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妻の愛を勝ち取れ/23
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――この男が生きてきた、三百億年の月日はわからない。どんな時代がそこに広がっていたのかも想像がつかない。それなのに、そんな距離をなぜか感じさせない男。
小さな人の心を守るためならば、自身の犠牲をいとわない。たとえ、限りある命であったとしても、強く泣くこともなく、何の戸惑いもなく、子供のために死んでいくのだろう。
いや、違った。ピンチに陥ったら、知らない女に助けられて、どこまでも運だけで生き延びてゆくのだろう。……全然、シリアスにならない。
そうではない。颯茄が描いている小説の世界の法則に、どうやっても当てはまらないのだ。生きている時間が長すぎて。そんな不思議な魅力を持つ、女性的な男。
教師のように導いてくるかと思えば、絶対に引かないと言って、そっぽを向くこともある。先生でありながら対等な関係――
「はい、愛してます」
珍しく表に長居していたヴァイオレットの瞳は、すぐにニコニコのまぶたに隠された。わざとらしく、ゆるゆる~っと語尾を伸ばす。
「君は正直で素直な人ですね~」
十人目。最後の夫。
「あれ? 何で全員知ってるんですか?」
吹き始めた夕風が庭の松の葉を揺らす。平和な風景に、月命の末恐ろしい含み笑いが響き渡った。
「うふふふっ。君がそれぞれに伝えたんです~」
知っているのではない。気づいたが正しい。いつも言わない妻が、いきなり愛していると言ったら、夫たちはおかしいと思うだろう。
ただ隠れんぼをしていた颯茄としては、ワンクッション置かれている話。分家にいる紺の長い髪で、水色の瞳を持つ夫がいるであろう方へ向かって、頭を丁寧に下げた。
「あぁ、よくわからないですけど、光さん、言ってしまいました……」
月命が愛している光命に頭を下げている、同じく彼を愛している妻。彼女のブラウンの髪の向こうには、底辺の違う縁側が横たわっていた。
「彼は優しい人ですね」
「そうですね。みんなのこと大切に想ってるんだから、いつも」
パッと振り返って、颯茄は月命に微笑んだ。細かい理由などどうでもよく、夫たちが幸せなのは、妻にとって嬉しいものだ。
振り返った衝撃で、妻の頬に絡みついた髪を、月命は指先ですうっと直す。
「君にもですよ」
「え……? 私もですか?」
言っていないから言ってこいと言われた。自分の過失がそこにあると思って、颯茄は一生懸命、夫に言われるたびに、思っていることを言ったまでである。促してくれたことには感謝するが。
そして、月命の綺麗な唇から、こんな言葉が出てきた。
「君が僕たちに愛していると言えば、僕たちの気持ちは君のものです」
和やかな縁側の空気が激変した――
他人のこと優先。だが、引かないところは絶対に引かない、明智家の三女――颯茄は悔しそうに顔を歪めた。
「物じゃないです! 人の心は。捕まえたり、自分の思う通りにはできないです! その人の心は、その人にしか変えられません!」
颯茄は絶対に譲らない。ちょっとした言葉。物だとどこかで思っているのならば、通り過ぎてゆくだろう。
三百億年も生きてきた月命。人の気持ちを変えられるなどという、傲慢な女になど興味はないのだ。
マゼンダ色の髪の上から、銀のティアラはすっと外され、縁側の板の間に置かれた。
「よくできました。ご褒美です」
罠だった。この男も策士なのだから。
「え……?」
怒っていることさえも忘れさせることができる、計算された策。月命の手が目隠しするように、妻の瞳はそっと閉じられ、ベビーピンクの口紅をした夫の唇は吸い付くように妻のそれに触れた。
――石けんのいい香りがするキス。
不意に吹いてきた風が、二人の長い髪を宙で重なり合わせる。どこまでも静かな本家の縁側。
もう鬼はいない。だから、誰も止めにこない。これも月命の策。妻にわからないように上げる、内手首の腕時計は、
十六時六分五十秒。あと残り十秒――。
落ち着きと冷静さは持っているが、感情のない夫は、妻からすっと身を引いて、
「それでは、僕たちの家の玄関に戻りましょうか? 時間ですから~」
「時間? 何の?」
人が多く関われば、思惑が交差する。どこかずれている妻の頭ではついていけないのだった。
月命が瞬間移動をかけると、妻もお茶もティアラも全て縁側からなくなった。
三女と婿養子が消え去ると、斜め右前の障子戸がすっと開いた。畳の上の文机には、大人の手で広げられた手紙があった。その文章は、漢字が混じっていたが、文字の大きさがバラバラでつたない線で書かれていた。
*
分家の玄関ロビー。緑を基調としたステンドグラスを埋め込んだ両開きの扉は、廊下を挟んだ向こう側にある。少し奥まったところにある吹き抜け。
長い朱色の椅子の上に、フェルト生地でできた雪の結晶、雪だるま、ミカンなどが、つるしびなのように下がっている。
積雪をイメージして、乳白色の大理石の上にわざと敷いた白の絨毯。それが汚れることはなく、いつまでも新雪のようにフワフワと家族を出迎える。
九人の夫たちがそれぞれの位置と格好で待っていると、すうっと颯茄と月命が最後の鬼ごっこを終えた戻ってきた。
時計を常に気にしいている光命、焉貴、月命、孔明の心のうちで、密かにカウントダウンが始まる。
現在の時刻、十六時零六分五十五秒。あと五秒――。
颯茄は雅な茶会にでも、イケメン十人が招待されたみたいな、玄関ロビーの入り口で、風景を思う存分楽しむ。
あと四秒――。
嵐の前のような静けさ。
あと三秒――。
誰も話さなくても、妻にはどうでもよく。
あと二秒――。
玄関の扉を背に、無防備に立ち尽くす。
あと一秒――。
颯茄の深緑のベルベットブーツは夢見ごごちに、その場でグラグラと揺れ出した。
零、十六時七分ちょうど――。
小さな人の心を守るためならば、自身の犠牲をいとわない。たとえ、限りある命であったとしても、強く泣くこともなく、何の戸惑いもなく、子供のために死んでいくのだろう。
いや、違った。ピンチに陥ったら、知らない女に助けられて、どこまでも運だけで生き延びてゆくのだろう。……全然、シリアスにならない。
そうではない。颯茄が描いている小説の世界の法則に、どうやっても当てはまらないのだ。生きている時間が長すぎて。そんな不思議な魅力を持つ、女性的な男。
教師のように導いてくるかと思えば、絶対に引かないと言って、そっぽを向くこともある。先生でありながら対等な関係――
「はい、愛してます」
珍しく表に長居していたヴァイオレットの瞳は、すぐにニコニコのまぶたに隠された。わざとらしく、ゆるゆる~っと語尾を伸ばす。
「君は正直で素直な人ですね~」
十人目。最後の夫。
「あれ? 何で全員知ってるんですか?」
吹き始めた夕風が庭の松の葉を揺らす。平和な風景に、月命の末恐ろしい含み笑いが響き渡った。
「うふふふっ。君がそれぞれに伝えたんです~」
知っているのではない。気づいたが正しい。いつも言わない妻が、いきなり愛していると言ったら、夫たちはおかしいと思うだろう。
ただ隠れんぼをしていた颯茄としては、ワンクッション置かれている話。分家にいる紺の長い髪で、水色の瞳を持つ夫がいるであろう方へ向かって、頭を丁寧に下げた。
「あぁ、よくわからないですけど、光さん、言ってしまいました……」
月命が愛している光命に頭を下げている、同じく彼を愛している妻。彼女のブラウンの髪の向こうには、底辺の違う縁側が横たわっていた。
