないとも限らない。


 じゃあとりあえず逃がしておけばいいのだが、外や他の場所が現在どうなっているかも確認出来ていない。


 問題となるものはこのように色々とあるのだが、しかしそれとは別に、何故だかモッちゃんの心には何か引っかかるものがあった。

 そのようにして悩んでいると――


「――モっちゃん!」


 サトルくんが声をかけてくる。


「アン? どした?」

「外見てみろよ! 駐車場に居たゾンビどもも綺麗さっぱりだぜ!」

「マジかよ……」


 入り口でバリケート代わりにしていた商品棚。その一部の倒された場所から外を覗き見る。

 するとサトルくんの言う通り外にも見える範囲でゾンビは居ない様だった。


「ほ、ほんとにあれで全滅したのか……? もうオレら助かったってこ――ん? あれは……?」

「どうした、モッちゃん? ま、まさかまだ……」


 外を見ていたモッちゃんが何かに気付いたように固まる。

 その様子にサトルくんだけでなく、周囲にいた彼らの仲間や、協力していた一般男性たちも不安になり、皆で外を恐る恐る覗き見る。


「え……? なに、あれ……?」

「花……?」


 すると彼らの目に飛び込んできたのはちょっとした花畑だ。

 アスファルトで全面舗装されていたはずの駐車場のそこらで小さな花が咲いている。


「――うおっしゃあああっ!」

「モっちゃん⁉」


 全員でその不思議な光景に茫然としていると、突然気合の叫びをあげたモッちゃんが入り口を塞ぐ商品棚を派手に引き倒し始めた。


「ちょ、ちょっとキミ……⁉」

「ど、どうしたんだよモっちゃん⁉」

「うるせェ! テメェら行くぞ!」

「行くってどこに⁉」

「うおおおおっ……!」


 戸惑う仲間や協力者たちを置き去りにモッちゃんは外へ走り出した。

 彼らは慌ててその後を追う。


 駐車場の真ん中あたりまで来たモッちゃんは、キョロキョロと周囲を見回している。


「モッちゃん何してんだ⁉」
「外でどうしようってんだよ⁉」

「なにって、そんなの“応援”に決まってんだろ!」

「えっ?」


 急に様子のおかしくなった彼の言葉に誰もが首を傾げ怪訝な顔をした。


「オ、オイ、サトル……、もしかしてモッちゃんゾンビに噛まれてイカレちまったんじゃ……?」

「そんな⁉ そんなのオレやだよ……!」

「ちげえよバカ野郎!」


 失礼なことをいう仲間たちにモッちゃんは怒りを露わにする。


「だってよぅ、モッちゃん」
「オレら意味わかんねェんだよ」

「だから応援だって言ってんだろ。いいから他のオッサンたちも呼んで来いよ。全員で応援だ」


 やはり彼らは首を傾げてしまう。

 モッちゃんは彼らに構わずにまた周囲を見回す。


「だいたいよ、誰を応援するってんだ?」

「そんなの知るかよ」

「え?」


 モッちゃん自身にも明確な答えはなかった。


「キミたち! 急にどうしたんだ? ここに居たら危ないかもしれない。早くどこかへ逃げ――」

「――逃げる必要はねェ! もう大丈夫だ!」

「え?」


 しかし彼はそう言い切る。

 彼らを追ってきた一般男性たちも戸惑いを露わにするが、しかしそれでもモッちゃんの中には確信めいたものがあるのだ。


「こういう時には応援すんだ! 多分オレらは助けられた。誰かに。それが誰かわっかんねーけどよ、でもよ、オレらがソイツを応援して借りを返すんだ!」

「キ、キミ、一体なにを言って……」

「オレにもわかんねーけど、そんな気がすんだよ! オメェらはそんな気しねェか⁉」


 モッちゃんは仲間たちにそう問う。

 彼ら三人は顏を見合わせるが、困ったような表情だ。


「そ、そう言われてもなァ……」
「モッちゃんが言うんならそうかもしんねェけど、オマエわかるか?」
「……オレわかるぜ!」


 だが、サトルくんには何か通じるものがあるようだ。

 サトルくんはモッちゃんの横に並ぶ。


「モッちゃん!」

「おぉ、サトルおめぇ“どっちか”わかるか?」

「モッちゃん、たぶん“あっち”だぜ……!」


 サトルくんが指差した方角は港の方だ。


「あっちにビトーくんが行っただろ? だから多分あっちだ!」

「サトルぅ、オメェ頭いいな!」

「へへっ、オレ小3まで算数トクイだったからよ……っ」


