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1巻
1-2
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一方ジュンヤは男女問わず、人々が群がる美しさだ。この容貌であれば誰も性交渉の経験がないとは思わないだろうし、事実、私もそう思っている。
彼は枷を外して欲しいと言ったが、私はすぐに外さなかった。本当に自害しないという確信が持てなかったからだ。嘘をついて一晩我慢してもらった。
それに、彼は王宮から離れたがっている。
それはあまりにも危険すぎる。一人でどうやって生きるつもりなのだろう。あの美貌ならば娼館という手もあるが、そんな姿は見たくない……。そう思うのはなぜなのか。
加えて神子との面談も頼まれた。これは神子も望んでいることだ。明日会えるように手配しよう。
――今、要職につく者で冷静なのは私だけかもしれない。
皆、神子に夢中で仕事を後回しにしている。困ったものだ。仕事はしてくれ。
ジュンヤの部屋を辞した後、神子との対面を終え、ダリウスを連れ自室に戻る。
安心してジュンヤについて相談できるのはこの男くらいだ。長いつき合いで私の考えも予測できている。
「たった一日で、あれほど父上達がおかしくなるとは思わなかった」
眉間を揉みながらワインを一口含む。ダリウスは勝手知ったる様子で、どっかりソファーに座った。王族の前でこのような態度を取ったら、本来なら処罰ものだろうが、二人きりの時のみこうして砕けた態度になる。
ダリウスは騎士団長の仮面を外して、苦笑気味に答えた。
「臣下達も大騒ぎだぞ~? まともなのはエリアス位だな。神子様は俺のタイプじゃねぇし」
「そうだな、私がしっかりしなくては公務に差し障りがありそうだ。しかし、ジュンヤは本気で城を出るつもりだな」
「あ~、何をするつもりか分からんが、顔を出して歩くのはまずいな」
「まずは勉学を望んでいるから、そちらを優先し行動は制限する。護衛騎士は意思の強い者を選出し、昼夜のローテーションを組んでくれ。離宮の使用人にも接触を控えさせるが安心できない。襲いかかる者がいないとは言えないな」
「すげー別嬪だもんなぁ。なんか上目遣いがエロいし」
ワハハと豪快に笑うダリウス。この男は遊び人だ。
私も閨係と適度に処理をするが、この男は恐ろしいほど絶倫で、一度に数人を相手にすることもあるらしい。
「手を出すなよ」
「分かってるって。それに、あれは溺れたらヤバイ奴だ。のめり込んでぶっ壊しちまうかもなぁ。ま、誘われたら一回くらいシてみたいけどな」
全くこの男は……
苦笑しつつ、確かに溺れてしまいそうだと納得してしまう。自分だけの物にしようと嫉妬と執着で身を滅ぼしそうだ。
その後は真面目に話し合い、明日も面談についてくるように命じると、ダリウスはグラスを空けて退出していった。私は自室でできる書類を取り出し仕事をする。
神子は私と話をしたがり、お陰で急ぎの案件ができなかったのだ。滅多にないことだが、自室で仕事をする羽目になり溜息をつく。
明日もジュンヤに会いに行こう。
そう思うと少し気持ちが高揚し、黙々と書類を処理していくのだった。
◇
殿下達と話をした次の日。俺は昼食を終えたが、部屋から出る許可はおりなかったので本を読んでいた。
すると、ノック音ののち、間を置かず扉が開いた。
「初めまして! やっと会えましたね! 僕、立原歩夢って言います。歩く夢であゆむです。高校三年生です。あ、この手枷ひどい! エリアス様! 早く外してあげて!」
快活な挨拶と共に、少年が入ってきた。深い赤地に、金と黒の糸の刺繍がふんだんに施されたジャケットを着ている。
学生らしい清潔感のある長めのショートカットの黒髪。丸い大きな目が忙しなく動き、小動物のようで可愛い。背丈もこの世界で出会った中では一番小さい。
俺は百七十二センチあるから、百六十センチってところか。
この世界の人々は見たところ、百八十センチは当たり前だ。一番大きい人だと二メートルを超えてるか? 胸板も分厚いし……そりゃあ、こんな小さな男の子だったら、守りたくもなるだろう。
殿下が無事に許可を取ってくれたそうで、ようやく手枷が外れてホッとする。
ん? そういえば俺、スーツのままですけど。手枷があって脱げなかったし……風呂も入ってないよね? 酷くない? これが神子とおまけの違いか……
後ろには、またエリアス殿下とローブの男、アリアーシュがついてきていた。
「初めまして。俺は湊潤也です。普通のデパート店員だよ」
歩夢君は俺が座る向かいにエリアス殿下と座り、じっと見つめてきた。
「なんか、僕の召喚に巻き込んでしまってすみません……。僕も、なんでジュンヤさんも来たのか分からなくて」
ションボリと俯く。え、召喚されたのは受け入れ済み? これが若さか⁉
「まぁ、こうなってしまったからにはどうにか生きるよ」
不満だろうがなんだろうが、一人で生き抜くしかなさそうだしな。しかも相手は子供だし、俺が召喚されたのは彼のせいじゃない。
「あ、あの、ジュンヤさんも王宮で暮らせるようにお願いしてるんです!」
「いや、気にしないでくれ。俺にはこんな立派なところは合いそうにないから遠慮しとくよ」
「そんなぁ~。僕達同じ世界の仲間だし、一緒にいてくださいよ~。お願い」
歩夢君が目をウルウルさせて上目遣いで見てくるが、残りたくない。
「いや……」
「神子の願いだ。ジュンヤ殿、当面こちらで暮らしてほしい」
俺が断ると気づいたエリアス殿下が素早く口を挟んできた。
昨日から、なんでそんなに引き留めようとするんだ?
