18 / 202
第一章〈幼なじみ主従〉編
1.16 還俗(1)
しおりを挟む
みなが呆気にとられていると、マリーとルネ姉弟の母——アンジュー公妃ヨランド・ダラゴンは優美な足取りで寝室に入って来た。
私のかたわらに控えていたジャンに対してまでも、略式の礼をとった。
「こちらの少年は王弟オルレアン公のご子息ですね。ごきげんよう」
「あっ、えっ、俺は……いや、私は父の庶子ですから」
注目されてしどろもどろになったジャンに、ヨランドは微笑みを返した。
「なぜ、分かったのですか」
私もジャンも地味な僧衣を着た少年僧にしか見えないと思う。
いつだったか、「教会で世話になってる子は、私生児か孤児か捨て子に決まってる」と言われたこともある。
なぜ、私たちの素性がわかったのだろう。
ヨランドは腰を落とすと、私の手を取った。
「王子の僧衣の袖を見て、お察ししました」
修道院の僧たちはお仕着せの僧衣を着ている。みな、見た目は同じだ。
だが、私の僧衣の袖には特殊な刺繍が小さく施されていた。
金色の百合と剣をかたどった紋章が三つ。フランス王家の紋章、フルール・ド・リスだ。
正式には、青地に金百合だが、私の僧衣は目立たないように僧衣と同色の糸で縫い込まれていた。
「申し遅れました。アンジュー公の長女、マリー・ダンジューと申します」
振り返ると、マリーが母と同じように屈膝礼をしていた。
「知らなかったとは言え、ご無礼の数々をどうかお許しください」
マリーは顔を伏せたまま、首を横に振った。
「いいえ、本当は知っていたの。さっき、そちらの従者の子が……王弟のご子息が『王子』と呼んだのを聞きました。でも、聞き間違いかと思ったの! わたくしは何て失礼なことを……」
マリーは深く頭を垂れていたので、表情は見えなかった。
けれど、スカートをつまんだ手が小刻みに震えている。
「かしこまらないで!」
私は思わず語気を荒げた。
怒ってなどいないが居たたまれなかった。
さっきまでの楽しい雰囲気が消え失せてしまったことが無性に悲しくて、残念でたまらなかった。
「自分の出自は知ってます。だけど、私は宮廷生活を知りません。礼儀作法を知らないのです。無作法なのは私の方なんです……」
私は、宮廷の礼儀作法を知らない。
こんな風に格式張った挨拶をされてもどう返したらいいか分からない。
「だから、お願いだから、かしこまらないでほしい……」
一息に喋ると、私はうなだれた。
自分でも、ヨランドに訴えているのかマリーに訴えているのか分からなかった。
「王子は、パリの宮廷へ戻りたいですか」
ヨランドは跪いて、私に視線を合わせながらそう尋ねた。
「わかりません。私は王城で生まれたと聞かされてますが、何も覚えていません。『戻る』というのは適切ではないと思います」
これまでの生い立ちについて、根掘り葉掘りと聞かれた。
「修道院の生活はいかがですか」
「ここの生活は気に入っています」
「何か不便なことや困っていることはございますか」
「特にありません。あっ、でもジャンは剣の修行をしたいのに修道院では積極的に鍛錬できないからちょっと困る……」
ヨランドの優しい声色は、私が長年焦がれていた母上のようだった。
ぼうっと熱に浮かされたような気分で、問われるままに、さまざまなことを話した。
「宮廷のことは何も知りません。両親もきょうだいも会っていません。修道院の生活に不便も不満もありません。ですが、いつか家族に会いたいと願っています」
翌朝には天候が回復し、ぬかるんだ悪路も数日中に乾いて元通りになった。
旅程に障害がないことを確認すると、アンジュー公妃の一行は朝もやの中を出立した。
私は、一行が来た時と同じ場所から見送った。
採光用の細い窓だ。彼らから私の姿は見えなかっただろう。
「ルネの風邪は良くなっただろうか」
結局、寝物語はできなかった。
鼻水を垂らしながらはしゃぐルネ・ダンジューと、弟の振る舞いを「恥ずかしい」と嘆いたマリー・ダンジュー。
気取らない姉弟の姿を思い出して、私は少し笑った。
嵐の夜、地味な僧衣の袖に縫い付けられた百合紋を指し示すために、ヨランドは私の手を取った。
その柔らかい感触と温もりが、いつまでも残っていた。
私のかたわらに控えていたジャンに対してまでも、略式の礼をとった。
「こちらの少年は王弟オルレアン公のご子息ですね。ごきげんよう」
「あっ、えっ、俺は……いや、私は父の庶子ですから」
注目されてしどろもどろになったジャンに、ヨランドは微笑みを返した。
「なぜ、分かったのですか」
私もジャンも地味な僧衣を着た少年僧にしか見えないと思う。
いつだったか、「教会で世話になってる子は、私生児か孤児か捨て子に決まってる」と言われたこともある。
なぜ、私たちの素性がわかったのだろう。
ヨランドは腰を落とすと、私の手を取った。
「王子の僧衣の袖を見て、お察ししました」
修道院の僧たちはお仕着せの僧衣を着ている。みな、見た目は同じだ。
