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第四章 喪失

177 ペトリコール

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 この世界の全てを知りたいと思った。

 きらきらと輝く美しい世界、青く晴れ渡る空がどうして茜色に変わるのか、夜の帳に煌めく星達が気になって、月がどうして夜の闇を照らすのか、どうして私は生まれたのか。

 知りたい見たいと小さな手を空にのばす。

 朝霧の森に雨上がりの匂いが満たされて、可憐に咲く白い花に幼い少女は花が綻ぶように笑う。

 本を読めば知りたいことが知れた、森を歩けば知らないに触れられた、世界は不思議が溢れていてそれを知るのが楽しくて少女が歩いて行ける世界は喜びに満ち溢れていた。

 偶然かそれとも必然だったのか今となっては無意味な疑問でしかないそれは逃げ場のない迷宮のような地獄への片道切符。

「こんにちは! 私はイクス国の錬金術師でカレン・ブラックバーンです! 世界樹のお薬を作って来たよ、これできっと元気になってくれるはずです!」

 癖のあるハニーブロンドに、くりっとしたサファイアの瞳の小さな女の子は元気よく世界樹の麓で暮らす国際連合の執行官達に怯えることなく話しかけた。

 国際連合の執行官といえば純白のローブに身に纏い素顔を隠し時には非情に世界の秩序を守る者達で人々からは怯えられる存在。

 顔も見えぬ相手に満開の笑顔で自らを錬金術師だと名乗り話しかけた少女は年端もいかない幼子と言ってもいいほどに小さいのに度胸があるなと執行官達は驚きつつも感心して。
 
 この幼児が叡智を極めるという錬金術師と名乗った事に疑問を感じて、首をかしげる。

「錬金術師ってお嬢さんが? ……親御さんは?」

「そう、私は錬金術師! 史上最年少にして錬金術師となった天才だ! パパとママはお家にいるよ! 一人でここまできたの! ふふん! 偉い? あっ、褒めてもいいよ?」

 どや顔で小さな胸を張って大層自慢気にそう高らかに宣言する姿はとても愛らしく、執行官達はすぐにちっちゃなカレンの可愛らしさに魅了されて。

 孫が遊びにやって来て浮かれる祖父母の様に、依頼した薬なんてそっちのけでカレンに菓子や果物を競って与え甘やかしそのひとときを大いに楽しんだ。

 だがふと執行官の一人は我に返りイクス国に問い合わせれば、この幼子は本当に錬金術師であり世界樹の薬を錬成し持ってきたという。

 確かそういえば世界樹の薬が出来たとかでイクス国より作成者が訪れると申請が来ていて、この間許可したなと思い出す。

 世界樹の元に来るには専用の転移装置が必要で間違えてやって来るなんてあり得ないし、それを動かす為にはこちら側の許可が必要で。

 カレンの幼さに驚いてつい冷静な判断が出来ず迷子かと思ったがここに迷子なんて入り込めない、だからこの頬いっぱいに菓子を頬張り幸せそうに咀嚼するこの少女は錬金術師で枯れゆく世界樹の薬の作成者。

 今まで世界各国から世界樹の薬が出来たと薬師や錬金術師達がやって来ては何の効果もあげられず、その度に執行官達は期待した心を打ち砕かれた。

 だからもう最近は世界樹の滅びを受け入れ始めていた、それが世界の運命で神の選択なのだろうと。

 だがこの小さな少女は自信満々にそう言うから、自分達がもう諦めているなんて気づかれないように、カレンが持ってきた薬を世界樹の幹に投与した。

 それがこの小さな少女の未来と自由を奪い、心を壊し、傷つける事になるなんてちっちゃなカレンを猫っ可愛がりする執行官達はこの時知るよしもなかった。

「あっ、みてみてアンゲルスさん! 世界樹が!」

 カレンの言葉にふと世界樹を見上げれば、枯れて葉の一枚も無くなってしまっていた枝に青々とした葉が生い茂り始めていた。

 それは奇跡、今まで誰もなし得なかった偉業。

 弱々しくマナを巡らせていた幹に力強い脈動を感じる、大地が息を吹き返し、天を支える枝に力強さが戻り、滅びが消え去り命が輝きを取り戻し躍動する。

「っああ……、カレン様、あなたは……救世主か!」

「あはは! 私はただの錬金術師だよ? お薬を作っただけ! でも元気になって良かったね、世界樹!」

 もう諦めていた世界樹の復活に喜び舞い上がる執行官達をカレンは眺めて錬金術師になって良かったと思った、誰かを救うなんて大層な事は出来なくてもこうやって喜んで貰えるだけで嬉しかった。

 だけど残酷な運命はそんな小さな想いを打ち砕き、カレンから生きる意思を簡単に奪っていった。

 何がいけなかったのか、それは誰にもわからない。

 どうして世界樹が暴走してマナの放出を人が死するまでに増やしたのか、それでどうして魔力を持つ者達だけが魔力暴走を起こし死んでゆくのか。

 原因をいくら探したが見つからなくて、死にゆく者達にただ懺悔する日々を送り、無力感に苛まれる。

 たった十歳の少女にその重い罪は耐えられるはずもなく心が静かに壊れていく、それをどうしてやることも出来ずに、ただ見守るだけの日々が過ぎ去って。

 血の海に倒れるカレンを見つけたときには、時すでに遅くて小さな身体はもう冷たくなっていた。
 
 どうしてこんな幼い少女が自殺を選ばねばいけなかったのか、冷たい身体を抱きしめて暴走を止めない世界樹を呪い、執行官達は禁忌を犯す。

 一度死んだ人間を生き返らせる事は神を冒涜するようなもので決して許されはしないし、世界樹の実を摘むことは禁忌で、ましてや世界樹を傷つけるなんてあり得ない。

 人間がそれを食べれば神に等しき永遠の命を得るとされる奇跡の実で賢者の石の材料、世界樹の樹液は純粋なマナを多量に含み、傷つき冷たくなった身体は命を吹き返す。

 絶対に死なせはしない。

 ただこの少女は純粋に救おうとしただけなのだから、誰が罪に問えるというのか、その罪は全てのこの世界にある。
 
 そして、世界は全てを隠匿した。

 ただ望むのは小さな少女の幸福と安寧。

 執行官達は世界樹なんてもうどうでもいいから元の笑顔のカレンに戻って欲しかった、だが世界樹がその薬を必要とし生き続ける限りこの世界はカレンを守るから。
 
 ……雨が降る。

 冷たい雨が降り止めば日が差して雨の匂いに満ち溢れたあの場所で、白い花を見つけてまたきっと花がほころぶように笑って欲しい。

 死という逃げ場を奪い首輪を着けて鎖に繋いだ自分達にもう嫌だと怒り泣き叫ぶ小さな少女は冷たい雨に打ち付けられて愚かな世界を呪う。

 そして壊れた少女は英雄となる。

 狂った世界樹による魔力暴走を、その神に等しい存在となった身体を切り刻み人々を救う薬を作った。

 魔力を生み出せなかったその身体は世界樹の実や樹液を与えられた事により次第にマナを直接扱える様になり、マナを生み出し始めあの日発現し暴走した。

 マナを直接利用できる人間などこの世に存在しない、マナを扱えるのは神話の中の神々だけで、マナをこの世界で生み出せるのは世界樹だけ。

 世界樹の若木は未だに見つからない。
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