「わっ! エリアス様ならそう言ってくれると思った!」
歩夢君は殿下の右腕にしがみついてスリスリと頬ずりをする。だが、殿下は無表情で何を考えているのかよく分からなかった。
「当面、ですよ。時期を見て出たいという私の希望も忘れないでくださいね、殿下」
当面、に力を入れ強調する。すると、歩夢君が上体を伸ばし、俺の顔を覗き込んできた。
「ジュンヤさんって、綺麗ですよね~。モテたでしょう?」
「はっ?」
綺麗って誰のことだ?
面倒なので、冷静に営業スマイルで受け流すことにした。
「いや俺は普通だって。まあ、歩夢君みたいな可愛い子に言われると悪い気はしないけどね」
「そ、そんな! 可愛いなんて、恥ずかしいよぉ~」
――ん? 歩夢君、顔が赤いけど大丈夫?
なんだか他のメンバーにも凝視されてるけど、悪いことはしてませんよ!
「歩夢君に質問があるんだけど、良いかな?」
「何?」
キョトンと俺を見つめる。
「君は、この世界に心当たりがあるみたいだよね? 何が起こっているのか説明してもらえる?」
「えっと。良いけど、エリアス様、みんなも、二人にしてもらえるかな?」
これにはアリアーシュが大反対した。そりゃそうだよね。だが、歩夢君はキュルルン攻撃で反対をねじ伏せ要求を通したのだった。うん、結構強かだね。
みんなが退室し、向かい合って座る。
「じゃあ、ジュンヤさんに大事な話をするね」
先程までの小動物モードを封印した彼が、真剣な表情で振り向いた。
「うんっと、ここは『癒しの神子と宵闇の剣士』っていうゲーム世界の中なの」
「げ、ゲームゥ?」
「そう。えっとね、実は僕、腐男子でね? あ、腐男子って分かる?」
「腐女子なら……」
「それの男子バージョン。元々男の人のほうが好きなんだけどさ」
モジモジしながら、歩夢君がすごいカミングアウトをする。良いの? それ言っちゃって!
「でね、そのゲームは男同士の恋愛ゲームなの。召喚された神子は治癒と浄化をしながら、敵である剣士と戦って、攻略対象の男の人達と恋愛するの」
「男と恋愛ゲーム? 美少女が相手の恋愛ゲームなら知識はあるけど……」
脳が理解するのを拒否してフリーズしている。
「女の子はいるよね⁉ 今のところ見てないけど」
「ごめん、いない世界なんだなぁ。あ、ジュンヤさんってノンケ? めっちゃ美人さんだから、みんなを取られないかちょっと心配だったの。良かった~」
俺はテーブルに頭を打ちつけた。
うっそ! 俺、これからも独身で永遠にエッチもできないのか? せめて童貞卒業しててよかった……
「俺、恋愛対象は女性だから、取るとか全然心配いらないよ。ゲイには偏見はないけど、女の子がいないのはショックだ……」
テーブルに額をつけたまま呻くように返事をした。
「ノンケなら安心だけど……ジュンヤさんの生活をサポートするから僕の恋愛も応援してくれる?」
「はぁ。ま、そのうち出て行くけど、それまでならね。恋愛って――ちなみに、誰狙い?」
「えっとね~」
またもじもじしている。なんだ?
