【完結】捨てられた侯爵令息は、王子に深い愛を注がれる

藍沢真啓/庚あき

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一章

常世

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「ライカンスロープ……」
「ああ……貴族の間では『常世の夢』だったっけ」

 暑くもない室内で、クライドは土気色の肌から大量の汗を流しフレデリクの問いかけを繰り返す。
 『常世の夢』は、ライカンスロープの別称だ。貴族が催淫効果として使用する時の都合良い名称。
 常世というのは神域、もしくは永遠などを意味し、意訳すれば『永遠の夢』ともいえる。あながち間違っていない。一度薬の虜となれば、魂を食い尽くすまで求め、精神を崩壊させて死ぬ。つまり永遠の夢が見れるのだ。

 フレデリクの問いに、クライドは焦点の合わない視線を彷徨わせ、小刻みに震え出す。

「あ……れは……、あれ……は……ミ、リ……アが……」
「ミリア?」
「エミ、リ、アが、つかう、と……キモチイイ、から、って、いっ、て」

 虚ろな目で大量の汗を滴らせ、閉じる事のできなくなった口からは絶え間なくよだれが垂れ、呼吸が荒くなっていく。

「殿下これ以上は……」
「もうちょっと。この質問で終わるから。クライド、君はエミリオの事をどう思っていた? エミリオに言いたい事は?」
「えみり……お、すき……だった……だから、似た……りあを……あがぁぁぁぁ!」
「殿下離れてください! 誰か! 人を頼む!!」

 護衛騎士がフレデリクをクライドから引き離して叫び、すぐに数人の屈強な男達が雪崩込んでくる。暴れ狂うクライドを必死で押さえ、舌を噛まないよう猿轡をして牢へと引きずっていく。
 血走った目を爛々と輝かせ、猿轡を噛まんとばかり歯を打ち鳴らそうとし、隙あらば押さえつける男達を噛もうと暴れる男は、部屋の隅で呆然とするフレデリクの知る貴族の男ではなかった。

 怒号が次第に小さく、途切れるようになると、部屋には静寂が戻ってくる。

「……はぁ……」
「殿下……」

 フレデリクと護衛騎士のふたりだけとなった室内に、沈痛なため息がやけに響く。
 倒れた椅子を起こして力なく座ると、フレデリクは扉を閉める護衛騎士の背中を眺めて口を開いた。

「あれがライカンスロープ中毒者の末路か……。もう人としての理性や感情なんてなくなったかに見えた」
「ええ、そうですね。本能剥き出しの人の形をした獣。そんな印象を受けました」

 既に閉じられたクライドの消えた扉に視線を馳せ、護衛騎士がぽつりと漏らした言葉が、フレデリクの胸に深く刻まれる。

 ライカンスロープの中毒症状は報告として上がって知っているつもりだった。しかし実際に目の当たりにしたフレデリクは、想像以上の地獄絵図に戸惑うばかりだ。

「ノアル済まないが、内密で王城の侍医に連絡を取りたい。それから兄上と話をする時間を作って欲しいと伝えてくれないか?」
「書状はどうしますか」
「いや、駄目だ。下手に形に残ると、アレに気づかれる可能性が高くなる。口伝が難しいなら、ブランを通して向こうの影とやり取りをしてくれないか」
「薬師達に協力を頼むわけには……」
「難しいだろうな。彼らの一部はスーヴェリア家の跡継ぎであるルドルフを信用している。下手に口を滑らせる可能性もある」

 早々にライカンスロープの解析を進めなくてはならない。だが、王城の薬師達に任せれば、すぐさまルドルフの耳目に晒されるだろう。薬師の殆どがルドルフに掌握されてる可能性だってある。そんな所に解析なんて頼めない。
 どうしたらいいのか、と拳を額に押し当て思案するものの、疲れ果てて良い考えが思いつかない。
 警邏隊長に何かあれば知らせを、と言い残してフレデリクはそこを後にした。


 王城に戻る馬車の中、フレデリクは先ほど聞いたクライドの言葉を頭で何度も反芻する。

 ――えみり……お、すき……だった……だから、似た……りあを……

 エミリオ好きだった。だから似たエミリアを、と言いたかったのだろう。

「全部……私のせい。か……」

 自分と趣味嗜好が似ていたクライド。そんな彼にエミリオを預ければ、自ずと彼に惹かれるだろう。しかし王族であるフレデリクから託されたエミリオを伴侶とはいえども手を出すわけにはいかない。
 真面目なクライドは必死に耐えに耐えたのだろう。だからエミリオと同級で容姿の似たエミリアという人物に簡単に陥落し、余計に拗れたのかもしれない。
 それならばそうだと言ってくれれば……後悔しても既に遅いのだが……

「それなら、エミリオ様をご自由にされてはいかがですか」

 ひやりと護衛騎士の放つ言葉にフレデリクは俯けた顔を上げる。

「おおよそ俺の予測ですが、フレデリク殿下もレッセン元伯爵令息もエミリオ様も、みんな言葉が足りなさすぎです。胸に秘めて我慢して壊れるなら、最初から結果はどうなろうとも当たって砕けたらいいんです。俺は平民なのでよく分からないですけど、貴族だって人間じゃないですか。黙ってても何も伝わらないと思いますよ」

 ノアルの言葉は今のフレデリクの胸に深く突き刺さる。
 ある意味、エミリオを信頼していないと同意義だ。

「そうだな……、私は確かに言葉が足りないようだ。あれだけエミリオに好きだの愛してるだの言っておきながら、肝心な話は無意識に避けていたようだな」
「でしたら、一度腹を割って話したらいかがです? これはおふたりを見ていた俺の勘ですけど、エミリオ様、きっとフレデリク様の事を好きだと思いますし、もっと殿下との距離を縮めたいと感じましたけどね」
「本当か?」

 フレデリクは信じられないと言わんばかりに瞠目し、希望に縋るように護衛騎士に問いかける。だが。

「俺の勘ってだけです。正しいかは本人に尋ねてください。ところで今日はこのままエミリオ様の所に帰られますか?」

 冷たくノアルは突き放し、それでも今後の予定を尋ねた。

「あー、そうだね。今日はもう仕事にならないだろうし、早くエミリオに会いたいな……」
「それなら……」
「フレデリク殿下! 先ほど聴取されていた男が急に……!」

 腰を上げた所で、警邏隊長が扉を蹴飛ばす勢いのまま飛び込んでくる。
 それは、長年の友人だった男の死を報せるものだった。
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