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本編
第二十六話 案外つまらないものなのかもしれません
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サトシの命を受け、前線部隊は侵攻を再開した。
ターニャの率いる紅月隊一番隊は、戦闘対象であったティガシンファがヌージィガの傘下に加わったことで、ティガシンファ国内を移動し、隣のエンディアに向かっていた。
道中、一服の休息をとることと、他部隊との合流のためにティガシンファの首都であるシェンコに立ち寄った。
つい先日まで敵対していた国だ。国民感情は非常に敵対的であるのは当然といえた。
「隊長、また宿に断られてしまいました」
「そうか……仕方ない、市街地の外で野営することにしよう」
ティガシンファの国王は王命によってヌージィガ軍の行軍を邪魔しないように国民に触れを出していたが、国民たちは「邪魔しない」以上の事については一切の協力を拒んだ。
ターニャたちは仕方なく郊外まで移動し、静かな川辺に野営地を構えた。
ここで同じ紅月隊の二番隊、三番隊と合流し、エンディアへ攻め入る計画だ。
翌日、二番隊と三番隊がシェンコ入りした。
「兄者!」
三番隊隊長のルマンに抱き着くターニャ。
紅月隊一番隊から三番隊までの隊長三名は兄妹なのだ。
ターニャはこの長兄を敬愛している。
ルマンは長身の青年で、いかにも強者といった精悍な出で立ちをしている。
このルマンという男は理性的だ。物事を観察し、最小限の動作で結果を出すことを信条としている。
精鋭ぞろいとはいえ、常に前線を担当している紅月隊は多くの犠牲者をだしているが、このルマンの部隊は紅月隊の中でも犠牲者の少ない部隊であった。
それは隊長であるルマンの戦況観察眼と無駄のない用兵の成し得る業だ。
「ターニャ、久しぶりだな。変わりはないか?」
「うん、特に大きな問題もなくやっているよ」
「それはいい。……ところで、ターニャ、キリーク。お前たちは新しい王と知り合いだそうだな」
「あぁ、あの男だね。知っているよ。一つの肉体に二つの心を持っている」
「二つの心?」
「片方は猛々しくて隙の無い人格、もう片方は知性的だけど隙のある人格とでもいえばいいかねぇ。ただ、どちらの人格もある程度の器はあると思うよ」
「神魔を倒そうとしていると聞いたが、本気なのか?」
「どうだろうね、その話が出た時点ではもう行動を共にしていなかったからね。ただ、あの男は言ったことは実行する。そういうタイプだろうね」
「そうか。いずれは俺たちも神魔を相手に戦う事を命じられるかもしれないな」
「そうだね」
兄妹の心境は複雑であった。幼少の頃からの信仰対象と敵対する可能性がある。
◇
サトシは自分の世界の事を思い出していた。
手元には元の世界に紐づくものは何もない。じっと手のひらを見ていた。
最後にユカと会ったのは会社だった。
平日であったため特に肌を触れ合わせる機会もなかった。
自社製品開発の仕事に就いてからはユカと仕事上の絡みがなくなっていた。
ユカはタケルとうまくやっているのだろうか、サトシにとってはそれが心配だった。
「どうしたサトシ、浮かない顔をしておるぞ」
アルデはサトシがこの表情を最近よく浮かべる事に気付いている。
そしてそれは自分の世界を思い出しているのだろうと察している。
どこの世界でも女の勘というものは鋭いものだ。
「元の世界の事を考えておるんじゃろう?」
「ん……あぁ。よくわかったね」
返事の代わりにアルデは微笑んでみせた。
この世界のどんなものもサトシの心を満たせないのだろうか。アルデは少し寂しい気持ちでサトシを見た。
「タケルとサトシは違うのじゃな」
「え?」
「タケルは……そう、あの男は知らない場所や知らない物を好んでおる。この世界に来た時もそうじゃった」
「そうだな、アイツはそういう奴だ。俺とは確かに違うな」
サトシは自嘲気味に笑った。
「だからと言ってタケルが優れておるわけではないぞ。サトシには元の世界に捨てられないものがあるんじゃろう? タケルにはそれが無かった。それだけの事じゃ」
「捨てられないもの……」
サトシの脳裏でユカの姿が一層鮮明に浮かぶ。自分の中に占めるユカの存在の大きさにサトシは自分で呆れた。
人と人とのつながりは脆いものだ。
たった一つの言葉や些細な出来事で、長い時間や強い気持ちで繋がった相手とも別れが訪れてしまう。
もっとも、サトシ自身はそのような別れを経験したことは無い。
それを知ってはいるが、知っているが故に、サトシは人に深入りすることを子供の頃から避けてきた節がある。友達には不自由しないが親友はいない、サトシはそういった人間だった。
一方でタケルは違った。
何でも本音でぶつかり、本気で取り組んでいた。その情熱が他者との衝突を生み、強いつながりや強烈な別れにつながっていた。
そのような様はサトシにとっては疑似体験となり、そこからの教訓はサトシを物静かな性格にさせた。
サトシはそんな自分の事が好きでもあり嫌いでもあった。
だから、ユカの存在が自分に元の世界への未練を生じさせているということが意外にも自分に隙があることを認識させた。
「案外つまらないものなのかもしれないよ」
未練の正体がはっきりしたことでサトシは少し気が晴れた。
◇
ターニャ、キリーク、ルマンの合同部隊はティガシンファを抜け、エンディアとの国境付近まで進軍した。
ティガシンファとエンディアの国境には巨大な砂地の峡谷が広がっていた。
高さ数百メートル級の断崖絶壁が至る所にそびえ立っている。
エンディアに攻め入るにはこの峡谷を抜ける必要がある。
「この地形……崖上に伏せられたら一方的に攻撃を受けるな」
ルマンが峡谷を眺めながら、自部隊の一人を呼びつけた。すぐに駆け付けたその者はネミィと言い、飛行の能力を持つ。
ルマンはネミィを信頼していた。索敵能力の高さは部隊の生存確率を飛躍的に向上させる。
「ネミィ、崖上に誰かいないか確認してほしい」
「了解です!」
ネミィは元気よく返事をすると上空高く舞い上がった。
そして上空から迷路のように広がる台地に降り立った。
周囲を確認したが、視界に入る中には人影は見えなかった。
「隊長、ここから見える限りでは敵影ありません!」
上空から報告する。その報告を受けてルマンは進軍を開始した。
ターニャ、キリークの部隊もルマンの部隊に続く。
半日ほどし峡谷の奥深くまで達した時、ネミィが空から降ってきた。彼女の首には大きな傷があり、地面にぶつかる衝撃で首が胴からもげた。
「兄者! 敵がいる!」
ターニャが叫ぶ。キリークは左手を挙げ、部隊に戦闘態勢をとらせる。
ネミィの首がルマンの足元に転がる。
ルマンは彼女の首を両手で持ち上げるとその瞳を覗く。彼女の輝きを失った瞳には恐怖の色は見えない。
次に傷を確認する。鋭利な刃物あるいはそれに似た魔法で負った傷だ。
「敵の存在を察知する前にネミィは殺された。つまり、敵は隠れているか……それとも速いか……」
「兄さん、僕たちはどうやら死地にいるようだね。後退するかい?」
キリークがそう尋ねた直後に部隊後方で大きな音がした。
振り返ると峡谷の崖が崩れ、来た道が塞がれている。
最後尾の兵たちは崖崩れに巻き込まれ犠牲になったようだ。
「後退は不可か。ここで戦う他ないな」
ルマンは部隊の方を向き胸を張った。全隊が姿勢を正す。
「諸君。我が隊はこれより戦闘を開始する。敵の数は不明、潜んでいる場所も不明だ」
絶望的な状況説明だが、精鋭兵である紅月隊の隊員は怯まない。
「各隊は班に分かれ、遮蔽物を背に前進。戦闘能力保持者は遊撃」
「隊長は」
「無論、遊撃する」
赤い鎧の兵たちが峡谷に散開した。
ターニャの率いる紅月隊一番隊は、戦闘対象であったティガシンファがヌージィガの傘下に加わったことで、ティガシンファ国内を移動し、隣のエンディアに向かっていた。
道中、一服の休息をとることと、他部隊との合流のためにティガシンファの首都であるシェンコに立ち寄った。
つい先日まで敵対していた国だ。国民感情は非常に敵対的であるのは当然といえた。
「隊長、また宿に断られてしまいました」
「そうか……仕方ない、市街地の外で野営することにしよう」
ティガシンファの国王は王命によってヌージィガ軍の行軍を邪魔しないように国民に触れを出していたが、国民たちは「邪魔しない」以上の事については一切の協力を拒んだ。
ターニャたちは仕方なく郊外まで移動し、静かな川辺に野営地を構えた。
ここで同じ紅月隊の二番隊、三番隊と合流し、エンディアへ攻め入る計画だ。
翌日、二番隊と三番隊がシェンコ入りした。
「兄者!」
三番隊隊長のルマンに抱き着くターニャ。
紅月隊一番隊から三番隊までの隊長三名は兄妹なのだ。
ターニャはこの長兄を敬愛している。
ルマンは長身の青年で、いかにも強者といった精悍な出で立ちをしている。
このルマンという男は理性的だ。物事を観察し、最小限の動作で結果を出すことを信条としている。
精鋭ぞろいとはいえ、常に前線を担当している紅月隊は多くの犠牲者をだしているが、このルマンの部隊は紅月隊の中でも犠牲者の少ない部隊であった。
それは隊長であるルマンの戦況観察眼と無駄のない用兵の成し得る業だ。
「ターニャ、久しぶりだな。変わりはないか?」
「うん、特に大きな問題もなくやっているよ」
「それはいい。……ところで、ターニャ、キリーク。お前たちは新しい王と知り合いだそうだな」
「あぁ、あの男だね。知っているよ。一つの肉体に二つの心を持っている」
「二つの心?」
「片方は猛々しくて隙の無い人格、もう片方は知性的だけど隙のある人格とでもいえばいいかねぇ。ただ、どちらの人格もある程度の器はあると思うよ」
「神魔を倒そうとしていると聞いたが、本気なのか?」
「どうだろうね、その話が出た時点ではもう行動を共にしていなかったからね。ただ、あの男は言ったことは実行する。そういうタイプだろうね」
「そうか。いずれは俺たちも神魔を相手に戦う事を命じられるかもしれないな」
「そうだね」
兄妹の心境は複雑であった。幼少の頃からの信仰対象と敵対する可能性がある。
◇
サトシは自分の世界の事を思い出していた。
手元には元の世界に紐づくものは何もない。じっと手のひらを見ていた。
最後にユカと会ったのは会社だった。
平日であったため特に肌を触れ合わせる機会もなかった。
自社製品開発の仕事に就いてからはユカと仕事上の絡みがなくなっていた。
ユカはタケルとうまくやっているのだろうか、サトシにとってはそれが心配だった。
「どうしたサトシ、浮かない顔をしておるぞ」
アルデはサトシがこの表情を最近よく浮かべる事に気付いている。
そしてそれは自分の世界を思い出しているのだろうと察している。
どこの世界でも女の勘というものは鋭いものだ。
「元の世界の事を考えておるんじゃろう?」
「ん……あぁ。よくわかったね」
返事の代わりにアルデは微笑んでみせた。
この世界のどんなものもサトシの心を満たせないのだろうか。アルデは少し寂しい気持ちでサトシを見た。
「タケルとサトシは違うのじゃな」
「え?」
「タケルは……そう、あの男は知らない場所や知らない物を好んでおる。この世界に来た時もそうじゃった」
「そうだな、アイツはそういう奴だ。俺とは確かに違うな」
サトシは自嘲気味に笑った。
