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第五章 残酷な世界

280 泥舟

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 ……上手く呼吸が出来ない。

 焦燥感と苛立ちが頭の中をぐちゃぐちゃに搔き回して、精神を絶望が支配して蝕んでいく。

 『どうして私だけが苦しまなければいけないの?』

 ふと正気に戻ったみたいにそれを考えてしまうけれど、その問いに答えてくれる人はいなくて。

 孤独に押し潰されそうになる。

 弱音なんて吐いている時間さえ残されてはいないのに、頭は割れるように痛くて身体はだるい。

 最悪の気分でもう何もやる気が起きない。

 強がって気付かないフリをしていたけど、もうとっくに私は限界を迎えてしまっているのだろう。

 手に持っていた本を床に投げ捨てて、覚束ない足取りでふらふらと寝台に倒れ込んだ。

 


  どのくらい経ったのだろう。

 茜色に染まる部屋を回らない頭でぼんやりただ眺めて揺らいでいると、軽快に扉が叩かれる。

「ああ、寝てたのか? カレン食事にしよう」

 エディが温かい食事を部屋に運んで来てくれた。

 でも食欲なんて今の私にある筈もなく、匂いを嗅ぐだけで吐き気までしてくる始末。

 でも、一口も食べないわけにはいかない。

「……ありがとう」

 寝台から気合いを入れて起き上がり、フォークを手に取って無理矢理口に入れる。

 ……うん、今すぐ吐き出したい。

「カレン、どうした? お腹まだ空いてないのか?」

「っ……ん、なんでもないよ? エディ、先にお風呂に入りたいから用意して貰える? 汗かいちゃった!」

「ん、わかった。すぐに湯浴みの用意をしてくるな」

 私の様子に何か違和感を覚えたのかエディが声を掛けてきたが、いつものように笑顔で誤魔化す。

 エディに心身の不調を知られてしまったら、また面倒な事になってしまうから。

 笑顔で隠す選択肢しか残されてはいない。




 色彩豊かで美しいドレスに、豪華絢爛な宝飾品が大量にずらりと目の前に並べられて。

「カレンはどれがいい?」

 と、聞かれたところで。

「ドレスなんて煌びやかなものを着て夜会に行くのはこれで最後だし、エディが好きなの選んでいいよ?」

 頭が回らない。

 考えなくちゃいけない事、やらなくちゃいけない事が山ほどあるというのに。

「……そんな適当な事を言っていると、お前の大嫌いな少女趣味でブリブリでロリロリなフリルいっぱいのドレスを選ぶぞ、いいのか?」

「ふふっ……! 懐かしいね、それ!」

 明日に差し迫ったエディの妹リティシアの、誕生日パーティーの為にドレスを選ぶ。

 でも、早々に私は根を上げて。

 ドレスや宝飾品を楽しそうに選ぶ、エディを眺めるだけの簡単なお仕事をすることになった。

 ドレスを選ぶエディはすごく楽しそうで。

 しかし、それのどこらへんがエディにとって楽しいのかさっぱり私にはわからない。

 それにいつの間にそんな大量のドレスや宝飾品を買い漁っていたのだろうか、この男。

 私から一日たりともエディは離れることはなく、休憩すらも全然とっていないのに。

「よし、これだな……!」

 ご満足頂けるドレスと宝飾品をやっと選び終わったらしいエディは、寝台でごろごろと寝転がって体力回復に勤しんでいた私の上に乗ってくる。

 触っていいなんて一言も言っていないのに、頭を撫でながら甘い口づけを落としてくる。

「ちょ……だめだって……」

「ん、少しだけ……な?」

 なにが少しだけなんだこの男、少しだけで済む訳がない事くらい私にだってわかる。

 それに今は体調が悪すぎて身体に触られたくないし、なけなしの体力を使いたくない。

 明日の為に体力を少しでも温存しなければ。

「エディだめ、絶対にだめだからね!? どうせ明日は朝早くから私の身体とかピカピカに磨き上げる気でしょ! 」

「まあ、その予定だけど」

「やっぱりか……! エディの相手してたら寝るのが朝になる、だから今日は絶対に駄目です。あ、ちょっ……服を勝手に脱がそうとするな変態!」

「カレンって本当に俺の事……好き? 俺に対して素っ気なさ過ぎると思うんだ、お前って……」

 不貞腐れたようにエディはそんな事を言う。

「……好きだから行きたくもない夜会に、着たくもないドレス着て行って一曲踊ってやるって言ってるんでしょ? だから寝かせろ、襲ってくんな!」

 前にエディが。

『夜会でドレスを着たカレンと一緒に踊りたい』

 って言ってたから。
 
 最後くらいその望みを叶えてやろうという、私の深い愛なのに疑うなんて馬鹿な奴だ。

 私がいま必死に足掻いてこの世界で生きているのは、エディの為だけだというのに。

「そういやカレン、お前って……ダンス踊れないとか前に行ってなかったっけ……?」

「小さい頃ママに使いもしないマナーやら何やらを嫌がらせのように叩き込まれたから……たぶん身体が覚えてるはず! カレンちゃん天才だから、きっと大丈夫!」

「どこから来るんだお前のその自信は……」
 
「だからエディは、泥舟にでも乗ったつもりで私に全て任せな? 大いに楽しませてやろう!」

「……泥舟ってそれ、自分で駄目ってわかってるヤツじゃないか……そんなのに任せられるか!」

「あはは、まぁ……どうにかなるでしょ!」

「明日の夜会、不安しかない……!」
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