「彼は優しい人ですね」
「そうですね。みんなのこと大切に想ってるんだから、いつも」
パッと振り返って、颯茄は月命に微笑んだ。細かい理由などどうでもよく、夫たちが幸せなのは、妻にとって嬉しいものだ。
振り返った衝撃で、妻の頬に絡みついた髪を、月命は指先ですうっと直す。
「君にもですよ」
「え……? 私もですか?」
言っていないから言ってこいと言われた。自分の過失がそこにあると思って、颯茄は一生懸命、夫に言われるたびに、思っていることを言ったまでである。促してくれたことには感謝するが。
そして、月命の綺麗な唇から、こんな言葉が出てきた。
「君が僕たちに愛していると言えば、僕たちの気持ちは君のものです」
和やかな縁側の空気が激変した――
他人のこと優先。だが、引かないところは絶対に引かない、明智家の三女――颯茄は悔しそうに顔を歪めた。
「物じゃないです! 人の心は。捕まえたり、自分の思う通りにはできないです! その人の心は、その人にしか変えられません!」
颯茄は絶対に譲らない。ちょっとした言葉。物だとどこかで思っているのならば、通り過ぎてゆくだろう。
三百億年も生きてきた月命。人の気持ちを変えられるなどという、傲慢な女になど興味はないのだ。
マゼンダ色の髪の上から、銀のティアラはすっと外され、縁側の板の間に置かれた。
「よくできました。ご褒美です」
罠だった。この男も策士なのだから。
「え……?」
怒っていることさえも忘れさせることができる、計算された策。月命の手が目隠しするように、妻の瞳はそっと閉じられ、ベビーピンクの口紅をした夫の唇は吸い付くように妻のそれに触れた。
――石けんのいい香りがするキス。
不意に吹いてきた風が、二人の長い髪を宙で重なり合わせる。どこまでも静かな本家の縁側。
もう鬼はいない。だから、誰も止めにこない。これも月命の策。妻にわからないように上げる、内手首の腕時計は、
十六時六分五十秒。あと残り十秒――。
落ち着きと冷静さは持っているが、感情のない夫は、妻からすっと身を引いて、
「それでは、僕たちの家の玄関に戻りましょうか? 時間ですから~」
「時間? 何の?」
人が多く関われば、思惑が交差する。どこかずれている妻の頭ではついていけないのだった。
月命が瞬間移動をかけると、妻もお茶もティアラも全て縁側からなくなった。
三女と婿養子が消え去ると、斜め右前の障子戸がすっと開いた。畳の上の文机には、大人の手で広げられた手紙があった。その文章は、漢字が混じっていたが、文字の大きさがバラバラでつたない線で書かれていた。
*
分家の玄関ロビー。緑を基調としたステンドグラスを埋め込んだ両開きの扉は、廊下を挟んだ向こう側にある。少し奥まったところにある吹き抜け。
長い朱色の椅子の上に、フェルト生地でできた雪の結晶、雪だるま、ミカンなどが、つるしびなのように下がっている。
積雪をイメージして、乳白色の大理石の上にわざと敷いた白の絨毯。それが汚れることはなく、いつまでも新雪のようにフワフワと家族を出迎える。
九人の夫たちがそれぞれの位置と格好で待っていると、すうっと颯茄と月命が最後の鬼ごっこを終えた戻ってきた。
時計を常に気にしいている光命、焉貴、月命、孔明の心のうちで、密かにカウントダウンが始まる。
現在の時刻、十六時零六分五十五秒。あと五秒――。
颯茄は雅な茶会にでも、イケメン十人が招待されたみたいな、玄関ロビーの入り口で、風景を思う存分楽しむ。
あと四秒――。
嵐の前のような静けさ。
あと三秒――。
誰も話さなくても、妻にはどうでもよく。
あと二秒――。
玄関の扉を背に、無防備に立ち尽くす。
あと一秒――。
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