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14話 演技

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 中学二年生になって半年ほどたった十月のある日、長崎で法律事務所を営んでいた祖父が体調を崩した。
 それで急遽きゅうきょ福岡の法律事務所で働いていた父が長崎の事務所を継ぐことになって、私達家族は長崎に戻ることになった。
 家族全員で戻りたいという父の意見を完全に無視してお姉ちゃんは大学の卒業が近いからと福岡に残った。
 卒論だってもう取り組んでいたし、デパートに勤めることもこの時にはもう決まっていたそうだから当然と言えば当然よね。
 おまけにお姉ちゃんは自分の意思をはっきり持っている強い人だから。
 そういうところ羨ましいと思う。
 でも、まだ中学生だった私は家族に着いて行くしか選択肢はない訳で……。
 冬馬先生と離れることになってしまった。
 この時は本当に辛かったな。
……だって、もう先生の事しか考えられないくらい好きになっていたから。
 学校のテストでいい点が取れた時に『千尋さん、良く頑張りましたね』って誉めて貰えるのが嬉しくて勉強してたようなもんなのだ。
 長崎に引っ越して、大野君や萌ちゃんのような新しい友人とも沢山出会えたけど冬馬先生ほど好きになった人はいない。
 ただ、離れ離れになったものの、先生は春休みや夏休みなど大学が長期休暇に入ると長崎の我が家に帰省してくるようになった。
 なんでも、先生の家は複雑で後妻さんとの折り合いが悪くて家には帰りづらいっていう話だった。
 両親は長男である冬馬先生に家業を継がせたくて、弁護士になることを反対していたそうだ。
 でも、どうしても弁護士になる夢をあきらめきれなかった先生は、昔から知り合いだった私の祖父を頼ったらしい。
 で、我が家に下宿中、先生は父の法律事務所でアルバイトをしたり私の家庭教師をして過ごしていた。
 でもさすがに法科大学院に進んだころからは司法試験に向けた勉強が忙しくなってきた様で私の家に来る日も次第に減っていった。
 その後、猛勉強のかいもあって先生はストレートで司法試験に合格し埼玉の司法研修所で司法修習中だったから、成人式のあの日はホントに久しぶりに先生に会ったんだよね。
……よく考えたら先生、あの日は埼玉からわざわざ何をしに来たんだろう?
 お姉ちゃんも珍しく帰って来ていたし。
 二人して示し合わせたように私の前に現れたっていうのはどういう意味があったんだろうか?
 


「それにしても、千尋。いきなり四宮先生と婚約だなんて一体どうなっているの?」
「へ?」
 母の問いにボーッと考え事をしながら食事を終えた私は戸惑う。
「えっと、それは……」
 ど、どう答えたらいいんだろう?
『偽装婚約です』とは絶対に言えないし。
 母が驚くのは無理もない事だ。 
 日曜日に赤ちゃん連れで駆け落ちから戻って来た娘が金曜日にはもう、かつての家庭教師で今は父親の部下である冬馬先生と婚約するって、あまりにも急展開すぎるもんね。
「えっと……それは……実はお父さんが、な」
 永田先生という婚約者候補と引き合わせようとしていたみたいと話そうとしたけど冬馬先生にさえぎられる。
「奥様、突然の事で驚かせてしまい申し訳ありません。私の方から本日、千尋さんに婚約を申し込んでご了承頂いたのです」
「四宮先生から?」
「ええ」
「先生はそれでいいの? 我が家にとってはありがたい話だけど、千尋と結婚するという事は蓮の事も引き受けるという事よ」
「ええ、分かっています。これからは私が千尋さんと蓮さんを支えます」
 トーマ先生……。
 私は先生の整った横顔を見つめる。
 
