40 / 135
第40話.顛末
しおりを挟む
吾妻と吉野。
二人の同期に支えられて野営地に戻った。
そこから先はどうにも意識があいまいで、霞の中の出来事として記憶している。
結局、負傷者がいるので合流後すぐに下山となった。幸いなことに天候が回復していたので、下山は非常にスムーズに進める事が出来た。
その甲斐もあってか、死亡者はいなかった。
一時期あれだけの悪天候に見舞われながらも、死者が出なかったのは本当に幸運であったと言えるだろう。
今回の五十名からなる遭難事故は維新後史上、最悪のものとなった。しかし、この事故を知る者は学校関係者と軍の一部高官に限られる。
上層部から緘口令(かんこうれい)が敷かれたのだ。
それは北部方面総合学校(ほくそう)の成り立ちから考えて、守秘すべき事柄であるというのもあるが、現在日本ルシアとの緊張が高まっている事も大きな要因である。
雪中行軍を行った事、さらにその内容に問題が発生した事は、ルシア帝国に知られると我が国に不利益となる。そう判断した結果である。
しかし、それは事故の事実が闇に葬られたという事ではない。
陸軍では、今回の顛末の報告書や聞き取り調査によって情報が集められ、冬季装備の一新が決定した。
私達の行った事は無駄では無かったのだ。
またこれは計画段階であるが、来年度も北部方面総合学校(ほくそう)の第二学年は雪山合宿を行うそうだ。
今回の失敗を教訓に「周到な準備をして挑む」ということだが。それは後輩たちが頑張るのだろう。
……
それから二ヶ月(ふたつき)が過ぎた。
私達一期生には、第二学年の三月。第三学年を目の前にして最後の山場があった。
私は赤石校長から事務所に呼び出された。
校長が紫煙をくゆらせながら、いつもの調子で口を開いた。
「穂高くん、ゆっくり話をするのは久し振りだね。凍傷の方はすっかり良いのかね」
「はい、おかげさまで。病院での処置が良かったようです」
「うん。それは良かった」
そう言って、彼は革のソファにもたれかかった。ぎゅうと音を立てながら、体が沈んでいく。
そうだ。
私は五体満足に回復することができた。「私」は。
低温による凍傷が重度になると、組織が壊死してしまい元に戻らなくなることがある。そうなると患部を切断せざるを得なくなる。
今回の事故で、高尾教諭は右腕と顔の皮膚の一部を失った。
生徒の中には指を切断する羽目になった者もいる。中でも霧島は、右手の人差し指を含む三本を切断した。
これが困った。人差し指が無いと小銃を扱えない、このまま在学できるのかという懸念があったのだ。
しかし校長および教諭達の計らいで、彼は射撃教練を免除。そして第三学年から輜重(しちょう)兵科を専修することとなった。
北部方面総合学校(ほくそう)の学生からは不人気な兵科であるが、退学になる事を思えばかなり良い待遇だ。
ここでは第三学年から専修兵科が別れる事となる。
同じ釜の飯を食うのは今までと変わらないのだが、授業内容が専門性を帯びたものを取り扱うようになるのだ。
それに伴って、卒業後の原隊が内定する。
北部雑居地(このち)には陸軍は存在しない事になっているから、内地の聯隊(れんたい)に任官となる。
そして今、校長に呼び出されているのは、その兵科を決定する時が来たからだ。
「穂高くんは、歩兵科希望だったね」
「はい」
歩兵、騎兵、砲兵、工兵、輜重(しちょう)兵。
北部方面総合学校の学生は、この五つの兵科が振り分けられる事になっている。
事前の話では、希望兵科通りになるとは限らないという事であった。
定員は決まっているのに、人気にムラがあるからだ。
歩兵・騎兵は花形で人気が高く希望者が殺到しており、物理数学の得意なものは砲兵を選択するものが多い。
しかし工兵や輜重(しちょう)兵は裏方のイメージがあるからか、希望者は殆ど居ない。
かくいう私も、歩兵科を希望している。自衛隊でいうところの普通科である。
校長は、勿体振るような立ち居振る舞いで、ゆっくりと書類を確認して言った。
「希望通りだよ。君は歩兵科に決定だ」
「ありがとうございます」
「うん。頑張りたまえよ」
ほっと胸をなでおろした、希望が通ったらしい。小さな紙の音を立てて、机の上に書類が置かれた。
「そういえば、君はルシヤ語が達者だそうだね」
「はい。日常会話程度ならば仔細(しさい)なくできます」
「そうか」
言いながら、校長は新しい紙タバコを取り出すとマッチで火を付けた。一つ煙をふかしてから続ける。
「実は、露助(るすけ)と一戦あるかもしれん」
「と、言いますと?」
「極東シベリア艦隊が動いた」
「ルシヤ帝国の軍艦ですね。一体何処へ?」
「どこへ行くのかはわからんし、何をしようとしているのかも不明だ。位置は掴めていないらしい」
ぞっとした。
