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第四章 本当の親子
120 空白の二年
しおりを挟むそれは、今から十六年前のことだった――
とある冒険者夫婦が、生まれたばかりであろう赤子を保護し、ユグラシアに助けを求めてきた。赤子の体には大量の魔力が宿っており、生まれたての体ではとても耐えきれないレベルであった。
魔力を外に放出するのが最善の策。普通ならば汗をかくのと同じで、赤子だろうと自然にできるものだ。
しかし赤子の体は少し特殊であり、自分で放出するのが不可能だった。
放出できない魔力は体内に溜め込むしか道はなく、膨れ上がる魔力はみるみる体を蝕んでいき、すぐにでもなんとかしなければ命を落としかねないほど。誰かが強引に放出させる術がないこともないが、如何せん赤子の弱い体では到底耐えきれないものであることも確かだった。
冒険者夫婦は、赤子を助けてほしいと願った。
赤子は深き森の奥に捨てられており、とても人が立ち入るような場所ではないと語っていた。恐らく転送魔法か何かで遠くに飛ばしたのだろうと。
それがどのような事情の末だったとしても、生まれた子に罪はない。
理屈なんてない。ただ助けたくて仕方がないからだと、冒険者夫婦の妻が、涙ながらに訴えてきたのだった。
それは、ユグラシアも同感であった。
森の賢者の名に懸けて、この赤子の命を救うことを誓った。
「――まずここで明かしておくと、その赤ちゃんがアリシアなのよ」
ユグラシアの言葉に、皆の視線がアリシアに向けられる。一方のアリシアは、複雑そうな表情を浮かべていた。
「つまり私は、生まれてすぐに捨てられたってことですか」
「そ、それはその……」
ため息交じりに放たれた冷たい言葉に、セアラがビクッと背筋を震わせる。
「私だって本当はそんな……いえ、もう何を言っても言い訳にしか……」
「お母さん!」
もごもごと口を動かすセアラをメイベルが制する。
「気持ちは分かるけど、今はユグラシア様からの話を聞こう? アリシアもね」
「そ、そうね。話を止めて申し訳ございません」
「……すみません」
セアラに続いてアリシアが落ち込んだ表情を見せる。ユグラシアはそれに対して優しい笑顔で頷いた。気にしていないから大丈夫というメッセージを込めて。
「話を元に戻させてもらうわね。魔力過多だった赤ちゃんのアリシアを救うのは、正真正銘の賭けだったわ。方法自体は、魔力スポットの魔力と霊獣の力を借りれば簡単だったけど、問題は体が耐えきれるかどうか――助かる確率をゼロパーセントから数パーセント上げる程度でしかなかった」
「それだけ、生まれたての赤ちゃんの体は弱いってことなんですね?」
「えぇ」
メイベルの問いかけにユグラシアが頷く。
「だけど奇跡は起きた。余分な魔力を取り除いたアリシアは命を取り留めた。けれど生まれたての赤子だけあって、その負担は相当だったの。そのままだと体力を回復しきれずに、命が燃え尽きる可能性も高かった」
命を取り留めたからめでたしめでたし――そんな甘い話ではなかった。奇跡一つで全てがひっくり返せるほど、世の中は決して優しくはない。
しかしそれでも、手がないわけではなかったのだ。
「そこで私は特殊な魔力を用いて、アリシアの時を止めた。体の成長を止めた状態で眠らせ、体に負担がかからないよう長い時間をかけて回復させた。自分で魔力を排出できるよう、特殊な治療をすることも兼ねてね」
アリシアの場合は、放っておけばいくらでも体に魔力が溜まってしまう。それを解消するには、時を止めるしかなかったのだ。
するとここでメイベルが、今の話に対して思うことがあり、苦笑する。
「……まるで超強力な麻酔を施して、大規模な手術をする感じですね」
「えぇ。言い得て妙だと思うわ」
むしろこれ以上ないくらいに的確な例えだと、ユグラシアは思う。アリシアが自分で魔力を輩出できるよう、魔力という魔力を総動員して、年単位での長い治療を施していたことに間違いはないのだから。
それも全ては、アリシアに元気で生きてほしいという、たった一つの純粋な願いからくるものであった。
「私の年齢がズレているのも、そーゆーことだったんですね」
アリシアは膝の上で拳をギュッと握り締める。
「そこまでして、私を助けてくれたなんて。ホント感謝してもしきれない……」
「私はただ、大人としての責務を果たしただけよ」
思いつめた表情を浮かべ出したアリシアに対し、ユグラシアは諭すように言う。
「別にアリシアだから助けたんじゃない。苦しんでいる子供を――ましてや生まれたばかりの赤ちゃんを、放っておくことなんてできなかった。森の賢者なんて肩書きは関係ない。一人の大人として、あなたを助けたくて仕方がなかったの」
「ユグラシア様……」
顔を上げるアリシアは、改めてユグラシアの優しい表情を見る。幼い頃から当たり前のように見てきたその笑みが、今になって途轍もなく大きくて暖かくて、偉大という言葉を軽く通り越してしまうような感じがしていた。
こんな凄い人に、自分は育てられてきたのか――アリシアはそう思い、自然と笑みが浮かぶ。
それが誇りであることに、当の本人はまだ気づいていなかった。
「アリシアが無事に目覚めたのも、それだけアリシアが丈夫だったからこそよ」
紅茶のお代わりを注ぎながらユグラシアは言う。
「まさか、たった二年で無事に目覚めるとは、私でも思わなかったもの」
目覚めるまでに何年かかるかは、アリシアの体次第であった。
治療を施しながら生き永らえているだけでも奇跡。五年や十年かかったとしても何ら不思議ではない。むしろそれぐらいは当たり前だと思うべきだろう――ユグラシアはそう覚悟していたのだ。
確かに二年というのは、時間的にも決して短くはない。それでも予想よりも大分早い目覚めに、当時はとても驚かされたものだった。
――諦めなくて本当に良かった。この子は間違いなく強い子に育つ。
そうユグラシアは確信し、アリシアを自分の手で育てることを決心した。
長年、一人で森の神殿に暮らし続けていたユグラシアにとって、新たな人生が始まったも同然となったのだった。
「アリシアは無事に、魔力の排出が上手くできるようになり、何事もなく元気に成長していった。ちなみにだけど――」
ユグラシアはここで、マキトに視線を向ける。
「アリシアが四歳くらいになるまでは、マキト君とも一緒に遊んでたのよ?」
「え、そうだったんですか!?」
初めて明かされた事実にアリシアは勿論のこと、マキトたちも目を見開いた。
「俺とアリシアって、そんな前に出会ってたんだ……」
「それはビックリなのです」
ラティの隣では、ロップルやフォレオも顔を見合わせつつ、周囲の様子をキョロキョロと伺う。そんな二匹に、ノーラの手がニュッと伸びて捕まった。
「キュウッ!」
『なにすんのはなしてー』
「ん。ノーラもちょっと混乱してる。だからモフモフする」
「キュウゥー」
『やーっ』
逃れようとジタバタもがくロップルたちだったが、既にノーラがしっかりと抱きとめているため、それは叶わない。それはそれでいつもの光景であるため、マキトやユグラシアも指摘することはなかった。
本当に心から嫌がっているわけではないということは、分かっていたからだ。
現にロップルもフォレオも、聞いてもらえないと分かるなり、もがくのを止めて大人しくなった。その際にノーラがわずかに勝ち誇った笑みを浮かべたのだが、それに気づいた者はいない。
「つまりマキトとアリシアは……幼なじみ?」
二匹の柔らかい感触を堪能しつつ、ノーラが尋ねる。確かに事実上とはいえ、そういうことになるのだろう。
しかし当の二人は、ピンと来ていない様子で顔を見合わせていた。
「って、言われてもなぁ」
「正直全く覚えてないからねぇ……」
二人が呟くと、ユグラシアはクスッと小さな笑みを浮かべる。
「それは無理もないわ。二人とも小さかったし、マキト君に至っては、物心がつく前の話だもの」
ユグラシアは紅茶を一口飲み、そろそろ話を元に戻すべく周囲を見渡す。
「まぁ、少し話が逸れちゃったけど、概ねこんなところかしらね。アリシアの実年齢にズレが生じた理由は、理解してもらえたかしら?」
「……はい」
メイベルが神妙な表情で頷く。ある程度の覚悟はしていたつもりだったが、まさかこれほどだったとはと、そんな気持ちでいっぱいだった。
「年齢のカラクリはよく分かりましたけど、それ以上に驚きが大きいです。アリシアがこうして生きていること自体が、奇跡の塊だったなんて」
「そうね。本当に……」
ここまでずっと沈黙を保っていたセアラが、ようやく口を開く。
「本当によく無事で生きて……ユグラシア様には、感謝の言葉もございません」
セアラは涙を流し、嗚咽を漏らす。嬉しくて仕方がないのだ。もうとっくに生きていないと思っていた娘が、元気に生きていてくれたから。
その気持ちは誰もが感じ取っていることであった。マキトでさえも、なんとなくながらアリシアと会えて嬉しがっているんだろうなと思い、小さく微笑ましそうにしているほどだった。
しかし――
(なんてゆーか……正直ここでそんなふうに泣かれてもなぁ……)
アリシアの反応はどこまでも薄く、表情は完全に無そのものであった。
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