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第五章 嵐のその後で

47.黒狼は番に逆らえない

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 前線のラスムスに、事の顛末について詳細をしたためる。
 ハータイネンの水疱瘡が予想どおりヴァラートから持ち込まれたこと。癒しの寵力で片づけたこと。そしてヴァラートの皇子が現れたこと。
 事実だけを淡々と連ねた。
 カビーア皇子の力を封じて捕らえたこと。
 そして代わりにラーシュが倒れて、今は快復したこと。
 そこまでを書いて、リヴシェは手を止めた。
 ここから先は、直接話した方が良い。それが礼儀だと思う。

 ラスムスへの急ぎの手紙を、白い魔法の鳥に託した。

「急いでお願いね」

 ふぁさふぁさっと軽く幾度か羽ばたきをして、セキセイインコほどの大きさの鳥が窓から飛び立って行く。

「わたくしも一度、前線に戻らなきゃ」

 こぼれた言葉を、傍にいたラーシュが拾う。
 いつにもまして甘く優しく微笑んで。

「まさか一人でとか、思ってないよね」

 いや、思ってました。
 この場合の「一人で」とは、ラーシュ抜きでという意味だけど。
 だってラスムスに「ラーシュと結婚します」と言うのに、気まずいと普通は思うだろう。当の相手ラーシュがリヴシェの隣にいたら。それはあまりにデリカシーがなさすぎる。
 けどラーシュには譲る気など微塵もないようだ。

「危険きわまりないところに、リーヴ一人でなんて。僕が許すと思うの?」

 じりじりと距離を詰められて、リヴシェの身体は椅子の背にぎゅうっと押しつけられてゆく。
 
「一人で行くわ。それが礼儀だと思う」

 ここで少しでも迷った風を見せたらダメだ。強引に押し切られるに決まっている。ラーシュ相手の駆け引きに、弱気は厳禁だ。
 決然と答えると、うーとラーシュは唸った。

「どうしても?」

「ええ、どうしてもよ」

 それでも青い瞳は恨みがましくリヴシェをじぃっと見つめている。
 不満たらたらだ。
 ここで目を逸らしたらダメと頑張る。

「……かった」

 いかにも不承不承に口にした言葉は、聴き取れないくらい小さかった。



 前線へは聖殿から転移魔法で飛ばしてもらった。
 高位の神官2人がかりでだから、大勢を一気に飛ばすラスムスの凄さがあらためてわかる。
 砦の一室、リヴシェにあてられた部屋に着いた。
 開け放たれた窓から入る潮風が心地良い。
 すんと鼻を鳴らして深呼吸すると、胸に抱えた憂鬱が少しだけマシになったみたいだ。

「言い訳を聞かせてもらおう」

 今一番聞きたくない声。
 怖ろしいくらい無表情の、だからこそよけいに怖ろしい声。
 どきんと心臓が跳ね上がって、息が止まる。

「言い訳くらい、聞いてやると言っている」

 窓の向こう、バルコニーにラスムスはいた。
 リヴシェに背を向けたまま。

「ごめんなさい。わたくし、ラーシュと結婚します」

 こういうところ、リヴシェはとても不器用だ。婉曲的に断るような芸当はできない。
 慣れないことはしないに限る。
 正直に誠実に思いを伝えるだけだ。

「黒狼のつがい、その意味を知っているか?
 魂の片割れ、唯一無二、それなくしては生きてはゆけぬ。そういう存在だ。
 つまりおまえの代わりはいない」

 音もなく身体を反転させて、ラスムスはリヴシェの手をとった。
 その手に唇を落とす。

「おまえを一人でハータイネンにやった。俺はどうしようもない愚か者だ」

 苦し気に言う唇は震えていた。
 あの時、ラスムスとリヴシェ二人ともが前線を離れるなど、絶対にできなかった。強力な魔力を持つ二人がともに離れれば、ヴィシェフラド沖に張られた結界が解けてヴァラートの侵攻を許したに違いない。だから仕方なかった。
 ラスムスにだってわかっているはずだ。
 避けられない選択だったからこそ、それならばその結果の現在は運命だ。

「わたくしはラーシュを愛しています」

 一番きつい言葉だと思う。けど今はそれを告げなくてはいけない。下手に曖昧にぼかしては、かえって残酷だ。

「もう決めたことだから。あなたのつがいにはなれない」

 ラーシュを失ったかと思った、あの瞬間が頭をよぎる。
 あんな思いは二度と嫌だ。だからここはなんとしても、頑として拒み続けないといけない。

「その忌々しいほどのヤツのにおいは、すぐに消してくれよう。上書きすれば良いだけだ。
 返さない。もともと俺のものだ。
 つがいとは神の決めた一対、人の身が変えられるものではない」

 何を言われても、リヴシェは首を振った。
 考えたくはないけど、もしラスムスが強行手段に出るのなら、全力で抵抗するつもりだ。リヴシェの持つ力すべてを使って。
 
「その表情かお、俺を拒んでいるのだとわかってなお、愛おしい」

 ふっ……と、ラスムスが泣いているように笑った。

「これがつがいの力だ。俺はおまえにけして逆らえない」

 リヴシェの右手をしっかり取ったまま、ラスムスの薄い青の瞳が切ない色を浮かべる。

「おまえの望みのままにと、今は言ってやろう。
 どんな残酷な願いでも俺はきくしかない。この世で最も大切な、我がつがいの願いなのだから」

 こんな表情をさせたのは自分だ。申し訳なさ、罪悪感でリヴシェも泣きそうになる。
 けど泣くのは反則だ。傷つけた側がやって良いことじゃない。
 傷つけた側はあくまでも冷淡に悪役に徹する、それが礼儀だ。

「おわかりいただけて良かった」

 右手を強引に引き抜いて、にこりともしないで背を向ける。

「参りましょう。
 今後の処理について、話さねばならないことがたくさんありますわ」

 ヴァラートとの戦は事実上終わりだ。
 今後はより面倒な戦後処理が始まる。始めるよりお仕舞いを綺麗におさめることこそ、実は難しい。
 集めた人員や物資の解放、処分や返還。
 ヴァラートとの国交の方針決定、賠償金は求めるか。求めるとしたらどの程度か。
 考えなければならないことは山積みだった。

「ヴィシェフラドの差配は、王配たるラーシュ・マティアスに任せるつもりです。
 ご承知おきください」

 背をむけたまま告げて、扉を開ける。
 ラスムスがなんと答えたか、リヴシェは知らなかった。
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