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ヴァイオレット
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しおりを挟むハナがおれの父親に抱かれてたのはカネのためじゃなかった。
ハナが欲しかったのは軍とのコネだった。ハナは自分の身体と引き換えに戦場にいるボーイフレンドを守ってた。おれがそのことを知ったのはハナが死んでしまう少し前のことだった。
「ミュージシャンなの」
ハナのボーイフレンドはギタリストだった。カネのために戦場に行く前は銃なんて触ったこともなかった。
「戦場なんてぜったい向いてないタイプ。なんとかして安全なところにいさせてあげたくて」
「望みは叶ってるの?」
「うん。自分はラッキーだって思い込んでるみたい。音楽の神様が守ってくれてるって言ってた」
おれはハナのボーイフレンドが嫌いだった。会ったこともないそいつに殺意すら覚えてた。
「いい奴なんだろうね」
ハナのボーイフレンドは知らない。その安全が何で買われてるのかを。あまりにクソすぎる。
「いい奴? まさか」
おれたちはリネン室にいて、一緒にチョコレートを分け合ってた。おれたちの秘密の時間。罪のない、だけど人に知られたくはない密会。
「どっちかって言うとクソ野郎よ。あいつのせいで今までどれだけ苦労したか」
ため息をつきながらハナは少し笑ってた。おれは彼女が何を言っているのか分からなかった。
「クソ野郎なら別れればいいのに」
「そんなに簡単じゃない。いなくなられたら困るの」
「どうして? そいつのせいで苦労するのに?」
「仕方ないの。理屈でどうこうなるものじゃない」
「愛してるってこと?」
「愛?」
面白そうに目を見開くハナは少女みたいだった。もっと早く、できればハナが本当に少女だったころに出会いたかった。こんな形じゃなく。たとえばクラスメイトとして。
「ハイネス、いま付き合ってる人はいる?」
「いない」
動揺を悟られないように即答した。パントリーから適当に掴んできたチョコレートは苦かった。
「だれかを好きになったことはある? 性欲とかじゃなくて、本当に好きになったこと」
「ないよ」
「じゃあいつか、そんなふうに好きになれば分かると思う。ねぇこのチョコレート調理用だね、美味しくない」
「はぐらかすなよ」
ハナに触れたかった。ハナを味わいたかった。手を伸ばして制服を引き裂き、その熱い皮膚を舐めたかった。
そんなことを思う自分を殺したかった。気を逸らさないと身体が反応しそうで、それが恥ずかしくて仕方なかった。
「そいつの何がいいのかちゃんと教えてよ。父さんに抱かれてまで守りたい奴なんだろ?」
自分の感情が怖かった。だからそんな言い方をした。それしか自分をコントロールする方法がなかった。
ハナは笑うのをやめておれをみた。怒ってはいなかった。傷ついてもいなかったと思う。ハナはただ、疲れたような目をしてた。
「いないと生きていけないの」
ハナは少女のような老女に見えた。近くて、遠くて、たしかに存在しているのに触れられないもの。気が狂うほど知りたいのに知ったら正気ではいられないもの。おれはハナが好きだった。
「魂までシェアしちゃったからもう道連れになるしかない。これが愛だとしたら愛なんて全然ロマンチックじゃない。呪いみたいなものよ」
ハナが好きだった。そう、たぶん最初から。リネン室で抱かれてるハナを見たときから。おれはハナが好きだった。
「彼より素敵な人は腐るほどいるだろうし、もしかしたらその中の誰かはわたしを好きになってくれるかもしれない。でもね、ダメなの。たぶんわたしは女だからだと思う」
「女?」
「そう」
ハナはどこか投げやりに笑って、苦すぎるチョコレートをおれに押しつけた。
「王子様しか愛せないのが女の子で、王子様じゃないのに愛しちゃうのが女なの」
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