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第五章 嵐のその後で
46.元女主人公はざまあされる
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ラーシュの目覚めた翌日午後。
月の皇子カビーアをどう処遇したのかと、ラーシュに訊かれた。
まだ何もしていないとそのままを答えると、「そう」と薄く微笑んだ。
午後いっぱいリヴシェを離してくれなかったラーシュが、夕方になってようやく「着替えようか」と言ってくれた。
前線からの知らせに返事もしなくてはならなかったし、いろいろ気になることもあったから、「わかった」と元気に返したのがまずかったらしい。
「嬉しそうだね、リーヴ。そんなに僕といるのは嫌なの?」
しまったと思った時には遅かった。
寝台に引きずり込まれ、ラーシュの胸に抱え込まれてしまった。これではまた、いつ出られるかわからない。
「リーヴ、君が悪い。僕がどれほど耐えてきたと思うの? たった一日一緒に過ごしたくらいで、そんな顔をするなんて。
リーヴは薄情だ」
ゴールデンレトリバーが耳としっぽを垂らしているみたい。
潤んだ青い瞳でそんなことを言われたら、ああもう。
「ごめんなさい。わたくしが悪かったわ。だからそんな表情しないで」
こうなる。
金色の頭を撫でて、背中を抱きしめ、ずっと傍にいると何度も誓う。
ようやく落ち着いたらしいラーシュが、不平を鳴らすみたいに口を開いた。
「リヴシェとの時間を邪魔されるのは、ほんとに忌々しいんだけど。
仕上げをしておかないとね。
行こう、リーヴ。
あいつをしっかり封じておかないと」
金輪際、ヴァラートが大陸に手を伸ばしてこられないように。
カビーアをヴィシェフラド神殿に封じてしまうのだと、ラーシュは説明してくれた。
「もしリーヴが気持ち悪いんなら、僕一人で行くよ? 無理しないで」
気遣ってくれるラーシュの気持ちは嬉しかったけど、女王ならば逃げてはいけないと思う。
戦をしかけてきた元凶への処遇だ。
見届けないと。
「行くわ」と答えて、身なりを整えた。
聖殿地下には、女神ヴィシェフラドの恵みの泉が湧いている。
女神の水と呼ばれる聖水は、瓶に詰めてまる一日万能の薬効を持つ。保存が効かないことと、採取できる量に限りがあるため、あまりおおっぴらに人の口に上らせはしないが、聖殿関係者の間では公然の秘密といったところだ。
その聖なる泉のある地下の牢が、前世中世の地下牢よろしく汚くて臭くて湿っているはずもない。
泉から漏れる白い光に照らされた牢内は清潔で、神力の通った格子が下ろされているものの、王族の暮らす居間と続きの寝室を模した広めの空間だった。
そこにかつて月の皇子と呼ばれた青年がいる。
長椅子にだらりと座り込んで、ぼうっとした視線を宙に投げている。
「アレを連れてきてくれ」
ラーシュの言うアレとは。わかるけど、もう名前も出したくないらしい。
ぎゃあぎゃあと叫び散らす声で、アレが近づいてきたことがわかる。
久しぶりに聞く声だけど、一生聞かなくても良いくらいにはリヴシェも苦手だ。
「わたしは王の娘よ。手を放しなさいってば」
引きずられるようにラーシュの前に出された二コラは、ラーシュの顔を見てうるっと涙を浮かべた。
「ラーシュ、来てくれたのね。わたしはカビーアに騙されただけなの。
あなたを愛してるのよ。それは本当だわ」
逃亡のおそれがあるからと、二コラは厳しい監視の下、独房に入れられていたらしい。
入浴も許されなかったのか、いつもふわふわの金髪がべったりしている。着の身着のまま連れてこられたらしいドレスも薄汚れていて、裾や袖口にはほころびが見えた。
それでも自分は美しいとの自信は揺らがないようで、うるるんと誘うような表情でラーシュを見上げている。
「名ばかりの婚約者はごめんだって、ラーシュも言ってたわよね。
わたしなら……」
「君、ジェリオ伯爵令嬢だっけ?
私の名前を呼んで良いと、許したおぼえはないよ」
冷たい凍るような声が、二コラの言葉を遮った。
汚らわしいものを見るような視線を、足元の娘に投げる。
「君、身分の高い男が好きなんだって?
