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第六章 揺れる大地
322 拒絶
しおりを挟むそこは世界の中心。
遥か天高く伸びた枝は天を支え、その根は大地に張り巡らしてこの世界に生きとし生ける者達に命を与えるとされる神の木。
『世界樹』が御座す聖域。
その世界樹をエルフ達は、神話で語り継がれるような古の時から大切に管理して守ってきた。
そんなエルフ達をいつしか世界の人々は世界樹の番人と敬いをもって呼び、まるで彼らがこの世界を管理する者だというように認識し始めた。
そして。
世界樹の麓その聖域とされる地に、世界の均衡と秩序を守る国際連合がエルフ達によって設立された。
世界中の国々は、管理者の庇護を得ようとその機関に我先きにと争うように属した。
そうして設立された国際連合の総本部。
その本部には、地下深くに一筋の月明かりすら届かない人間の身には過酷な牢獄が存在する。
その牢獄の中は一年中を通して身も心も凍えるほど寒く、空気が地上より薄いのか呼吸さえも儘ならない
そんな場所に。
元は艶やかだった濃いブラウンの長い髪は、罪人には必要ないとばかりに肩口でバッサリと乱雑に切られていて寒ざむしく。
美しく華やかであっただろう黄色のドレスは、所々擦りきれるように破れていて見るも無残。
加えて腕を後ろ手にキツく縄で縛られ、首には罪人用の魔力封印具を嵌められた少女がいた。
それはお世辞にも良好とは言えない状態で。
こんな場所じゃなけば、誰もが助けようと少女に手を差しのべるだろう。
けれどここは牢獄、少女は罪人。
だから誰も助けようなんてことはしない。
冷たく固い石造りの床の上、膝に血を滲ませながら跪くリティシアは震える声で。
「私は、なにも悪くない……」
そうポツリと呟いた。
……だって、全部あの魔女が。
私の大切な人達を殺し、私の小さな幸せを奪った。
それはまだ幼かったリティシアの朧気な記憶。
末娘の自分にあまり関心を示さない公爵夫妻に、家にあまり寄り付かない兄、そして躾が厳し過ぎる乳母。
そんな中で姉のオリヴィアだけは、年の離れた妹リティシアに対していつも優しくて温かくて遊んでくれて。
世界で一番大好きだった。
それにエディの亡くなった婚約者はあまり頻繁に会う事はなかったが、まるで絵本の中のお姫様のような特別な存在で。
小さなリティシアの憧れだった。
なのに死病はリティシアの大好きを奪っていった、だから心の底から恨んだ。
そんな時、死病から世界をまだ年端もいかない少女が救ってくれたと聞いた幼いリティシアはカレンに憧れた。
……けれど。
死病の原因を作ったのがカレン本人であると知ってしまった時、リティシアは裏切られたような気持ちになった。
だから、だから、だから。
……殺してやった。
そんなリティシアを、純白のローブに身を包んだ世界樹の番人が見下す。
「いいえ、悪いのは貴女です。本当は今すぐ処刑してしまいたいところですが、貴女には世界の為に贄となる仕事がある。だからまだ生かしておいてあげましょう」
「贄……?」
「世界樹の若木、聖女等と取り繕って呼びますが……実際はただの生け贄。貴女はその身体や魂、そして命さえも世界樹の糧になる為だけにこの世界に生まれてきた贄なのですよ」
「糧になる為に、私が?」
「はい、そうです。それが貴女がこの世界に存在する意味です……そして貴女さえもっと早く見つかっていれば世界樹は暴走しませんでしたし、カレン様が苦しむ必要も、英雄などに奉りあげられ自由を奪われる必要もなかった」
「私の、せい……?」
「……だからカレン様を恨むのはお門違いなんですよ、恨むなら……世界樹とご自分を」
そう執行官は告げて、リティシアの前から立ち去っていく。
そして一人残されたリティシアは、黒で塗り潰したような真っ暗闇の牢に言い知れぬ恐怖を覚え身体をぶるりと揺らす。
暗闇が怖い年齢はもうとっくに過ぎた筈、なのにガタガタと震えだした身体は止まる事がない。
それに足下の石造りの床から伝わった冷気が、じわじわと僅かに残った体温を奪っていく。
どうにか暖をとろうにも、身に纏うのはボロボロになった見るも無残なドレス。
そして首には魔力封印具、これが嵌められていては魔法で暖を取る事も出来ない。
ただただ時間が無情に過ぎていく。
あれからどれだけの時間が経ったのだろう。
光さえ届かない地下の牢獄。
そこはどんなに耳を澄ませても、草木が風に揺れる僅かな音さえも聞こえはしない。
世界から一人取り残されたような感覚、そして芽生えたのは死への恐怖。
死にたくない。
でも、もうここからは逃げられない。
生きたい。
それは生物として生まれながらに持っている本能、けれどその思いは叶えられない。
見えず聞こえず、それはまるで永遠とも言えるような長い長い時間。
いっそ眠って意識を手放してしまえば、この恐怖を一時でも忘れられる。
そう考えて眠ろうとしても、リティシアは何故か眠る事が出来なくて。
いっそ狂ってしまえればどんなに楽なのだろうかと思うが、狂う事も出来なくて。
苦痛に嗚咽を洩らす。
ありとあらゆる全ての情報がこの牢獄では遮断され、時間の感覚さえもわからない。
そんな空間に長くいれば脆弱な人間はいつしか狂ってしまう、けれど執行官はリティシアが狂う事さえも許さない。
定期的に治癒の魔法を衰弱していくリティシアにかけて、肉体と精神が壊れない程度で維持させた。
そんな時、リティシアの両親から命だけは許してくれという嘆願書が届いた。
それに世界各国からも相手は子どもなのだから、処刑というのは流石にやり過ぎだという非難もされた。
でも……子どもだからという理由でリティシアを許す事は執行官達には出来ない。
もしそれが許されるならば、一番に許されるべきだったのは彼女だった。
なのに私達大人は錬金術師の少女を許さなかった。
だからこれは私達の業。
彼女はもっともっと苦しんだ、なのに泣き言一つ言わずたった一人で最後まで耐えた。
なのに、そんな彼女を殺した人間を許すなんて執行官達にはどうしても出来ない。
それに処刑を止めたとしてもリティシアは世界樹の若木、最終的に世界樹に捧げられる運命。
その運命からは決して逃げられない。
そして運命の時。
執行官達は世界樹に若木を捧げる為に、地下牢獄からリティシアを縄で引き摺るようにして連れ出した。
久し振りの地上、強い太陽の日差しにリティシアは満足に目も開けられない。
けれどふらつく足取りで草木が鬱蒼と生い茂る森をリティシアは裸足で必死に歩く、世界樹の元に行けば自分の命はもう終わりだとわかっていながら。
道中何度も転び、その身体は傷だらけ。
でもその歩みを止める事は執行官達が許さない。
そしてリティシアは世界樹の元までたどり着いた。
「これが世界樹……?」
そのあまりの大きさにリティシアは目眩がした。
天を見上げても、雲が枝を隠してその大樹全体を見ることは叶わない。
呆然と世界樹を見上げるリティシア、その身体を執行官は世界樹に押し付けて。
「世界樹よ、さあ若木です……お受け取り下さい」
と、若木を捧げた。
なのに。
世界樹はリティシアを、贄として取り込む事に拒絶を示し。
さらなる暴走を始めたのだった。
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