縁は異なもの、味なもの

坂巻

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第9話 闇夜しか知らぬ

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露払狗彦つゆはらいぬひこは陰陽寮所属の締結師である。
正確に言えば、締結師一族の名家『露払』の当主の甥に当たり、然るべき修行を終えた後、フリーの締結師として生きていたが色々と便利なので陰陽寮に籍を置いている。
露払家からは陰陽寮の動向を、陰陽寮からは露払家の内部の状態を、と必要な情報を探るための便利な駒として見られている節があるが、そこはなんとか適当にかわしながらのらりくらりと過ごしてきた。

各々に都合の良い存在になって、いずれ立ち位置を決めるのは御免である。上手く立ち回って美味しい部分は享受していきたい。
そう考えた狗彦は、これまで露払家や陰陽寮の要請を適度にこなしていた。

そして、今回狗彦に託された仕事は、あの『大須賀家』から逃げ出してきた娘の世話であった。



「あー! 今頃来たんか、卯月うづきぃ」

居間の座卓で大人しく宿題をしていた右夜が、非難めいた声を上げる。近くにあるデスクトップパソコンの前で管理物件の妖除けの範囲と期限の報告を眺めていた狗彦は思わず振り返った。

【ぴぅ】

狗彦の弟子、暦右夜こよみゆうやの胡坐をかいた片膝の上には、薄黄色にうっすら輝くふわふわした生き物が乗っていた。PC用マウスに近い形の片手に乗るサイズで、平べったい身体に長い2本の耳をぺたりとひっつけている。
仔ウサギ――というより雪ウサギ似た形状のそれは、右夜の式神『卯月うづき』だった。

「今頃って?」
「こいつ、今日みこっちゃんが高校で襲ってきた時に呼んだけど、全然顔出さんくて」

右夜のスカートの上にちょこんと座った卯月は、満足げに目を細める。主と限りなく接触することでその霊力を取り込んでいるのだ。

「仕事にはこんのに、ごはんだけ食べに来るとはええ度胸やな……」
【ぴぅ!】

おそらく首筋であろう部分を右夜に摘まみ上げられ、卯月がゆらゆらと揺れる。そのまま数学の問題集の隣に投げ出された仔ウサギは、そんなこともお構いなしに机上の彼の腕にすぐさまくっついた。

「まぁ、許してやれよ。破邪師がいたんだ。お前との契約深度と卯月の格じゃ行きたくなかったのも無理はない」
「は? みこっちゃん?」
「高地湖迎えに行った時の高校の様子や、櫛笥がいたときの家の周りおかしくなかったか? 思い出してみろよ」
「そういえば……なんか今日景色あっさりめ?」
「ああ。下級の一部とそれ以下の芥どもが、全部逃げてるよ」
「それで簡易契約する相手もおらんかったんや……」

櫛笥みことがこの露払家を訪れた時から感じ取れた変化だ。妖たちから嫌われている破邪師らしい異常事態だった。

陰陽寮では、妖の強さや格を細かく定めている。大きくは上級・中級・下級と別れ、さらにその中で三段階の天、央、底とさらに区分される。下級央と呼ばれる下級の中でも真ん中に位置する強さの卯月は、右夜の召喚に応じなかった。
みことの実力を直接確かめるつもりではあったが、その査定のための任務ももう少し難度を上げてもいいかもしれない。出会ってからの彼女の様子や付き添いの妖狐のことも踏まえ、狗彦はそう判断した。

「陽炎ちゃんも、ベニヒとキミドリしか返事くれん言うてたなぁ。そういうことかぁ……やっぱ中級以上やからいけたん?」
「それもあるけど、信頼度の差だな。陽炎の式神も破邪師の圧は感じてただろうが、それでも主の呼びかけに答える律義さと誠実さがあったんだろ」
「くぅ、うちの卯月やってやればできる子やし……絆やってあるし……」
「櫛笥がいても来てくれるように修行だな」
「あ、でもほら句珠くしゅはちゃんと仕事してくれたから。身体強化もいつも通りいけたし」

思い出したように、セーラー服の胸元から首にかけた何かを右夜は取り出す。簡素なチェーンで吊り下げられているのは、中央に穴の開いた丸い黄色の石だった。鉱石のような姿だがこちらも右夜の式神で、立派な妖である。

「句珠は上級だしそりゃ平気だろ。いつも一緒なんだから呼び出す必要もないし、そこを自慢するな」
「でも契約できてるうちの実力ではあるやん?」
「それはそうだけどな。どんな状況でも、色んなやつの力借りられるようになったほうがいいぞ。後自分自身の力でも――」
「あーはいはい」
「聞け。それに、高校で式神が呼び出せない異常事態だったなら、原因についてもっと早く考え」
「あーーうちお風呂まだやったなぁ入ってこよ!!」

大人の注意などこれ以上聞きたくないと言わんばかりに、右夜は開いていた問題集を勢いよく閉じた。すくっと立ち上がると、風呂場へとわざと大きな足音を立てて向かってしまう。彼の手には不服そうな表情の卯月が握られていた。

【多感な幼子にはほんに手を焼くのう】

直後、狗彦にのみ聞こえる声が響く。相手を察し、卯月が入ってくるときに空けたガラス戸のわずかな隙間に手をかけ、庭に出た。

取り残された暑さと冬が迫る涼しさが混在した闇夜の庭で、狗彦は黙って1人佇む。日中の騒がしさなど無かったような顔で、星も月も儚げに輝いていた。

久那土くなど……まだ帰ってなかったんだな。報告は後でいいって言ったのに」
「久方ぶりに呼んでおいて早々に立ち去れなどと、老骨に対して無情すぎぬか」

今度は人の耳にも届く、老いた男の声だった。平屋の露払家を振り返った狗彦は、大体の位置を予想し屋根を見上げる。そこに腰を落ち着けていたのは、山伏の装束を身に着け長い鼻と赤ら顔を持つ、老天狗であった。
名は久那土くなど。狗彦が式神契約をしている唯一の妖である。

「邪険にしてるんじゃなくて、心配してんだよ。一応山の主だろうが」
「後継もおるし、気がかりなど無用の長物よな。狗彦、お主の幼子への可愛がりが、わしにも移ったか?」
「じじいにそういう心配はしてねぇよ」

孫の刺々しい態度をかわすかのように、老天狗は呵々大笑す。相変わらずの式神の様子に、狗彦は内心溜息をつきそして安心した。

「それで? 今日の仕事の礼が足りてなかったか? 俺の弟子と新人の守護と観察なんて地味な仕事を引き受けてくれて感謝してるよ」

狗彦は、みことに護衛の任務を頼んだ後、秘かに自身の式神に後を付けさせていた。滅するな怪我をさせるなと無茶な条件を押し付け、何も知らない右夜たちと対面させたのだ。想定した以上に事態が悪化する可能性がある。そうなった場合、仲裁に入れるよう狗彦が最も信頼できる久那土に、場を託したのだ。
ひどい師匠だな、と己でも思っていたが、あまり危険な任務を与えられない右夜にどうしても戦闘の機会を得てほしいと下した決断だった。彼の姉弟子もいること、みことの実力も測れることなどの要素も、狗彦が実行に至った理由だ。

「何処が地味なものか。有象無象の童共には難儀な役目よ。あの妖狐に初対面から気取られたせいで、上空で久方ぶりの高位の気配消しまでさせられたというのに」
「まじか」

櫛笥みことと共にいた妖狐は、破邪師と行動しているのだからかなり上の妖だとは狗彦は思っていた。しかも式神契約もしていない、野良の妖だ。注意深く観察していたが、本質を読み取れないように誤魔化されていることは明白だった。

「気配消しの後は?」
「さすがに察知されておらぬよ。だが、最初の段階で何も言わんかったのだから、お主の式神だと気が付いて警戒をせぬようになっただけでは?」
「はぁーやっかい」
「注視すべき対象が増えたことの不平か」
「言いたくもなるよ。なんならこの話が陰陽寮からきたときから不平しかねぇよ」
 軽く頭をかきながら、狗彦は本音を零す。その姿を感情の宿らない瞳に映しながら、久那土は問いかけた。

「あの娘は哀れな贄かのう、自覚のない諜者かのう」

今日初めて会ったばかりの年若い破邪師はどちらなのか。
狗彦は、顔から表情を消して淡々と答えた。

「なんでもいいさ。――どうなろうと、見守ってりゃいいんだろ」
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