「逆ハーレムエンド狙いです‼」
良い笑顔だ! だが逆ハーレムエンド? つまり何股もする気なのか? なんと破廉恥な!
「それって、ありな訳? 相手は誰⁇」
恐る恐る聞いてみる。
「エリアス第一王子、魔導士アリアーシュ、近衛騎士団長ダリウス、今はいないけど第一騎士団の騎士と、侍従のエルビス、公爵家の子息に、神官、国王様と宰相、敵の剣士。攻略対象には隠しキャラもいてね、かなり多いんだ。実は陛下が一番簡単なルートだけど、僕、おじさんはパス。モブキャラも難しいけど攻略可能だよ。でもね、基本ルートは誰か一人とハッピーエンドなんだよね。逆ハーレムにできるメンバーは決まってて、そのメンバー全員の好感度を上げる必要があるから難しいんだ」
立て板に水のごとく続く説明に、必死に耳を傾ける。
俺は攻略対象の数を指を折って数えて……
「ちょ、ちょっと待って。じゅ、十人、いるんですけど?」
「うん。それがこのゲームの魅力でね。今あげたのはメインキャラ。十人以上の攻略対象がいて、最大四人のハーレムが作れるんだよ! 敵の剣士が隠し攻略相手なの! 一人に決められないから逆ハーレムが一番良いと思うんだ! だから協力してね? そうそう、エルビスさんって、本当は僕のお世話係してくれるはずなの。上手く言って交代してもらえると嬉しいなぁ! 僕、ゲームで殿下とのトゥルーエンドは見たんだ。ノーマルエンドもクリアしたけど、リアルなら逆ハーレムルートで行こうと思います!」
立ち上がってなにやら力説してるけど、それで良いのか?
まぁ、本人はめちゃくちゃ楽しそうだし、日本に帰れないのは気にならないみたいだ。なら良いか。子供だから助けが必要かと思ったが、俺よりはるかに強かった。
「頑張ってね……」
そう言う以外の選択肢はなかったと思う。
その後、扉の外で待機していた殿下達が再度入ってきた。
殿下と魔導士は攻略対象ってやつなのか。同じく攻略対象の近衛騎士団長が誰かは知らない。知らないままで良いな、うん。
エルビスさんもと言うが……確かにイケメンだけど振り幅大きすぎだろ。
「アユム、何もされなかったか?」
アリアーシュが心配そうに顔を覗き込む。うん、その子意外と強いから心配ないよ。
「大丈夫だよ。だっておんなじ国の人だもん、ひどいことなんかしないよ?」
「アユムは純粋だから、こんな怪しげな男と二人でいるなんて心配だ」
歩夢君……キュルンと音がしそうな無邪気な笑顔だ。全力でゲームの世界を楽しむ姿勢は、ある意味尊敬に値する。
二人の様子を眺めていると、殿下が口を開いた。
「ジュンヤ殿につける教師を選定した。二日以内にこちらに到着するのでその時紹介しよう」
「あの、私はまだこの部屋から出られないんでしょうか?」
さっきまで手枷がつけられてたし、この状況っていわば監禁ですよね。正直きついです。
「護衛と侍従を伴ってなら良い。立ち入り禁止の場所は彼らに聞くがいい」
「分かりました」
俺が頷くのを見て、殿下は満足げな表情を浮かべる。
「では、今日はこれで失礼しよう。困ったことがあれば侍従に言付けてくれ」
それから殿下はエルビスさんのみを残して、部屋を出て行った。あ~、疲れた。
みんながいなくなってホッと一息ついて、さっそく外に出たくなる。
「エルビスさん、外に出てみたいのですが」
「分かりました。ですが、まずはお着替えをいたしましょう。手枷もあり、ご不便をおかけして申し訳ありませんでした」
「エルビスさんのせいじゃないです! あ、それに、エルビスさんは、俺より神子様のほうにつくべきなのでは?」
俺の言葉を聞くと、エルビスさんは悲しそうな目で俯いてしまった。
「――私は、侍従として至らなかったでしょうか」
「違いますよ! だって、一般人の俺より、神子様のお世話のほうが名誉でしょう?」
「私はジュンヤ様のお世話を続けたいのです。ですから、このままお世話させてください」
慌てる俺に、エルビスさんは縋るような眼差しを向けてくる。
ううう、そんなこと言われたら断れない。神子様と交流できるように計るしかないか。後は一日も早くここを出て行くしかない。