 例え今だけだとしても先生がそう言ってくれるのはホントに嬉しい。
 でも、私ね、先生に迷惑をかける気はないよ。
 先生の事が好き。
 だからこそ先生に迷惑をかけるようなことはしたくない。
 今回、永田先生と無理やり政略結婚させられるのを避けるために慌てて先生とこんな契約を交わしてしまったけど、自立できる位のお金がたまったら今度は家出みたいな方法じゃなくてきちんと独立するつもりでいる。
 私、一人でも立派に蓮を育ててみせるって誓ったんだもん。
 それに、あのお父さんの事だ。
 いつまでも騙せるもんじゃない。
 
 私がちゃんと自立出来たらこのギソコンは解消しよう。

 その為にも今はフォレストの引継ぎをきっちり終わらせて、先生の家のハウスキーパーをしっかりこなさないと!
 もうお父さんの思い通りにはさせない。
 私だって、この一年半で少しは強くなれたはずなんだから!

「千尋、おめでとう。良かったわね」
「う、うん……」
 母に婚約を祝福された私は生返事をかえす。
「あ、ありがとう」
「お茶を入れましょうね」
 母が二人分の食器をトレイにのせてキッチンに向かうと冬馬先生がスッと私の耳元で囁いた。
「千尋さん、私達は婚約したての間柄なんですからもっと嬉しそうな演技をして頂かないと困ります。奥様にこの婚約が偽装だとばれてもよろしいのですか?」
 う、嬉しそうな演技って……?
 どうやったらいいの?
 先生の甘いセリフも、熱い視線も全て祖父が興した事務所を守るための演技なんだよね?
 分かっているけどちょっぴり、悲しい。
 でも……確かに今、お母さんにこの婚約が偽装だとばれるわけにはいかない。
 とにかく、蓮と生きていけるだけのお金を貯めるまでは。
 その為には、たとえ辛くてもこの気持ちには蓋をしないと。
 いや、いっそ、ずっと好きだった人と偽装とはいえ婚約出来たというこの状況を逆にラッキーだと思って楽しむ位の心の余裕をもちたい。

 そうだよ、私はついている!
 大好きな冬馬先生に、嘘でもかわいいって言って貰えて、だ、抱きしめたりキスしてもらってしまったのだ。
 キ、キス……しちゃったんだよね。
 私達……。
 それも、何度も。
 う、うわぁぁああああ!
 お、思い出したら……ダメだぁぁぁぁああ!

 あ、あんな濃厚なキスをされたらトーマ先生の事、意識せずにはいられないよっ!

「まあ、どうしたの? チヒロ、顔が真っ赤よ」
 キッチンから戻った母が湯呑を渡してくれる。
「え? えっと……トーマ先生と婚約できたのが嬉しくて……」
 演技なんかじゃなく本気で赤くなっているのが恥ずかしすぎて冬馬先生の顔を見ることが出来なかった。
 それなのに、
「本当に千尋さんはかわいらしい方ですね」
 なんて言って先生は更に私の頬を赤くする。
「私もさっきの事で反省しました。どうやら千尋さんは私の事を良く理解されておられない様で……。これからは気持ちを正直にお伝えして、もっと私の事を知って頂きたいと思います」
「そう、それはいいことね」
「ええ」
 って、トーマ先生!?
 お母さんの前でこれ以上私の事を『かわいい』っていうのはやめてもらえませんか?
 も、もう充分ですから。
「それに今まで一人で頑張ってきた分、これからは沢山私に甘えて頂いて結構ですからね、千尋さん」
 って、もうムリだー!
 た・す・け・て・く・れー!

 こ、こんなに甘いセリフを吐く冬馬先生が、私の婚約者だなんて。
 おまけに、それはもう美しい顔がいつも以上に輝いて見えるほどご機嫌な笑顔だ。
 ク、クールないつものトーマ先生はどこに行ってしまったのー!!
……でも、今日の冬馬先生も嫌いじゃない、いや、むしろ好きだと思ってしまうんだからホント恋って盲目だよね……。
 はあ、先生、今日もかっこいい。
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