だが、私の僧衣の袖には特殊な刺繍が小さく施されていた。
金色の百合と剣をかたどった紋章が三つ。フランス王家の紋章、フルール・ド・リスだ。
正式には、青地に金百合だが、私の僧衣は目立たないように僧衣と同色の糸で縫い込まれていた。
「申し遅れました。アンジュー公の長女、マリー・ダンジューと申します」
振り返ると、マリーが母と同じように屈膝礼をしていた。
「知らなかったとは言え、ご無礼の数々をどうかお許しください」
マリーは顔を伏せたまま、首を横に振った。
「いいえ、本当は知っていたの。さっき、そちらの従者の子が……王弟のご子息が『王子』と呼んだのを聞きました。でも、聞き間違いかと思ったの! わたくしは何て失礼なことを……」
マリーは深く頭を垂れていたので、表情は見えなかった。
けれど、スカートをつまんだ手が小刻みに震えている。
「かしこまらないで!」
私は思わず語気を荒げた。
怒ってなどいないが居たたまれなかった。
さっきまでの楽しい雰囲気が消え失せてしまったことが無性に悲しくて、残念でたまらなかった。
「自分の出自は知ってます。だけど、私は宮廷生活を知りません。礼儀作法を知らないのです。無作法なのは私の方なんです……」
私は、宮廷の礼儀作法を知らない。
こんな風に格式張った挨拶をされてもどう返したらいいか分からない。
「だから、お願いだから、かしこまらないでほしい……」
一息に喋ると、私はうなだれた。
自分でも、ヨランドに訴えているのかマリーに訴えているのか分からなかった。
「王子は、パリの宮廷へ戻りたいですか」
ヨランドは跪いて、私に視線を合わせながらそう尋ねた。
「わかりません。私は王城で生まれたと聞かされてますが、何も覚えていません。『戻る』というのは適切ではないと思います」
これまでの生い立ちについて、根掘り葉掘りと聞かれた。
「修道院の生活はいかがですか」
「ここの生活は気に入っています」
「何か不便なことや困っていることはございますか」
「特にありません。あっ、でもジャンは剣の修行をしたいのに修道院では積極的に鍛錬できないからちょっと困る……」
ヨランドの優しい声色は、私が長年焦がれていた母上のようだった。
ぼうっと熱に浮かされたような気分で、問われるままに、さまざまなことを話した。
「宮廷のことは何も知りません。両親もきょうだいも会っていません。修道院の生活に不便も不満もありません。ですが、いつか家族に会いたいと願っています」
翌朝には天候が回復し、ぬかるんだ悪路も数日中に乾いて元通りになった。
旅程に障害がないことを確認すると、アンジュー公妃の一行は朝もやの中を出立した。
私は、一行が来た時と同じ場所から見送った。
採光用の細い窓だ。彼らから私の姿は見えなかっただろう。
「ルネの風邪は良くなっただろうか」
結局、寝物語はできなかった。
鼻水を垂らしながらはしゃぐルネ・ダンジューと、弟の振る舞いを「恥ずかしい」と嘆いたマリー・ダンジュー。
気取らない姉弟の姿を思い出して、私は少し笑った。
嵐の夜、地味な僧衣の袖に縫い付けられた百合紋を指し示すために、ヨランドは私の手を取った。
その柔らかい感触と温もりが、いつまでも残っていた。
11
あなたにおすすめの小説
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
獅子の末裔
卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。
和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。
前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
婚約破棄? めんどくさいのでちょうどよかった ――聖女もやめて、温泉でごくらくしてます
ふわふわ
恋愛
婚約破棄を告げられた聖女リヴォルタ・レーレ。
理由は、「彼女より優秀な“真の聖女”が見つかったから」。
……正直、めんどくさい。
政略、責任、義務、期待。
それらすべてから解放された彼女は、
聖女を辞めて、ただ温泉地でのんびり暮らすことを選ぶ。
毎日、湯に浸かって、ご飯を食べて、散歩して。
何もしない、何も背負わない、静かな日常。
ところが――
彼女が去った王都では、なぜか事故や災害が相次ぎ、
一方で、彼女の滞在する温泉地とその周辺だけが
異様なほど平和になっていく。
祈らない。
詠唱しない。
癒やさない。
それでも世界が守られてしまうのは、なぜなのか。
「何もしない」ことを選んだ元聖女と、
彼女に“何もさせない”ことを選び始めた世界。
これは、
誰かを働かせなくても平和が成り立ってしまった、
いちばん静かで、いちばん皮肉な“ざまぁ”の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる