16 / 46
15話 本心
しおりを挟む
先生は食後のお茶を一口飲むと私に向き直った。
「そういえば、千尋さん、この週末のご予定はもうお決まりですか?」
「明日はあっちの家の荷物を引き上げに行こうと思っています」
アパートにはまだ荷物を残したままだ。
いい加減片付けないと。
「ああ、それでは私もお手伝いいたしますよ、千尋さんだけでは大変でしょう?」
先生はそう言ってくれるけど、そ、それはちょっと複雑というかなんというか……。
あの部屋は偽装とは言え駆け落ち相手のタツキ君と過ごした部屋だし、出来れば触れられたくない領域なのだ。
「だ、大丈夫です。あの、チカさんが……お友達が手伝いに来てくれることになっているので……それに引っ越し業者さんも来ますから」
「そうですか、お友達が……」
「えっと……あの……先生? 私、日曜日ならあいていますよ」
先生があんまり淋しそうな表情をするもんだから、私はついそう声をかける。
「では、良かったらうちに来てくれませんか? 家の中を見ておいて頂きたいし」
私の言葉に先生はパァッと瞳を輝かせた。
日曜日、思いがけず先生の家に行くはめになってしまったけど、こんなに喜んでくれるのなら、まあいいか。
先生は母に『しばらくの間、千尋さんにハウスキーパーを頼みたいのですが』と告げた。
先生の家は公判の資料など機密書類が沢山あって、今流行りの家事代行サービスなど簡単には使えない。
以前来てもらっていたハウスキーパーさんも昔から付き合いのある信用のおける方だったそうだ。
ただ、かなりご高齢で先日ついに引退されたんだとか。
『ですから千尋さんが来て下さったら助かります』って説明してくれる。
へぇー、そうだったんだ。
そんな事情があって先生は私に頼んだのね。
なんて、私までうんうんとうなずきながら聞いちゃった。
「千尋さん、離れがたい気持ちでいっぱいですが……そろそろお暇させて頂きます」
私と母に『これからは気持ちを隠さない』と宣言した先生は平然とこんなセリフを吐いて席を立った。
これ、演技だからこんなに甘いセリフを真顔で言えるんだろうか?
私は典型的な日本の父親に育てられたもんだから、もう、照れちゃって仕方がないんだけど。
「あ、じゃあ、車まで見送ります」
私たちは連れ立って玄関を出た。
夜は雨になるという天気予報通り、外は小雨が降り始めていた。
玄関のポーチを照らす明かりがしとしとと降る雨粒を浮かび上がらせている。
先生は私を振り返ると、
「千尋さん……今日はすみませんでした」
と頭を下げた。
「へ?」
えっと、これは今日のどの行為に対して謝っているんだろう?
「千尋さんの同意を得ないままキスをしたり、抱きしめたり。あんなに一方的な行為はするべきではありませんでした」
なるほど、一応先生は悪いと思っているのね。
そりゃ、セクハラだと言われてもしょうがない行為だよ、あれは。
まあ、最初のキスは私の政略結婚話を手っ取り早く壊すには最適な作戦だったかも知れないというのは事実だけど。
「ただ、小田桐所長に完全に私たちの婚約を受け入れてもらうには、もうしばらくかかるかも知れません」
確かに、あの父の事だ。
今日は潔く引き下がったけど、そう簡単にあきらめるとも思えない。
私の事なんて全て自分の思い通りに出来る、って決めつけているはずだもん。
私、上手に父を騙せるだろうか?
ああ、もう情けないけど、自信がないよ。
今夜、会うのが怖い。
その時、ふいに先生が私を抱きしめた。
「え!? せ、先生っ!?」
も、もう突然抱きしめたりしない、ってさっき言ったのに?
「しっ、千尋さん。御父上の車です」
正門からスーッと入って来た車のヘッドライトが眩しい。
お、お父さんが帰ってきてしまった!
私の体がこわばったことに気が付いたのだろう。
先生が優しく背中をさすってくれる。
「大丈夫ですよ、千尋さん、私がいます」
「先生……」
見上げると私をなだめるように先生は切れ長の瞳を細めた。
「心配しないで、とにかく今は私を愛しているふりをして下さい。……千尋さん、キスを……してもよろしいですか?」
先生は今度はちゃんと尋ねてくれた。
でも、その問いに答えるのは余計に恥ずかしい気がするんだけど……。
私はなんと返事をしていいものか分からずにそっと瞳を閉じる。
先生の柔らかい唇がフワッと頬をかすめた。
「ん……」
な、なんだか物足りないって思っちゃう……のはやっぱり私が先生の事を好きだから?
「せんせ……?」
「唇に触れても?」
うん……触れて、ほしい。
私はうなずく。
その瞬間、きつく抱きしめられて唇をふさがれた。
「んんんっ……っはぁ……ん、ふっ……っあ」
先生が角度を変えながら私の唇をむさぼる。
「千尋さん……口を、開けて……」
「んやっ……あ」
ちょっ……先生、待って待って待って。
んっ、ダメ、ダメだって。
どんどん深まるキスに私はついていくのがやっとだ。
も、溺れそう。
あっ、んんっ。
頭の芯がしびれるような感覚に何度も襲われて何も分からなくなる。
先生の行為にどう答えていいのか分からないまま、ただしがみ付くしか出来ない。
「あっ」
足の力が抜けてくずおれるように先生の胸にすがった。
「千尋さん……腰が抜けてしまいましたか?……随分気持ちが良さそうですね」
先生は濡れた唇で妖艶にほほ笑む。
ん、気持ち、いい……でも……。
「……先生の……意地悪……」
「あなたが知らなかっただけで、私は元からこういう人間ですよ……今日から教えて差し上げます」
先生はそう言うと再び唇を重ねた。
「冬馬、千尋」
地の底を這うような低い声に私はビクッと体をすくめた。
ヤバイ、お父さんの事本気で忘れてた。
「お前ら、こんなところで盛るんじゃない。近所の目があることも考えろ」
それこそ、もう夜更けであることを気にしているのか父の声はいささか大人しい。
冬馬先生は私をかばうように抱きすくめると父に頭を下げた。
「それは、申し訳ありません所長。なにしろ先程婚約を交わしたばかりで、今は周りが見えない程浮かれておりますので……お許し下さい」
先生は相変わらず飄々と答える。
「婚約を交わしたって……勝手にしろと言ったが、俺はまだそこまで許した覚えはない……まあいい、千尋……うん、そうだな、あー……」
父は私の名前を呼んだものの私を直視せずキョロキョロと視線をさまよわせた。
こんな父は初めて見る。
「千尋……お前は早く家に入りなさい。……冬馬、話がある」
「トーマ先生……」
大丈夫だろうか?
先生、お父さんに殴られたりしない?
心配で私は背の高い先生を見上げる。
「……何もしない、話をするだけだ」
「ええ、男同士の話をね。おやすみなさい、千尋さん、また日曜日に」
先生がそう言ったので私はおやすみの挨拶をして玄関の扉を開けた。
「お前ね……少しは自重しろよ。一日に二回も見せつけやがって、疲れてるんだから早く家に入りたいのに、車庫で時間をつぶしたぞ」
父の声が扉越しに聞こえる。
なんだか今夜は聞き耳を立ててばかりな気がするけど、心配なんだからしょうがない。
お父さんが暴れたらすぐに止めに入らないと!
「それは……お気をつかわせてしまって申し訳ありません」
「わざとらしい奴め。父親の目の前ですることか」
ただ、父は随分落ち着いている様だ。
「すみません、千尋さんがあんまり初心な反応をされるのがかわいらしくて。つい、いろいろ教えたくなってしまいました」
「それは……どういうことだ?」
「言葉の通りなのですが……どういうことでしょうね……?」
二人は私がう、初心だって話をしているの!?
ちょ、ちょっと待って。
『男同士の話』って、もうっ、サイアク!
そ、そりゃ、キスなんて、トーマ先生みたいに慣れてませんよーだ。
し、失礼な。
「それにしても、冬馬。お前どういうつもりだ? いきなり、千尋と婚約するって……いくらなんでも急すぎるだろう!?」
「ですが、反対はなさらないでしょう?」
「……じゃなきゃ、お前なんかとっくにぶっ飛ばしている」
「所長ともあろうお方が、物騒な発言ですね」
「うるさい……まあ、元々いずれはお前に譲る約束だった事務所だ。あの日、千尋の駆け落ち騒動でこの話は流れたと思ったが……まさか、こういう形で復活するとはな、皮肉な話だ」
父の言葉に私はイヤな汗が噴き出てくるのを感じる。
元々は事務所を冬馬先生に譲る約束だったって事は……お父さん、自分がお母さんと結婚してお祖父ちゃんの事務所を継いだように、長女であるお姉ちゃんと冬馬先生を結婚させて事務所を継がせるつもりだったんじゃ? 二人はデートするような仲で、あの頃も連絡を取り合っていたんだからありえない話じゃない。
でもあの日、私の駆け落ち騒動のゴタゴタもあってその話は流れちゃったってことじゃないの?