 嬉しそうに笑うモッちゃんと、照れ臭そうに鼻の下を擦るサトルくんの姿を見て、他の二人の仲間もハッとした。


「さ、算数がどう関係……って、あっ⁉」


 困惑する女性店員の横にいた二人もモッちゃんたちの方へ駆けだした。


「モッちゃん! オレもなんかわかった気がするぜ!」
「おぉ! 応援しなきゃ男じゃねェよな!」

「ヘッ、やるじゃねェかオメェら!」

「みんな! あっちの方だぜ!」


 仲間内で何かしら共有した彼らは港の方の空へ向けて一斉に両手を上げて声を張り上げ始める。


「がんばれー!」
「まけんなー!」
「きあいだー!」
「ぶっとばせ!」


 周囲の一般の大人たちはそれをポカーンと見ていた。

 すると――


「オイ! オッサンたちもやれよ!」

「え?」


 倣うように求められる。


「オトナのくせに借りも返せねェのか!」
「すぐ通報すっくせによ!」
「ダッセェ社会の歯車がよ!」
「やんねェんなら金寄こせよ!」


 逡巡していると青二才どもに好き勝手に罵倒され、さすがに彼らもムッとする。


「わかったよ! やればいいんだろ!」
「何をしろって!」

「だから応援だって!」
「あっちの方にな!」

「キミたちは誰を応援してるんだ?」
「あっちになにが?」

「知らねェよ! そんなもん!」
「誰とか別にどうでもよくね?」

「……若いっていいな」
「クソッ! がんばれー!」

「オイ、ネエチャン! もうついでだ。トラックに積んだ女子供も連れてこい! 全員で応援すんだよ!」

「えぇ⁉」


 びっくりする女性店員を尻目に、夕闇迫る空に野太い男の応援の声が響き始めた。




――下町居酒屋。



「こ、これ大丈夫ですよね? 花からゾンビ生まれたりしないですよね……?」


 リチウムの床から生えてきた不自然な植物に警戒を露わにしたバニーさんが、マサルくんを盾にしながらジロジロと見ている。

 肉壁にされている格好のマサルくんだが、バニーおっぱいが背中に押し付けられている為に満更でもなさそうだった。


 そんな彼女へ華蓮さんは呆れた目を向ける。


「なによゾンビが生まれるって……。植物からなんで人間の死体の化け物が生まれるの? どんな世界観よ……」

「そこはほら! 花粉がバフンって噴き出てそれを浴びたらピコンって頭から花が生えてゾンビになっちゃう……とか?」

「頭おかしくなるようなこと言わないでちょうだい……。だいたいさっきのゾンビにだって花なんか生えてなかったで……、しょ……?」

「……? どうかしました? 華蓮さん?」


 話しながらふと、華蓮さんは外へ顔を向けた。


「……いえ、なんか……、声が聴こえた気がして」


 誰も居ない外を見ながら、揃って首を傾げた――






「――アニキィ! この花どもどうします⁉ ひっこぬきますか⁉」


 皐月邸前。


 ここでもゾンビの居なくなった通りに花が咲いていた。

 ゾンビが居た場所、ピンク色の光が落ちた場所にそれが咲いているようにも見えた。


「アァ? 明日にせぇ。明日の日曜はボランティアの日じゃあ。雑草ごと引っこ抜いてワシらが地域密着型の暴力団だとカタギさんたちにアピールすんのよ」

「暴力団だとアピールしたら逮捕だって言ってんだろうが。いい加減覚えろよタツぅ」


 屋敷の前の通りで組員たちに指示を出すアニキに山さんは呆れた目を向けた。


「それよりオメェらこれからどうすんのよ?」

「ヘッ、決まってらァ――」


 警官からの問いにアニキはニヤッと笑うと、アスファルトにドカッと腰を下ろした。


「オイ、テメェら! 酒持ってこんかい!」

「ヘイ、アニキ!」


 そして舎弟に命令をする。

 山本巡査長は顔を顰めた。


「オメェ往来で酒盛りする気か?」

「アタボーよ! 祝勝会じゃあ。共闘記念に一杯付き合ってけや。ちょうど花も満開みてェじゃし、花見と洒落こもうぜ!」


 屈託のない笑顔で警官に飲酒を勧める中年男性に山さんは嘆息した。


「バカ野郎、ワシら勤務中じゃあ。他の場所も気になるしの。それに――」

「アン?」

「むさ苦しいヤロウどもでこんなちっちゃな花を囲んで見下ろす花見があるかァ。花見っちゅーんは地べたから見上げて空と一緒に眺めるモンじゃ。粋ってモンがわかってねェのぅ。これだからヤクザモンは……」

「ハッ――」


 小馬鹿にするような物言いにアニキは鼻で哂った。


「山さんよぅ、わかってねェのはアンタだよ」

「アァ?」

「花なら上にも咲いてんだろ? 綺麗な桜がよ」

「あん?」


 アニキが指差す空を見れば、そこにはキラキラと輝く桜色の花びら。

 それに見間違うようなピンクの輝き。

 まるで満開の桜の木の下に居るように、頭上で咲き乱れ、花びらが落ちるように或いは舞い散り、或いは降り注ぎ、寂れたヤクザ者の邸宅前を彩っていた――









 水無瀬 愛苗が何者であるか――


 未だ何者でもなく、そして一生何者にも為れないまま死んでいく俺のようなクズがそれを語るのは非常に烏滸がましいことだ。


 では、彼女自身は自分のことを何者だと思っているのだろう。



 一般的な話をすると、人はまず父と母の間に生まれ、家の中でその二人と過ごすことから始まる。

 そうして父母を目に映して、自分がそれらと同じ動物――ニンゲンであると知る。

 それから父母と自分の同じところ、違うところを知り、大人と子供、そして性別、それらを知り、自分がどちらであるかを知る。


 その頃には外にも出るようになり、公園で、幼稚園・保育園などで、自分と歳の近い別個体を目にする。

 そしてそれらの個体と自分の相同点と相違点を知る。

 それでさらに自分が出来上がる。

 他人との差異が己に為るのだ。


 恐らくそういったことを繰り返して、人間の人格が一端の完成をするのが社会に出る一歩前くらいなのだろう。

 故に、小学校、中学校、高校といった時期は人間が何者かになるために最も大事な時期だと謂える。


 学校というコミュニティに所属し、多くの者と出遭う。

 その出遭う全ての他人はサンプルだ。


 人間というモノに何が出来るのか。

 人間というモノが何をするのか。

 それらを見定め見比べ見限る。


 そのデータを基にして、自分がやがてどういった人間になるのか、なれるのか、或いはなるべきではないのかを決める。


 だが、それを盛んに行うべき時間を病室でほぼ一人きりで過ごしてしまった水無瀬 愛苗には、そのデータが無い。


 彼女はおそらく生まれつき心臓が弱かった。

 俺が入手した情報と彼女が語っていた内容によれば、小学校に上がって程なくして入院することになり、それが中学を卒業する直前近くまで続いた。

 彼女の人間に関する情報サンプル量は小学生とほぼ変わらない。

 大袈裟な言い方をすれば、身体だけ高校生に成長し、心はまだ小学生のままなのだ。


 水無瀬は同年代の他の学生に比べて、背が小さいことはともかく、その心――精神性、社会性、情緒など、そういったものが極端に幼い。

 不自然なほどに幼いと俺はずっと感じていた。

 そう考えているのが俺だけでない証拠として、希咲 七海の水無瀬に対するあの過保護具合が挙げられる

 あれはきっと彼女もそう感じているからこそのものだったのだろう。


 今だから言えることではあるが、水無瀬の幼さはこれらが原因なのだろう。

 証拠という程ではないが、そのソースとなるものはある。

 それは俺自身だ。


 自分という人格を形成するのに大事な学生時代を、日本の一般的な学生たちとは全く異なった別の環境で過ごせば、普通でない人間が出来上がる。

 それは俺自身が身を以てそうだと云えることである。


 俺のことはともかく。


 そういうわけだから、水無瀬は人間を知らない。

 だから人間の悪意も知らない。

 だからこそ、彼女は全ての他人を好意的に見ることが出来るのだろう。


 中学生にもなれば一定数は人の悪意に接する機会があるが、水無瀬にはその経験がなかった為に悪意を発想出来ないのだ。


