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物語
毒殺された男の話
しおりを挟むメリッサは蝋燭の火が揺れる中で一人手紙を書いていた。
メリッサの遺書であり、メリッサだけの遺書ではない。
包帯を巻いた状態で筆を握るのは辛く、暗い中で虫のように細かい文字を一つ一つ書くのは重労働である。
今だ火傷の痕は痛み、何よりも片方しかない視力は予想以上に不便である。
それでもメリッサは汗を浮かべながら、必死に書き続けた。
彼女の頭の中にはあの運命の日が鮮明に浮かんでいた。
メリッサが花嫁衣裳を着て、そしてディエゴに犯された日である。
ディエゴに対する申し訳なさ、全てを償いたい気持ちと、それでもディエゴがあの日行った粛清は許されないという気持ち。
それはずっとメリッサの中で燻り続けていた。
遺書は三枚。
驚異的な集中力のもとで、メリッサはメリッサ自身、あの日見た人々の数だけ、その名前を全部記した。
武官も文官も、侍女や女官、使用人や兵士、騎士。
メリッサを愛した者、メリッサを軽蔑した者、全て分け隔てもなく。
あの日、ディエゴの反逆によってメリッサの目の前で死んだ城の者達全ての名前を、メリッサは記した。
メリッサの知らないところではこの倍の人々が意味も分からず死んだのだ。
名も知らない民も含めて。
全ての死者の名を記せない自分が情けなかった。
果たして、ディエゴはこの大量の人名を見て、その意味を悟るだろうか。
きっと、それは難しいだろう。
ディエゴのこの先の運命はきっと穏やかではない。
彼が真実を知った時、国は本当の意味で崩壊するのだ。
そして、その真実はメリッサのみが知っている。
あの日、王妃がメリッサに会いに来たとき。
王妃が優越感を滲ませながら腹を撫でていた横で、メリッサは口の中で呟いた。
嘘つきめ、と。
*
メリッサは三枚目の手紙に目を通す。
そこには残酷な真実が記されている。
ディエゴは知らない。
彼は、あの日の暗殺が失敗したと言ったが、それは嘘だ。
暗殺が本当の目的ではない。
前国王は息子のディエゴの実力を誰よりも理解していたのだろう。
もしかしたら、それが周囲から見下されていた前国王を嫉妬させ、それが原因であんな卑劣な策を思いつき、実行したのかもしれない
だが、今更前国王の真意を知ったところで、もう国は崩壊に向かっている。
ディエゴは知らない。
顔と身体にかけられた白い粉の毒にだけ意識を向け、前国王が葡萄酒に仕込んだ毒がただ身体を縛り動きを鈍くするためのものだと思っている。
本当の毒は葡萄酒に入っていた。
その毒を一滴でも含んだ時点で、前国王の目的は達していたのだ。
一滴含んだ途端、内臓が燃えるような強烈な熱が全身を犯し、何日にも渡って発熱し続ける。
それは王家の無謀な研究の中で偶然生まれた、ある意味では非常に皮肉な毒薬である。
その毒は、男の精子を、精巣を殺す。
ディエゴはあの日から既に種無しと呼ばれる身体となっていたのだ。
その事実を、ディエゴは知らない。
それが、彼にとって幸せなのか、メリッサには分からない。
前国王は、カイルとの結婚が迫っていた頃にメリッサにその事を告げた。
あくまで、もしかしたら、という前置きをしての告白だ。
発熱が長く続くと、男は種無しになることがあり、ディエゴの場合は何日もそれが続いた。
もしもディエゴが種無しだった場合、次代の後継者はメリッサとカイルの子になる可能性が非常に高いという忠告であり、メリッサも突然の話に驚いた。
ただ、前国王がメリッサに語ったとき、彼は毒が原因だとは言わなかった。
何日にも続く発熱のせいだとしか言わなかったのだ。
今考えると、なんて卑怯な言い回しだろうとメリッサは嘲笑を浮かべる。
その発熱の原因が前国王が仕込んだ毒のせいであり、ディエゴを種無しにすることが彼の真の目的だったのだから。
実の息子にそこまで残酷になれるのかと、メリッサは恐ろしくなる。
前国王が本当にカイルとその亡き母を愛していたのかも疑問だ。
そして、その上でディエゴの子を孕んだという王妃に心底驚き、実際にその膨れた腹を間近で見たとき、メリッサは本能的にその胎児にこの国の王家の血は一滴も入っていないことを悟った。
メリッサの鼻は、誰よりも王家の血をかぎ分けることができる。
メリッサが誰よりも王家の血が濃いと前国王は言ったが、きっとそれは事実なのだろう。
種無しになった途端、ディエゴを本能で拒絶したメリッサは理性のない獣に等しい。
だが、それは結局メリッサが自分を肯定するためだけの都合の良い推測に過ぎない。
真実は誰にも分からないし、事実だけが重要なのだ。
メリッサがディエゴを裏切り、カイルに恋した。
そして、卑怯にも全ての責任から逃げようとしている。
ディエゴから、また国の最期から。
王女メリッサはどうしようもなく愚かで卑怯で、軽蔑される女だと、それだけが真実なのだ。
前国王の暗殺の本当の目的、そしてディエゴが種無しになったことを記した三枚目の手紙をメリッサはじっと見つめる。
早く封をしないと、ディエゴがもうすぐ来てしまう。
この真実を知れば、大事な城の者を殺されたメリッサの恨みは晴れるだろう。
確実に国は亡ぶだろうが、それは結局遅いか早いかの話である。
この国の正当な血を引かない子が国王として即位すれば、国の乗っ取りの完了である。
果たしてそれが隣国の企みなのか、それとも王妃個人の行動によるものなのか。
悪意の見当たらない、王妃の笑みをメリッサは理解できない。
結局、事実と結果だけが大事なのだ。
ディエゴには知る権利があり、王妃は断罪されなければならない。
そして、王女であるメリッサには侵略者である二人が許せないのだ。
メリッサは封筒に三枚の文を入れた。
* *
蝋燭の火で燃え上がったそれを、火事にならないようにメリッサは無造作に両手で叩く。
治りかけの両手がまた熱に焼かれてしまったが、適当に薬を塗って包帯を巻きなおせばいいと、メリッサは気にしなかった。
手紙を一枚燃やした。
そして、残った二枚のみを封筒に入れ、押印で封をする。
遺書の、完成だ。
メリッサは死ぬ間際まで、何故この時自分が真実をディエゴに伝えなかったのかと、最後まで疑問に思った。
火傷で寝たきりのメリッサの隣りで、ディエゴが王妃に慰められ、それに愛を返したのを聞いたからなのか。
それとも、知らせないことこそ本当の復讐になると思ったのか。
残酷すぎる事実を伝えるのが結局怖かったのかもしれない。
一見、奇跡的に生き延びたディエゴが、本当はある夜、既に殺されていたという真実を。
ディエゴはあの夜、既に死んでいた。
これは、毒殺された男の話である。
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