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心温まる音楽会
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翌朝、皇帝一行が港湾視察に出る前に、もう一度、音楽会が催されることになった。
皇帝たっての希望とあって、楽団員は弾んでいる。
一方、エミーユは内心では沈んでいた。リージュ公とのことがショックで寝付かれなかった。
それでも仕事を放り出すわけにはいかない。
エミーユはエレナ女王に曲についてお伺いを立てた。
エレナ女王も皇帝の音楽を聴きたいとの申し出に喜んでいたものの、首を捻っているようだった。管弦楽が皇帝一行に受けたようにも見えなかった。
「今日は思い切って歌曲はどうでしょうか」
女王はエミーユの提案に顔を輝かせた。
「まあ、それはいいわね! 若い方も気に入るような煽情的なものがいいわ」
「では、これらはどうでしょう」
エミーユは名前をいくつか挙げて見せた。どれも華やかで主旋律のメロディが明確で力強いものである。
「ええ、いいわね! お願いね」
そんな女王は、皇帝からのもう一つの希望に首を傾げていた。
(音楽会に茶目茶髪の男性使用人をすべて集めて欲しいとか言ってたけど……? 何かしら………?)
サロンで演奏会の準備をしている楽団員の前に、茶目茶髪の男性使用人が次から次へと集まってきた。
五十名ほどが集まった。庭師だったり、料理人だったり、給仕だったり、様々な場所から集められているが、皇帝の前に出るとあって、みな、できうる限りの正装をしていた。だぶだぶだったり袖が足らない者までいるものの、みな、皇帝の目通りが叶うことに、一様に興奮を隠せないような顔つきだった。
「いったい、何が始まるんでしょうね」
「何でも、皇帝たっての希望だそうですよ」
やがて、エレナ女王に伴われて、皇帝一行が入ってきた。
不愛想な皇帝は、どことなく浮足立っているように見える。
リージュ公が目を合わせてくるもエミーユはさっと目線を逸らした。
◇
サロンに入ったマリウスはエミーユを見つけられるかと思うと、そわそわしていた。
茶目茶髪のエミーユという名前の妖人、に絞って集めてもらいたかったが、そこまで限定するとエミーユに警戒されて逃げられてしまうかもしれなかったので、とりあえず茶目茶髪の男性使用人を集めてもらうことにした。
(あの日、あなたは俺を捨てた。でも、今度は絶対に逃さない)
マリウスには茶目茶髪ということしかエミーユの外見はわからない。だから、見てもわからないが、匂いで探せる自信はあった。
サロンに足を踏み入れた途端に、マリウスはエミーユの匂いをわずかに感じ取った。昨夜、はっきりとエミーユの匂いを感じ取ったことで、エミーユの匂いに対する嗅覚が鋭敏になっている。
マリウスは、サロンに整列する茶目茶髪の男性の使用人らを眺めた。
(ああ、絶対にいる。この中にエミーユはいる……!)
リージュ公がもったいぶった口調で集めた目的を説明する。
『皇帝陛下は、地位や身分にこだわることなく、すべての人とともに音楽を楽しみたいと願っています。その手始めに、茶目茶髪の男性使用人に集まってもらいました。目や髪の色にこだわる必要はなかったのですが、さすがに全使用人を一斉にというわけにはいかないので、エルラント固有の血に多い茶目茶髪に敬意を表して、茶目茶髪の男性をまず先にと選んだ次第です』
出まかせを信じ込んだエレナ女王は顔を輝かせる。
「まあ、さすが皇帝陛下! 私も音楽はすべての人のためにあると考えてはいましたが、使用人を客として音楽会に招待したことがなかったことを恥じますわ」
皇帝は悠然と使用人らの前に立った。周囲が目を見張ることに、皇帝は使用人の一人一人に手を差し出し、握手をし、ときには肩を抱いて背中をポンポンと叩き始めた。
――何と慈愛に満ちた皇帝さまだ……!
