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第四章 喪失

198 混乱

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「多量の出血により脳に血液が短期間ですが回らなかった為に一時的な記憶の障害と混乱が見受けられますが、この程度ならまあその内戻るでしょう。錬金術師様の特別な薬を使われていなかったら確実に死んでおられましたよ、よかったですね」

 医師の診断結果を聞かされて執行官や他の護衛騎士達はその頭を抱え、どうしたものかと顔を見合わせた。

 医師はこの程度と現状を何も知らないからそんな悠長な事が言えるが全然この程度ではない、生活に支障はないだろうがこれはとても不味い。

 記憶の混乱と軽く言っていたが数年ほどの記憶が全て消えて、カレンの事をキレイさっぱりとエディは忘れてしまっているのだ。

 その事実にカレンは激しい拒絶反応を起こした。

 ……そりゃそうだ。

 あれだけ自分の事を愛し大事に守ってきた人間が、突然自分の事を全て忘れ、他人行儀に接してきたら嫌にもなる。
 
 そしてキレイさっぱりと忘れた張本人はそれを特に気にするでもなく、それは大変だと言うだけで全く大変そうじゃない。

「オースティン団長、それで? どこまでの記憶が今あります?」

 黒の騎士団の副団長としてエルザは、黒の騎士団の団長であるエディに現状の確認とこれからの事を話す。

「いや、どこまでって言われてもな? ……っかさ、エルザ、俺は本当に団長になったのか? 嘘だろ……、大丈夫かこの国、俺を団長にするとかあり得ないだろ」

「……団長就任前というと最低でも三年間は記憶がありませんね? では今、オースティン団長は自分のご年齢はおいくつだと認識していらっしゃいますか?」
 
「お前が敬語使ってんのもすげぇ違和感がするんだけどなー。……たしか、十九だけど? えっ、いま俺は何歳になってんの? 急におっさんとか嫌だなー……あっ鏡どこ?」

「チッ……最悪ですね。私も久しぶりにオースティン団長のその言葉遣いをお聞きして違和感を感じております、今は確か二十四になられているはずですよ、とりあえずさっさと元に戻って下さい、一刻も早く! ほらさっさと思い出して!」

 エルザは話を聞いていく内に面倒な事になったと気付き始める、この頃の騎士団の若い団員は自分も含め素行があまりよろしくなかったのだ。

 その中でもエディと自分は群を抜いて悪く、よく当時の団長に呼び出され怒られた、それは若気の至りでありエルザの黒歴史でもあるからなるべく思い出したくはなかった。

「ああそうだ。あのカレン様、だっけ? あの子って何者なんだ? 俺の事を名前で呼んでたけど、どこのご令嬢だ? あんな綺麗な子を俺は一度も見たことがないが」

「私達の護衛対象です。この世界を死の恐怖から救って下さった英雄様です」

「は? あんな少女が英雄?!」

「六年ほど前、死病カトレアからカレン様はこの世界を救ってくださいました、死病の特効薬を齢十二歳で開発したイクスの天才錬金術師様です」

「……え? カトレアの特効薬……出来たのか」

「ええ、その特効薬のおかげでオースティン団長もカトレアから助かったはずですが、記憶にございませんか?」

「……ない、姉さんが死んで……それで……」

「とりあえず、いまのオースティン団長は気安くカレン様に近付かないで下さい、話し掛けないで下さい、よろしいですね?」

「えっ……俺、いまはあの子の護衛なんだよな? なんで……?」

「いまのご自分の胸に手を当てて聞いてみて下さい。もしカレン様を髪の毛一本でも傷つけたら、いくらオースティン団長でも私は容赦しません、では失礼します」



 ……その後、執行官が所持していたカレンが錬成したエリクサーによって、エディは記憶の一時的な混乱程度の後遺症のみを残しほぼ完全に回復し護衛に戻る事になった。

 その事について記憶が戻るまでは護衛に復帰さないほうがいいのではと話し合いが数度行われたが、エディは護衛としてとても優秀で危険な状態が続くカレンの護衛から外す事が出来なかった。

 あの時エディは咄嗟に展開した防御魔法であれだけの攻撃を受けたのにもかかわらず、自分の身ひとつの犠牲でカレン守りきった。

 襲撃した者達もまさかあれだけの攻撃を受けてカレンが生き残っているとは全く思わなかったのだろう、死体を確認することなく撤退していてくれて本当に助かった。

 あの襲撃の現場となった別荘にいち早く駆けつけた執行官は最悪の事態が脳裏を駆け巡った、いくらなんでもこれでは助からない、燃え盛る炎に倒壊した別荘だった物の瓦礫。

 どれだけの攻撃魔法を大量に撃ち込まれたのか想像を絶する有り様に背筋が凍る感覚を覚えカレンを失う恐怖に執行官アンゲルスは襲われた。

 だが瓦礫の中に座り込み震えるカレンの姿を見つけたあの時、アンゲルスは神に感謝を捧げた。

 だがカレンの近くに倒れ、もうこれでは助からないと一目見てわかるほどの重傷を負ったエディの状況に苦虫を噛み潰した、王都から離せば安全だと執行官は思っていた。

 泣きじゃくり必死に助けを求めるカレンに、彼女の為だけに持ち歩いているエリクサーを使用する決断を執行官はした。

 これが無くなれば、次にエリクサーを錬成するまでの間にもしもの事があった場合カレンを助ける事が出来ない、だが。

 そんな悠長な事を言っている場合ではない、カレンの笑顔を取り戻したこの男をいま失えば、きっとこの少女の心はもう壊れてしまうだろう。

 カレンは今まで多くのモノを失いすぎた。

 これ以上はきっとその心は耐えられない。

 だから助けた、なのに記憶を失っているなんて。
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