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3.私は……
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ベッドに潜り込むと静寂が私を包み込んだ。布団をかぶっていても、天井を見上げていても心の中の波が収まる気配がない。グラムエルの言葉が頭の中で反響するかのようだ。「結婚は契約だ」という彼の言葉が、まるで私を試すかのように何度も何度も繰り返しては引いていく。
彼の優しい笑顔の裏には一体何が隠れているのか、私の心の奥には恐れと疑念が渦巻いている。これまでの三年間、私たちは何も築いていない。交わした言葉は表面をなぞるだけの無感情な文字だけに思える。
最初から間違っていたのではないか。元々愛のない生活から始めたのだから、このまま永遠に愛を育まない生活を続けていくのではないか。そう考えると胸が締め付けられるようだった。
自分が何を望んでいるのか、どうしたいのか。カトリーヌに言われた言葉が頭の中で回り続ける。無理に誰かに合わせる必要はない、という言葉が私を少しずつ解放しようとしている。しかし現実にはグラムエルとの関係を投げ捨てる勇気が持てないのだ。
このままではいけないと思いつつ、結婚生活を終わらせる決断もその後に一人で生活していける自信もなかった。すでに社会から遠のいてしまった自分に何ができるのだろうか。彼との関係を壊すことで全てを失ない、命までも失われるのではないか。その恐怖が私を萎縮させていく。
それからは毎日のように眠れない日々が続く。心の中で何度も「本当にこれが私の望んだ未来なのか」と自問し続けてしまい休まる時がない。グラムエルとの結婚は安定をもたらしてはいるけれど、それは本当に私を幸せにしているのだろうか。
たとえ眠ることができたとしても今度は朝がやって来ることが怖い。差し込む朝日は未来を表していると言うのに、私には夢に見ているのと同じ、孤独で暗い未来しか想像できないからである。
こうして眠れなくなってから七日目の朝、私はとうとう決断した。今の生活を棄てることではない。『私は何がしたいのか』に対する答えを導くために考えること逃げず向き合うのだと。
私は朝食も食べずにノートへ向かい、一心不乱に今の気持ち書き留めていった。結婚前の生活から始めてプロポーズのこと、最初のひと月のこと、グラムエルの笑顔のこと。ほかにも働かずに済んでいることで得られたもの、時間、精神的余裕など思いつくものすべて。
そして次に変わってしまったこと、棄ててしまったもの、恐れているもの、無くしたもの、同じようになんでも思いつくままに書き込んでいった。段々と気持ちの整理がついて行ったのか、心が軽くなっていくと感じる。
さらにはグラムエルに対する気持ちも書き記していく。好きなところ、笑顔、優しさ、働き者、安定した生活…… 次も同じことだ。興味を持たれていないこと、指一本触れられていないこと、心配をしないこと、一緒に食事をしないこと……
ノートに書き殴って行くうちに気が付いた。まだ書いていない言葉があると。それこそが私に足りなくて一番欲しいもののような気がする。私は何も書かれていない最後のページを広げた。
そのままほぼ無意識に『愛されたい』と書きこんだ瞬間、何かが弾けるように心が軽くなり、痛くなり、苦しくなり、そして明るく晴れていった。今まで我慢してきたもの、諦めていたもの、押し殺して来たものこそ愛であったのだ。
思い返せば私は愛を知らない。物心ついたころにはすでに一人、施設では流れ作業的に子供たちが育てられ、少し大きくなるとその手伝いへと回される。まるで工場のようだった。
男児は十を超えた頃になるとどこかへ連れて行かれたが、隣国との戦争用の使い捨て兵士だと噂されていた。女児は裁縫や洗濯、掃除などの家事を叩きこまれ売られていく商品だ。
器量が良ければ貴族が買ってくれる場合もあるが、私のような不細工は成金や日雇いメイド派遣所程度しか行き場がない。もちろん給料など出ずに日に一度程度の食事が貰えるだけ。体を壊せば棄てられるだけである。
私の場合は運が良かった。前王立薬草研究所所長の料理係見習いとして買われたのだ。そこで野菜の扱いと物覚えの速さを見いだされ調理補助の傍らで文字を覚えたあと、資料整理係へ抜擢された。これは奴隷から一般人への昇格とも言える快挙だ。
そこから十四年ほど同じ仕事を続けていたところ、グラムエルに妻として迎えら得たのだった。こんな奇跡的な人生そうそう送れるものではなく、私はどう考えても恵まれている。
それなのにまだ満足せずに違う生活を求めるのだろうか。『愛されたい』と言う言葉が私に絡みついて心を惑わせる。愛される奴隷と愛されない妻ならどちらがマシだろう。奴隷が愛されるはずもないのについそんなことまで考えてしまう。
だが既にこの時心は決まっていた。やはり私は愛されてみたいのだ。それがどんな立場であろうと、誰にだろうと、一度でいいから愛されたい。できることならもう三年も一緒にいるのだからグラムエルに愛してもらいたいとも考えていた。
問題は全てを棄てる覚悟を以て、彼に向き合うことができるかどうか、ただそれだけである。失敗したら命がないと思わなくてはならない。別に彼に殺されるはずはないが、追い出されるくらいは十分にあり得る。
考えるだけで鼓動が早くなり汗がにじみ出てくる。それでも私は彼の帰りをただただ待っていた。
彼の優しい笑顔の裏には一体何が隠れているのか、私の心の奥には恐れと疑念が渦巻いている。これまでの三年間、私たちは何も築いていない。交わした言葉は表面をなぞるだけの無感情な文字だけに思える。
最初から間違っていたのではないか。元々愛のない生活から始めたのだから、このまま永遠に愛を育まない生活を続けていくのではないか。そう考えると胸が締め付けられるようだった。
自分が何を望んでいるのか、どうしたいのか。カトリーヌに言われた言葉が頭の中で回り続ける。無理に誰かに合わせる必要はない、という言葉が私を少しずつ解放しようとしている。しかし現実にはグラムエルとの関係を投げ捨てる勇気が持てないのだ。
このままではいけないと思いつつ、結婚生活を終わらせる決断もその後に一人で生活していける自信もなかった。すでに社会から遠のいてしまった自分に何ができるのだろうか。彼との関係を壊すことで全てを失ない、命までも失われるのではないか。その恐怖が私を萎縮させていく。
それからは毎日のように眠れない日々が続く。心の中で何度も「本当にこれが私の望んだ未来なのか」と自問し続けてしまい休まる時がない。グラムエルとの結婚は安定をもたらしてはいるけれど、それは本当に私を幸せにしているのだろうか。
たとえ眠ることができたとしても今度は朝がやって来ることが怖い。差し込む朝日は未来を表していると言うのに、私には夢に見ているのと同じ、孤独で暗い未来しか想像できないからである。
こうして眠れなくなってから七日目の朝、私はとうとう決断した。今の生活を棄てることではない。『私は何がしたいのか』に対する答えを導くために考えること逃げず向き合うのだと。
私は朝食も食べずにノートへ向かい、一心不乱に今の気持ち書き留めていった。結婚前の生活から始めてプロポーズのこと、最初のひと月のこと、グラムエルの笑顔のこと。ほかにも働かずに済んでいることで得られたもの、時間、精神的余裕など思いつくものすべて。
そして次に変わってしまったこと、棄ててしまったもの、恐れているもの、無くしたもの、同じようになんでも思いつくままに書き込んでいった。段々と気持ちの整理がついて行ったのか、心が軽くなっていくと感じる。
さらにはグラムエルに対する気持ちも書き記していく。好きなところ、笑顔、優しさ、働き者、安定した生活…… 次も同じことだ。興味を持たれていないこと、指一本触れられていないこと、心配をしないこと、一緒に食事をしないこと……
ノートに書き殴って行くうちに気が付いた。まだ書いていない言葉があると。それこそが私に足りなくて一番欲しいもののような気がする。私は何も書かれていない最後のページを広げた。
そのままほぼ無意識に『愛されたい』と書きこんだ瞬間、何かが弾けるように心が軽くなり、痛くなり、苦しくなり、そして明るく晴れていった。今まで我慢してきたもの、諦めていたもの、押し殺して来たものこそ愛であったのだ。
思い返せば私は愛を知らない。物心ついたころにはすでに一人、施設では流れ作業的に子供たちが育てられ、少し大きくなるとその手伝いへと回される。まるで工場のようだった。
男児は十を超えた頃になるとどこかへ連れて行かれたが、隣国との戦争用の使い捨て兵士だと噂されていた。女児は裁縫や洗濯、掃除などの家事を叩きこまれ売られていく商品だ。
器量が良ければ貴族が買ってくれる場合もあるが、私のような不細工は成金や日雇いメイド派遣所程度しか行き場がない。もちろん給料など出ずに日に一度程度の食事が貰えるだけ。体を壊せば棄てられるだけである。
私の場合は運が良かった。前王立薬草研究所所長の料理係見習いとして買われたのだ。そこで野菜の扱いと物覚えの速さを見いだされ調理補助の傍らで文字を覚えたあと、資料整理係へ抜擢された。これは奴隷から一般人への昇格とも言える快挙だ。
そこから十四年ほど同じ仕事を続けていたところ、グラムエルに妻として迎えら得たのだった。こんな奇跡的な人生そうそう送れるものではなく、私はどう考えても恵まれている。
それなのにまだ満足せずに違う生活を求めるのだろうか。『愛されたい』と言う言葉が私に絡みついて心を惑わせる。愛される奴隷と愛されない妻ならどちらがマシだろう。奴隷が愛されるはずもないのについそんなことまで考えてしまう。
だが既にこの時心は決まっていた。やはり私は愛されてみたいのだ。それがどんな立場であろうと、誰にだろうと、一度でいいから愛されたい。できることならもう三年も一緒にいるのだからグラムエルに愛してもらいたいとも考えていた。
問題は全てを棄てる覚悟を以て、彼に向き合うことができるかどうか、ただそれだけである。失敗したら命がないと思わなくてはならない。別に彼に殺されるはずはないが、追い出されるくらいは十分にあり得る。
考えるだけで鼓動が早くなり汗がにじみ出てくる。それでも私は彼の帰りをただただ待っていた。
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