「分かりました。ではこのままよろしくお願いします。ここにいるのも少しの間のことですし、その後は神子様をよろしくお願いしますね」
話し合いの時、エルビスさんは隅に控えていたので、俺が出て行くつもりなのは知っているだろう。なるべく早く出て行って、歩夢君のラブラブライフの応援をするさ。
「ジュンヤ様のお気持ちは分かりました。ですが、私はずっとここにいていただきたいです。……この気持ちはお伝えしておきます。では、お着替えをしましょう。本当は湯あみのご用意もしたいところでしたが夜にして、お着替えの前にお体をお拭きいたしますね」
それから、エルビスさんと、二人の侍従さんに体を隅々まで清拭された。恥ずかしいので辞退したが、聞いてもらえなかった。おかげで顔が真っ赤になったのは言うまでもない。
俺に用意された服は、白いドレープのある前開きシャツ、ロイヤルブルーとシルバーの糸で刺繍された豪華なジャケット、濃紺の太腿部分が膨らんだズボンだった。
ズボンは紐でウエストを締めるタイプだが、大きくてぶかぶかだ。裾は俺が寝ている間に測って裾上げしてくれたらしい。
後で仕立てたものを出してくれるそうだが、勿体ないと断った。聞いてもらえなかったけどな。
それにしても、服が全部大きい。
俺は日本では決して小さくないけど、殿下達も侍従さんも全員俺より上背がある。シャツも気をぬくとはだけそうだ。
歩夢君は仕立て上がるまでとりあえず子供用の服を着ているらしい。俺の服も貴族の子供用だ。子供の頃から大きいんだな……
着替えた後、しばらくして護衛の騎士さんがやってきた。
騎士は白い制服に、赤でパイピングが施されたジャケットを身につけている。肩章は赤と金だ。どうやら赤には意味がありそうだ。
おぉ~! 落ち着いて見ると騎士、カッコいい‼ 召喚された時はビビッてたからよく見てなかったよ。テンション上がる!
頭の中では騎士ヒャッホウとお祭り開催中だが、表情は冷静さを維持する。
「近衛騎士のウォーベルトと申します」
「同じくラドクルトと申します」
「ウォーベルトさん、ラドクルトさん、ジュンヤ・ミナトです。お手数をおかけしますが、よろしくお願いします」
騎士の二人に頭を下げると、エルビスさんが一歩前に出た。
「ジュンヤ様、私もお供いたします」
「よろしく、エルビスさん。どこが良いかなぁ」
「庭園に美しい花が咲いておりますが、いかがでしょう」
その提案にすぐさま頷き、俺達は部屋を出た。
エルビスさんに先導してもらいながら歩いていると、貴族らしい人達が遠巻きにこちらを見ていた。でも、決して近づいてこない。
気にしていたら神経がすり減るけど、やっぱり気になるな。
俺がいたのは王宮の端に位置する離れだったようで、少し歩いたところに庭園はあった。
シンメトリーの作りで、色とりどりのバラが咲き誇っていた。花の名前には詳しくないが、マーガレットのような花もたくさん咲いている。
「おお~すごい! 綺麗だ! 外の空気も最高!」
俺はウキウキと庭を歩き回っていたが、気が抜けたのか急に腹が鳴ってしまった。朝食も食欲がなくて、パンとスープしか食べられなかったしな。
エルビスさんに聞かれて、少し笑われてしまった。きまり悪く彼を見つめると、エルビスさんは優しく目元を緩める。
「失礼しました。こちらに食事を手配いたしましょうか? この先に東屋がございますよ」
「お願いします! 天気もいいし、気持ち良さそうですね」
さて、そんなこんなで東屋に食事を用意してくれたのだが。
「ぼっち飯かよ……」
いや、完全なる一人ぼっちのほうがまだマシだ。
エルビスさんも騎士さんも仕事中だからと、俺が食べるのを見ているだけ。
それじゃ三人がお腹すいちゃうじゃないか! それに、正直に言おう。寂しい! しかも、量がすごく多い。無理して急いで詰め込んだがギブアップ。
味つけが微妙に物足りないのも辛い。朝のスープもシンプルな味つけだったから、これがこの国のスタンダードなんだろう。
「ジュンヤ様、ゆっくり召し上がってくださいね。それに、それだけでよろしいのですか?」
エルビスさんがまだ料理の残った皿をちらりと一瞥して尋ねる。
いや、かなり食べましたけど!
とはいえ沢山残ってしまった。残りは夕食用にしてもらおうと頼んだが、却下されてしまう。
「あの、体格差もありますし、次からはこの半分でいいです。どうしよう、勿体ないな。ごめんなさい」
「お気になさらないでください。量のほうは次回から調整させていただきます」
こんな量を食べて動かないでいたら、あっという間に太りそうだ。
それから一度部屋に戻り休憩して、午後は運動がてら、王宮の書庫なども見せてもらった。
そして夕食もお昼同様、残してしまった。パンは硬くて顎が疲れるし、食べきるのが難しい。正直これが続くのは辛いのでなんとかしたい。料理人を傷つけないように伝えるにはどうしたら良いだろう。
結局、エルビスさん以外と会話せずに一日が終わった。他の人から避けられているのをひしひしと感じて、すごく寂しい。必死で平気なフリをしてるが、何日頑張れるかな。
俺はひっそりため息をついて眠りについた。
次の日、さっそく朝から、俺にこの世界について教えてくれる先生が来てくれた。
別室へ案内されると、サロンに、濃いグレーのローブを纏った白髪の男性が立っていた。
「初めまして。お待たせして申し訳ありません。ジュンヤ・ミナトです。よろしくお願いいたします」
「なんの。さして待っておりません。儂はバレットと申す学者です。ジュンヤ様とお話しするのを楽しみにしておりました」
柔和な笑みを浮かべるバレット様に緊張が解れていく。
「ジュンヤ様、バレット様は賢者の称号をお持ちです。なんでもお聞きになられると良いかと」
隣に控えていたエルビスさんの台詞に、俺は目を剥いた。
「賢者様⁉ そんな立派な方のお手を煩わせるなんて、申し訳ないです」
「そう畏まらずに、気軽にこの老人の相手をしてくだされ。儂も楽しませていただくからのぅ、ほっほっ」
たしかにご老人にとっては俺なんか子供だよな……
そう思うと気が抜けた。それに、やっと普通の会話ができそうな予感がして気持ちが浮上する。
「さて、ジュンヤ様は何をお知りになりたいですか?」
「そうですね、この国の名前しか聞いていないのですが……」
「なんと! あやつらときたら困ったものだ。改めまして、ここはカルタス王国と申します。この世界では、森と平野の広がるこのカルタス王国と、海に面したトラージェ皇国が勢力を二分し、その他の小さな国々は、このどちらかと同盟を組んでおります。魔力攻撃のカルタス、物理攻撃に強いトラージェ、といったところですな。現在は和平を結んでいますが、過去に何度も争いが起きています」
「今は平和なんですか?」
「実のところ、そうではありません。トラージェは以前から我が国の肥沃な土地を欲していて、小競り合いはいまだに起こっておるのです。彼の国の農地が痩せているのが原因かもしれませんな」
「う~ん、土が硬いのかもしれませんね。耕して土壌開発をすれば他国へ攻め入るのを考え直してくれるでしょうか?」
「おや、ジュンヤ様は農業に詳しいので?」
バレット様は意外そうに眉を上げた。俺は慌てて首を横に振る。
「とんでもない! 仕事で農家の方と話す機会が多かっただけです」
それにしても……海か! 魚が食べたいし、出汁の材料も見つかるかも。目指せ、和食!
「トラージェには行けないのでしょうか?」
「……興味がおありかな?」
「海産物に興味があります。私の元いた国と同じ素材があるかもしれませんし」
「今はちと難しいですなぁ」
バレット様は渋面を作って言った。残念だ。
でも、いいこと思いついた! 俺は商人になろうかな。いろんな国を商売して巡るんだ。
「実は、ここを出たらどんな仕事をしたらいいか考えていましたが、商人になりたいです」
「王宮を出て、お一人で暮らすおつもりかな?」
不思議そうな顔で見つめてくるバレット様。しかし、ここでは仕事をさせてもらえそうにないし、とにかく無視がきつい。元から人と関わるのは好きだし、何より俺は普通に暮らしたいだけなのだ。
「もちろんです。今はお世話になってしまっているので、早く自立しなくては」
「……ジュンヤ様、率直に申し上げて良いかな?」
ゆっくりと区切るように話しながら、バレット様は俺を見つめた。
「そのお姿では、市井では暮らせません。この世界にない色をお持ちの神子様やジュンヤ様は、それだけで人目を引きます。そして、あなた達を手に入れようとする者達が数多くいるのです。しかもジュンヤ様。その美しさでは一人歩きをした途端、拐かされる危険があります」
拐かされる? 女子供じゃあるまいし。って、女性はいないんだった。それに俺が美しいなんてどんな冗談だ。そんなこと言われたのは初めてだよ。
俺は訝しげに彼を見つめた。
「バレット様。私は普通の男ですよ……」
「ご自分ではお分かりでないんですなぁ。その色っぽい目で見上げられたら、男はグラっときますぞ? 殿下がジジイの儂を引っ張り出した理由が分かりましたわ」
バレット様は、パチンとイタズラっぽくウインクをして、ワッハッハと豪快に笑った。この人、若い時に相当遊んでるな。
「その美しい黒い瞳で見つめられると、ジジイも枯れていないと思いましたぞ? 神子様は明らかに子供であったので平気でしたがのぉ。ジュンヤ様は会話も身のこなしも洗練されておられるので余計に際立ちますぞ。警護をしっかりとつけていただかないと危なっかしい」
俺は言葉を失って、すぐに返事はできなかった。美しいとか色っぽいとか、俺を形容するワードに含まれておりませんって。
「髪を染めるとか、私の国では目の色も変える道具がありましたが、そういうものはありますか?」
王宮から離れるには色を変えるしかないと焦りを感じる。髪はブリーチするか……スキンヘッドは避けたい!
「目の色は難しいですな。髪を染める者はおりますが、その黒を変えるなど勿体ない」
逆に言うと、髪色だけでも変えられたらなんとかなるかも。目は隠したりすればどうにかなる、かな?
「そのあたりは、自分で考えます。他に知りたいのは、この国の文化をざっと理解したいです。生活習慣、物価、生産物など商売に不可欠なものは細かく。魔法についても知りたいです。ひと通り知ったら、周辺国のことも学びたいです」
「ジュンヤ様は勉学に貪欲な良い生徒だ。ご希望の資料を用意いたしますよ。儂もこの歳で楽しみが増えた。感謝いたしますぞ」
「こちらこそよろしくお願いします、バレット様」
彼は枷を外して欲しいと言ったが、私はすぐに外さなかった。本当に自害しないという確信が持てなかったからだ。嘘をついて一晩我慢してもらった。
それに、彼は王宮から離れたがっている。
それはあまりにも危険すぎる。一人でどうやって生きるつもりなのだろう。あの美貌ならば娼館という手もあるが、そんな姿は見たくない……。そう思うのはなぜなのか。
加えて神子との面談も頼まれた。これは神子も望んでいることだ。明日会えるように手配しよう。
――今、要職につく者で冷静なのは私だけかもしれない。
皆、神子に夢中で仕事を後回しにしている。困ったものだ。仕事はしてくれ。
ジュンヤの部屋を辞した後、神子との対面を終え、ダリウスを連れ自室に戻る。
安心してジュンヤについて相談できるのはこの男くらいだ。長いつき合いで私の考えも予測できている。
「たった一日で、あれほど父上達がおかしくなるとは思わなかった」
眉間を揉みながらワインを一口含む。ダリウスは勝手知ったる様子で、どっかりソファーに座った。王族の前でこのような態度を取ったら、本来なら処罰ものだろうが、二人きりの時のみこうして砕けた態度になる。
ダリウスは騎士団長の仮面を外して、苦笑気味に答えた。
「臣下達も大騒ぎだぞ~? まともなのはエリアス位だな。神子様は俺のタイプじゃねぇし」
「そうだな、私がしっかりしなくては公務に差し障りがありそうだ。しかし、ジュンヤは本気で城を出るつもりだな」
「あ~、何をするつもりか分からんが、顔を出して歩くのはまずいな」
「まずは勉学を望んでいるから、そちらを優先し行動は制限する。護衛騎士は意思の強い者を選出し、昼夜のローテーションを組んでくれ。離宮の使用人にも接触を控えさせるが安心できない。襲いかかる者がいないとは言えないな」
「すげー別嬪だもんなぁ。なんか上目遣いがエロいし」
ワハハと豪快に笑うダリウス。この男は遊び人だ。
私も閨係と適度に処理をするが、この男は恐ろしいほど絶倫で、一度に数人を相手にすることもあるらしい。
「手を出すなよ」
「分かってるって。それに、あれは溺れたらヤバイ奴だ。のめり込んでぶっ壊しちまうかもなぁ。ま、誘われたら一回くらいシてみたいけどな」
全くこの男は……
苦笑しつつ、確かに溺れてしまいそうだと納得してしまう。自分だけの物にしようと嫉妬と執着で身を滅ぼしそうだ。
その後は真面目に話し合い、明日も面談についてくるように命じると、ダリウスはグラスを空けて退出していった。私は自室でできる書類を取り出し仕事をする。
神子は私と話をしたがり、お陰で急ぎの案件ができなかったのだ。滅多にないことだが、自室で仕事をする羽目になり溜息をつく。
明日もジュンヤに会いに行こう。
そう思うと少し気持ちが高揚し、黙々と書類を処理していくのだった。
◇
殿下達と話をした次の日。俺は昼食を終えたが、部屋から出る許可はおりなかったので本を読んでいた。
すると、ノック音ののち、間を置かず扉が開いた。
「初めまして! やっと会えましたね! 僕、立原歩夢って言います。歩く夢であゆむです。高校三年生です。あ、この手枷ひどい! エリアス様! 早く外してあげて!」
快活な挨拶と共に、少年が入ってきた。深い赤地に、金と黒の糸の刺繍がふんだんに施されたジャケットを着ている。
学生らしい清潔感のある長めのショートカットの黒髪。丸い大きな目が忙しなく動き、小動物のようで可愛い。背丈もこの世界で出会った中では一番小さい。
俺は百七十二センチあるから、百六十センチってところか。
この世界の人々は見たところ、百八十センチは当たり前だ。一番大きい人だと二メートルを超えてるか? 胸板も分厚いし……そりゃあ、こんな小さな男の子だったら、守りたくもなるだろう。
殿下が無事に許可を取ってくれたそうで、ようやく手枷が外れてホッとする。
ん? そういえば俺、スーツのままですけど。手枷があって脱げなかったし……風呂も入ってないよね? 酷くない? これが神子とおまけの違いか……
後ろには、またエリアス殿下とローブの男、アリアーシュがついてきていた。
「初めまして。俺は湊潤也です。普通のデパート店員だよ」
歩夢君は俺が座る向かいにエリアス殿下と座り、じっと見つめてきた。
「なんか、僕の召喚に巻き込んでしまってすみません……。僕も、なんでジュンヤさんも来たのか分からなくて」
ションボリと俯く。え、召喚されたのは受け入れ済み? これが若さか⁉
「まぁ、こうなってしまったからにはどうにか生きるよ」
不満だろうがなんだろうが、一人で生き抜くしかなさそうだしな。しかも相手は子供だし、俺が召喚されたのは彼のせいじゃない。
「あ、あの、ジュンヤさんも王宮で暮らせるようにお願いしてるんです!」
「いや、気にしないでくれ。俺にはこんな立派なところは合いそうにないから遠慮しとくよ」
「そんなぁ~。僕達同じ世界の仲間だし、一緒にいてくださいよ~。お願い」
歩夢君が目をウルウルさせて上目遣いで見てくるが、残りたくない。
「いや……」
「神子の願いだ。ジュンヤ殿、当面こちらで暮らしてほしい」
俺が断ると気づいたエリアス殿下が素早く口を挟んできた。
昨日から、なんでそんなに引き留めようとするんだ?
「わっ! エリアス様ならそう言ってくれると思った!」
歩夢君は殿下の右腕にしがみついてスリスリと頬ずりをする。だが、殿下は無表情で何を考えているのかよく分からなかった。
「当面、ですよ。時期を見て出たいという私の希望も忘れないでくださいね、殿下」
当面、に力を入れ強調する。すると、歩夢君が上体を伸ばし、俺の顔を覗き込んできた。
「ジュンヤさんって、綺麗ですよね~。モテたでしょう?」
「はっ?」
綺麗って誰のことだ?
面倒なので、冷静に営業スマイルで受け流すことにした。
「いや俺は普通だって。まあ、歩夢君みたいな可愛い子に言われると悪い気はしないけどね」
「そ、そんな! 可愛いなんて、恥ずかしいよぉ~」
――ん? 歩夢君、顔が赤いけど大丈夫?
なんだか他のメンバーにも凝視されてるけど、悪いことはしてませんよ!
「歩夢君に質問があるんだけど、良いかな?」
「何?」
キョトンと俺を見つめる。
「君は、この世界に心当たりがあるみたいだよね? 何が起こっているのか説明してもらえる?」
「えっと。良いけど、エリアス様、みんなも、二人にしてもらえるかな?」
これにはアリアーシュが大反対した。そりゃそうだよね。だが、歩夢君はキュルルン攻撃で反対をねじ伏せ要求を通したのだった。うん、結構強かだね。
みんなが退室し、向かい合って座る。
「じゃあ、ジュンヤさんに大事な話をするね」
先程までの小動物モードを封印した彼が、真剣な表情で振り向いた。
「うんっと、ここは『癒しの神子と宵闇の剣士』っていうゲーム世界の中なの」
「げ、ゲームゥ?」
「そう。えっとね、実は僕、腐男子でね? あ、腐男子って分かる?」
「腐女子なら……」
「それの男子バージョン。元々男の人のほうが好きなんだけどさ」
モジモジしながら、歩夢君がすごいカミングアウトをする。良いの? それ言っちゃって!
