拗れた初恋の雲行きは

麻田

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第4話

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「りんりん」

 不可思議な呼び方に、はてなをたくさん浮かべながらも一応振り返ると、憧れの先輩が俺を見て、手を振っていた。周りにはいつものように人だかりができていた。わざと通り過ぎたというのに、名前を呼ばれてしまった。手を振り返すのは失礼かな、と持ち上げた手を握りしめて、彼の方を見やると周りの愛らしい顔の男の子たちがひどい形相でこちらをにらみつけていて、急いで頭を下げて走り去った。
 憧れの海智と一緒に帰ってから一か月ほどが経っていた。あれから、海智は俺に気づくと手を振ったり声をかけたり、親し気に接してくれるようになった。彼から認知してもらえたことも、気にかけてもらえることもとても嬉しいことで幸せだった。それと同時に周りの厳しい目も感じてはいたが、極力気にしないように努めていた。部活は相変わらずハードだし、くたくたになってしまうが、部室の掃除や雑務だと言い訳をして、なんとか部室を一番最後に出ると、武道場で一人自主練習に励む海智のもとへ急ぐ。
 今日も静寂の空間で、一人、見えない敵と戦い空を切る海智をこっそりと外から覗く。日に日に磨きがかかっていく勇ましく優雅な姿に動機が止まらない。しとしとと雨が降り、俺の肌を湿度で包む。最後の型を決めると、海智は、俺を見つけて、ふにゃりと笑う。

「りんりん」

 競技中の彼とは似ても似つかない柔和な笑みに俺もふにゃりと笑ってしまう。早足で近寄ると、稽古をつけてくれることもあったし、ストレッチの手伝いをさせてもらうこともあった。しなやかな男らしい身体の海智にどきどきしてしまう邪な自分を何度も叱りつけた。赤面する初心な俺を海智がにっこりと見つめていたことなど気にする余裕もなかった。

「せ、先輩、足の具合はどうですか?」

 胴着から制服に着替えて、一緒に寮へと歩を進める。お互い、この帰り道の時だけはなんだか歩幅は狭くなったり、ゆったりになったりしてしまう。

「え?」

 街頭のもと、足を止めて海智は聞き返してきた。俺も足を止めて、高い位置にある端正な顔を見つめる。怪訝そうな顔つきに何か失礼があったのかと焦ってしまう。

「え?先輩、右足、痛めてますよね…?え?」

 先週から海智の型は軸がぶれる瞬間があった。気迫や静と動の強弱は素晴らしいが、わずかだが足をかばう動きがみられていたのだ。

「…すごい、よくわかったね」

 海智は、目を見張りながら小さくつぶやく。

「す、すみません!生意気でしたよね!」

 急いで頭を下げる。最近、少し仲が良くなったと思って、俺は調子に乗ってずかずか失礼なことまで言ってしまったんだ。海智はきっと、このことを気にしていて、遠慮なしにそんなことを言ってくる俺に呆れているんだ。
 つ、と額に冷や汗と、雨粒が伝う。頭上で、くす、と笑う空気が流れ、恐る恐る顔をあげると海智はまなじりを染めながら柔らかく微笑んでいた。俺の頭に大きな手のひらを乗せて、わしわしと撫でつけた。

「いつもけがしてもバレないように気を付けてたのに。りんりんはすごいな」
「わっわわっ…やめ、やめてくださっ!」

 抵抗しようとすると傘を手から離してしまった。すると、海智が、遠慮なく撫でまわしていた頭上にあった手を俺の腰に回して、ぐ、と身体を抱き寄せた。ぶわっ、と海智の甘い匂いが鼻腔を埋めて、身体が固まる。一気に体温が上昇し、心臓がばくばくと痛いほど跳ねていた。一体何が起きているのか自分でもよくわからなくて、ただただ目を見張る。目の前には、いつも胴着から見えていた美しい鎖骨がある。練習後だからなのか、どんどんとこの甘い匂いに頭の奥が低く響き、ぼんやりとしてくる。

「りんりん」

 いつもよりかすれて低い真剣な声色で名前を囁かれた。か、とさらに顔に熱が集まるのがわかり、足先が痺れているようなふわふわとしている感覚になる。ぎぎぎ、と音がしそうなくらい鈍くなった首を持ち上げると、すぐ目の前に美しい顔がある。
 いつにない真剣な面持ちとまっすぐな瞳で、目が離せなくなってしまう。身体の奥の奥を暴こうとする濃密な匂いに酩酊するしかなかった。

「次の大会、俺が優勝したら…」

 海智の言っている意味がわからなくて、瞠目して、じっと彼を見つめる。
 そんな俺を見て、海智は、頬をやんわりと染めて、いつものように、へにゃりと笑い、身体を離した。落ちていた俺の傘を拾い渡してくれたので、それを受け取って、何も言葉が出来ないまま、寮についてしまった。またね、と海智は手を振り、来た道を帰っていった。

 ベットに入ってから、何度も今日のことを思い出しては考えるが脳みそがオーバーヒートしてしまう。処理が追いつかない。
 大会で海智が優勝したら…
 何だったのだろうか。
 いくら恋愛経験がなくても、あの甘い雰囲気に気づけないほど鈍くはない。
 先輩は、何を言いかけたのだろうか…
 そう問うても誰も答えてくれない。
 どういうことなの?え?いつから?
 あれって、先輩も、俺のことが…ってこと?え?ありえなくないか…?

 そうして、朝を迎えてしまい、一睡もできずにクマがびっしりとつき真っ赤な目で朝練に行くと、目が合った海智に笑われてしまった。



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