「だからと言ってタケルが優れておるわけではないぞ。サトシには元の世界に捨てられないものがあるんじゃろう? タケルにはそれが無かった。それだけの事じゃ」
「捨てられないもの……」
サトシの脳裏でユカの姿が一層鮮明に浮かぶ。自分の中に占めるユカの存在の大きさにサトシは自分で呆れた。
人と人とのつながりは脆いものだ。
たった一つの言葉や些細な出来事で、長い時間や強い気持ちで繋がった相手とも別れが訪れてしまう。
もっとも、サトシ自身はそのような別れを経験したことは無い。
それを知ってはいるが、知っているが故に、サトシは人に深入りすることを子供の頃から避けてきた節がある。友達には不自由しないが親友はいない、サトシはそういった人間だった。
一方でタケルは違った。
何でも本音でぶつかり、本気で取り組んでいた。その情熱が他者との衝突を生み、強いつながりや強烈な別れにつながっていた。
そのような様はサトシにとっては疑似体験となり、そこからの教訓はサトシを物静かな性格にさせた。
サトシはそんな自分の事が好きでもあり嫌いでもあった。
だから、ユカの存在が自分に元の世界への未練を生じさせているということが意外にも自分に隙があることを認識させた。
「案外つまらないものなのかもしれないよ」
未練の正体がはっきりしたことでサトシは少し気が晴れた。
◇
ターニャ、キリーク、ルマンの合同部隊はティガシンファを抜け、エンディアとの国境付近まで進軍した。
ティガシンファとエンディアの国境には巨大な砂地の峡谷が広がっていた。
高さ数百メートル級の断崖絶壁が至る所にそびえ立っている。
エンディアに攻め入るにはこの峡谷を抜ける必要がある。
「この地形……崖上に伏せられたら一方的に攻撃を受けるな」
ルマンが峡谷を眺めながら、自部隊の一人を呼びつけた。すぐに駆け付けたその者はネミィと言い、飛行の能力を持つ。
ルマンはネミィを信頼していた。索敵能力の高さは部隊の生存確率を飛躍的に向上させる。
「ネミィ、崖上に誰かいないか確認してほしい」
「了解です!」
ネミィは元気よく返事をすると上空高く舞い上がった。
そして上空から迷路のように広がる台地に降り立った。
周囲を確認したが、視界に入る中には人影は見えなかった。
「隊長、ここから見える限りでは敵影ありません!」
上空から報告する。その報告を受けてルマンは進軍を開始した。
ターニャ、キリークの部隊もルマンの部隊に続く。
半日ほどし峡谷の奥深くまで達した時、ネミィが空から降ってきた。彼女の首には大きな傷があり、地面にぶつかる衝撃で首が胴からもげた。
「兄者! 敵がいる!」
ターニャが叫ぶ。キリークは左手を挙げ、部隊に戦闘態勢をとらせる。
ネミィの首がルマンの足元に転がる。
ルマンは彼女の首を両手で持ち上げるとその瞳を覗く。彼女の輝きを失った瞳には恐怖の色は見えない。
次に傷を確認する。鋭利な刃物あるいはそれに似た魔法で負った傷だ。
「敵の存在を察知する前にネミィは殺された。つまり、敵は隠れているか……それとも速いか……」
「兄さん、僕たちはどうやら死地にいるようだね。後退するかい?」
キリークがそう尋ねた直後に部隊後方で大きな音がした。
振り返ると峡谷の崖が崩れ、来た道が塞がれている。
最後尾の兵たちは崖崩れに巻き込まれ犠牲になったようだ。
「後退は不可か。ここで戦う他ないな」
ルマンは部隊の方を向き胸を張った。全隊が姿勢を正す。
「諸君。我が隊はこれより戦闘を開始する。敵の数は不明、潜んでいる場所も不明だ」
絶望的な状況説明だが、精鋭兵である紅月隊の隊員は怯まない。
「各隊は班に分かれ、遮蔽物を背に前進。戦闘能力保持者は遊撃」
「隊長は」
「無論、遊撃する」
赤い鎧の兵たちが峡谷に散開した。
応援ありがとうございます!
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