 彼女は人間の悪意を知らない。

 そして、人間の限界も知らない。


 普通は最も優れた人間を知って、人間という種の限界を知る。

 自分よりほんの僅かに優れた人間を知って、自分という人間の出来ないことを知る。

 その自分の出来ないことを出来ることにすることを諦めた時に、自分の限界を知る。


 それらを知る機会に恵まれなかった彼女は人間の限界を知らず、同時に自分の限界も知らない。

 だって未だ自分が何者であるかを知らないのだから。


 だから彼女は出来ると信じる。

 人間には無限の可能性があり、それが自分に出来ると信じることが出来る。


 そして彼女にはそれを叶える為のスペシャルがある。


 願いを叶える“加護ライセンス”。


 悪魔どもが彼女へ魔法を与えたことで、彼女の発揮することの出来なかったその“加護ライセンス”がフルスペックで解放された。


 彼女には不屈の心がある。

 彼女には無限の願いがある。

 そして奇しくもそれに応えるだけのポテンシャルが“魂の設計図アニマグラム”にあった。


 水無瀬 愛苗の妄想を信仰を正義を善心を全力でこの『世界』に具現化するための魔法がある。

 それを扱える魂の輝きが彼女にはあった。

『世界』がそれを彼女に許した。


 だが、『世界』が彼女をそうデザインしたのかどうか――

 そう言い切れるだけの自信は今の俺には無い。


 しかし、少なくとも彼女は自分でそれを選んだ。

 自分が“そう”為ることを――


 それは彼女が今、何者かに為ったということだ。


 最強の魔法少女に――








 巨大化したクルードが地で伏せ身を撓めている。

 もうじきその変貌は完成を遂げるだろう。


 クルードが何をする気か、愛苗にはわかっていた。


 正面からの突撃。


 月に吼える四つ足の獣のように鋭い目を愛苗へ向けている。


 それに対して自分がどうするか、それはもう決まっている。


「――逃げちゃだめ」


 自分も正面からそれにぶつかり、そして打ち勝つ。

 考え方も在り方も、生物としての種類から何もかも違う相手。

 きっとそうしなければわかってはもらえないと、そう感じていた。


 そのためには――


「――まっすぐ……、はやく……、つよく……っ!」


 そう強く願う。


 すると胸の青い宝石が輝きを放ち、彼女の姿を光が包む。

 その瞬きが終わると、彼女のコスチュームが変化した。


「アサルトフォーム――!」


 まるでドレスのような豪奢さもあり、騎士のような荘厳さもあるコスチューム。彼女の身から溢れる魔力にフィッシュテールスカートが風に揺れた。


 ほぼ同時にクルードの変体が終わる。

 港に泊まっているフェリー船よりも大きな獣が空へ吠えた。


「オレサマはアンビー=クルード! 魔王になる獣の王だッ!」

「魔法少女ステラ・フィオーレ! あなたたちの野望を止めてみんなを笑顔にします!」


 互いに己が何者であるかを名乗る。


 あとはその我をぶつけ合うだけだ。


「グゥオオオオオォォォォ……ッ!」


 大きく一吠えしてクルードが宙を駆け昇る。

 巨大な躰に赤い魔力を纏わせ上空の愛苗へと突っ込んでくる。


 愛苗は槍のようなロッドの先端をクルードへと向けた。

 大きく息を吸ってゆっくりと吐く。

 爆発するような魔力オーラが周囲に拡がった。


「よーい……どんっ!」


 元気いっぱいのかけ声とともに、魔力で出来た翼をたなびかせて彼女も突撃を敢行した。


 宙空で二人はぶつかり合う。


 獣の鼻先に小さな槍を突き立てる。

 その間にはお互いの魔力による障壁のようなものがあり、激しく波紋が広がり放電のような現象まで起きていた。

 衝撃の余波は地上にまで届き、コンクリが捲れあがっていく。


「う、うわーっ⁉」


 自身も飛ばされないように踏ん張りながら、バランスを崩したメロの首根っこを摑まえると弥堂たちの周囲に銀色の障壁が出来上がる。

 視線を横に向けると地面に突き立った“世界樹の杖セフィロツハイプ”を握るアスが。


「龍脈の魔力も使っての全力防御です。これでも足りなかったら諦めてください」


 薄い笑みを浮かべた横顔に汗が落ちる。


 弥堂は何も言わず、勝負の行方へ眼を向けた。



「――ぅぅぅぅぅっ……!」

「ぶっとべェェェェッ!」


 それは質量の差なのか、それとも悪魔としての本性を全て顕わにしたクルードとの実力差なのか――

 圧しあいはクルードが優勢だ。


 地面へ向かって翔んできた愛苗は空へと押し返されている。


「アタリメエだ! これが悪魔だッ! これがオレサマだ……ッ!」

「こんなのじゃ、まだ……! 私だって! まだまだあ……っ!」


 ブースターを噴かすように愛苗の背後に魔力が噴射される。

 すると僅かに空へと上がる速度が落ちた。


 ロッドを突き立てるのは獣の鼻。その少し奥にある爛々と赤く輝く血に飢えた二つの巨大な目玉が愛苗を睨みつける。


「もう諦めろッ! それがニンゲンの限界だ……ッ!」

「そんなことないっ!」


 愛苗は即座に吠え返した。


「これくらいじゃプリメロなら負けない! だから、私も絶対に諦めない……っ!」

「その先に何がある⁉ 言っただろ! 頑張っても誰もオマエを見ない! 誰もオマエを知ることはないッ!」

「私が! がんばれば――!」


 ギュッと小さな手で強くロッドを握る。

 身の裡で湧き上がる無限の想いをこめ、願いをこめ、魔力をこめる。


「――私ががんばれば……、私はもう帰れないけど、お父さんとお母さんは、明日からもしあわせにお花屋さんをして、生きていける……!」


 それを表現する言葉を――魔法を吐き出す。


「私が負けちゃったら……! 弥堂くんも、みんなも、もう学校に行けなくなっちゃって、お家にも帰れなくなっちゃう……っ!」

「ウ――ッ⁉ な、なんだ……ッ⁉」


 愛苗の圧し返すチカラが上がり空中で二人は止まる。

 上にも下にも動くことは出来ず均衡した。


「メロちゃんはあなたたちにイジメられて、ずっと泣いちゃったまま……! そんなのヤダから……! だから、絶対に諦めたりなんかしない!」

「コ、コイツ……⁉ ウオオォォッ!」


 そして徐々にクルードの方が圧され始める。


「それに、ななみちゃんだって!」


 クルードは必死に魔力を使い抵抗する。

 もはや言い返すだけの余裕はない。


「今は旅行してて街にいないけど! でも、何日かして帰ってきて、その時に、お家も、家族も、学校も全部失くなっちゃってたら……! 私みたいになっちゃったらっ!」


 クルードの巨体が下へ下がり始める。

 そして愛苗のロッドと接する場所から伝播するようにして、まるでハリボテが崩れて剥がれるように黒い獣の躰が壊れ始めた。


「そんなのかわいそうだから……! ななみちゃんが泣いちゃうから、そんなの絶対にダメッ!」

「バカなバカなバカなッ! こんなバカなアアァァッ!」


 愛苗の方ももはやクルードと話してはいない。

 ここには居ない、ここではないどこかへ向けてきっと言葉を叫んでいる。


「きっとななみちゃんは、もう私のことは忘れちゃってて……、私はもうななみちゃんの知らない子で……、でも、だから……、きっと……っ! 私が失くなっちゃっても、ななみちゃんは泣かない……! 悲しませないで済む! それなら――!」


