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一章

噂話

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 感情のままに泣いて喚いたエミリオの心中は、フレデリクの前で醜態を見せたもののすっきりしていた。
 護衛騎士が改めて持ってきてくれた朝食を食べ、それからエミリオはフレデリクと共に自分の泊まっていた宿へと戻った。

「すまない、心配かけて」
「いえ、ご無事な様子で安心しました」

 御者に謝罪を入れると、ちらりとエミリオの隣に立つフレデリクを流し見て、それからエミリオに微笑を浮かべて応える。そこまで多く交流した事はないが、彼のぎこちない様子にエミリオは首を傾げながらも、隣にフレデリクがいて緊張しているのかもしれないと結論に至った。

「それで今後の事だけど……」

 フレデリクが前置きをして口火を切る。そして――


「フレデリク様は勝手すぎます」
「ん? 何がかい?」

 露天の林檎を手に、エミリオの不機嫌な声に振り返るフレデリクは、どうしてそんなに機嫌が悪いのかな、と悪びれもなく問い返してくる。
 ふたりは、予定外の人数が増えた為に野営用の食材を買いに来ている途中だった。

「同行の事です。どうしてフレデリク様が一緒に行くのですか?」

 多くの護衛騎士を城へ先に戻し、フレデリクといつも一緒にいた側近の護衛騎士と御者が交代で馬車を操り、フレデリクはエミリオと馬車での移動をすると告げたのだ。
 当然の事ながら御者はエミリオだけでなく国の王子を乗せての運転などできないと、今にも失神しそうに顔を白くさせた。それはそうだろう。何かで怪我でもさせたら彼の首だけでなくスーヴェリア一家の命さえ簡単になくなるのだ。

 エミリオですら、その話を聞かされた時は、目の前が真っ暗になったものである。

「君たちは私の体を案じているけど、私だって前は騎士団に居て従軍していたんだよ? 野営も何度も経験しているし、ひ弱な王子じゃない。自分の身は自分で守れる」
「ですが……」
「むしろ心配なのはエミリオの方だよ。ずっと引きこもっていたんだろう? 体力も落ちてるようだし、君は私が守ってあげるからね」

 ふわりと微笑んで特大爆弾発言をするフレデリクに、エミリオは林檎よりも顔も首も真っ赤にして俯いてしまった。どうして臆面もなくエミリオに甘い言葉を投げ込んでくるのか。

 確かにエミリオは非力だ。体に女性器官があると分かってからは、ほぼ軟禁状態で家に閉じこもっていた。かろうじて学園の通学は許されたものの、例の件・・・が起こってからは学園の寮から殆ど外に出ないようにしていた。
 クライドと結婚してからは社交に時折出席する位で、それも最初の一年以外はエミリアが参加していたようだ。だから場所が変わってみエミリオはクライドの両親から「子供はまだか」と催促され、針のむしろを送っていた。
 今もそうだ。日がな読書で時間を過ごし、たまに祖父母の手伝いをする程度。
 ひょろひょろの棒きれのような体なのは自覚している。だからこそ、今回の王都行きも余裕を持って行動しているのだ。フレデリクに頼るのもなんだか嫌だった。

「フレデリク殿下・・、僕はあなたの知るか弱い僕ではないんです。さ、さっきは気が緩んで泣いてしまいましたが……」
「うん、そうだね。エミリオは私と秘密のお茶会をしていた頃よりも背も伸びたし、綺麗になった。でも、だからといって、君にプロポーズした私を『殿下』と呼ぶのはやめてくれないか?」

 君が拒絶しているようで悲しい、と眉根を下げて悲壮感たっぷりな顔をしてくるフレデリクに、エミリオは「分かりましたっ」と言い捨て、逃げるようにフレデリクと距離を取る。
 まるで懐きそうで懐かない仔猫のようだと内心でフレデリクは思ったが、それを言葉にしようものなら今度こそフレデリクは怒ってしまうだろうと、露天の店主に金貨数枚を渡して唇に人差し指を当てて微笑んだ。

 エミリオは少し迂闊というか、世間知らずな部分がある。こんな人通りの多い場所で『殿下』なんて呼べば、頭からフードを被って髪を隠したとしても身元が割れてしまう。かろうじて人ごみに紛れるように護衛が居てくれるので、大々的にバレはしないだろうが、流石に目の前の人間の耳に入る。林檎の代金と口止め料を含めて多めの金を渡した。
 店主はコクコクと頷く。フレデリクは「よろしく頼むよ」と言って林檎を一口齧った。


 フレデリクを置いて別の露天へと移動したエミリオは、高鳴る心臓を服の上から掴み、熱い吐息をこぼした。
 自分でもらしくない、と思う。これまで色んな人間に振り回されてきたが、心まで揺さぶられる相手はフレデリクだけだ。
 フレデリクは優しい。こんな不気味な存在のエミリオにプロポーズしてくれて、尚且つ返事もしていないのに勞ってくれる。

 クライドと離婚して一年。まだ心の傷は完全に癒え切った訳ではない。フレデリクに心揺さぶられるけど、恋をするのが怖い。今度こそ裏切られたら、自分は完全に壊れてしまう、とどこかで自覚していたからだ。
 慎重にフレデリクとの事は答えを出そうとエミリオは胸の内で決め、燻製肉と腸詰を買い、再び足を動かす。フレデリクは護衛がいるので問題ないだろう。

「そういえば聞いた? 今、王都で変なお香が流行してるの」
「えぇ? なにそれ」
「わたしも良く知らないけど、貴族や豪商の間で使われてるんだって」
「でも、お香ならわたしたちも使うじゃない」
「わたしたちのは虫避けとか芳香剤代わりでしょ。そのお香は匂いを嗅いだ人を幸せな気分にしてくれるんだって」
「ふうん、役に立つのか立たないのか分からない代物ね。平民のわたしたちには不要の長物だわ」
「確かに」

 ふと、エミリオの近くの雑踏の中からそんなやり取りが聞こえてきた。幸せにしてくれるお香? なんだか耳障りが良すぎて薄気味悪い。

「エミリオ、危ないからひとりでうろうろしちゃ駄目だよ」

 肩をぽんと叩かれ振り返ると、フレデリクが少し焦ったように息を乱して立っていた。上がった体温と汗から立ち上る微かな爽やかな香り。きっとお香を焚き染めて服に匂い付けしたのだろう。王都では女性も男性も、金銭余裕がある人のおしゃれのひとつとしてお香は利用されているのをエミリオは知っていた。

(人を幸せにしてくれるお香……か。そんな物が存在するのなら、僕もここまで苦しまなくても済むのかな……)

 そんな考えが脳裏をよぎるものの、すぐさま否定する。
 幸せは物に頼って手に入れるものではない。自分の努力で、向かい合って掴み取るものだ。

 エミリオは顔を曇らせるフレデリクに「すみません」と謝罪して、買い物を続けたのだった。
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