だから君の願いをかなえてあげようと思ってね」
え……と一瞬嬉しそうな顔をした二コラは、さすがに何かあると勘づいたようだ。
「そ……れは、あなたと? それともラスムスとなの?」
まだ小説「失われた王国」のとおりに進むと思っているらしい二コラを、リヴシェはほんの少しだけかわいそうに思う。
女主人公に転生したのにこの結末だ。気の毒と言えないこともない。
だけどやらかしたことは許せない。許したくもない。
女主人公は無敵と信じるのは二コラの勝手だけど、彼女はやらかし過ぎた。いわば自業自得だ。
「そのどちらでもないよ」
一切の無駄を省いて結論だけ伝えるラーシュに、二コラの顔から作り笑いが消えた。
「じゃ、誰と」
「そこにいる男だよ。もう皇族ではないけど、かつてはヴァラートの皇子だった。
顔はとびきり良いから、君も嬉しいだろうと思ってね」
格子の向こうに向けられた緑の瞳が、ぼんやりと座り込んだ男を捉えて、かさついた唇が小さく「嘘」と漏らす。
「女神ヴィシェフラドがお護りくださるから、君たちの暮らしに不自由はないよ。
永遠に仲良く暮らすと良い」
一切の感情を消した青い瞳が、二コラを見下ろしている。
「い……や……。いや! いやよ! 」
金切り声で叫んで、二コラがリヴシェに掴みかかる。
間に割り込んだラーシュに腕をねじ上げられて、護衛の騎士に組み伏せられた。
それでも声を上げ続ける。
「あんたが悪いのよ。あんたが変えたから、こんなことになった。返しなさいよ、ラーシュもラスムスも女神の力も。
全部わたしのものだったんだからっ」
憎々し気に睨みつけてくる緑の瞳を、リヴシェは真正面から受け止めた。
「誰に力を与えるか、それを決めるのは女神だし、誰を好きになるのかを決めるのはラスムス自身よ。
ラーシュもそう。
あなたのものだったことなんて、一度もないわ」
「なっにをエラそーに。あんたが筋を変えなきゃ、女神の力はわたしのものだった……」
まだ続く恨み言を、ラーシュがすぱりと断ち切った。
「女神がおっしゃっていたよ。
かつてしくじったことがあって、その償いにリーヴにはとても目をかけているって。
しくじったのは、君のことだって言ってらしたね。なるほど……」
「女神がそんなこと、嘘よ」
まだきいきいと続く声を無視して、ラーシュは「中へ放り込め」と命じた。
「大丈夫だよ。ぼーっとしているだけで、ちゃんと男だから。
君も優しくしてあげてね」
うっすら酷薄な微笑を、ラーシュは浮かべる。
ラーシュの受けた屈辱の大きさが、リヴシェにも察せられた。
一生、カビーアと二コラはこの地下牢で過ごす。
正気を失ったカビーアと、正気を残したままの二コラが一緒に。
生活に不自由はないけど、ここから出ることはできない。
外からの刺激を一切遮断されて、ただ寝て起きて食べて、また寝るだけだ。
これが女神ヴィシェフラドが認めた、彼らへの罰。
二コラの正気は、いつまでもつだろうか。
去り際、ちらと振り返ってラーシュは言い置いた。
「ああ、忘れるところだった。
結婚おめでとう。末永く、お幸せに」
月の皇子カビーアをどう処遇したのかと、ラーシュに訊かれた。
まだ何もしていないとそのままを答えると、「そう」と薄く微笑んだ。
午後いっぱいリヴシェを離してくれなかったラーシュが、夕方になってようやく「着替えようか」と言ってくれた。
前線からの知らせに返事もしなくてはならなかったし、いろいろ気になることもあったから、「わかった」と元気に返したのがまずかったらしい。
「嬉しそうだね、リーヴ。そんなに僕といるのは嫌なの?」
しまったと思った時には遅かった。
寝台に引きずり込まれ、ラーシュの胸に抱え込まれてしまった。これではまた、いつ出られるかわからない。
「リーヴ、君が悪い。僕がどれほど耐えてきたと思うの? たった一日一緒に過ごしたくらいで、そんな顔をするなんて。
リーヴは薄情だ」
ゴールデンレトリバーが耳としっぽを垂らしているみたい。
潤んだ青い瞳でそんなことを言われたら、ああもう。
「ごめんなさい。わたくしが悪かったわ。だからそんな表情しないで」
こうなる。
金色の頭を撫でて、背中を抱きしめ、ずっと傍にいると何度も誓う。
ようやく落ち着いたらしいラーシュが、不平を鳴らすみたいに口を開いた。
「リヴシェとの時間を邪魔されるのは、ほんとに忌々しいんだけど。
仕上げをしておかないとね。
行こう、リーヴ。
あいつをしっかり封じておかないと」
金輪際、ヴァラートが大陸に手を伸ばしてこられないように。
カビーアをヴィシェフラド神殿に封じてしまうのだと、ラーシュは説明してくれた。
「もしリーヴが気持ち悪いんなら、僕一人で行くよ? 無理しないで」
気遣ってくれるラーシュの気持ちは嬉しかったけど、女王ならば逃げてはいけないと思う。
戦をしかけてきた元凶への処遇だ。
見届けないと。
「行くわ」と答えて、身なりを整えた。
聖殿地下には、女神ヴィシェフラドの恵みの泉が湧いている。
女神の水と呼ばれる聖水は、瓶に詰めてまる一日万能の薬効を持つ。保存が効かないことと、採取できる量に限りがあるため、あまりおおっぴらに人の口に上らせはしないが、聖殿関係者の間では公然の秘密といったところだ。
その聖なる泉のある地下の牢が、前世中世の地下牢よろしく汚くて臭くて湿っているはずもない。
泉から漏れる白い光に照らされた牢内は清潔で、神力の通った格子が下ろされているものの、王族の暮らす居間と続きの寝室を模した広めの空間だった。
そこにかつて月の皇子と呼ばれた青年がいる。
長椅子にだらりと座り込んで、ぼうっとした視線を宙に投げている。
「アレを連れてきてくれ」
ラーシュの言うアレとは。わかるけど、もう名前も出したくないらしい。
ぎゃあぎゃあと叫び散らす声で、アレが近づいてきたことがわかる。
久しぶりに聞く声だけど、一生聞かなくても良いくらいにはリヴシェも苦手だ。
「わたしは王の娘よ。手を放しなさいってば」
引きずられるようにラーシュの前に出された二コラは、ラーシュの顔を見てうるっと涙を浮かべた。
「ラーシュ、来てくれたのね。わたしはカビーアに騙されただけなの。
あなたを愛してるのよ。それは本当だわ」
逃亡のおそれがあるからと、二コラは厳しい監視の下、独房に入れられていたらしい。
入浴も許されなかったのか、いつもふわふわの金髪がべったりしている。着の身着のまま連れてこられたらしいドレスも薄汚れていて、裾や袖口にはほころびが見えた。
それでも自分は美しいとの自信は揺らがないようで、うるるんと誘うような表情でラーシュを見上げている。
「名ばかりの婚約者はごめんだって、ラーシュも言ってたわよね。
わたしなら……」
「君、ジェリオ伯爵令嬢だっけ?
私の名前を呼んで良いと、許したおぼえはないよ」
冷たい凍るような声が、二コラの言葉を遮った。
汚らわしいものを見るような視線を、足元の娘に投げる。
「君、身分の高い男が好きなんだって?
だから君の願いをかなえてあげようと思ってね」
え……と一瞬嬉しそうな顔をした二コラは、さすがに何かあると勘づいたようだ。
「そ……れは、あなたと? それともラスムスとなの?」
まだ小説「失われた王国」のとおりに進むと思っているらしい二コラを、リヴシェはほんの少しだけかわいそうに思う。
女主人公に転生したのにこの結末だ。気の毒と言えないこともない。
だけどやらかしたことは許せない。許したくもない。
女主人公は無敵と信じるのは二コラの勝手だけど、彼女はやらかし過ぎた。いわば自業自得だ。
「そのどちらでもないよ」
一切の無駄を省いて結論だけ伝えるラーシュに、二コラの顔から作り笑いが消えた。
「じゃ、誰と」
「そこにいる男だよ。もう皇族ではないけど、かつてはヴァラートの皇子だった。
顔はとびきり良いから、君も嬉しいだろうと思ってね」
格子の向こうに向けられた緑の瞳が、ぼんやりと座り込んだ男を捉えて、かさついた唇が小さく「嘘」と漏らす。
「女神ヴィシェフラドがお護りくださるから、君たちの暮らしに不自由はないよ。
永遠に仲良く暮らすと良い」
一切の感情を消した青い瞳が、二コラを見下ろしている。
「い……や……。いや! いやよ! 」
金切り声で叫んで、二コラがリヴシェに掴みかかる。
間に割り込んだラーシュに腕をねじ上げられて、護衛の騎士に組み伏せられた。
それでも声を上げ続ける。
「あんたが悪いのよ。あんたが変えたから、こんなことになった。返しなさいよ、ラーシュもラスムスも女神の力も。
全部わたしのものだったんだからっ」
憎々し気に睨みつけてくる緑の瞳を、リヴシェは真正面から受け止めた。
「誰に力を与えるか、それを決めるのは女神だし、誰を好きになるのかを決めるのはラスムス自身よ。
ラーシュもそう。
あなたのものだったことなんて、一度もないわ」
「なっにをエラそーに。あんたが筋を変えなきゃ、女神の力はわたしのものだった……」
まだ続く恨み言を、ラーシュがすぱりと断ち切った。
「女神がおっしゃっていたよ。
かつてしくじったことがあって、その償いにリーヴにはとても目をかけているって。
しくじったのは、君のことだって言ってらしたね。なるほど……」
「女神がそんなこと、嘘よ」
まだきいきいと続く声を無視して、ラーシュは「中へ放り込め」と命じた。
「大丈夫だよ。ぼーっとしているだけで、ちゃんと男だから。
君も優しくしてあげてね」
うっすら酷薄な微笑を、ラーシュは浮かべる。
ラーシュの受けた屈辱の大きさが、リヴシェにも察せられた。
一生、カビーアと二コラはこの地下牢で過ごす。
正気を失ったカビーアと、正気を残したままの二コラが一緒に。
生活に不自由はないけど、ここから出ることはできない。
外からの刺激を一切遮断されて、ただ寝て起きて食べて、また寝るだけだ。
これが女神ヴィシェフラドが認めた、彼らへの罰。
二コラの正気は、いつまでもつだろうか。
去り際、ちらと振り返ってラーシュは言い置いた。
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