そう考えたら、成人式のあの日、先生がわざわざ埼玉から来たこともお姉ちゃんが帰省したこともうなずける。
ど、どうしよう?
私の『偽装駆け落ち』が皆の人生を狂わせたんだとしたら……?
「お前が先代が興したこの事務所を守りたいと思っているのは分かっている。しかしな……こういう事態になった以上、千尋を不幸にしたらただじゃおかんぞ」
「ええ、それはもちろんです。命に代えても千尋さんと……蓮さんを守ります」
先生は母に言ったことと同じように父にもそう宣言する。
婚約が偽りなら、この言葉も偽りなんだよね……?
父だって先生が事務所を第一に考えている事は気が付いている様なのに……!
私の話をしているようで……私の事なんてお構いなしの内容の様にも感じてしまう。
顔が見えないから言葉の裏にある本心が分からない。
「……分かっているならいい。……泣かすなよ」
「それは……お約束できかねます。何しろ千尋さんは泣き顔が一番かわいいので。かわいい子にはつい意地悪をしたくなるものですよ、そのお気持ちは所長もお分かりになるでしょう?」
「……お前なぁ……仮にも俺は千尋の父親だぞ、もう少し遠慮しろよ」
「千尋さんの事を大切に思っているのなら、本人にそう伝えたらいいのに」
「それが出来たら苦労しないよ」
漏れ聞こえる会話の何が本心で何が嘘なのか分からない。
ただ、扉越しの父の声があまりに弱々しく玄関に響いて私はそっとその場を離れた。
「そういえば、千尋さん、この週末のご予定はもうお決まりですか?」
「明日はあっちの家の荷物を引き上げに行こうと思っています」
アパートにはまだ荷物を残したままだ。
いい加減片付けないと。
「ああ、それでは私もお手伝いいたしますよ、千尋さんだけでは大変でしょう?」
先生はそう言ってくれるけど、そ、それはちょっと複雑というかなんというか……。
あの部屋は偽装とは言え駆け落ち相手のタツキ君と過ごした部屋だし、出来れば触れられたくない領域なのだ。
「だ、大丈夫です。あの、チカさんが……お友達が手伝いに来てくれることになっているので……それに引っ越し業者さんも来ますから」
「そうですか、お友達が……」
「えっと……あの……先生? 私、日曜日ならあいていますよ」
先生があんまり淋しそうな表情をするもんだから、私はついそう声をかける。
「では、良かったらうちに来てくれませんか? 家の中を見ておいて頂きたいし」
私の言葉に先生はパァッと瞳を輝かせた。
日曜日、思いがけず先生の家に行くはめになってしまったけど、こんなに喜んでくれるのなら、まあいいか。
先生は母に『しばらくの間、千尋さんにハウスキーパーを頼みたいのですが』と告げた。
先生の家は公判の資料など機密書類が沢山あって、今流行りの家事代行サービスなど簡単には使えない。
以前来てもらっていたハウスキーパーさんも昔から付き合いのある信用のおける方だったそうだ。
ただ、かなりご高齢で先日ついに引退されたんだとか。
『ですから千尋さんが来て下さったら助かります』って説明してくれる。
へぇー、そうだったんだ。
そんな事情があって先生は私に頼んだのね。
なんて、私までうんうんとうなずきながら聞いちゃった。
「千尋さん、離れがたい気持ちでいっぱいですが……そろそろお暇させて頂きます」
私と母に『これからは気持ちを隠さない』と宣言した先生は平然とこんなセリフを吐いて席を立った。
これ、演技だからこんなに甘いセリフを真顔で言えるんだろうか?
私は典型的な日本の父親に育てられたもんだから、もう、照れちゃって仕方がないんだけど。
「あ、じゃあ、車まで見送ります」
私たちは連れ立って玄関を出た。
夜は雨になるという天気予報通り、外は小雨が降り始めていた。
玄関のポーチを照らす明かりがしとしとと降る雨粒を浮かび上がらせている。
先生は私を振り返ると、
「千尋さん……今日はすみませんでした」
と頭を下げた。
「へ?」
えっと、これは今日のどの行為に対して謝っているんだろう?
「千尋さんの同意を得ないままキスをしたり、抱きしめたり。あんなに一方的な行為はするべきではありませんでした」
なるほど、一応先生は悪いと思っているのね。
そりゃ、セクハラだと言われてもしょうがない行為だよ、あれは。
まあ、最初のキスは私の政略結婚話を手っ取り早く壊すには最適な作戦だったかも知れないというのは事実だけど。
「ただ、小田桐所長に完全に私たちの婚約を受け入れてもらうには、もうしばらくかかるかも知れません」
確かに、あの父の事だ。
今日は潔く引き下がったけど、そう簡単にあきらめるとも思えない。
私の事なんて全て自分の思い通りに出来る、って決めつけているはずだもん。
私、上手に父を騙せるだろうか?
ああ、もう情けないけど、自信がないよ。
今夜、会うのが怖い。
その時、ふいに先生が私を抱きしめた。
「え!? せ、先生っ!?」
も、もう突然抱きしめたりしない、ってさっき言ったのに?
「しっ、千尋さん。御父上の車です」
正門からスーッと入って来た車のヘッドライトが眩しい。
お、お父さんが帰ってきてしまった!
私の体がこわばったことに気が付いたのだろう。
先生が優しく背中をさすってくれる。
「大丈夫ですよ、千尋さん、私がいます」
「先生……」
見上げると私をなだめるように先生は切れ長の瞳を細めた。
「心配しないで、とにかく今は私を愛しているふりをして下さい。……千尋さん、キスを……してもよろしいですか?」
先生は今度はちゃんと尋ねてくれた。
でも、その問いに答えるのは余計に恥ずかしい気がするんだけど……。
私はなんと返事をしていいものか分からずにそっと瞳を閉じる。
先生の柔らかい唇がフワッと頬をかすめた。
「ん……」
な、なんだか物足りないって思っちゃう……のはやっぱり私が先生の事を好きだから?
「せんせ……?」
「唇に触れても?」
うん……触れて、ほしい。
私はうなずく。
その瞬間、きつく抱きしめられて唇をふさがれた。
「んんんっ……っはぁ……ん、ふっ……っあ」
先生が角度を変えながら私の唇をむさぼる。
「千尋さん……口を、開けて……」
「んやっ……あ」
ちょっ……先生、待って待って待って。
んっ、ダメ、ダメだって。
どんどん深まるキスに私はついていくのがやっとだ。
も、溺れそう。
あっ、んんっ。
頭の芯がしびれるような感覚に何度も襲われて何も分からなくなる。
先生の行為にどう答えていいのか分からないまま、ただしがみ付くしか出来ない。
「あっ」
足の力が抜けてくずおれるように先生の胸にすがった。
「千尋さん……腰が抜けてしまいましたか?……随分気持ちが良さそうですね」
先生は濡れた唇で妖艶にほほ笑む。
ん、気持ち、いい……でも……。
「……先生の……意地悪……」
「あなたが知らなかっただけで、私は元からこういう人間ですよ……今日から教えて差し上げます」
先生はそう言うと再び唇を重ねた。
「冬馬、千尋」
地の底を這うような低い声に私はビクッと体をすくめた。
ヤバイ、お父さんの事本気で忘れてた。
「お前ら、こんなところで盛るんじゃない。近所の目があることも考えろ」
それこそ、もう夜更けであることを気にしているのか父の声はいささか大人しい。
冬馬先生は私をかばうように抱きすくめると父に頭を下げた。
「それは、申し訳ありません所長。なにしろ先程婚約を交わしたばかりで、今は周りが見えない程浮かれておりますので……お許し下さい」
先生は相変わらず飄々と答える。
「婚約を交わしたって……勝手にしろと言ったが、俺はまだそこまで許した覚えはない……まあいい、千尋……うん、そうだな、あー……」
父は私の名前を呼んだものの私を直視せずキョロキョロと視線をさまよわせた。
こんな父は初めて見る。
「千尋……お前は早く家に入りなさい。……冬馬、話がある」
「トーマ先生……」
大丈夫だろうか?
先生、お父さんに殴られたりしない?
心配で私は背の高い先生を見上げる。
「……何もしない、話をするだけだ」
「ええ、男同士の話をね。おやすみなさい、千尋さん、また日曜日に」
先生がそう言ったので私はおやすみの挨拶をして玄関の扉を開けた。
「お前ね……少しは自重しろよ。一日に二回も見せつけやがって、疲れてるんだから早く家に入りたいのに、車庫で時間をつぶしたぞ」
父の声が扉越しに聞こえる。
なんだか今夜は聞き耳を立ててばかりな気がするけど、心配なんだからしょうがない。
お父さんが暴れたらすぐに止めに入らないと!