日本近海でルシヤ帝国の軍艦が出港して、消えた。これが何を意味するのか?明日にでも北部雑居地に現れるかも知れないし、東京湾に現れるかもしれない。
例えるならば、刃物を持った男が近所で家を出た後に消息不明と言ったところか。
これは脅威以外の何でもない。
「看過できない問題ですね」
「全くだ。しかし有事の際にはルシヤ語ができる者が必要になって来るゆえ、想定はしていてくれたまえ」
「わかりました。覚悟しておきます」
そう言って事務所を出た。
しかし想定しろとは、何を想定しろと言うのか。全くろくなイメージは出来ないが。
「まぁ、歩兵科が通って良かったな」
とにかく今は目先の幸運を喜ぼう、そう思ったのだった。
二人の同期に支えられて野営地に戻った。
そこから先はどうにも意識があいまいで、霞の中の出来事として記憶している。
結局、負傷者がいるので合流後すぐに下山となった。幸いなことに天候が回復していたので、下山は非常にスムーズに進める事が出来た。
その甲斐もあってか、死亡者はいなかった。
一時期あれだけの悪天候に見舞われながらも、死者が出なかったのは本当に幸運であったと言えるだろう。
今回の五十名からなる遭難事故は維新後史上、最悪のものとなった。しかし、この事故を知る者は学校関係者と軍の一部高官に限られる。
上層部から緘口令(かんこうれい)が敷かれたのだ。
それは北部方面総合学校(ほくそう)の成り立ちから考えて、守秘すべき事柄であるというのもあるが、現在日本ルシアとの緊張が高まっている事も大きな要因である。
雪中行軍を行った事、さらにその内容に問題が発生した事は、ルシア帝国に知られると我が国に不利益となる。そう判断した結果である。
しかし、それは事故の事実が闇に葬られたという事ではない。
陸軍では、今回の顛末の報告書や聞き取り調査によって情報が集められ、冬季装備の一新が決定した。
私達の行った事は無駄では無かったのだ。
またこれは計画段階であるが、来年度も北部方面総合学校(ほくそう)の第二学年は雪山合宿を行うそうだ。
今回の失敗を教訓に「周到な準備をして挑む」ということだが。それは後輩たちが頑張るのだろう。
……
それから二ヶ月(ふたつき)が過ぎた。
私達一期生には、第二学年の三月。第三学年を目の前にして最後の山場があった。
私は赤石校長から事務所に呼び出された。
校長が紫煙をくゆらせながら、いつもの調子で口を開いた。
「穂高くん、ゆっくり話をするのは久し振りだね。凍傷の方はすっかり良いのかね」
「はい、おかげさまで。病院での処置が良かったようです」
「うん。それは良かった」
そう言って、彼は革のソファにもたれかかった。ぎゅうと音を立てながら、体が沈んでいく。
そうだ。
私は五体満足に回復することができた。「私」は。
低温による凍傷が重度になると、組織が壊死してしまい元に戻らなくなることがある。そうなると患部を切断せざるを得なくなる。
今回の事故で、高尾教諭は右腕と顔の皮膚の一部を失った。
生徒の中には指を切断する羽目になった者もいる。中でも霧島は、右手の人差し指を含む三本を切断した。
これが困った。人差し指が無いと小銃を扱えない、このまま在学できるのかという懸念があったのだ。
しかし校長および教諭達の計らいで、彼は射撃教練を免除。そして第三学年から輜重(しちょう)兵科を専修することとなった。
北部方面総合学校(ほくそう)の学生からは不人気な兵科であるが、退学になる事を思えばかなり良い待遇だ。
ここでは第三学年から専修兵科が別れる事となる。
同じ釜の飯を食うのは今までと変わらないのだが、授業内容が専門性を帯びたものを取り扱うようになるのだ。
それに伴って、卒業後の原隊が内定する。
北部雑居地(このち)には陸軍は存在しない事になっているから、内地の聯隊(れんたい)に任官となる。
そして今、校長に呼び出されているのは、その兵科を決定する時が来たからだ。
「穂高くんは、歩兵科希望だったね」
「はい」
歩兵、騎兵、砲兵、工兵、輜重(しちょう)兵。
北部方面総合学校の学生は、この五つの兵科が振り分けられる事になっている。
事前の話では、希望兵科通りになるとは限らないという事であった。
定員は決まっているのに、人気にムラがあるからだ。
歩兵・騎兵は花形で人気が高く希望者が殺到しており、物理数学の得意なものは砲兵を選択するものが多い。
しかし工兵や輜重(しちょう)兵は裏方のイメージがあるからか、希望者は殆ど居ない。
かくいう私も、歩兵科を希望している。自衛隊でいうところの普通科である。
校長は、勿体振るような立ち居振る舞いで、ゆっくりと書類を確認して言った。
「希望通りだよ。君は歩兵科に決定だ」
「ありがとうございます」
「うん。頑張りたまえよ」
ほっと胸をなでおろした、希望が通ったらしい。小さな紙の音を立てて、机の上に書類が置かれた。
「そういえば、君はルシヤ語が達者だそうだね」
「はい。日常会話程度ならば仔細(しさい)なくできます」
「そうか」
言いながら、校長は新しい紙タバコを取り出すとマッチで火を付けた。一つ煙をふかしてから続ける。
「実は、露助(るすけ)と一戦あるかもしれん」
「と、言いますと?」
「極東シベリア艦隊が動いた」
「ルシヤ帝国の軍艦ですね。一体何処へ?」
「どこへ行くのかはわからんし、何をしようとしているのかも不明だ。位置は掴めていないらしい」
ぞっとした。
日本近海でルシヤ帝国の軍艦が出港して、消えた。これが何を意味するのか?明日にでも北部雑居地に現れるかも知れないし、東京湾に現れるかもしれない。
例えるならば、刃物を持った男が近所で家を出た後に消息不明と言ったところか。
これは脅威以外の何でもない。
「看過できない問題ですね」
「全くだ。しかし有事の際にはルシヤ語ができる者が必要になって来るゆえ、想定はしていてくれたまえ」
「わかりました。覚悟しておきます」
そう言って事務所を出た。
しかし想定しろとは、何を想定しろと言うのか。全くろくなイメージは出来ないが。
「まぁ、歩兵科が通って良かったな」
とにかく今は目先の幸運を喜ぼう、そう思ったのだった。
0
お気に入りに追加
25
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
蒼雷の艦隊
和蘭芹わこ
歴史・時代
第五回歴史時代小説大賞に応募しています。
よろしければ、お気に入り登録と投票是非宜しくお願いします。
一九四二年、三月二日。
スラバヤ沖海戦中に、英国の軍兵四二二人が、駆逐艦『雷』によって救助され、その命を助けられた。
雷艦長、その名は「工藤俊作」。
身長一八八センチの大柄な身体……ではなく、その姿は一三○センチにも満たない身体であった。
これ程までに小さな身体で、一体どういう風に指示を送ったのか。
これは、史実とは少し違う、そんな小さな艦長の物語。
大東亜戦争を有利に
ゆみすけ
歴史・時代
日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した
若き日の滝川一益と滝川義太夫、
尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として
天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が
からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。
【おんJ】 彡(゚)(゚)ファッ!?ワイが天下分け目の関ヶ原の戦いに!?
俊也
SF
これまた、かつて私がおーぷん2ちゃんねるに載せ、ご好評頂きました戦国架空戦記SSです。
この他、
「新訳 零戦戦記」
「総統戦記」もよろしくお願いします。
蒼海の碧血録
三笠 陣
歴史・時代
一九四二年六月、ミッドウェー海戦において日本海軍は赤城、加賀、蒼龍を失うという大敗を喫した。
そして、その二ヶ月後の八月、アメリカ軍海兵隊が南太平洋ガダルカナル島へと上陸し、日米の新たな死闘の幕が切って落とされた。
熾烈なるガダルカナル攻防戦に、ついに日本海軍はある決断を下す。
戦艦大和。
日本海軍最強の戦艦が今、ガダルカナルへと向けて出撃する。
だが、対するアメリカ海軍もまたガダルカナルの日本軍飛行場を破壊すべく、最新鋭戦艦を出撃させていた。
ここに、ついに日米最強戦艦同士による砲撃戦の火蓋が切られることとなる。
(本作は「小説家になろう」様にて連載中の「蒼海決戦」シリーズを加筆修正したものです。予め、ご承知おき下さい。)
※表紙画像は、筆者が呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)にて撮影したものです。
旧陸軍の天才?に転生したので大東亜戦争に勝ちます
竹本田重朗
ファンタジー
転生石原閣下による大東亜戦争必勝論
東亜連邦を志した同志達よ、ごきげんようである。どうやら、私は旧陸軍の石原莞爾に転生してしまったらしい。これは神の思し召しなのかもしれない。どうであれ、現代日本のような没落を回避するために粉骨砕身で働こうじゃないか。東亜の同志と手を取り合って真なる独立を掴み取るまで…
※超注意書き※
1.政治的な主張をする目的は一切ありません
2.そのため政治的な要素は「濁す」又は「省略」することがあります
3.あくまでもフィクションのファンタジーの非現実です
4.そこら中に無茶苦茶が含まれています
5.現実的に存在する如何なる国家や地域、団体、人物と関係ありません
6.カクヨムとマルチ投稿
以上をご理解の上でお読みください
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる