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7.メリー・クリスマスは事件の後で 後編②

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 降神日こうしんびの賑やかな昼は、繁盛のままに過ぎた。王室御用達の老舗宝石店「ヴァン・ルージュ」には朝から人がひっきりなしにやってきた。とは言っても出入りするのは予約のある貴族の使いがほとんどだ。
 ただ今は、国外から観光に来ている他国の位のある人物も多かった。金のある商人や、降神日だからと背伸びをする庶民なんかにも門戸が開かれているから、老舗にしては雑多という印象が強い。だが店の者は充分に教育されているし、上客は個室へ案内されるので、ある程度の秩序は保たれている。中には堅苦しいのは嫌だからと店頭で済ませる公爵がいたりするが、それは稀なのだ。
 ともあれそうやって戸口を広げていることもあり、市民の人気は上々だった。行儀のなっていない者はお帰り願うがそれも一握りである。質が良く種類も豊富、難しい発注にも応じてくれることから貴族からの評判も良いので繁盛しているのは間違いない。公爵が出入りしているからというのも大きいだろう。おかげで年末の時期は大忙しだが、それも今日が最後となる。大仕事を終え、店を切り盛りするジョエルは店内を見回した。

(よし。今年も無事に終われそうだ)

 時刻はすでに十九時になろうとしている。もうすぐ閉店の時間だ。
 今年の営業は今日が最後、明日以降店舗は開けず緊急対応のみとなる。だから最後の五分になっても客足が途絶えず、従業員全員が満身創痍となっていた。
 それもようやく終わりになる。やれやれ、と時計を確認して十九時を回ったのを確認して、ジョエルは出入り口に鍵を掛けるよう、従業員に指示をした。

「ああ、待ってくれ!」

 が、その間際、青年が一人駆け込んできた。何事かと振り向くジョエルに、肩で息をしている青年は真剣な表情で歩み寄る。その手には一つの小箱があるが、それは「ヴァン・ルージュ」のものだった。
 ジョエルは青年に見覚えがあった。今日の午後、商品を受け取りに来た子爵家の青年だったのだ。

「アラン様。いかがなさいました?」

 血相を変えて駆け込む姿は只事ではない。ジョエルは代表として対応する為自分も数歩進んだが、その間でどこか違和感を覚えた。
 アランは友人から紹介を受けてこの店を訪れた。恋人に特別な贈り物をしたいと、なにがいいかジョエルに相談をしてきたので印象に残っていた。オーダーメイドは時間も費用も掛かる上、その時点ではすでに受注がいっぱいで受け付けができなかったから、既製品から選ぶことにしていたのを覚えている。納得のいくものを選び、今日の為に発注をして、受け取りの際に現品を確認した時は満足そうにしていたのを、ジョエルは見ていた。
 が、今の彼はどうだろう。眉間に皺を寄せ、険しい顔付きでジョエルを見据えていた。何に違和感を感じたのかわからないまま、ジョエルはアランに向かい合う。

「どうもこうもない。どうしてくれるんだ、こんな物、彼女に渡せないだろう!」

 ずい、と差し出された小箱を覗き込むと、そこには確かに今日、彼が引き取ったブレスレットが収められていた。ただ、どうしてか、腕に当たる裏側に大きな傷が入っている。
 ジョエルはおかしい、と眉を顰めた。引き渡す際に、製品に問題がないか確認を行う。その時にこんなものがあれば、絶対に客に引き渡しはしないからだ。

「失礼ですが、こちらは購入時にあったものでしょうか」
「いいや、無かった。だから腕に通したら、彼女の腕に塗料が付いたんだ。銀色の!」

 そこでアランは後ろを振り返った。そこにはコートを羽織った女性と、従者らしき男の姿があった。さっきは気が付かなかったが、どうやらアランの後ろに付いて来ていたらしい。
 女性はコートの袖口を捲った。左の手首、そこには銀色の塗料のようなものが付いている。
 ジョエルは驚いて息を呑んだ。

「これは……!」
「酷いだろう。ドレスにも付いたんだぞ」

 アランは、ポケットからくしゃくしゃになったハンカチを取り出す。白かったそれにも、べっとりと銀色が乗っていた。

「手首に付いて、おかしいと思って外したら傷が見えた。それでハンカチでブレスレットを拭ったんだ。そうしたらこの通りさ。傷を隠すため、塗料を塗ったんだろう」

 ジョエルは渡されたハンカチをまじまじと見る。ブレスレットの素材はシルバー、それに近いもののようだが、納品前に塗ったにしては塗料が乾いていないのが気にかかる。

「傷があるどころか、それを塗料で覆い隠す。その上彼女の腕にそれが付くだなんて! そんなものを客に渡すのかこの店は!?」

 ざわざわと店内が騒つく。あり得ないことだ、こんなこと。少なくともこんな状態のものを客に渡すわけがない。
 ブレスレットの納品日は履歴からすぐに調べられる。そこから納品時、製品のチェックをした人間は誰か分かるだろう。まずはそれを確認する必要がある。が、それよりも、ジョエルは他の違和感が強まって仕方がなかった。
 ジョエルの記憶の中のアランは、もっとこう、ひとつひとつの動作に切れがあったような感じがする。不意に腕を振るっても、こんな風に動きが流れて止まらないということがなかったはずだ。
 それで思い出した。「子爵の次男ともなれば、騎士になるくらいしか身を立てる術がない」と彼が言っていた。アランは騎士団に所属していた。それで、きびきびとした動きが身に付いたのだろう。そうなるとその他の事にも気が付く。背丈は同じくらい、顔もどうしてだか同じだが、目の前の人物は心なしか胸部から腕周りの筋肉が少ない気がする。もっと言えば、歩く時の重心が違う。重い鎧を着慣れた人物にしては、やや前のめりだった。
 一度疑ってしまうと何もかもが怪しく思えてくる。そんな馬鹿なことがあるだろうかとジョエルが息を止めていると、アランの顔をした男から決定的な言葉が飛び出してきた。

「彼女の為にわざわざ作ったものだぞ。返金だけで済むと思うな!」

 アランが選んだのは既製品だ。最後まで悩んでいた彼に、ジョエルは石を好みの物に変更しないかと提案した。彼はその提案を喜んでくれ、石を変えはしたがそれだけだ。来年はきっとオーダーメイドできるようにするんだと、はにかむ彼の顔をジョエルは見たのだ。
 既製品の石を変える、それは確かに、言い換えれば彼女の為に作った物と言えるかもしれない。けれどそんな経緯でブレスレットを選んだ彼が、こんなこと言うだろうか。
 それでジョエルの脳裏に、一枚のビラが浮かんだ。

(そうか、こいつ、あの盗賊——『インビジブル』!)

 目には見えない、いつの間にか忍び込んで獲物を奪っていく盗賊。今この国を騒がせている悪党、目の前にいる人物はそいつが成りすました者なのだとジョエルは確信した。後ろの女と男もきっと一味のものに違いない。盗賊は確認されている範囲だと三人組のようだと、情報があったのを思い出す。
 ジョエルは顔に力を込め引き締めるよう心掛けた。動揺を悟られてはいけない。

「……申し訳ございません。どうぞ、こちらへ」

 努めて冷静に振る舞って、ジョエルは店の奥を示した。

「奥の部屋で詳しい話を。お連れの方も」

 アランの顔をした男の後方にも視線をやった後、ジョエルはちらりと残っている店員と、警備員に目配せをした。アラン達三人が顔を見合わせているのを横目に見て、駆け寄ってきた店員に小声で耳打ちをする。

「店を閉めて戸締りを。それと、警備の者には絶対に離れないよう伝えてくれ」
「は、はい」

 緊張を孕んだジョエルの様子に只事ではないと思ったのか、店員は足元をよろめかせ駆け出した。やや不安に思ったが、それよりもこの三人に不信感を与えないようにしなければならなかった。三人に先んじて進み、貴族との取り引きに使われている部屋へ案内を始めた。

(時間を稼ぐんだ。騎士団が到着するまで、連中を閉じ込める)

 三人はまだ、ジョエルが正体を見破ったことに気付いていないようだった。アランの顔をした男はアランのように振る舞い、女性を気遣っていたし、女性はアランの恋人のように振る舞っていた。本物の恋人のことをジョエルは知らないから、彼女が本物か偽物かはわからなかった。だが、本物だとしても脅されて協力させられているかもしれないし、あるいは最初から共犯で本物のアランを裏切っているかもしれない。いずれにせよ一緒に居てもらったほうが都合がいい。偽物ならそれでいいし、本物なら保護ができる。従者のような男に関しては、これはもう判断のしようがない。共犯である可能性が高いと、ジョエルはそのように考えていた。
 店頭から扉をひとつくぐり、左に向かう。個室は全部で三つ、そのうちの一番手前の部屋に三人を通した。
 ジョエルはその間、油断なく彼らの動きを注視していた。おかしな素振りは見せなかった。席に着くにも女性を先に座らせてからアランが座り、従者の男は後方で待機するなど、それなりに身分のある人々の動きだった。きっとこのようにして、出入りする人物に成りすまして忍び込むのが盗賊の手口なのだろう。
 三人がそれぞれ落ち着いたのを見計らって、ジョエルは扉から手を離さず申し出た。

「必要な書類を持って参りますので、しばしこちらでお待ち下さい」

 そうしてほんの少し、視線を彼らから外した時だった。ぐいっと強く空いた方の手が引かれて、ジョエルはそのまま床に倒れ込んでしまう。
 しまった、と思った時にはもう口にハンカチを突っ込まれて声が出せなくなった。そのまま猿轡をされ、同時に手足を拘束されてしまう。
 もがくジョエルにアランの顔が近付いた。

「案内ご苦労。そして、おやすみ」

 にいっと笑う顔が急にぼやけて、ジョエルはそのまま意識を手放した。


 それを確認して、アランの顔をしたドゥランは上着のボタンを外していく。手早く脱ぎ捨てると、シャツのボタンも次々外していった。

「上手くいったな」
「でなきゃ、こんな危険な手段選ばんさ」

 ふん、と鼻を鳴らすのは従者に扮したトロワ。持っていた鞄から包みを取り出し、ドゥランに向かって投げる。帽子を外しながらそれを受け取ったドゥランは、急いで包みを解く。中身は変装に必要な特殊な道具だ。作戦の進行の為、急いでそれを使わないといけない。

「にしても、ずいぶんな効き目ね。大丈夫? 死んでない?」

 アンジェも、手際良くコートとドレスを脱いでいた。その下から出てきたのは、黒いレザーの上下に分かれたスーツ。生地にゆとりは少なく体のラインにフィットしたものである。衣類の下に着込むことができるよう薄めに加工されたそれは、狭い所に忍び込んだり闇夜に紛れたりするのに都合がいい。水も弾くので、彼らが愛用している特注品だ。
 更に黒い革手袋をはめれば準備は完璧。服装のずれを直しながら、アンジェは床に転がった男に目をやる。
 男の口に突っ込まれたハンカチは、あの銀色の塗料が付着したものだ。薬品を染み込ませてあるもので、間近で見続けていた彼は、知らず知らずのうちに気化した薬品を吸い込むよう仕向けられていた。だからと言って口に含んだ直後に眠ってしまうほど強力だと、アンジェは思っていなかった。

「体質で効きやすいのかもしれん」

 素っ気ない声はトロワのもの、見れば彼も黒のスーツに変わっていた。

「じゃあ危なかったわね。途中、誰かがいる前で倒れられてたら計画がパーよ」
「原液を口から摂取したせいだろうよ。そんなことはもういい」

 低く言って、トロワはドゥランを向いた。

「ドゥラン、さっさと済ませるぞ。あまり時間がない」
「分かっている」

 トロワの視線の先、ドゥランは最早貴族の青年の姿をしていなかった。そこに居たのは床に転がっている店の者で間違いない。服装を整え終わると最後に、店の者の内ポケットを漁る。
 じゃらり、と鍵束を抜き取って、ドゥランはそれをトロワに向かって投げた。

「さあ、派手にやってやろうじゃないか」



 ジョエルが個室に消えてから、十五分ほど経過した。指示通り店を閉めた店員のハンスは、残った他の者と一緒に扉を眺めていた。いつになく緊張したジョエルの様子に、何事かと囁き合っていると、その扉が勢いよく開かれる。
 慌てて駆け寄るハンス達に、扉から現れたジョエルは言った。

「あの三人、例の『インビジブル』の連中だ。急いで騎士を呼ぶんだ!」

 ハンスは驚いて息を呑む。

「それは本当ですか!?」
「ああ、間違いないだろう。連中、アラン様に成りすまして侵入しようとしたようだ。今は個室で足止めしている」

 額に汗を浮かべるジョエルに、数人が更に驚いてどよめきが起きた。

「た、大変じゃないですか!」
「ああ。連中に気付かれないうちに、騎士が来てくれればいいんだが……」

 そうして全員が扉に注目したその時だった。その隙間から、灰色の煙が漏れているのが見えたのだ。

「なっ! まさか、火を付けたのか!?」

 ジョエルの叫び声が響いて、その場にいた全員に緊張が走る。

「火事だ! 逃げろ!!」


◆◆◆


 孤児院からの帰り道、アルベルトは上機嫌で馬車に揺られていた。時刻はすでに夕方を過ぎ夜になっており、窓の外は真っ暗だ。
 思っていたより時間がかかってしまった。家の料理人が持たせてくれた軽食とお菓子を合間に摂ったのでそこまで空腹ではなかったが、リリアンに温かいものを食べさせてあげられないのが心苦しい。当のリリアンは「多忙な文官みたいね」と楽しんでいる様子だったが。
 晩餐会は、レイナードの進言の通り翌日に持ち越して正解だった。明日であればレイナードも帰れるらしく、リリアンも心待ちにしている。
 今日は屋敷に戻ったら軽く夕食を摂って、明日に備えて早めに休ませるべきだろう。今日はもう遅くなるので、プレゼントは晩餐会に着けられるよう、明日になってから渡すつもりである。リリアンはどんな顔をして喜ぶだろうかと、それを思うと自然と笑みが溢れる。
 後から作らせたゴールデンパールの髪飾りは、ぎりぎりまで調整がされている。工房から直接、屋敷に届けられる手筈になっていた。
 あのサファイアのティアラは、実はまだ店に預けられたままだ。引き取りのための手続きと、警備の都合で、今日これから引き取りに行くことになっていた。というのも、ベンジャミンが懇願したのだ、アルベルトが自分で受け取って欲しい、と。公爵本人が店を訪れ、品物を受け取る。そうすれば、店側はそれだけのものを卸した実績になるし、品物そのものにも更に箔が付く。アルベルトが「本音は?」と尋ねたところ、「その方が安心ですので、警備的に」と言ったので、本当はそれだけの理由であろうが。なにしろ国内最高の魔法使いが我が身に変えてでも守り抜くことになるから、アルベルトも納得の理由であった。
 それで馬車はまっすぐ屋敷へは向かわず、宝石店へと進んでいた。さすがにリリアンには疲れが見える。横になるよう言ったけれど、リリアンは頷かなかった。もうそんなに子供ではないと言われて、アルベルトは慌ててしまった。
 そんな風に和やかな車内であったが、ふと街中が異様な騒がしさであったことに気が付く。

「何かしら?」

 その呟きはリリアンのもの、アルベルトもそれには同意だった。通常、降神日であれば、日の暮れた頃から喧騒は遠ざかるものである。その時間からは家族の時間になり、ゆっくりと食事を楽しみながら新年までを家で過ごすからだ。
 だが、この騒がしさは降神日の喧騒とは違った。ざわざわと聞こえる声、そこに浮ついた空気は無く、どこか緊張を孕んでいる。
 やがて馬車が速度を落とし、そしてそのうちに停車した。心配そうなリリアンに、アルベルトは微笑む。

「大丈夫だ、リリアン。心配することはない。私がいるからね」

 アルベルトが居れば、大抵の危険は遠ざけることができる。だからそのように言ったが、どうしても不安は拭いきれない。頷きはしたもののリリアンの表情は硬いままだった。
 リリアンのことはシルヴィアに任せ、アルベルトは状況の確認に馬車を降りた。かつん、と石畳に靴底が当たる。扉を閉めると後続の馬車から降りてきたベンジャミンと、数人連れて来た護衛の騎士がこちらへ駆け寄るのが見えた。
 この時、アルベルトは周囲に人集りがあるのは分かっていたが、そちらに意識は向けなかった。が、その人集りでは、さざ波の様にどよめきが広がっていた。

「あ、あれは、何?」
聖人せいじん様?」

 アルベルトもリリアンも、孤児院からの帰りそのままだ。つまり馬車から降りたアルベルトは、聖人のローブを羽織ったまま。短い銀髪は街灯の明かりで淡く輝き、馬車の装飾も相まって、夜空の星が瞬くような光を放っていた。そんな只中にいる美形の男が目立たないわけがない。

「え? 本物?」
「そんなわけあるか。仮装だろうよ」
「でもあんなに綺麗な仮装がある?」
「なんて神々しい……」
「うちの亭主もあれだけ美形ならねえ」
「でもあんな美形が家の中にいたら、落ち着かなくないかい?」

 そんな人々の声を聞いているのはベンジャミンだけであろう。ただ馬車から降りただけでこの有様、害は無いが、混乱を招く元である。やれやれ、と滲む疲労感を抑え、ベンジャミンは主人と共に騒ぎの中心へ向かう。
 馬車の停まった先、どうやら騒ぎの中心はそこのようだ。奇しくもそこはアルベルトの目的地である宝石店で、店の外に幾人かの従業員と騎士の姿が見える。
 咄嗟に浮かんだのは、ここ最近王都を騒がせている盗賊だった。

「まさか」

 思わず、といったような声はベンジャミンのもの、アルベルトはちらりとその顔を見て足を進める。

「行ってみよう」
「ええ、はい」

 ベンジャミンは御者にその場で待機するよう伝えるとアルベルトの後に続いた。
 宝石店では無関係の人間が店に近付かないよう、騎士が数人で人の整理をしていた。そのうちの一人が、近付いてくる人物に目を止めたのであろう。制止する動きを見せたが、相手が銀の髪をしていることに気付き、すぐに敬礼してみせた。アルベルトはそれだけを認識して更に進む。店の出入り口まで来ると、やや煙たいのがわかった。その様子から火事を疑うが、宝石店で出火することはそうあることではないので、これだけの騒ぎになるには別の理由があることが窺われる。
 辺りを見回すと、店の責任者が騎士と話しているのを見付けたので、アルベルトはそちらに向かった。

「何の騒ぎだ?」

 突然の声に騎士も責任者も視線を上げた。が、即座に騎士は礼をし、責任者は表情を崩した。

「ああ——アルベルト様!」
「何があった?」

 悲嘆の声を上げる責任者に、アルベルトは眉を寄せた。なかなか声の出せない彼の代わり、事情を騎士が伝える。

「『インビジブル』です。例の盗賊が押し入ったようです」

 アルベルトは目を細める。直感通りであるが、よもやこの店が被害に遭うとは正直意外であった。なにしろヴァーミリオン家からの口添えもあり、騎士団からそれなりの人数が警備に当たっていると聞いていたからだ。店の方でも独自に人を雇っていると聞いた。そんな店を狙うとは、思っていたより肝の太いコソ泥だったようだ。

「顧客を装い、難癖を付けてきたそうです。対応をしようと個室に招いたところを、襲われたようで」

 騎士がざっくりと詳細を説明してくれる。なるほど、それで責任者たる彼は気落ちしているようだ。判断は悪くなさそうであるが、相手が一枚上手だったのだろう。

「……先に騎士団を呼ぶべきでした。下手に相手に気取られないようにとしたのが、間違いでした」

 悔やむ彼の顔には、赤い痕がくっきり残っている。手首にもだ。おそらく拘束されたのだろう、憔悴した姿は痛々しいが、アルベルトにはそれよりも重要なことがあった。

「被害は」

 短くそれだけ尋ねると、責任者の彼は大きく顔を歪め、俯いてしまった。その様子にアルベルトは顔を顰める。その険しい表情のまま、騎士の方を向くと、騎士はびくっと肩を揺らした。

「い、いま、店の者が確認をしているところで」
「いえ——アルベルト様にご依頼されたティアラが」
「…………あぁ?」

 聞き捨てならないことが聞こえたような気がして、アルベルトはつい低く声を洩らしてしまった。

「今、なんと言った?」

 通る声は低く地を這う。地獄の底から魔王が囁くような声に、その場に居た者は凍りついたように動けなくなった。
 対応していた騎士は「ひいっ」と情けない声を洩らすし、離れた場所で様子を伺っていた他の店員や騎士も一歩二歩と後ろに下がっている。下がろうとして、足が動かず尻餅をつく者もいた。恐ろしいまでの怒気に触れ、本能的に逃げようとしているのだ。なのに、恐怖で動けない。
 視線を向けられている責任者の男はついに、地面に額を擦り付けて頭を下げた。

「申し訳ございません! サファイアのティアラが、奴らに盗まれてしまいました!」

 サファイアのティアラ。それは店に預けていた、あのティアラだ。本来なら今日リリアンに贈られるはずだった、国宝級のサファイアをあしらった、あの。
 男の言葉が、アルベルトの中に浸透していく。と同時に浮かぶのは、ティアラが出来上がるまでに何度かそれを付けたリリアンの姿だった。

 ——すごい、こんなに綺麗なブルーのサファイア、見たことがないわ。
 ——こんなに綺麗な石、わたくしには勿体無いのではない?
 ——すごい、すごいわ! なんて繊細なデザインなの!

 浮かんでは消える、かつてのリリアンの笑顔。完成したティアラをそっと眺めるリリアンは、ほうと息を吐くと、少女の顔から淑女へと変えて、アルベルトを見上げて言ったのだ。

 ——ありがとう、お父様。わたくしきっと、このティアラに負けないくらい、立派なレディになるわ。

 ごう、と突風が巻き上がった。アルベルトの感情そのままに放出された魔力が、彼を中心に吹き荒れる。赤いローブがばさばさと音を立てて、魔力の奔流に踊っていた。

「……殺してやる」

 愛しいリリアンの物を奪った愚か者を、アルベルトが見過ごすはずがない。盗まれた物の価値はともかくとして、それを知っているベンジャミンは別の意味で息を呑んだ。護衛として連れていたヴァーミリオン家の騎士に、王城に言伝をするよう指示を出す。

「急ぎレイナード様に伝言を。件の賊をアルベルト様が追っている、と。マクスウェル様にもお伝えするように。いいな!」

 はっ、と短い返答を残して走り出す護衛を尻目に、ベンジャミンが急いで視線をアルベルトに戻すと、主人は前方を見据えて駆け出す瞬間であった。

「アルベルト様!」

 その叫びに返答はない。ただ強く蹴られた石畳が、音を立てて割れただけだった。
 王都の中でも一等地に近いここは、高価な白い石が使われている。駆け出したアルベルトの行く先、一体いくつの石が割られるだろうか。
 ベンジャミンは様々な思いで胸が締め付けられるが、ともかく停めたままになっている馬車に戻った。リリアンには別に騎士が付いているので、事情を簡単に説明して屋敷に戻るよう伝えた。この上更にリリアンの身になにかあったとなっては、アルベルトが何をしでかすかわかったものではない。リリアンはやはり、心配そうにしてはいるものの、それがわかっているからか素直に頷いてくれた。

「ベンジャミン、あなたには悪いけれど、お父様を追って。状況がわかったら、連絡を頂戴」
「ええ、わかりました。そのように致します」

 そうして馬車を見送り、ベンジャミンは深く息を吐いた。

「まったく……よりにもよって、あのティアラを盗むとは」

 自然、ベンジャミンの言葉には恨みが籠った。が、あれが狙われるのは当然と言えば当然だろう。国宝にも劣らない最高級のサファイア、それがあしらわれたティアラを上回るものがこの店にあったとは思えない。この店が狙われた時点で、ティアラが無事であるはずがなかったと、そういうことだろう。厳重に保管されているはずのそれをどうやって盗み出したのかはわからないが、やはり宝石類を見る目だけは確かな泥棒だったようだ。
 ベンジャミンのその恨み言は喧騒に掻き消された。周囲には、突然の突風と、強烈な魔力の残滓とで戸惑う人々の不安げな声が溢れていた。背筋から凍えるような寒気は、アルベルトの残した魔力によるものだ。それが更に不安を煽り、震えとなって人々の間に広がる。
 その発端となった賊には、いったいどれ程のものが向けられるであろうか。それを思うと、アルベルトの魔力に幾度となく当てられたベンジャミンでも、ぶるりと身が震える。とりあえず、息の根を止めるのだけはやめて貰いたい。
 そうなる前に追い付けるだろうか。もう一度深く息を吐いて、ベンジャミンは手近な騎士に馬を貸して貰うよう、声を掛けた。駆け付けた騎士から手綱を受け取るが、馬の方も魔力の残滓を感じ取っているようで落ち着かない様子だった。それをなんとか宥め、鞍に上がる。
 もう見えない背中の代わり、抉れた石畳を追う。途中、それが塀の上になり、また街道になったりとはしているものの、等間隔で続くそれに、どうしようもなく不安が募る。感情が伝わってくるのだ、足跡と一緒に残された魔力から、強い怒りが感じられた。
 こんな事なら、リリアンには残って、もしもの為の抑止力になって貰った方がよかったかもしれない。けれどもそれもアルベルトは許さないであろう。後が無くなった賊が、リリアンを盾に取らないとも限らない。
 ベンジャミンは馬を走らせた。幸い、痕跡がはっきりと残っている。追跡はできるはずだ。

「間に合うといいが……」

 後はもう、アルベルトが、賊にトドメを刺さないよう、祈るしかなかった。
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