俺は普通の高校生なので、

雨ノ千雨

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1章 魔法少女とは出逢わない

1章44 Lacryma BASTA! ⑤

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 戦場の張り詰めた空気が、水の潰れる細かい音で湿る。


 メロとボラフは唖然と口を開けて、その音を聴いていた。


 ずっと意識がないと、下手をしたらもう死んでいる可能性すらあると思われていた弥堂の復活――そのことに驚いたわけではない。


――っちゅ……、ぴちゅっ……、ぷちゅっ……、と粘り気を帯びた液体の弾ける音。


 その音の発生源となっている男の所業に口をあんぐりと開けたまま、視線を釘付けにされていた。



 後頭部を掴んで強く自分の方へと引き寄せる。

 指と指の間を流れる髪の手触りは意外に悪くない。


 グッと唇を押し付ける。

 一部は腫れあがり、また一部は捲れて垂れさがっている女の唇は、こちらがそう促さなくとも隙間だらけで、歯列に唇を合わせるような恰好となった。

 しかし、容易に咥内に侵入することができたので、好都合だと弥堂は考えた。

 次は舌を使う。


「ななななな、なにやってんだテメェーーーッ⁉」


 堪えかねたボラフが抗議の声をあげる。


「おおおおお、オマエッ……! オマエふざけんなぁーッス!」


 メロも同様に怒りを叫んだ。


「弥堂くんっ!」


 水無瀬さんだけは歓喜の声をあげた。



 巨大な化け物に生身で殴りかかり、あっさりと飲み込まれて死んだか死にかけていたかと思ったら、目が覚めるなり手近にいた女に問答無用で濃厚なベロチューをかまし始めたニンゲンのオスに二人は怒り心頭の様子だ。

 いくら見た目はニンゲンに近いとはいえ化け物の躰の一部に性的な行為を働くその圧倒的雄度に人外たちはドン引きしていた。


 極めて真っ当な注意を受けた形だが、悪の幹部やネコ妖精よりも人間社会の公序良俗に対して理解の薄い男が耳を傾けることはない。

 ただ行為を続けている。


「オイッ! オイって! こっち見ろよこのヤロウッ!」

「テメェ! マジでいい加減にしとけよッス!」


 なおもしつこく呼びかけられ、息継ぎがてらに唇を離した弥堂はここでようやくチラリと視線だけを向ける。

 しかし一瞥だけしてすぐにまたキスを再開した。


 それを見た人外二匹はさらに抗議を強めるが、弥堂はもはや聞いてはいない。

 状況がよくわかっていない水無瀬さんだけは弥堂の様子をぽへーっと見ていた――かのように思われたがそんなことはなく、「むむ……っ」と眉根を寄せて彼女にしては珍しい表情を作った。


 唇をあてて舌で撫ぜる。


 先程は水中で肉塊の方の顏にキスをされたのだが、今キスをしている方の顏はあちらと違って酷い火傷で唇が破損している。

 かつての保護者に教わった手順通りに口づけをしても、それで得られるのは快感ではなく痛みなのではと考え、手順を省略することにした。


 とりあえずで、おざなりに歯列と歯茎を舐めてやってから舌を中へ進入させる。


 唇が壊れているため、自分の唇で覆って呼吸を妨げるのは難しいなと考えていたが、特にこちらが何もしなくても勝手に相手が応えてくる。

 先程は弥堂の突然の行動に驚いて固まっていたアイヴィ=ミザリィだったが、再び弥堂が口づけをするとすぐにうっとりと目を細めて舌で歓迎の意をあらわした。


 好都合だと弥堂は工程を進める。


 舌を合わせて表面と裏を撫でて、やがて向こうが舌を押し付けてくるようになったら、こちらは離して挑発をしてやる。

 向こうの咥内から自身の咥内へと舌先を戻すと、それに釣られて相手は着いてきた。


 その舌を咥えて吸い込んでやり、右手で掴んだ相手の頭から力が抜けた瞬間に髪を強く掴む。

 同時に唇で挟んでいた相手の舌を全力で噛む。


 そして、その舌を噛みきるのではなく、髪を掴んだ手を引いてアイヴィ=ミザリィの頭部を引き剥がしながら、口で掴んだ彼女の舌を引き抜いた。


 ずるりと――まるでカエルの胃を引っこ抜いた時のように、舌と繋がった肉塊が少女の体内から引き摺り出される。


 外気に晒されると腸のように紐状になった肉の一部が膨れて塊り瘤になる。

 その瘤の表面にすぐに火傷のない少女の貌が浮かび、黒い髪の毛が生えてきて人間の頭部を形どると、途端に粟を喰って騒ぎ出した。


 弥堂は素早く握っていた髪の毛を放して少女の躰を捨て、肉の紐を右手で掴んで振り回す。

 跳ねるゴム紐のような挙動を2・3回振って操ると、ハンマー投げの要領で遠心力を利用して肉の頭を上空へと飛ばした。


「撃てっ!」

「ひゃ、ひゃいっ⁉」


 状況の展開に着いていけてなかった水無瀬だったが、催眠にかけられていた時の影響で『弥堂に撃てと言われたら撃つ』という条件反射でも出来上がったのか、魔法球を撃ち出す。

 慌てて適当に発射だけした格好だが、その狙いは正確だ。


 綺麗な曲線を描き、宙を飛ぶ肉塊が数秒後に到達する地点で待ち合わせるように飛んでいく。

 間違いなく直撃コースだ。


「イア゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ッ!」


 肉塊の顏が叫ぶ。

 するとその体色が黒く硬質化し、水無瀬の魔法球を弾いた。


「あぁっ⁉」

「ちっ、馬鹿が。何故ビームを使わない」


 予測可能だった結果に驚く水無瀬に弥堂は悪態をつく。


「ご、ごめんね……? でも、バスターは弥堂くんを巻き込んじゃうかもしれないから……」

「だろうな」


 そんな彼女の性質も予測可能なことだった。

 なので、弥堂はもう次の行動を起こしている。


 手に握ったままの肉紐を今度は引いて、水無瀬の魔法とぶつかりあって空中で跳ねた頭部を手元へ寄せようとする。


「……ダメ」「……ワタサナイ」「……カエシテ」


 弥堂の狙いを察したのか、横に捨て置かれていた少女の躰が飛び掛かってくる。


 弥堂は肉紐を握ったままの右手でその少女の顔面に裏拳を打ち込んだ。


 右手以外に自由が利かない恰好では大した威力は生み出せない。

 だから、打倒する為ではなく、薬指と小指だけで肉紐を握ったまま、手首の返しと中指と人差し指の関節を反らすことで目を打った。


 その程度では傷を負わすには至らずとも、相手を驚かせることには成功する。

 ほんの僅かな時間、相手が怯んだ隙に胸倉を掴んで引き寄せて少女の首に肉紐を何重にも括り付けてから片腕でヘッドロックをするように腋に抱えた。


 そして再度紐を引き、肉塊の頭部を手繰り寄せる。


「ア゙ァ゙ァ゙゙ァ゙ァ゙ッ!」


 ある程度まで引き寄せられると肉塊は大きく口を開けて噛みつきにきた。


「人前でキスのおねだりだなんて、キミははしたないな」


 弥堂は慌てることなく適当なことを言いながら肉紐を離すと、その顔面に掌打をカウンターで入れる。

 インパクトの瞬間に指を何本か伸ばしてこっちの顔面にも目潰しをくれてやった。


 苦悶の叫びをあげて肉の頭は地面――巨大化したゴミクズーの体表の上――を転がる。


 そのショックの影響か、弥堂の左腕を拘束していた髪の力が緩み、吊るされていた弥堂の身体も、足が地面に着くまでに下がった。


 すぐに肉紐を掴み直して転がる頭部を手元に寄せる。


「今さっきしてやったばかりだろ? まだ足りないのかアバズレめ」

「ヴボオェ゙ェ゙ェ゙ェ゙ェェェ……ッ⁉」


 穏やかな声で罵倒をしながら肉の顔面の目に中指を突っこんで第一関節を眼窩に引っ掛けたまま親指を喉奥に突っ込む。

 肉塊は痛みによる叫びなのか嘔吐反射による嘔吐きなのかわからない声をあげた。


 噛みつきにこようと顎が動くのを親指で喉奥の粘膜を押し込み嘔吐ずかせることで、指が喰いちぎられないよう牽制する。

 見た目が人間の頭部に近くともモノの成り立ちはまるで別モノなのであまり期待はしていなかったが、人間と同じように生理的な反応をするようだ。


(元のイメージに引き摺られ過ぎたか)


