26 / 28
妻の愛を勝ち取れ/22
しおりを挟む
ブラックアウトが一瞬起こると、景色がガラッと変わった。近くにあった空はいつもの高さにあり、天井が少しだけ広がる。かすかに香るヒノキの緑深い匂い。
キョロキョロとする颯茄の、どこかずれているクルミ色の瞳には白いものが映り込んでいた。
「え? ここどこ?」
「本家の縁側です」
月命の内手首にある腕時計は、
十五時五十七分四十八秒。十六時七分まで、残り九分十二秒――。
ベビーピンクの口紅をしている夫の口から出てきた場所が場所なだけに、
「えぇっ!? 父上の家っっ!?!?」
颯茄のびっくりした声が屋敷中に響き渡った。この夫は何てことをしてくれたのだと、妻は思うのである。
「えぇ」
月命は涼しい顔をして、どこから出してきたのか、湯飲みを両手で品良く持って、緑茶をすすった。この家の三女は婿養子に近づいて、小声で懸命に注意する。
「叱られますよ! 玄関からじゃなくて、いきなり中に入ったら……」
筋の通っていないものを許さない家長である。突然、縁側になんか直接きたら、絶対に畳の上に正座である。その運命は免れない。
「そちらの時はそちらの時です~」
言っても聞きやしない。いや、家長よりもはるかに長く生きている夫。正座など大したことではないどころか、逆に楽しいのである。ドMにとっては。
颯茄はあきらめて、自分の隣にいつの間にか置いてあった湯飲みを取り上げた。夫婦そろって眺める景色は、灯篭や砂紋が広がる和テイストの庭だった。
「でも、久しぶりです。ここのコの字の縁側に座って中庭を見るのって……」
両斜め前には、きちんと閉められた障子戸が並ぶ。兄弟たちのほとんどが学校で、静かな屋敷。同じスカートを履いて、足を崩して座る妻と夫。
月命の凜とした澄んだ女性的な声が不意に響いた。
「結婚当初はこちらで暮らしていたそうですね?」
もう九年近くも前のことだ。子供もいない時。蓮がいきなり目の前に現れて、小さい頃の記憶はそのあとから付け加えられたもの。順番も出会いもめちゃくちゃでバラバラなスタートだった。
颯茄は湯飲みを両手でそっと包み込む。
「はい。でも、叱られました」
「なぜですか?」
颯茄のファザコンっぷりが出てくる。
「蓮と結婚してるのに、私は父上、父上だったんです。だから、家から出て、二人で生きなさいって言われて、隣に家を建てたんです」
ヴァイオレットの瞳は斜め右前にある障子戸のひとつをちらっと見た。
「親心だったんでしょうね」
「はい」
父の言葉がなかったら、いつまでもたっても、蓮との距離は縮まらず、許嫁のままだったのかもしれない。今の結婚もなかったかもしれない。颯茄は素直に思うのだ。
月命は基本、口数の少ない男だ。策を張る時は、相手の動きを制限するために、言葉が長く連ねるのであって、本来はあまり話はしない。二人でただお茶を飲んで時がゆったりと過ぎてゆく。
カコーンと鹿威しが響いて、精神を清めてくれる。
不思議な運命だと、颯茄は思う。この縁側を娘として眺めていた頃、この男と結婚するとは思っていなかった。女性を気絶させ、プロポーズまでさせ、それでも独身でいた。
歴史教師として、カエルの被り物をして、小学校へ行って、どこか別世界の人だった。十五年前は、カエル先生と呼ばれ、今も生徒に慕われている男。
白のチャイナドレスミニを着て、厳格な家長のいる縁側に堂々と座っている。筋の通った理由があるはずだ。そうでなければ、今ごろ雷が落ちている。
「そういえば、どうして、女装してるんですか?」
綺麗なメイクをした、ニコニコの笑みがこっちへ向いた。
「こちらの服装で学校へ行くと、生徒たちが、『先生、どうして男の人なのに、女の人の服着てるの? おかしい』と言って、笑ってくれるんです」
昔もそう。子供が喜ぶから、カエルの被り物をしていた。幸せを分けてもらったようで、颯茄は淡い青に変わり始めた空を見上げた。
「生徒の笑顔のためですか……」
「えぇ」
だが、気になるのだ。女装する夫。十人いても、一人しかいない。いや、できない。颯茄は湯飲みを置いて、膝の上に乗せられている、月命の手を取り上げた。
「でも不思議ですよね。手とかはどうやっても男の人の線なのに、ドレスが似合ってる……。ティアラもミスマッチなはずなのに合ってる」
おかしいのだ。よく見ると違うのに、なぜか狐にでも化かされたみたいなのだ。
「でも、それが月さんなのかもしれないですね」
だが、こうやって、この妻は夫のことを、軽く飛び越えて理解していってしまう。
月命の手から湯飲みは床に座らされて、妻の手を握り返した。凛として澄んだ儚げで丸みのある男性の声で、愛が綴られる。
「愛しい僕のお嫁さん。愛していますよ――」
キョロキョロとする颯茄の、どこかずれているクルミ色の瞳には白いものが映り込んでいた。
「え? ここどこ?」
「本家の縁側です」
月命の内手首にある腕時計は、
十五時五十七分四十八秒。十六時七分まで、残り九分十二秒――。
ベビーピンクの口紅をしている夫の口から出てきた場所が場所なだけに、
「えぇっ!? 父上の家っっ!?!?」
颯茄のびっくりした声が屋敷中に響き渡った。この夫は何てことをしてくれたのだと、妻は思うのである。
「えぇ」
月命は涼しい顔をして、どこから出してきたのか、湯飲みを両手で品良く持って、緑茶をすすった。この家の三女は婿養子に近づいて、小声で懸命に注意する。
「叱られますよ! 玄関からじゃなくて、いきなり中に入ったら……」
筋の通っていないものを許さない家長である。突然、縁側になんか直接きたら、絶対に畳の上に正座である。その運命は免れない。
「そちらの時はそちらの時です~」
言っても聞きやしない。いや、家長よりもはるかに長く生きている夫。正座など大したことではないどころか、逆に楽しいのである。ドMにとっては。
颯茄はあきらめて、自分の隣にいつの間にか置いてあった湯飲みを取り上げた。夫婦そろって眺める景色は、灯篭や砂紋が広がる和テイストの庭だった。
「でも、久しぶりです。ここのコの字の縁側に座って中庭を見るのって……」
両斜め前には、きちんと閉められた障子戸が並ぶ。兄弟たちのほとんどが学校で、静かな屋敷。同じスカートを履いて、足を崩して座る妻と夫。
月命の凜とした澄んだ女性的な声が不意に響いた。
「結婚当初はこちらで暮らしていたそうですね?」
もう九年近くも前のことだ。子供もいない時。蓮がいきなり目の前に現れて、小さい頃の記憶はそのあとから付け加えられたもの。順番も出会いもめちゃくちゃでバラバラなスタートだった。
颯茄は湯飲みを両手でそっと包み込む。
「はい。でも、叱られました」
「なぜですか?」
颯茄のファザコンっぷりが出てくる。
「蓮と結婚してるのに、私は父上、父上だったんです。だから、家から出て、二人で生きなさいって言われて、隣に家を建てたんです」
ヴァイオレットの瞳は斜め右前にある障子戸のひとつをちらっと見た。
「親心だったんでしょうね」
「はい」
父の言葉がなかったら、いつまでもたっても、蓮との距離は縮まらず、許嫁のままだったのかもしれない。今の結婚もなかったかもしれない。颯茄は素直に思うのだ。
月命は基本、口数の少ない男だ。策を張る時は、相手の動きを制限するために、言葉が長く連ねるのであって、本来はあまり話はしない。二人でただお茶を飲んで時がゆったりと過ぎてゆく。
カコーンと鹿威しが響いて、精神を清めてくれる。
不思議な運命だと、颯茄は思う。この縁側を娘として眺めていた頃、この男と結婚するとは思っていなかった。女性を気絶させ、プロポーズまでさせ、それでも独身でいた。
歴史教師として、カエルの被り物をして、小学校へ行って、どこか別世界の人だった。十五年前は、カエル先生と呼ばれ、今も生徒に慕われている男。
白のチャイナドレスミニを着て、厳格な家長のいる縁側に堂々と座っている。筋の通った理由があるはずだ。そうでなければ、今ごろ雷が落ちている。
「そういえば、どうして、女装してるんですか?」
綺麗なメイクをした、ニコニコの笑みがこっちへ向いた。
「こちらの服装で学校へ行くと、生徒たちが、『先生、どうして男の人なのに、女の人の服着てるの? おかしい』と言って、笑ってくれるんです」
昔もそう。子供が喜ぶから、カエルの被り物をしていた。幸せを分けてもらったようで、颯茄は淡い青に変わり始めた空を見上げた。
「生徒の笑顔のためですか……」
「えぇ」
だが、気になるのだ。女装する夫。十人いても、一人しかいない。いや、できない。颯茄は湯飲みを置いて、膝の上に乗せられている、月命の手を取り上げた。
「でも不思議ですよね。手とかはどうやっても男の人の線なのに、ドレスが似合ってる……。ティアラもミスマッチなはずなのに合ってる」
おかしいのだ。よく見ると違うのに、なぜか狐にでも化かされたみたいなのだ。
「でも、それが月さんなのかもしれないですね」
だが、こうやって、この妻は夫のことを、軽く飛び越えて理解していってしまう。
月命の手から湯飲みは床に座らされて、妻の手を握り返した。凛として澄んだ儚げで丸みのある男性の声で、愛が綴られる。
「愛しい僕のお嫁さん。愛していますよ――」
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
大人の隠れんぼ=旦那編=
明智 颯茄
恋愛
『大人の隠れんぼ=妻編=』の続編。
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
ある日、夫の提案で、夫婦だけで隠れんぼをすることになるのだが、何だかおかしなルールが追加され、大騒ぎの隠れんぼとなってしまう。
しかも、誰か手引きしている人がいるようで……。
*この作品は『明智さんちの旦那さんたちR』から抜粋したものです。
明智さんちの旦那さんたちR
明智 颯茄
恋愛
あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。
奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。
ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。
*BL描写あり
毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~
ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。
2021/3/10
しおりを挟んでくださっている皆様へ。
こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。
しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗)
楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。
申しわけありません。
新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。
修正していないのと、若かりし頃の作品のため、
甘めに見てくださいm(__)m
おかしな日記
明智 颯茄
エッセイ・ノンフィクション
この日記は常軌を脱しているのだ――
霊感を持ち、あの世のことと、この世のことが同時進行している日々の、おかしな日記。
もっと、簡潔に日々の記録を残しておきたいという、非常に私的なエッセイです。
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる