【改稿版】骨の十字架

園村マリノ

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第五章

EPILOGUE-茶織-

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 複合商業施設〈ADVENTURESアドベンチャーズ〉三階、カフェ〈DIAMONDダイヤモンド〉。
 茶織が買い物帰りにアールグレイで一息吐いていると、左隣の男女四人組の高校生のうち、スマホをいじっていた小柄な女子生徒が突然大きな声を上げた。

「[RED-DEAD]活動休止だって!」

 その響きからは、ショックよりも単なる驚きや好奇心の方が強く感じられた。

「あー、やっぱりか。TAROがああなっちゃったんじゃ、仕方ない」

「だね。つーか、大怪我負ってなくてもどのみちアウトだったんじゃない?」

「確かに。いじめた相手が自殺ってヤバイよね……」

「他のメンバーどうなるんだろな」

「まあ、KILIKキリクは歌唱力高いからソロでも活動出来るでしょ」

 最初に声を上げた女子生徒が、考えながら答えてゆく。

KENケンはバラエティ番組でのトークが芸人より面白いって前から評判で、週刊誌情報だと既に出演オファー殺到してるみたい。YOICHIヨーイチは元々俳優志望で、ドラマーになる前は劇団入ってたらしいから、そっちに転身するかもって」

 TARO関連のあらゆるニュースを耳にしても、茶織にはこれといった強い感情は湧かなかった。

 ──日高君や天空橋てんくうばし君は違うんでしょうけど。

 あの二人の事だ、何だかんだでTAROには同情しているに違いない。

「まあ、ぶっちゃけ天罰だわな」今まで静かだった眼鏡の男子生徒が言い切った。「アンチを中心に、死んで償うべきだとかって言ってる人間もいるけどさ、ある意味では死ぬよりも悲惨な罰を受けたよな。まさに生き地獄ってやつ?」

 ──死ぬよりも悲惨な罰。生き地獄。

 一つの考えが茶織の脳裏をよぎった。ピエロには、実は最初からTAROを殺す気はなかったのではないだろうか。命を奪ってしまえばそれで終わりだが、生かしたまま、この先何十年も心身共にダメージ──それこそまさに生き地獄──を味わわせてやれば、最高の復讐になる……。

 ──考え過ぎかしらね。


「サ・オ・リ・ちゅわぁ~ん」

 一七時を廻る頃に帰宅し、キッチンで夕食の準備を始めようとしていた茶織を、背後から気色悪い声が呼んだ。

「何よ」

「今すぐ教えてあげたい事があるから、出てきていーい?」

「仕方ないから許可してあげる」

 直後、バロン・サムディが茶織の横に姿を現した。

「で?」

「今日の夕食ディネは何?」

「今すぐ教えてあげたい事があるんじゃなかったの?」

「へい……。あのさ、前にサオリが牛肉ブフ食べてる時に、視線と気配を感じたってワシが教えてあげた事があったでしょ」

「ああ……あったわね、そんな事」

「その視線と気配を、今も感じるんだよね」

 茶織は眉をひそめた。

「殺意は感じないけど、どうする?」

 茶織は一旦自室に戻ると、骨の十字架を手に取った。

「そいつって人外?」

「それがはっきりわかんないんだよねー……いやワシ真剣だよ? 握り拳解いてくんろ……」

 茶織は玄関ドアをそっと開け、外の様子を確認した。近くを行き交う車の音以外は静かで、それがかえって不気味だ。

「ワシも付いてっていい?」

 茶織は後ろのサムディに無言で頷き外に出ると、空いている方の手でドアを閉め、階段を下りた。

 ──!

 視線の主の居場所は、サムディに尋ねるまでもなかった。数メートル前方に立つ人間と目が合った瞬間、茶織は本能的に身構えていた。
 一九〇センチ前後はありそうな長身の、白人の男だ。ストロベリーブロンドの短髪に、ワインレッドのホンブルグハットと、同色のスーツ姿。色々な意味で目立ちそうなものだが、不思議と茶織は、この男はここに来るまでの間、誰にも全く気付かれなかったのではないかという気がした。

「サオリ・ミチワキさんだね」

 茶織が少々の間の後に無言で小さく頷くと、男は歩み寄って来た。

「ワシの事、見えてるよ」サムディが囁いた。「サオリ、気を付けた方がいい。アイツからはあんまりいい気を感じない」

「はじめまして。私はベイル」

 男──ベイルは帽子を脱いで胸元に当て、軽く一礼した。

「……何の用かしら」

「私は君の叔父さんの顔見知りでね」

綾兄あやにいの!?」

 思わず大きな声を上げた茶織に、ベイルはうっすら微笑んで頷いた。

「綾に──叔父が今何処にいるのかご存知なんですか?」

「いいや。実は私も、それが知りたくて君を尋ねたんだ」

「……そう……ですか」

 茶織は落胆しかけたが、持ち直した。綾鷹あやたかの顔見知りだという人間に出会えただけでも、ちょっとした収穫ではないか。

「君は自分の叔父について、どれくらい知っているんだい」

「……え?」唐突な質問に、茶織は戸惑った。「……どういう意味でしょうか」

「そのままの意味だよ。私の勘だと、どうやら君は大して知らないようだな」

「はあ!?」

「サオリ、落ち着け落ち着け」

 ベイルは茶織を宥めるサムディをチラリと見やったが、何も言わなかった。

「あなた……叔父の居場所を知りたいみたいですけど、目的は? 顔見知りとの事ですけど、仲はいいのかしら」怒りを抑え、茶織は尋ねた。

「あいつとの仲? それはもう最悪だよ」

 茶織は初めて気付いた──ベイルは変わらずうっすら微笑みを浮かべてはいるが、よく見れば目だけは笑っていないという事に。

「あんた何者? 綾兄を探し出してどうするつもり?」茶織の骨の十字架を握る右手に、自然と力が入った。

「さあ、どうするつもりだろうね」

「綾兄に危害を加えようものなら、わたしが許さない」

「君が?」

 ベイルは小馬鹿にしたようにフッと笑い、肩を竦めた。茶織のこめかみがピクピクと痙攣する。

「サオリ、顔怖い。あとあんましソイツのペースに──」

「あんたは黙ってな!」

「ヒョエッ!」サムディは茶織から飛び退いた。

「似ている」

「……何がよ」

「君のその目。そっくりだよ、君の叔父に」

「な……何よ……」茶織は仄かに顔を赤らめた。「そんな急に褒め──」

「本当によく似ている」ベイルの顔から表情が消えた。「憎らしくて堪らない、死ぬ程嫌いなあの目に」

 途端に茶織は、背筋に薄ら寒いものを感じた。

 ──本当に……何なのこいつ!?

「おっと、余計なお喋りをしてしまったね」ベイルは再び嘘臭い微笑みを浮かべた。「私はこれで失礼するよ。恐らく、に君の叔父さんはいないだろうからね」

「ちょっ……何ですって?」茶織はベイルに詰め寄った。「この世界、って何それ。え、まさか何、綾兄が死んであの世にいるとかって言うんじゃないでしょうね!?」

「君、やっぱり何も知らないようだね」

 ベイルの脳天に釘バットを振り下ろしたい衝動に駆られたが、茶織は堪えた。

「〝並行世界〟や〝異世界〟だとかって単語を、耳にした事はあるかい」

「……SFとかラノベでよく題材にされるわね。それが?」

「それらは実在するんだよ。私と君の叔父は、そういったこの世界とは異なる数多の世界を、自由に行き来する能力を持っている」

「……は?」

「君の叔父は、この世界だけでなく様々な世界を飛び回り、祓い屋なんて稼業を営んでいる。もう何年前だったかな……私はこことは別の世界で、ある仕事を君の叔父に邪魔されてね。それ以来、すっかり腐れ縁さ」

「……わけわかんない」

 くだらない妄想だ、頭は大丈夫かと鼻で笑ってやりたかったが、茶織には出来そうになかった。本能は不思議と理解していた──ベイルは真実を口にしているのだと。

「信じていただけなくとも結構」ベイルは帽子を被った。「私はもう行くよ」

「ち、ちょっと待ちなさいよ」茶織はベイルの腕を掴んだ。「綾兄に関して、聞きたい事が山程あるわ」

「私に答える義務はない」

「はあ? 並行世界がどうこうって喋っておいて?」

「そんなに知りたいなら、いつか本人が帰って来たら聞けばいいだろう」ベイルは茶織の手を剥がすと、ゆっくり、しかし力強く押し返し、それから背を向けた。

「じゃあ、綾兄以外の事なら教えてくれるわけ?」

「例えば何だい?」

「ドロッセルマイヤーって知ってる?」

 サムディとの融合が解け、気絶している間に茶織が見た夢に現れた謎の男。あの夢の内容が過去に実際に起こった出来事ならば、少年の霊をピエロの化け物に変貌させた男がおり、そんな危険な人物が、現在も野放し状態という事になる。ベイルこいつなら何か知っているのではないかと茶織は考えたのだった。

「さあ。知らないな」

「本当に?」

「本当だ」

「どうかしらね」茶織はベイルの背中を思い切り睨み付けた。

「それじゃあ、お邪魔したね」

「ええ、お邪魔でしたとも!」

 ベイルはフッと笑うとゆっくり歩き出し──突然その体が青白い炎に包まれたかと思うと、次の瞬間には完全に姿を消していた。

「……サオリ? おーい」

 立ち尽くす茶織の肩を、サムディが遠慮がちに揺すった。

「な……んなのよ、本当に……」茶織はその場にへたり込んだ。

「サオリ、ダイジョブ?」

「大丈夫じゃない……本当にもう、何なのよ!」

「正直ワシにもよくわかんなかった! サオリに何かしようものなら黙っていないつもりだったけど……ベイル、だっけ? アイツ人間なのに人間じゃない感じだったし──」

「もういい。疲れた」

 茶織はゆっくり立ち上がると、フラフラと自宅へ戻っていった。
 この日は一睡も出来なかった。


 一週間後、茶織の自室。
 龍と那由多にトークアプリでメッセージを送信すると、茶織は畳の上に腰を下ろし、自分からヴードゥーの精霊を呼んだ。

「ほいほい登場~っ! およっ、リュウとナユタに何を送──っぶ!」

「勝手に人のスマホを覗くな」

「見事な裏拳でした……イテテテッ」サムディは顔をさすりながら茶織の正面に移動し、畳の上に胡座を掻いた。「で、どしたの」

「あんたに頼みがあるのよ」

「おっ? 何ざんしょ」

「綾兄を探したいの。何が何でも。並行世界だの何だのって、ベイルの話が完全に真実だったら──まあ多分嘘は言ってなかったけど──今のわたしにはどうにも出来そうにないわ。でも、何もしないで指咥えて待っているだけっていうのも嫌なのよ」

「ふむふむ」サムディは二回頷いた。

「そこで、まずは情報を集めようと思うのよ、並行世界について。その次は行き来する方々を考える。あんな嫌味で意地悪な男に出来て、わたしに出来ないわけがないわ」

「サオリらしくていいんじゃない」

「それで、その……あんたにも、協力してほしいのよ。自分勝手だって事はわかってるわ。あんたが気持ち悪いとはいえ、散々ぞんざいに扱ってきたし、その──」

「モチのロン!」サムディはニカッと笑った。

「……有難う」茶織はボソリと言った。

「ああそっか、それでリュウとナユタにも連絡入れたのねっ」

「ええ。あの二人、というかアルバと緋雨なら、何か知っているかもと思ってね。あんたは何か知らない?」

「いんや全然。マジ初耳だった。あるんだねえ、並行世界なんて」

「使えないわね」

「ガーン!」

「……嘘よ。言い過ぎたわ」

「およっ?」

「ねえ、パン食べたくない?」茶織は立ち上がった。「これから〈きくちパン〉に行こうと思うんだけど」

「食べたいですっ!」サムディも立ち上がると小躍りした。

「わかっているとは思うけど──」

召喚よばれない限りは勝手に出て来るな、でしょ」

「よろしい」

「へーい。んじゃ」

 サムディが消えると、茶織はトークアプリに目をやった。どちらもまだ既読マークは付いていない。
 そういえば、自分の血で汚してしまった龍のジーンズ代を、まだ弁償出来ていなかった。あの日、帰り際にその話をしたら断られたが、このまま何もしないのは気が引ける。今度会った時、あの少年には無理矢理にでも万札を握らせよう。
 那由多は、次はゆっくりお茶がしたいなどと言っていた。どんな店に行くつもりなのだろう。
 共に戦った彼らとの再会を楽しみにしている自分に気付いた茶織は驚き、そして戸惑った。

 ──でもまあ、悪くないわね。

 茶織の顔に自然と笑みが浮かんだ。龍が見れば気付いただろう──その表情は、茶織がバロン・サムディと融合していた時によく見せていた、無邪気ささえ感じられるものと同じだという事に。
 
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