皇帝みずから使用人らに手を差し出して慰撫するなど信じがたい光景に出くわした人々は、目に涙を浮かべ、使用人には感極まって泣き出したものまで現れる始末だった。
――皇帝さまの手ははあったけえだ。
――とても優しく手を取ってくれただ。
「陛下っ……!」
感激のあまり、膝を折って絨毯に頭を打ち付けるものまで出始めた。
サロンは感動でひしめいている。
マリウスは、膝を折る者の手を取り、助け起こしたのちに、優しく抱きしめる。
(この茶目茶髪のおじいさんがエミーユか? ああ、この匂いに感触は違う。こっちの太めの茶髪がそうか? ちょっと、いやかなり太っているが、エミーユ? ああ、違う、エミーユはこんなチョコレートのような匂いはしない。甘いのは甘いがもっと鮮烈で爽やかな葉っぱのような匂いだ)
すべての使用人と握手し終えたマリウスは、悄然と肩を落とした。
(いない。この中にエミーユはいない。どうしてだ? どこからか、エミーユの匂いがするのに。何故だ?)
マリウスはサロンを見渡すも、どこから漂ってくるのか、わからない。
辺りは感動の涙に包まれるも、マリウスだけは落胆の涙がこぼれかける。
(俺の錯覚なのか?)
意気消沈するマリウスは、リージュ公に肘をつつかれて、背中をピシッと伸ばす。
「では、音楽会を」
ハンカチで目を抑えるエレナ女王の声を合図に、音楽会が始まった。
◇
音楽会は大成功だった。曲の趣向を変えたことは良い判断だった。
皇帝の側近らは、昨日とは打って変わって、生き生きとした顔で耳を傾け、最後には拍手喝采が起きて、おまけにアンコールまであった。
『いやあ、とても楽しかった!』
『さすが音楽の発信地、エルラントだ』
『素晴らしかった!』
音楽会に招かれた茶目茶髪の使用人らも感涙している。
だが、エミーユには、肝心の皇帝が浮かない顔をしているように見えた。
(歌曲は気に食わなかったのだろうか)
しかし、それでも皇帝は言った。
『ありがとう。そのうち、エルラント宮廷楽団をグレンにお呼びしたい』
皇帝の言葉に、皇帝の側近、楽団員の双方が喜んだ。
エレナ女王は感極まった声を出している。
「今日の心温まる素晴らしい音楽会を私は忘れませんわ。陛下にいろいろと大切なことを教わりました。これからは、使用人を音楽会に招待することを誓いますわ」
(まあ、女王も喜んでいるようだし、良しとするか)
とりあえずの成功にエミーユは胸を撫で下ろした。
皇帝たっての希望とあって、楽団員は弾んでいる。
一方、エミーユは内心では沈んでいた。リージュ公とのことがショックで寝付かれなかった。
それでも仕事を放り出すわけにはいかない。
エミーユはエレナ女王に曲についてお伺いを立てた。
エレナ女王も皇帝の音楽を聴きたいとの申し出に喜んでいたものの、首を捻っているようだった。管弦楽が皇帝一行に受けたようにも見えなかった。
「今日は思い切って歌曲はどうでしょうか」
女王はエミーユの提案に顔を輝かせた。
「まあ、それはいいわね! 若い方も気に入るような煽情的なものがいいわ」
「では、これらはどうでしょう」
エミーユは名前をいくつか挙げて見せた。どれも華やかで主旋律のメロディが明確で力強いものである。
「ええ、いいわね! お願いね」
そんな女王は、皇帝からのもう一つの希望に首を傾げていた。
(音楽会に茶目茶髪の男性使用人をすべて集めて欲しいとか言ってたけど……? 何かしら………?)
サロンで演奏会の準備をしている楽団員の前に、茶目茶髪の男性使用人が次から次へと集まってきた。
五十名ほどが集まった。庭師だったり、料理人だったり、給仕だったり、様々な場所から集められているが、皇帝の前に出るとあって、みな、できうる限りの正装をしていた。だぶだぶだったり袖が足らない者までいるものの、みな、皇帝の目通りが叶うことに、一様に興奮を隠せないような顔つきだった。
「いったい、何が始まるんでしょうね」
「何でも、皇帝たっての希望だそうですよ」
やがて、エレナ女王に伴われて、皇帝一行が入ってきた。
不愛想な皇帝は、どことなく浮足立っているように見える。
リージュ公が目を合わせてくるもエミーユはさっと目線を逸らした。
◇
サロンに入ったマリウスはエミーユを見つけられるかと思うと、そわそわしていた。
茶目茶髪のエミーユという名前の妖人、に絞って集めてもらいたかったが、そこまで限定するとエミーユに警戒されて逃げられてしまうかもしれなかったので、とりあえず茶目茶髪の男性使用人を集めてもらうことにした。
(あの日、あなたは俺を捨てた。でも、今度は絶対に逃さない)
マリウスには茶目茶髪ということしかエミーユの外見はわからない。だから、見てもわからないが、匂いで探せる自信はあった。
サロンに足を踏み入れた途端に、マリウスはエミーユの匂いをわずかに感じ取った。昨夜、はっきりとエミーユの匂いを感じ取ったことで、エミーユの匂いに対する嗅覚が鋭敏になっている。
マリウスは、サロンに整列する茶目茶髪の男性の使用人らを眺めた。
(ああ、絶対にいる。この中にエミーユはいる……!)
リージュ公がもったいぶった口調で集めた目的を説明する。
『皇帝陛下は、地位や身分にこだわることなく、すべての人とともに音楽を楽しみたいと願っています。その手始めに、茶目茶髪の男性使用人に集まってもらいました。目や髪の色にこだわる必要はなかったのですが、さすがに全使用人を一斉にというわけにはいかないので、エルラント固有の血に多い茶目茶髪に敬意を表して、茶目茶髪の男性をまず先にと選んだ次第です』
出まかせを信じ込んだエレナ女王は顔を輝かせる。
「まあ、さすが皇帝陛下! 私も音楽はすべての人のためにあると考えてはいましたが、使用人を客として音楽会に招待したことがなかったことを恥じますわ」
皇帝は悠然と使用人らの前に立った。周囲が目を見張ることに、皇帝は使用人の一人一人に手を差し出し、握手をし、ときには肩を抱いて背中をポンポンと叩き始めた。
――何と慈愛に満ちた皇帝さまだ……!
皇帝みずから使用人らに手を差し出して慰撫するなど信じがたい光景に出くわした人々は、目に涙を浮かべ、使用人には感極まって泣き出したものまで現れる始末だった。
――皇帝さまの手ははあったけえだ。
――とても優しく手を取ってくれただ。
「陛下っ……!」
感激のあまり、膝を折って絨毯に頭を打ち付けるものまで出始めた。
サロンは感動でひしめいている。
マリウスは、膝を折る者の手を取り、助け起こしたのちに、優しく抱きしめる。
(この茶目茶髪のおじいさんがエミーユか? ああ、この匂いに感触は違う。こっちの太めの茶髪がそうか? ちょっと、いやかなり太っているが、エミーユ? ああ、違う、エミーユはこんなチョコレートのような匂いはしない。甘いのは甘いがもっと鮮烈で爽やかな葉っぱのような匂いだ)
すべての使用人と握手し終えたマリウスは、悄然と肩を落とした。
(いない。この中にエミーユはいない。どうしてだ? どこからか、エミーユの匂いがするのに。何故だ?)
マリウスはサロンを見渡すも、どこから漂ってくるのか、わからない。
辺りは感動の涙に包まれるも、マリウスだけは落胆の涙がこぼれかける。
(俺の錯覚なのか?)
意気消沈するマリウスは、リージュ公に肘をつつかれて、背中をピシッと伸ばす。
「では、音楽会を」
ハンカチで目を抑えるエレナ女王の声を合図に、音楽会が始まった。
◇
音楽会は大成功だった。曲の趣向を変えたことは良い判断だった。
皇帝の側近らは、昨日とは打って変わって、生き生きとした顔で耳を傾け、最後には拍手喝采が起きて、おまけにアンコールまであった。
『いやあ、とても楽しかった!』
『さすが音楽の発信地、エルラントだ』
『素晴らしかった!』
音楽会に招かれた茶目茶髪の使用人らも感涙している。
だが、エミーユには、肝心の皇帝が浮かない顔をしているように見えた。
(歌曲は気に食わなかったのだろうか)
しかし、それでも皇帝は言った。
『ありがとう。そのうち、エルラント宮廷楽団をグレンにお呼びしたい』
皇帝の言葉に、皇帝の側近、楽団員の双方が喜んだ。
エレナ女王は感極まった声を出している。
「今日の心温まる素晴らしい音楽会を私は忘れませんわ。陛下にいろいろと大切なことを教わりました。これからは、使用人を音楽会に招待することを誓いますわ」
(まあ、女王も喜んでいるようだし、良しとするか)
とりあえずの成功にエミーユは胸を撫で下ろした。
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