「それは……お気をつかわせてしまって申し訳ありません」
「わざとらしい奴め。父親の目の前ですることか」
ただ、父は随分落ち着いている様だ。
「すみません、千尋さんがあんまり初心な反応をされるのがかわいらしくて。つい、いろいろ教えたくなってしまいました」
「それは……どういうことだ?」
「言葉の通りなのですが……どういうことでしょうね……?」
二人は私がう、初心だって話をしているの!?
ちょ、ちょっと待って。
『男同士の話』って、もうっ、サイアク!
そ、そりゃ、キスなんて、トーマ先生みたいに慣れてませんよーだ。
し、失礼な。
「それにしても、冬馬。お前どういうつもりだ? いきなり、千尋と婚約するって……いくらなんでも急すぎるだろう!?」
「ですが、反対はなさらないでしょう?」
「……じゃなきゃ、お前なんかとっくにぶっ飛ばしている」
「所長ともあろうお方が、物騒な発言ですね」
「うるさい……まあ、元々いずれはお前に譲る約束だった事務所だ。あの日、千尋の駆け落ち騒動でこの話は流れたと思ったが……まさか、こういう形で復活するとはな、皮肉な話だ」
父の言葉に私はイヤな汗が噴き出てくるのを感じる。
元々は事務所を冬馬先生に譲る約束だったって事は……お父さん、自分がお母さんと結婚してお祖父ちゃんの事務所を継いだように、長女であるお姉ちゃんと冬馬先生を結婚させて事務所を継がせるつもりだったんじゃ? 二人はデートするような仲で、あの頃も連絡を取り合っていたんだからありえない話じゃない。
でもあの日、私の駆け落ち騒動のゴタゴタもあってその話は流れちゃったってことじゃないの?
そう考えたら、成人式のあの日、先生がわざわざ埼玉から来たこともお姉ちゃんが帰省したこともうなずける。
ど、どうしよう?
私の『偽装駆け落ち』が皆の人生を狂わせたんだとしたら……?
「お前が先代が興したこの事務所を守りたいと思っているのは分かっている。しかしな……こういう事態になった以上、千尋を不幸にしたらただじゃおかんぞ」
「ええ、それはもちろんです。命に代えても千尋さんと……蓮さんを守ります」
先生は母に言ったことと同じように父にもそう宣言する。
婚約が偽りなら、この言葉も偽りなんだよね……?
父だって先生が事務所を第一に考えている事は気が付いている様なのに……!
私の話をしているようで……私の事なんてお構いなしの内容の様にも感じてしまう。
顔が見えないから言葉の裏にある本心が分からない。
「……分かっているならいい。……泣かすなよ」
「それは……お約束できかねます。何しろ千尋さんは泣き顔が一番かわいいので。かわいい子にはつい意地悪をしたくなるものですよ、そのお気持ちは所長もお分かりになるでしょう?」
「……お前なぁ……仮にも俺は千尋の父親だぞ、もう少し遠慮しろよ」
「千尋さんの事を大切に思っているのなら、本人にそう伝えたらいいのに」
「それが出来たら苦労しないよ」
漏れ聞こえる会話の何が本心で何が嘘なのか分からない。
ただ、扉越しの父の声があまりに弱々しく玄関に響いて私はそっとその場を離れた。
0
あなたにおすすめの小説
家出を決行した結果
棗
恋愛
フィービーの婚約者ミゲルには大切な幼馴染がいる。病弱な幼馴染をいつも優先するミゲルや母が亡くなって以降溝が出来てしまった父と兄との関係にフィービーは疲れていた。
デートの約束をしてもいつも直前になって幼馴染を理由にキャンセルされ、幼馴染にしか感情を見せないミゲルを、フィービーを見ようとしない父や兄を捨てる決心をしたフィービーは侍女や執事の手を借りて家出を決行した。
自分を誰も知らない遠い場所へ行ったフィービーは、新しい人生の幕開けに期待に胸を躍らせた。
※なろうさんにも公開しています。
夫が運命の番と出会いました
重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。
だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。
しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
とっていただく責任などありません
まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、
団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。
この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!?
ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。
責任を取らなければとセルフイスから、
追いかけられる羽目に。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる