拗れた初恋の雲行きは

麻田

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第3話

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 国によって定められたバース性の検査。十二歳で行われる検査でほとんどの人間のバースが確定する。
 俺の家は、自分で言うのも引けるが、なかなかの名家らしい。暮らしぶりは困ったことはないし、周りはアルファばかりだった。父親はアルファの男で冷酷な人だった。母親は父とは真逆な優しい温かいオメガの男だった。俺の上には歳の離れた兄が二人いる。これもまた優秀なアルファで、父親の会社を継ぐにふさわしい二人だった。家族には恵まれた方だと思う。父は仕事でほとんど会わなかったし会話もままならなかった。しかし、兄たちは末っ子の俺を目に入れても痛くないとばかりにかわいがってくれたし、母親もいつも俺に微笑んでくれていた。自分も兄たちのような立派なアルファになって社会に貢献したいと希望を抱いていたし、オメガだとしても母のように子供を産み、愛しめることにも胸を躍らせていた。
 結果はベータであり、俺はその事実に言葉が出なかった。それでも、家で報告をすれば、母も兄たちも、バース性がはっきりするということは大人に近づいている証拠だと笑顔で喜んでくれた。
 父だけは違った。
 自分の息子がアルファでもオメガでもないことが受け入れられず、母を責めるときもあった。実子ではないのではないかと罵倒することもあった。それでも母は俺を守ってくれたし、いつだって温かく抱きしめてくれて微笑んだ。父の罵倒なんかへっちゃらな顔をして。兄たちも散々な父を叱責してくれた。
 大好きな家族が俺のせいで苦しんでいるのかと思うといたたまれなかった。
 なんで、俺はベータなんだろう。
 何度も何度も自分に問いかけたことだった。答えなんか出るはずもない。
 兄たちと同じ名門の桐峰学園の中等部に通えることを楽しみにしていたが、父はベータなのだから金をかける必要はないと近所の公立学校に行かせようとした。それだけは俺もわがままを言った。ずっと黙って家族のやり取りを見ていただけの俺のわがままを家族が全力で後押しをしてくれて、父を説き伏せてくれた。
 大好きな兄たちと同じ学校に通えることが何よりも嬉しかった。だからこそ、この学園で強くなり、少しでも家の手伝いが出来ればと、常に優秀な成績を修めようと努力した。
 全寮制のため、実家を離れるときは年甲斐もなく兄たちは大泣きして俺を離さなかったのを母がなんとか引っぺがして、涙を浮かべて手を振ってくれた。その分、誰よりも頑張ろうと誓ったのだ。
 しかし、優秀なご子息が集まる学園で優秀な成績を修めようとするには、並大抵の努力では足りなかった。
 たまたま隣の家で、ずっと同じ学校に通う佳純は、いつもけだるげで授業中も船をこいている癖に毎回トップの成績だった。腐れ縁の幼馴染に、涙ながらに相談をすると、重そうな瞼のまま、大量の本を渡された。それらはすべてが違う国の外国語書物で、その時俺はアルファとの生まれ持ったもともとの能力の差を痛感することになった。その重い本を持っている俺を横目に、目の前で男は女の裸の雑誌を捲り始めて、ストレスが爆発した俺は遠慮なしに佳純を殴りつけたのを覚えている。そもそも全国屈指の製薬会社の大御曹司様に聞いた俺が間違っていたのだ。そこから、俺は俺らしく、地道にこつこつと努力をするようになった。
 さらに、母に似て小柄で女顔の俺は、肉体の強さを求めて、運動部への入部を検討していた。やはり、ここはボクシングや柔道の実用性の高そうなのが良いか…と思案しながら見学をめぐっていくと、柔道場の隣にある空手の稽古が目に映った。
 空手の型を美しくも力強く決めるある一人の男に、俺は目を奪われ、一瞬で心も奪われた。
 細く長い髪の毛を後ろにくくりつけていたが、静と動の繰り返しにより乱れた束が彼の動きに合わせて揺れ動く。空気は張りつめ、彼が長い手足で動作を起こす度に空を切る音が辺りに響いていた。汗が散りきらめくと彼の憂いを帯びた瞳が輝く。
 それが、 城戸崎海智との出会いだった。
 俺はそのまま空手部に入部を決め、数多くいる部員の中でも、ずっと海智に目を奪われていた。一年生は畳の上にあがることもできない。ひたすらに走り込みと筋トレと先輩のマネージャー代わりを行う。海智目当ては俺だけはもちろんなく、いつも周りには人だかりができていた。ファンクラブもあり、小柄で愛らしいオメガが複数人集っているときもあった。あまりにも遠い存在なのだと毎日胸を小さく痛めていた。
 五月も終わろうとしていた頃。毎日のハードな部活と、宿題予習復習に追われて深夜まで勉強漬けにも少しずつ慣れてきたところだった。部室の片づけを一人で行っていて、うっかり近くのベンチで寝てしまったのだ。起きた時には寮が閉まってしまう時間が近く、急いで荷物をひっつかんで帰ろうと走った。その時に、武道場から光が漏れていた。
 誰か稽古しているのか、とこっそり覗くと、海智が一人で稽古に励んでいた。
 その時、数々の大会で優勝を修めていた海智はアルファとしての才能なのだと思っていたが、こうした日々の努力が彼の才能を花開かせているのだと思うと、自分も頑張らないといけないと勇気をもらえた。時間も差し迫っているのに、俺はつい静かに一人で戦う海智に目を奪われてしまっていた。
 最後の型を決めた海智は、ふう、と小さく息をつき、こちらに振り返った。急に、憧れの彼と目があったことに身体が硬直してしまった。にこりと柔和な笑顔を見せられてしまい、心臓がばくばくと大暴れをして身体から飛び出してしまうのではないかと思った。

「君、一年生だよね?」

 声をかけられてしまい、驚きと緊張で声が出ずに口をぱくぱくと情けなく開閉させることしかできなかった。海智はそれを見て、さらに笑顔を濃くして、近くに置いてあったカバンとタオルを握りしめると、近づいてきた。

「名前は?」

 サンダルを履く彼に聞かれても、答えられずにカバンをぎゅ、と握りしめて突っ立っているだけで精一杯だった。近くにきた海智からは汗と共にアルファのにおいがして、頭の中がさらにぼんやりとしてくる。

「ていっ」
「ぉわっ!」

 長い腕が急に伸び、脇腹を突っついた。そのくすぐったさといきなりのことに身もだえしながら変な裏返った声が出てしまい、海智は朗らかに声を出して笑った。

「何するんですか…っ」
「はは、ごめんごめん、で、名前は?」

 眉をひん曲げて見上げると、同じ中学生には見えない大人っぽさと色気があり、心臓がどくどくと脈打ち続ける。たった一つしか年齢は変わらないのに、身長も体躯も貧相な俺とは全く違う。

「す、鈴岡、凛太郎です…」
「鈴にりん?」

 競技中と同じ人物とは思えないような柔らかい声と表情。緊張していた身体はだんだんと弛緩していた。小さくうなずくと、海智は、あはっ、と楽しそうに頬を染めながら笑った。

「じゃあ、りんりんだね」

 なんだそれ、と聞き返そうとする前に、海智は機嫌よさそうに、鼻歌混じりに、りんりん、と俺を呼び、夜道を並んで歩いた。ベータ寮とアルファ寮の分かれ道までの間、海智は俺とたくさん話をしてくれた。明るくて冗談も上手な海智にすっかり心をほぐされ、別れる時には友達のように、じゃあねりんりん、と手を振られた。
 まさか、憧れの先輩と会話が出来て名前を認識してもらって…とあまりの衝撃にその日はすごく疲れていたのに、全然眠れなかった。

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