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一夜 聚首歓宴(しゅうしゅかんえん)の盃

一夜 聚首歓宴の盃 27

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 貴妃がグラスを拾い上げた。
「手を放せ、貴妃!」
 その言葉を放ったのは舜ではなく、冷たい腹を抱える炎帝であった。
 刹那、グラスの中から、『彼ら』が一斉に溢れ出した。それは白い靄となり、見る間に貴妃の体を覆い尽くした。
 聞いたことはないだろうか。吸血鬼が、霧や狼、蝙蝠に変身できるという話を――。『彼ら』もまた、その力を有しているのだ。今、白い霧となって、貴妃に襲い掛かっているように。
「ギャアアア――――っ!」
 凄まじい悲鳴が、虚空を裂いた。
 貴妃の体が、急速に血を吸われて萎んで行く。
 そして、大きな《朱珠の実》が床に落ちた。
 それは、床に落ちると同時に、破裂した。
 灰と化した《朱珠の実》が、漆黒の空間に、さらさらと漂う。
 貴妃の体は、晩秋に舞う木の葉のように、枯れ果てていた。
 一滴残らず、血を吸われたのだ。全身の血を、瞬く間に。
 何という強大な力を秘めた〃一族〃なのであろうか。あの黄帝が、友人と認めて側に置いているはずである。
「水が意志を持っているとは、な。――いや、水とも思えん。『彼ら』は同族だな」
 炎帝が言った。
 呪術師や科学者の血を吸い尽くしたのも、また、『彼ら』なのだ。そして、誰かに奪われた訳ではなく、『彼ら』の意志で、舜の前へと姿を見せた。さっきの魔氷の気の放出で、舜の居所を知ったのかも知れない。
「黄帝がそなたを一人で寄越したはずだ。『彼ら』をそなたの護衛につけていたのなら、心配もなかったであろう。ここは私に分が悪い。私の力が完全に回復するまで、身を引くとしよう」
「え? あ、待てよ! オレは自分の力であんたを倒すんだっ。でなきゃ、黄帝に馬鹿にされるじゃないか!」
 舜は、ガバっと身を起こした。
 興じるような、笑みが零れ落ちた。
「今のそなたには到底無理だ。また会おう」
 その言葉だけを残し、炎帝の姿は、部屋から消えた。
 貴妃のミイラも、それと同時に消えていた……。



「このクソおやじっ! よくもオレに偽物の盃を持たせたなっ。端からオレのことを信用してなかったんだろ!」
 最峰の居に帰るなり、舜は、銀髪の青年に食ってかかった。
 外は、新月の心地よい夜である。
「帰って来たら、まず『ただいま』と言うのか礼儀でしょう」
「ただいまっ。――本物はどこにあるんだよ。オレはあの偽物の盃のせいで酷い目に遭ったんだ」
 本当は盃のせいではなく、あれがもし本物であったなら、舜は用済みとして殺されていたかも知れないのだが、ここはそう言っておいた方が得である。
「うーん……」
「うーん、じゃねーよっ。さっさと出せよ! オレはその本物の盃を持って、もう一回、あいつを呼び出すんだっ。あいつは今、オレの気を食らって弱ってるから、今が一番のチャンスなんだ。体が回復して、力まで完全に戻ったら、もう勝てないかも知れないんだぞ!」
「君の言い分も解りますが……。その前に、そこにいる青年のことを説明してくれませんか?」
 黄帝の視線の先には、虚ろな眼をしたデューイが立っていた。


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