●鬼巌島●

喧騒の花婿

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第二噺『取ってはならぬ』

五【鬼門】

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「それにしても、鬼の服は虎の毛皮で出来ていると聞いたことがありますが、そうでもないんですな」


 気を取り直して水竜殺しを美味しそうに啜りながら、翁はじろりと伽羅の着物を観察していた。その様子を見てさり気なく春日童子は自分の着物の袖を翁の目の前に突き出し、伽羅から目を離させた。


「今はお洒落を重視する時代になってきていますから。ボクの服も、鬼の中では有名な服飾師の造った和装ですよ」


 伽羅は安心したようにため息をついて翁に向かって微笑んだ。



「虎の毛皮を着ている鬼はお年寄りが多いですよ。若い鬼はあまり着ませんわ」


「虎というのは、鬼にとって相性の良い動物なんです。十二支の方位というのが人間の世界にもあるでしょう。子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥と、北から右回りに円形に配置しているものです」


 春日童子が説明を始めると、翁はほろ酔いになりながらも頷いた。



「陰陽道や風水でも使う」


「鬼門の方位に位置しているのが丑と寅に当たるんです。まあ、諸説あるから本当かはじいさんの判断に委ねるけれど。鬼門は、人間にとっては縁起の悪い方角とされていますけど、ボクたち鬼にとっては縁起の良い方角ですからね。だから、虎の毛皮は重宝される」



「なるほど、縁起担ぎだったのか」


 翁は納得したように何度も頷いていた。


「逆に寅と反対の方角に位置している申、酉、戌の方角は鬼にとって縁起が悪いです。つまり猿、鳥、犬とは相性が悪いのです」


 これも諸説あるそうだが、烏天狗先生ではなく風鬼に教わったことだった。人界で仕事をするうちに、人間と触れ合って学んだことなのだろう。



「でも、それは結局私たち鬼の気休めよね」


「まあな。何でも気休めだろ。人間にとっての救いは神であるけれど、鬼にとって救いとなる存在が特にないからね。何かにこじつけないといけないんだよ」



 翁はというと、この時点ですでに酔っ払い顔を真っ赤にして木にうな垂れかかっていた。



「何だよ、口程にもない。もう酔っ払ったのか」


 春日童子は拍子抜けして翁を見下ろした。


「人間が飲むお酒は鬼にとって水のようなものだし、短時間でこうなっても仕方ないかもね」


 幸せそうに眠る翁を眺めながら、春日童子はふっと息を洩らして笑う。


「さてと。右頬の瘤を取ってしまおう」


「このおじいさん、踊りも上手だったし、話術もなかなかだったわ。春日童子を人間の世界へ誘い込み、誘惑するなんてね」


 少し軽蔑するように見下した伽羅は、翁の右頬に手を当てた。



「これが神の言う『良いおじいさん』なんだな」


「そうね。踊りも上手、話術も上手、褒め上手。これが、良いおじいさんの条件なのね」


 伽羅はどこか引っ掛かる言い方をしたが、春日童子は気にも留めなかった。



 伽羅が軽々と瘤を取ってしまい、翁を起こすために頬を軽く叩いた。まだ酔いが回っているのか、翁はやっとの思いで起き上がった。



「おや、私は一体……」


「じいさん、楽しかったよ。明日もここにきて踊ってくれないか。そうすれば、この瘤は返してやるからさ」


 春日童子が伽羅から預かった瘤を右手でお手玉のように弄びながら言った。反応を見るように、翁の目をじっと見る。



「私の瘤が、なくなっている」


 心なしか声が弾んでいる翁の声に、伽羅は驚いて仰け反った。


「ごめんね、大切な瘤を。でも、明日もきてくれれば返してあげるわよ。だから明日も必ずきて私たちを楽しませてね」


 伽羅が満面の笑顔で言う。



「明日くれば瘤を付けてくれるのだな。わ、わかった、必ずくる」


 翁は何度も小刻みに頷くと、慌てた足取りでこの場を後にした。まるで酔いが醒めてしまったかのようなすばしっこさに、こちらが唖然としたくらいだ。



「別れの挨拶もなしか。人間ってのは薄情なんだな。折角ボクが抱擁して、別離の涙を流そうと思っていたところなのにさ」


 大げさな動作をしながら春日童子が言うと、伽羅はおかしそうに笑う。


「明日も会えるんだから、良いじゃない。私たちもそろそろ帰ろうよ。眠くなってきたわ」


「そうだな。送って行くよ」



 家に着いた頃はすでに日が変わっていた。


 思いの外人間との会話が弾んだため、春日童子は良い気分になっていた。



 家は薄暗く家族は眠っているのだろう。本来鬼という生き物は、光や朝日が苦手なため、夜に起き活動をするものだったらしいが、春日童子が生まれたときはすでに、夜寝て朝起きる習慣へと変わっていた。



 それは人間の生活習慣に鬼が合わせた形だと聞いたことがあるが、真偽の程は誰もわかっていない。そのくらい遠い昔に昼夜逆転したので、現在生きている鬼は理由を知らないのだ。


「ただいま」


 静かな声で玄関へと足を踏み入れると、突然玄関の明かりが薄暗く点いた。目を細め前方を見ると、呉葉が欠伸をしながらこちらを眺めていた。



「遅かったのね、春日くん」


「びっくりした。起きていたの?」


「丁度厠に起きたところよ。音がするから泥棒かと思ってきてみたの」


「本当に泥棒だったらどうするつもりだったんだよ」


 苦笑しながら春日童子は静かに扉を閉め鍵を掛ける。呉葉は勇敢過ぎて危なっかしい。女性としての自覚があまりないように思う。春日童子は常々言って聞かせているのだが、呉葉は聞いた例がない。



「きちんと伽羅さんを送り届けてきた?」


 春日童子の脱いだ草履を直した呉葉が口を開いた。


「送ってきたよ」


 憮然とした表情で言うと、呉葉は春日童子の機嫌はお構いなしに小さな声で笑った。



「大事なお嬢さんを預かるんですから、当然のことね。変なことを聞いてごめんなさいね」


「いや、いいんだけどさ」


 呉葉は思い出すように目を細めた。


「昔は遊んだら終わりで、さっさと女の子を置いて帰ってきていたものね」


「呉葉ちゃんの口うるさい教育で、少しは女の子の扱いはましになっただろ」



「甘い言葉という、余計なものまで覚えてしまったけれどね」


「君は理想論ばかり押し付けるんだもんな。男とはこうあるべき、男尊女卑は駄目、騙すことは最低、とかさ」


 呉葉は一瞬言葉に詰まったが、眉を吊り上げて春日童子を見上げた。



「男性が女性に勝ると誰が決めたの? 騙して女性を手に入れようなどと、許されることではないわ」


 春日童子は困惑して呉葉の背中を押して中へと入った。


「そうだね。お姉様の言うことは、絶対だからな」


 おかしそうに笑った春日童子を見上げて、呉葉は眉を潜めて我に返ったような複雑な表情を見せた。



「あなたは私の言うことならば何でも聞きそうね」


「もちろんですよ、お姉様。私めがあなた様の気持ちを裏切ることは、例え鬼が滅びることがあっても、決してございません」


 恭しくお辞儀をした春日童子に、呉葉はおどけて肩を竦めた。



「真面目なことを言えば、私もあなたを裏切ることはないわよ。当たり前のことを大仰に言わないで頂戴な」


 呉葉が白湯を淹れるというので、居間の炬燵へと足を入れた。温かい白湯が出てきて、春日童子は思わず茶碗に冷たくなった手を包み込んだ。ほのかに手に熱が移る。


「ありがとう」


 呉葉も自分の白湯を注いできて炬燵に座った。


「神様からの仕事内容って、どこか漠然としているわよね。お父さんの仕事だって、桜の木の下に現れる人間を脅してこいとか、二つに並んだ葛篭のうちの大きな方に隠れていて、おばあさんがその葛篭を開けたら夜明けまで追いかけて脅してこいとか。報酬がもらえるから鬼もやるのでしょうけれど、過程はどうあれ理由を知りたいわよね。どういう理由でおばあさんを夜明けまで脅すのかということを、神様は我々に教えてくれないじゃない」


「その通りだね」



 静まり返った室内に、白湯を啜る音だけが響いた。呉葉の沈黙に春日童子は多少の気まずさを覚えて沈黙を破った。


「右頬に大きな瘤を付けたじいさんが宴会場にきたよ。伽羅の仕事は、その瘤を取ってやること。そして明日も宴会場にこさせるよう、約束させること」



 依頼内容を呉葉に話すと、呉葉は考え込むように頬に手をあててしばらく沈黙した。


「神様は何故瘤を取るのか、何故明日もくるように約束させるのかは教えてくれた?」


 質問の答えを春日童子は首を振って示した。



「何だか見えない糸に操られているみたいね。鬼が道化に徹している感じがするわ」


 それは春日童子もうっすらと感じていることであった。しかし神様によって報酬という供給も受けている身分で、表立って叩ける雰囲気ではないのも事実だったのだ。


*第二噺『取ってはならぬ』終わり*
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