 ともあれ、足元に転がる肉人形も踏みつけにして、敵を捉えることに成功した。


「水無瀬、撃て」

「えっ?」

「変なビームの方だ。早く撃て」

「だ、だって……」


 水無瀬は逡巡する。

 普通の人間の当たり前の感覚だが、やはり弥堂を巻き込むことを懸念しているようだ。


 それは弥堂も予測していたので、肉の頭部を持っている右腕を横に広げて見せる。


「腕一本」

「……?」


 意図が伝わらず不思議そうな顔をする水無瀬の目はすぐに見開かれることになる。


「お互いに譲歩しよう。俺はさっさと敵を殺して欲しい。お前は俺をごと殺したくない。だから腕だけなら構わないだろう?」

「なに、いってるの……?」

「腕一本失ったくらいなら死なない。身体には当たらないように勝手に調整して俺の右腕ごとこいつを滅ぼせ」

「そんな……」


 当然彼女の倫理観がそんなことを許容できるわけはない――そもそも、腕くらい失くなっても構わないという弥堂の凄惨な価値観が理解出来ない――ので、この戦場に入ってからもう何度目か、茫然とし絶句してしまう。


「こいつだけは攻撃を避ける仕草を見せた。もしかしたら弱点かもしれない。試しに殺してみよう」


 戦闘の序盤、肉の頭部と少女の躰の両方に投石をした際、肉の頭部は口の中へ逃げ込み、躰の方は避けずに石を受けるという反応を見せた。

 その時から最終的に仕留める時には躰の中に隠れている肉の頭部の方を潰す必要があるかもしれないと、そのように弥堂は考えていた。


「そんな……、そんなことできないよっ……!」

「それはお前次第だ。お前の工夫が完璧ならこいつだけ撃ち抜けるかもしれない。少し上手く工夫が出来れば、俺の肘から下だけが残るかもしれないし、運が良ければ手首だけで済むかもしれない。まるごと巻き込んでも俺は構わんからそれは勝手にやれ。だが、早くしろ」

「くふう……って……」

「わかってるか? 今はチャンスだぞ? これを見過ごせばきっと俺は死ぬだろうな。だが、今なら腕だけで済む。俺を死なせたくないなら撃つしかない。それとも俺を見殺しにするのか? 酷い奴だな、お前は」

「うっ……? えっ……?」


 自分自身の生命を人質に脅迫をしてくる弥堂の言葉に追い詰められ、混乱しながらも水無瀬は魔法のステッキを構える。

 ステッキの先端に光が集まる。


 しかしその輝きは鈍い。


 それもそのはずだ。

 水無瀬には弥堂を傷つけたいという願いや意思はない。


 願えばそれを叶えるのが魔法少女の魔法で、その願いにこめられた想いの強さがその魔法の力となる。


 魔法少女とはそんな理不尽な存在ではあるが、逆に魔法少女自身の本心や願いに反すること矛盾することはカタチを為さない。


「……細く……、水鉄砲くらいに細くすれば弥堂くんに当たらないかも……? でも狙いを失敗しちゃったら……?」


 ブツブツと呟きながら水無瀬は魔法を調整しようと試みている。


(これは一つ、魔法少女というモノの弱点なのかもしれない)


 その様子に眼を細め、声には出さずに弥堂は心中で確認した。


「……だめっ……! できない……っ! そんな危ないこと……」


 元々魔法のコントロールが下手で命中率が目も当てられない精度だったが、彼女自身が『出来る』と思えた瞬間に目に見えてその性能が向上した――というのが昨日の出来事だ。

 事実、今回の戦闘でも魔法の光球はほぼ百発百中で命中している。


 しかしそれは裏を返せば、もしも彼女自身が『出来ないと』思ったら――


――そう思ってしまったのならもう、それは出来ない、ということになる。


 圧倒的な存在に思えた魔法少女だが、この事実は彼女らと戦う機会があったら一つ突破口に成り得るなと、弥堂は記憶に留め書く。

 無敵に近い防御力すら、彼女自身に『守れない』と思わせることが出来れば、十分に殺すことは可能かもしれない。


 そして、その殺し方のコンセプトは――


(――同じだな)


 弥堂の瞳の奥でゆらめく蒼い炎の中で、水無瀬 愛苗が揺れる。

 彼女の自身の迷いのゆらめき。


 だが、今戦っている相手は魔法少女ではない。

 魔法少女の敵――ゴミクズー。

 今は魔法少女とその敵を同じくしている。


 あの手この手と駆使してその化け物と戦ってみたが、結局弥堂では彼女の力を利用しなければゴミクズーを倒すことは難しかった。


「おい、早くしろ」

「うっ……、うぅ……っ」

「早くしないと手遅れになるぞ」

「え?」


 弥堂のその言葉と同時に踏みつけにしている少女の躰と、右手に持つ肉の頭から髪の毛の束が伸びる。

 躰の方の髪は白く、肉の頭部の方の髪は黒色だ。


「ほら、お前がやらないならコイツが俺の腕を斬り落として逃げるだけだ。それか――」


 髪の束は無数に展開され針のように尖らせたその先端の全てが弥堂に向き周囲を包囲した。


「あっ……⁉」

「それか、直接俺を殺しにくるだろうなと言おうと思ったが、まぁ、見ての通りだ」


 弥堂の危機に目を見開く水無瀬に、その本人である弥堂はまるで他人事のように、何でもないことのように言う。


「じゃあな、水無瀬」


 そして放課後に教室でするような気の入っていないおざなりな別れを口にした瞬間、全ての髪の針が弥堂へと向かった。


「――だめぇぇぇぇーーーっ!」


 反射的になのか、水無瀬はフローラル・バスターを発射した。


 多少範囲は絞れたものの、甘い。

 人間一人くらいは優に飲み込めるくらいの直径だ。


「――あっ……⁉」


 遅れて、水無瀬は自分が魔法を撃ってしまったことを自覚する。

 すぐに解除をしようとするが――


(――でも……っ)


 目線の先、魔法の向かう先には今にも無数の針に串刺しにされそうな弥堂の姿。


 これを止めたところで彼は助からない。

 何をしても、どうしても。


(――どうしたら……っ⁉)


 その迷いが決断と行動を遅らせる。



 自分の方へ迫り来る破壊の光に弥堂は眼を向けない。

 右手に掴んだ肉の頭部の様子を視ていた。


 まさか水無瀬が撃つとは思っていなかったのかもしれない。

 肉の顔面はギョッとした表情を見せた。


 ヤツが驚いた影響かは不明だが、弥堂の方へ向かっていた髪の針は全て硬直したように動きを止めた。


 どうせこれから一緒に焼け死ぬのに数秒早く刺し殺したところで意味がないと考えたのだろうか。

 そんな当たりを付けてみたがどうもそうではないようだ。


 瘤のように膨らんで肉塊になっていた頭部が萎む。

 水を汲み上げていた時と同様に、蛇が食事を飲み込むように肉の内側に隠れた膨らみが、肉の触手を握る弥堂の手を潜り抜けて躰の方に戻ってくる。


 ある程度のところまで移動してきたら再び顔面付きの瘤となって外側に出てきた。


 そして、枝から落ちる果実のようにブチッと肉が千切れて頭部だけが逃げる。

 その頭部は下に転がり落ちると、地面となっている巨体の体表と同化するようにして内部に吸い込まれていった。


「なるほど。そういう逃げ方も出来るのか」


 またも他人事のように感心の言葉を吐く。


「負けか。まぁ、こんなもんだろ」


 もうすぐ間近まで迫った魔法の光をどうでもよさそうに見ながら、弥堂は諦めた。

 自分で水無瀬に言った通り、戦場では自分を諦めることが肝心だ。


 特に何かを想い返すこともなく、未練もないまま――


――弥堂の右半身は光に飲み込まれた。
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