 愛苗の放つ魔力がさらに増大する。


「――それなら、私はがんばれるっ!」


 爆発するようにピンク色の輝きを放つと、抉って掘り進めるようにしてクルードの巨体を崩しながら前に進み始めた。


「グアアアアッ! クソッタレがアァァッ!」


 彼女の攻勢に対してクルードも抗う。

 己の全てを絞り出すようにして、自分よりも強い者の前で己の魂を固め、必死に抗い覆すことに挑む。


 だが、それすらも愛苗は上回る。


 彼女の存在の強度、魂の格、“魂の設計図アニマグラム”はクルードのそれを凌駕した。


「お父さんもお母さんも、弥堂くんもメロちゃんも、ななみちゃんも……! みんな、世界中のみんなみんなみんな……! 私が守る! 守れるんだ……っ! だから――」


 そして再び彼女の想いはクルードへ向いた。


「――だからっ! 絶対に、負けてなんてあげないんだからああぁぁっぁあっ!」

「グオォォォォ……ッ!」


 そして遂にクルードの抵抗を打ち破り、黒い獣の躰を粉々に砕きながらその中心へと貫いた。

 毛皮の剥がれたその中心で元の人間に近いカタチのクルードと邂逅する。


 迷わず振り回してきたクルードの拳に愛苗はロッドの先端を構えたまま突っ込んだ。


「オレは……、オレサマは魔王に……ッ!」

「ラークーリーマー……、バスタアァァァーーッ!」


 ぶつかり拮抗するタイミングに合わせ、ゼロ距離でLacrymaラクリマ BASTAバスターを発射する。

 クルードがそれに抗おうとした一瞬――視線が交錯した。



「ステラ・フィオーレェェェッ!」

「スーパァーーーーッ!」


 怨嗟の叫びごと魔力砲が呑み込んで地面へと叩き落とす。


「ガァ――ッ⁉」


 背中から落ちたことは悪魔の躰には強い影響はないが、深刻な魔力ダメージを受けてクルードの視界は弾けた。

 だが、そこはさすがの獣の王。

 酩酊したような意識を無理矢理繋ぎ止め、よろめきながらもすぐに立ち上がろうとする。


「ク、クソ……! コロス! 殺してやる……ッ! オレサマは――な、なんだッ⁉」


 だが、立ち上がろうとする彼の近くに咲いていた花たちから蔓のような光が伸びてきてクルードを拘束し始めた。


「ガァ! 放せッ! ふん縛って拘束してそれで勝とうって気か⁉ そんなのは認めねェッ! 解けッ! 解いてオレサマと戦え! まだ――」


 そんな生温い決着は認めないとクルードは藻掻きながら怒りの目を空へと向ける。

 そして――


「は……?」


――目にしたあまりの光景に彼は動きを止めた。




 そこにあるのは太陽。

 小さな太陽。

 しかし生物として見上げるにはあまりに巨大な星。

 太陽と見紛うような圧倒的な光の塊だ。


 ピンク色の魔力で形成されたその星の下に居るのは――


 魔法少女ステラ・フィオーレ――水無瀬 愛苗だ。


 彼女が天へと構えるロッドの上、そこにピンクの星が輝いている。


 先程美景市中へ光の雨を降らせた光の魔法球。

 クルードとの激戦の陰で、それがここまで大きく膨れ上がっていた。


 空に星を生み出した少女は静かに願う。

 世界中にその声を届けるように。


「おねがい……、みんなの『願い』を、私に聞かせて……」


 その呟きとともに、地面からポンッポンッと芽が飛び出てお花が咲く。

 いくつもいくつも花が咲き、殺伐とした戦場一面がお花畑となった。

 それらが咲く場所は先ほどの光の雨が降った場所。


 ということは当然、この現象はこの港だけで起きているわけでなく――







――再び下町の居酒屋。


「華蓮さん、声ってなんです? 電波ちゃんキャラは似合わないですよ?」


 マキさんの煽りに眉を顰めながらも華蓮さんは相手にしないようにして耳を澄ませる。


「ほら? なんか聴こえない?」

「え……?」


 戸惑いながらも他の者も彼女に倣うと――


「――あ……、ホントだ。なにか聴こえる……、でも、なんて言ってるかわかんない……」

「なんだろ……? えっと、『願い』……?」


 それは声ではなく、言葉でもない。

