45 / 45
物語
毒殺された男の話
しおりを挟むメリッサは蝋燭の火が揺れる中で一人手紙を書いていた。
メリッサの遺書であり、メリッサだけの遺書ではない。
包帯を巻いた状態で筆を握るのは辛く、暗い中で虫のように細かい文字を一つ一つ書くのは重労働である。
今だ火傷の痕は痛み、何よりも片方しかない視力は予想以上に不便である。
それでもメリッサは汗を浮かべながら、必死に書き続けた。
彼女の頭の中にはあの運命の日が鮮明に浮かんでいた。
メリッサが花嫁衣裳を着て、そしてディエゴに犯された日である。
ディエゴに対する申し訳なさ、全てを償いたい気持ちと、それでもディエゴがあの日行った粛清は許されないという気持ち。
それはずっとメリッサの中で燻り続けていた。
遺書は三枚。
驚異的な集中力のもとで、メリッサはメリッサ自身、あの日見た人々の数だけ、その名前を全部記した。
武官も文官も、侍女や女官、使用人や兵士、騎士。
メリッサを愛した者、メリッサを軽蔑した者、全て分け隔てもなく。
あの日、ディエゴの反逆によってメリッサの目の前で死んだ城の者達全ての名前を、メリッサは記した。
メリッサの知らないところではこの倍の人々が意味も分からず死んだのだ。
名も知らない民も含めて。
全ての死者の名を記せない自分が情けなかった。
果たして、ディエゴはこの大量の人名を見て、その意味を悟るだろうか。
きっと、それは難しいだろう。
ディエゴのこの先の運命はきっと穏やかではない。
彼が真実を知った時、国は本当の意味で崩壊するのだ。
そして、その真実はメリッサのみが知っている。
あの日、王妃がメリッサに会いに来たとき。
王妃が優越感を滲ませながら腹を撫でていた横で、メリッサは口の中で呟いた。
嘘つきめ、と。
*
メリッサは三枚目の手紙に目を通す。
そこには残酷な真実が記されている。
ディエゴは知らない。
彼は、あの日の暗殺が失敗したと言ったが、それは嘘だ。
暗殺が本当の目的ではない。
前国王は息子のディエゴの実力を誰よりも理解していたのだろう。
もしかしたら、それが周囲から見下されていた前国王を嫉妬させ、それが原因であんな卑劣な策を思いつき、実行したのかもしれない
だが、今更前国王の真意を知ったところで、もう国は崩壊に向かっている。
ディエゴは知らない。
顔と身体にかけられた白い粉の毒にだけ意識を向け、前国王が葡萄酒に仕込んだ毒がただ身体を縛り動きを鈍くするためのものだと思っている。
本当の毒は葡萄酒に入っていた。
その毒を一滴でも含んだ時点で、前国王の目的は達していたのだ。
一滴含んだ途端、内臓が燃えるような強烈な熱が全身を犯し、何日にも渡って発熱し続ける。
それは王家の無謀な研究の中で偶然生まれた、ある意味では非常に皮肉な毒薬である。
その毒は、男の精子を、精巣を殺す。
ディエゴはあの日から既に種無しと呼ばれる身体となっていたのだ。
その事実を、ディエゴは知らない。
それが、彼にとって幸せなのか、メリッサには分からない。
前国王は、カイルとの結婚が迫っていた頃にメリッサにその事を告げた。
あくまで、もしかしたら、という前置きをしての告白だ。
発熱が長く続くと、男は種無しになることがあり、ディエゴの場合は何日もそれが続いた。
もしもディエゴが種無しだった場合、次代の後継者はメリッサとカイルの子になる可能性が非常に高いという忠告であり、メリッサも突然の話に驚いた。
ただ、前国王がメリッサに語ったとき、彼は毒が原因だとは言わなかった。
何日にも続く発熱のせいだとしか言わなかったのだ。
今考えると、なんて卑怯な言い回しだろうとメリッサは嘲笑を浮かべる。
その発熱の原因が前国王が仕込んだ毒のせいであり、ディエゴを種無しにすることが彼の真の目的だったのだから。
実の息子にそこまで残酷になれるのかと、メリッサは恐ろしくなる。
前国王が本当にカイルとその亡き母を愛していたのかも疑問だ。
そして、その上でディエゴの子を孕んだという王妃に心底驚き、実際にその膨れた腹を間近で見たとき、メリッサは本能的にその胎児にこの国の王家の血は一滴も入っていないことを悟った。
メリッサの鼻は、誰よりも王家の血をかぎ分けることができる。
メリッサが誰よりも王家の血が濃いと前国王は言ったが、きっとそれは事実なのだろう。
種無しになった途端、ディエゴを本能で拒絶したメリッサは理性のない獣に等しい。
だが、それは結局メリッサが自分を肯定するためだけの都合の良い推測に過ぎない。
真実は誰にも分からないし、事実だけが重要なのだ。
メリッサがディエゴを裏切り、カイルに恋した。
そして、卑怯にも全ての責任から逃げようとしている。
ディエゴから、また国の最期から。
王女メリッサはどうしようもなく愚かで卑怯で、軽蔑される女だと、それだけが真実なのだ。
前国王の暗殺の本当の目的、そしてディエゴが種無しになったことを記した三枚目の手紙をメリッサはじっと見つめる。
早く封をしないと、ディエゴがもうすぐ来てしまう。
この真実を知れば、大事な城の者を殺されたメリッサの恨みは晴れるだろう。
確実に国は亡ぶだろうが、それは結局遅いか早いかの話である。
この国の正当な血を引かない子が国王として即位すれば、国の乗っ取りの完了である。
果たしてそれが隣国の企みなのか、それとも王妃個人の行動によるものなのか。
悪意の見当たらない、王妃の笑みをメリッサは理解できない。
結局、事実と結果だけが大事なのだ。
ディエゴには知る権利があり、王妃は断罪されなければならない。
そして、王女であるメリッサには侵略者である二人が許せないのだ。
メリッサは封筒に三枚の文を入れた。
* *
蝋燭の火で燃え上がったそれを、火事にならないようにメリッサは無造作に両手で叩く。
治りかけの両手がまた熱に焼かれてしまったが、適当に薬を塗って包帯を巻きなおせばいいと、メリッサは気にしなかった。
手紙を一枚燃やした。
そして、残った二枚のみを封筒に入れ、押印で封をする。
遺書の、完成だ。
メリッサは死ぬ間際まで、何故この時自分が真実をディエゴに伝えなかったのかと、最後まで疑問に思った。
火傷で寝たきりのメリッサの隣りで、ディエゴが王妃に慰められ、それに愛を返したのを聞いたからなのか。
それとも、知らせないことこそ本当の復讐になると思ったのか。
残酷すぎる事実を伝えるのが結局怖かったのかもしれない。
一見、奇跡的に生き延びたディエゴが、本当はある夜、既に殺されていたという真実を。
ディエゴはあの夜、既に死んでいた。
これは、毒殺された男の話である。
0
お気に入りに追加
55
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
黒の神官と夜のお世話役
苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
バッドエンドと教えてもらっていましたが…
一つ歯車が狂うとすごいことになってしまいますね、人生って。
最後の種明かしを読んで、全部つながりました。タイトルの意味も納得でした。おもしろかったです。
一貫してキレイなままだったカイルの存在が眩しいです。
強烈な印象の物語を読ませていただきました。
読後のため息が止まりません。
ありがとうございました。
towaさん、こんばんは。
お返事が遅くなりました。
感想ありがとうございます!
カイルの存在が眩しいと言って頂けて嬉しいです。
他のメインキャラに比べると少し影が薄いキャラとなってしまいましたが、その分読む人によって随分印象が変わるみたいです。
いつかそんなカイルのエピソードを番外編か何かで書けたらいいな~と思います。
こちらの方こそ感想ありがとうございます。