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第四章 本当の親子

140 再会、ノーラの涙

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 ディアドリーの屋敷の現状は、一言でいえば『混沌』であった。
 狼たちの反乱は時間が経つごとに勢いを増し、もはや兵士や魔導師の手に負えなくなっている。戦闘経験のあるメイドや執事が全くいないわけではないが、それでも状況は間違いなく、狼たちに分があると言えていた。
 まさか獣如きに制圧されるとは――屋敷の人々は認められなかった。
 あくまで狼たちは警備の穴埋め役としてしか見られておらず、いわば野生のペットという認識でしかない。
 餌を上げてご機嫌を取れば言うことを聞く、なんとも扱いやすい恰好の存在。
 今までずっとそうだった。それが当たり前となっていたのだ。
 これからもそれは続いていく、何も変わることはない――誰もが自然とそう思っていた矢先の反乱劇。一日や一晩どころか、たった数時間で成す術もなく、何もかもひっくり返されてしまった。
 まさに混沌と呼ぶには相応しい状況と言えるだろう。

「ハハッ、随分と楽しそうに暴れているもんだな」

 そんな騒ぎの中、愉快そうに笑う者がいた。最上階の私室のバルコニーから、文字どおり高みの見物をしているフェリックスである。
 彼の笑顔は自然であった。
 無理をしている様子は見られない。冷や汗も流れ落ちていない。本当に心から落ち着いていた。どうして慌てる必要があるんだと、そう言わんばかりに。

「まぁ、ぶっちゃけ、いつかはこうなると思ってたけどな。ペットどころか奴隷みたいな扱いしていたこともあったくらいだし、もう自業自得ってもんだろう」

 やれやれと肩をすくめながら、首を左右に振る。フェリックスからすれば完全に他人事であり、どちらの味方に付くつもりもなかった。
 下の場にいる誰がどうなろうが、心の底からどうでもいいからである。

(こうなることを予想してたワケじゃなかったけど……僕にとっては好都合だ)

 フェリックスはニヤリと笑う。たとえ予期せぬ事態でもチャンスであれば、それを活かさない理由はない。
 使えるものはなんでも使うのが彼の信条だ。結果が第一とも言える。
 運も実力のうち。そこから導き出される先に望ましいゴールがあるのならば、利用しない手はないというのが彼の考えだ。

「フッ……せいぜい好きなだけ暴れるがいいさ」

 独り言を呟くフェリックスの足元に、魔法陣が展開される。その魔法陣の光が彼を包み込み、瞬く間にその場から姿を消してしまった。
 その約三秒後――ドアが勢いよく開けられた。

「ガウッ! グルルルル……」

 狼が弾丸の如く飛び込み、部屋の主はいないかどうかを見渡す。しかしそこは既にもぬけの殻状態。気配も感じないが故に、狼は更に苛立ちを募らせる。

「……誰もいないのか?」

 廊下に潜んでいたマキトが、ラティとともにニュッと首だけを伸ばし、部屋の中の様子を探る。

「狼が体当たりでドアをぶち破ったときは、正直どうなるかと思ってたけど」
「わたしもビックリだったのです。まぁ何事もなくて良かったですね」
「だな」

 ラティと笑い合うマキトであったが、狼からしてみれば不満たっぷりであることも分かっているつもりである。
 部屋の中へ入り、狼の頭を優しく撫でると、唸り声が自然と収まってきた。

「あのお坊ちゃま執事は、この部屋にはいないっぽいな」
「……クゥ」

 残念そうな表情で狼が頷く。その姿に思わず可愛げを感じてしまい、マキトとラティは表情を綻ばせてしまうのだった。

「フェリックスさん、でしたっけ? あの人がマスターを攫った人たちと繋がっているとのことなのですけど……」
「あぁ。確かに魔導師の誰かがそう言ってたよな。ディアドリーも終わって、あのお坊ちゃま執事の時代が来るとかどうとか」

 マキトたちがフェリックスの私室に乗り込んだのも、彼から詳しい話を聞き出そうとしたからであった。加えて狼も、屋敷の親玉的存在もターゲットにしたいと息巻いたため、それなり利害は一致しているだろうということで、フェリックスを探してここまで来たのであった。
 しかし結果は御覧の有様である。彼が一足先にこの場から逃げたことは、もはや考えるまでもなかった。

「そ、そんな……」

 ショックを受けている声が廊下のほうから聞こえてきた。マキトとラティが一緒に振り向いてみると、ボロボロと化した兵士が、青ざめた表情をしている。

「フェリックス様が逃げられた? この私たちを置いて……そ、そんなぁ!」

 マキトたちの会話を疑いもせず信じてしまい、兵士は泣きわめきながらその場から走り去ってしまった。もはや戦意喪失を通り越している様子であり、追いかけることすら可哀想にすら思えてしまう。

「うわあぁーんっ! フェリックス様が裏切ったああぁーーっ!!」

 そんな兵士の情けない叫び声が、廊下に響き渡る。その遠ざかる声に、マキトとラティは呆然としていた。

「……どんだけあのお坊ちゃま執事に期待してたんだろうな?」
「哀れってあーゆーことをいうのですねぇ」

 実を言うと、フェリックスの部屋がすぐに分かったのも、今さっき逃げ出した兵士のおかげだったりする。
 狼たちが暴れている状況を自分たちだけで止めることはできそうにない。しかしフェリックスならばなんとかしてくれる――それを期待して彼の部屋に向かおうとしていたところを、たまたまマキトたちが見かけ、声をかけたのだ。
 兵士は相当慌てていたらしく、嘘を言うつもりが本当のことを言ってしまい、狼が少し脅しただけで言いなりとなってしまった。
 ――部屋に着いたら、フェリックス様がお前たちを倒すんだからな!
 そんな感じで、馬鹿な奴らだと言わんばかりに息巻いていた兵士からすれば、実に当ての外れた結果となってしまった。
 マキトはバルコニーに出て、少し耳を澄ませてみると――