 だけど“彼女”の意思は人々に伝わった。


「ふむ。願いというと、売り上げ利益アップですかね」

「バカね。そういうのじゃないでしょ」


 俗物的な願いを口にする黒瀬に華蓮さんとマキさんは呆れた目を向ける。

 しかし、すぐにその目を閉じて大地に咲き乱れる花と、周囲にキラキラと漂う桜の花びらのような輝きに願いをこめた。


「こんなワケのわからないこと早く終わりますように――」


 その願いに頷くようにピンクの粒子が瞬くと風にのって空へと昇っていった。




――皐月邸前。


「アニキィ! 『願い』ってなんです⁉ 新田のアニキの刑期が短くなりますように……ですかね⁉」


 子分の訴えを辰のアニキは鼻で笑った。


「アホゥ、アイツは無期やから多少縮んでも寿命まで出てこれんわ。そうやないやろ」


 酒の入った杯を傾け桜に向かって酒飲み噺を語りかける。


「こないなことしでかしたアホタレから、きっちりケジメとってこんかい――」


 ギラついたその目にピンクの光はプルプルと震えて空へ舞った。






――美景台学園。


「――う、“うきこ”だいじょうぶか⁉ 何があったんだ⁉」

「……わかんない。光がいっぱい降ってきて屍人が消えた。私には当たらなかったからだいじょうぶ……」


 突然起こった謎の現象に彼女たちも動揺を隠しきれなかった。


「屍人は全滅したのか?」

「最初に居たヤツらは。でも、まだ川から出て来てる」


 国道の向こう側からはゆっくりと新手が向かってくる。

 僅かばかりの小休止だ。


「それにしても……、誰かの魔術――じゃねぇよな……?」

「わかんないけど……、ん? これは――」


 その時、“うきこ”の鼻がクンクンと動いた。

 ジッと足元を埋め尽くすお花を見る。


「これは……、マナ……? そう……、ん。ふぁいと」

「え? なに? なにか言ったか?」

「“まきえ”はだめ。全然わかってない。今すぐマナを応援するべき」

「は? なんでマナが」

「マナが応援して欲しいって言ってる。早くして、ざこ」

「え? え? えっと……、が、がんばれー!」


 慌ててそれを口にする彼女に“うきこ”は念話ごしに溜息を聞かせた。


「ぜんぜんだめ。“まきえ”はやっぱりバカ。そしてざこ」

「な、なんだよぉ。なんて言えばいいんだよ……」

「“ようしきび”というものがある。ネットで見た」

「なんだよ? 教えてくれよ」

「こういう時はこう言うの――」


 “うきこ”がそれを口にするのと同時に、学園裏手の山から一層強い風が吹き下ろされた。

 その風は学園の敷地に侵入し、校舎を通り抜け、並木道に咲き乱れる桜の花びらと、正門前の無数のピンク色の光の粒子を連れて海へと向かった。




――県道沿いホームセンター。


「がんばれー!」
「がんばれー!」


 そこの駐車場では多くの人々が空へと向かって怒鳴り声を上げていた。

 本日は土曜日ということもあり家族連れの客が多かったようで、大人と子供、男女が入り混じって、ほとんどの者が半ばヤケクソ気味に港の方へ怒鳴り声をあげている。


「あーーッ! だからちげェって言ってんだろッ!」


 そんな彼らを扇動し指導しているのはモっちゃんだ。

 出来の悪いメンバーたちのパフォーマンスに怒りを露わにする。


「ちゃんと教えたとおりにやれよ! ガキどもの方がちゃんとやってんじゃねェか!」

「えへへー、おにいちゃんお花いっぱいでキレイだねっ」

「おうよ! オトナはコイツら見習え。いいか? 合図で合わせるぞ?」

「はーい!」


 お子様たちは楽しそうに返事をする。

 大人たちはイヤイヤながらも、やらなきゃ終わらないと渋々従った。

 早く終わって欲しいという願いがあった。


「いくぞー! せーのっ!」


 モっちゃんの合図にみんなが続く。


『がんばえーっ!』


 人々の声が、想いが合わさり、その願いが魔法少女へと届く――





――ドクンと、『世界』を震わせるような心臓の鼓動が水無瀬から伝わった。


 同時に彼女が掲げる星のように巨大な魔法球がさらにその威容を増す。