「フェリックス様が逃げただと!?」
「ヤベェ! それじゃ、もうこの屋敷は終わりじゃねぇか!」
「あのお坊ちゃまヤロウだけが頼りだったのに、なんたることだ!」
「やはりディアドリーの息子ってのは伊達じゃなかった」
「血は繋がってなくても、立派な親子ってか……ちくしょうめ!」
「変な期待したのが間違いだったか……俺はもう逃げさせてもらうぜーっ!」
「あっ、テメェ抜け駆けすんな!」
「うるせえぇっ!」
「上等だ! 皆まとめて道連れにしてやらあぁ!」

 兵士たちの騒ぎ立てる声が、なんとも見苦しい形で聞こえてくる。マキトとラティは思わず顔をしかめ、そして頷き合った。
 もうこれ以上、下の様子を気にするのは止めようと。

「まぁ、そんなことよりも――」

 マキトはため息をつきながら、話題を元に戻そうとした。

「問題はお坊ちゃま執事だ。逃げたとしても、一体どこへ行ったんだろう?」
「転移魔法だとすると、足跡をたどることもできないのです」
「だよなぁ――ん?」

 ラティの言葉に頷きつつ周囲の様子を見渡していると、門の外から向かってくる集団の姿が見えた。

「なぁ、ラティ。あれ――門の外のほう!」
「どうかしたので……あっ!」

 指をさすマキトに促されてその方向を見ると、ラティもすぐさま気づいた。
 大きな獣に乗って近づいてくる、三人の少女たちの姿を。

「ノーラたちなのです。乗っているのはフォレオなのですよ」
「きっと俺たちを助けに来てくれたんだ。行こうぜ!」
「はいなのです♪」

 マキトとラティはバルコニーから部屋へ駆け戻る。そして狼に事の次第を軽く話しつつ、急いで中庭へ向かうのだった。
 もはや誰も戦う意思を見せず、屋敷を通り抜けるのに苦労はしなかった。
 狼たちに散々振り回され、兵士や魔導師たちは疲れ果てており、メイドや執事たちも揃って降参の意思を見せてくる。
 フェリックスが逃げたことがトドメとなったのは間違いない。
 その様子にマキトとラティは、苦笑いを隠せなかった。そして狼は、皆の衆よくやったぞと、ご機嫌よろしく笑顔で鼻息をふんすと鳴らしていた。
 そして正門に到着すると、ちょうど向こう側も到着したばかりであった。

「おーい、みんなー!」

 マキトがラティと一緒に手をブンブンと振り回すと、相手側もそれに気づいた。

「――マキト、無事だったのね!」
「良かった、本当に……」

 アリシアとメイベルの表情に笑みが宿る。マキトたちは気づいていないが、安心して一気に力が抜けたような感覚に陥っていた。
 マキトが大きな門の施錠を外し、力いっぱい引っ張って開ける。
 そしてようやく、数時間ぶりの再会を果たすのだった。

「キュウーッ!」
『わーい、ますたーっ!』

 ロップルとフォレオがマキトに抱き着く。フォレオは獣のままであり、マキトは後ろに倒れてしまうが、少し鈍い痛みだけで済んだ。
 マキトもまた、魔物たちと再会できたことがとても嬉しく、多少の痛みはどうということはなかった。
 そして――

「マキト」

 か細い少女の声が聞こえる。起き上がりながら振り向くと、俯いた表情のノーラがそこに立っていた。

「ノーラ……っと!」

 マキトが立ち上がったところに、ノーラが勢いよく抱き着いてくる。そして顔を埋めながら、彼の服をギュッと掴んでいた。
 もう絶対に離さないぞと、そう言わんばかりに。

「勝手にいなくなるの……や!」
「ノーラ……」

 マキトからノーラの顔は見えない。しかし微かに聞こえる嗚咽から、彼女がどんな気持ちなのかはなんとなく察してしまう。

「ごめん。心配かけた」

 謝罪の言葉をかけながら、その小さな頭を優しく撫でる。サラサラとしていて温かい髪の毛の感触に、マキトは不思議な気持ちを感じてならなかった。
 たった数時間しか離れていなかったのに、何故か妙に懐かしく思えてしまうと。
 ようやく訪れたいつもの暖かな空気。できればずっとこの心地良さを味わっていたいと思えてしまう。
 しかしそれは、まだ少しだけお預けとなってしまうのだった。

「――感動の再会は、そこまでにしてもらえる?」

 突如聞こえてきた声に、周囲の空気がガラリと変わってゆく。いつの間に地下牢から出てきたのか、ディアドリーがそこに立っていた。
 マキトたちは一斉に身構えると、ディアドリーが小さな笑みを見せる。

「落ち着いて。私は話したいことがあって来たんだ。もう何もする気はないよ」
「そうは言われても、信用はできません」
「フッ……まぁ、そうだろうね」

 警戒するメイベルに対し、ディアドリーは目を閉じながら苦笑する。

「だが、事は一刻を争うのも確かだ。今すぐ本家へ戻りな」

 そしてディアドリーは、表情を引き締めて告げた。

「フェリックスが当主の命を狙っているよ。己の復讐を果たすためにね」

 その言葉を聞いたマキトたち――特にメイベルは、表情を強張らせる。
 同時に気づかされた。この一連の誘拐騒ぎは、自分たちを本家から遠ざけるための罠であることを。
 自分たちは、フェリックスの手のひらで踊らされているに過ぎなかったことを。

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