「マナぁーッ! がんばれー! 負けるなァ!」


 隣でメロが必死に声援を送っている。


「ジブンまだちゃんと謝ってない……! それにこれからもずっとみんなと一緒に居たい……ッ!」


 その願いに応えてポンっと足元で花が咲き、ピンク色の光の粒子がいくつも上空の水無瀬へと流れていく。



「――ヒャハハハハッハアッ! 素晴らしい! なんてチカラ! なんて発想……ッ! 広域に渡って自身の魔素を撒き散らし、他の魔素を浚って、人々の想念すら拾い上げて、搔き集め! 再び自分のチカラに! さらなるチカラに昇華する……! 知らない! 知らない現象、知らない知識ッ! こんなの見たことも聞いたことも無い!」


 狂ったように興奮したアスが耳障りな講釈を垂れ流している。


「これは王だ……! 他者を統べて従わせ、それをチカラにする……! 相応しい。誰よりも王に! アナタこそ我々の王だ! どうか新たな魔王に……!」


 敵であるはずのアスさえ彼女に願い、そしてその願いすら吸い上げ、彼女のチカラは増す。


 俺の足元にも一輪の花。


 俺の願いは――






 意味のわからないほどの愛苗のチカラに、今もなお増大するそのチカラの前にクルードは――


――なにもしなかった。


 呆けたように空を埋め尽くしているとさえ錯覚するような破滅を見上げている。


 圧倒的な――

 自身と比べることすら烏滸がましいほどの超越した格上――

 そんな存在の前では動くことすら許されない。


 それもまた獣の本能――




「――渇いた地に咲いた花……、小さな希望……! 星よ、照らして……っ!」


 愛苗の胸に飾られた宝石“Blue Wish”の中の花が大きく開く。

 それとリンクするように彼女の背後に魔力で表現された大きな花が咲き誇った。


 下界――クルードへ向けてロッドを振り下ろす。


「【星明りの下で咲く花スターライト・フィオーレ】ッ!」


 その叫びに応えて空で強く輝く大きな星から巨大な破壊光線が放たれた。

 埠頭全てを呑み込むほどの広範囲極大威力の殲滅魔法だ。


 星そのものが落ちてくるような危機的状況に、魔法で拘束されたままのクルードはやはり動けなかった。

 その立ち姿はどこか痩せたように枯れたように映った。


「反省してごめんなさいして、それからお友達になりましょう――!」

「なんだそりゃ……」


 呆然と見上げてクルードはヘラっと笑った。


 逃げることも抵抗することも考えられない大きな光の柱が港をピンク色に染めた。


「――dellaデッラ distruzioneディストゥルツィオーネッッ!」


 10秒ほど続いたその超越的な光の照射は愛苗の叫びに合わせて大爆発を起こす。

 世界の全てを焼き尽くすかのような、神の怒りのような、そのチカラの顕現は何もかもを破壊し尽くす。

 そしてあまりの威力に結界までもが弾けて消えた。


 その現象の後には何も残らない――


――かと思ったら、キノコ雲代わりに巨大な魔力で描かれたピンクのお花を花火のように一瞬空へと打ち上げる冗談のような光景が起きて。

 そして結界が無くなったことで、元通りの埠頭の風景がそこにはあった。


 クルードもグールもそこには影も形もない。


 魔法少女ステラ・フィオーレ――


 彼女の完全勝利で決着はついた。


『世界』から集めた願いと魔力は、キラキラと輝いてまた『世界』へと還っていく。


 それらを統べる者――という意味でなら、アスの言った通り彼女こそがその名に相応しいと。


 キラキラと輝く空に居る彼女の姿を、見上げながら弥堂はぼんやりとそんなことを考えた。


 あまりの大威力の魔法に巻き込まれて自分たちも死ぬのではと思ったが、トクントクンと――確かな鼓動を彼の心臓は打っていた。


 枯れて痩せて罅割れた大地に落ちた水が染みて何かが芽吹いた。


 そこからもしも咲く花があるのならば、その花の色は――
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