「でね、そのゲームは男同士の恋愛ゲームなの。召喚された神子は治癒と浄化をしながら、敵である剣士と戦って、攻略対象の男の人達と恋愛するの」
「男と恋愛ゲーム? 美少女が相手の恋愛ゲームなら知識はあるけど……」
脳が理解するのを拒否してフリーズしている。
「女の子はいるよね⁉ 今のところ見てないけど」
「ごめん、いない世界なんだなぁ。あ、ジュンヤさんってノンケ? めっちゃ美人さんだから、みんなを取られないかちょっと心配だったの。良かった~」
俺はテーブルに頭を打ちつけた。
うっそ! 俺、これからも独身で永遠にエッチもできないのか? せめて童貞卒業しててよかった……
「俺、恋愛対象は女性だから、取るとか全然心配いらないよ。ゲイには偏見はないけど、女の子がいないのはショックだ……」
テーブルに額をつけたまま呻くように返事をした。
「ノンケなら安心だけど……ジュンヤさんの生活をサポートするから僕の恋愛も応援してくれる?」
「はぁ。ま、そのうち出て行くけど、それまでならね。恋愛って――ちなみに、誰狙い?」
「えっとね~」
またもじもじしている。なんだ?
「逆ハーレムエンド狙いです‼」
良い笑顔だ! だが逆ハーレムエンド? つまり何股もする気なのか? なんと破廉恥な!
「それって、ありな訳? 相手は誰⁇」
恐る恐る聞いてみる。
「エリアス第一王子、魔導士アリアーシュ、近衛騎士団長ダリウス、今はいないけど第一騎士団の騎士と、侍従のエルビス、公爵家の子息に、神官、国王様と宰相、敵の剣士。攻略対象には隠しキャラもいてね、かなり多いんだ。実は陛下が一番簡単なルートだけど、僕、おじさんはパス。モブキャラも難しいけど攻略可能だよ。でもね、基本ルートは誰か一人とハッピーエンドなんだよね。逆ハーレムにできるメンバーは決まってて、そのメンバー全員の好感度を上げる必要があるから難しいんだ」
立て板に水のごとく続く説明に、必死に耳を傾ける。
俺は攻略対象の数を指を折って数えて……
「ちょ、ちょっと待って。じゅ、十人、いるんですけど?」
「うん。それがこのゲームの魅力でね。今あげたのはメインキャラ。十人以上の攻略対象がいて、最大四人のハーレムが作れるんだよ! 敵の剣士が隠し攻略相手なの! 一人に決められないから逆ハーレムが一番良いと思うんだ! だから協力してね? そうそう、エルビスさんって、本当は僕のお世話係してくれるはずなの。上手く言って交代してもらえると嬉しいなぁ! 僕、ゲームで殿下とのトゥルーエンドは見たんだ。ノーマルエンドもクリアしたけど、リアルなら逆ハーレムルートで行こうと思います!」
立ち上がってなにやら力説してるけど、それで良いのか?
まぁ、本人はめちゃくちゃ楽しそうだし、日本に帰れないのは気にならないみたいだ。なら良いか。子供だから助けが必要かと思ったが、俺よりはるかに強かった。
「頑張ってね……」
そう言う以外の選択肢はなかったと思う。
その後、扉の外で待機していた殿下達が再度入ってきた。
殿下と魔導士は攻略対象ってやつなのか。同じく攻略対象の近衛騎士団長が誰かは知らない。知らないままで良いな、うん。
エルビスさんもと言うが……確かにイケメンだけど振り幅大きすぎだろ。
「アユム、何もされなかったか?」
アリアーシュが心配そうに顔を覗き込む。うん、その子意外と強いから心配ないよ。
「大丈夫だよ。だっておんなじ国の人だもん、ひどいことなんかしないよ?」
「アユムは純粋だから、こんな怪しげな男と二人でいるなんて心配だ」
歩夢君……キュルンと音がしそうな無邪気な笑顔だ。全力でゲームの世界を楽しむ姿勢は、ある意味尊敬に値する。
二人の様子を眺めていると、殿下が口を開いた。
「ジュンヤ殿につける教師を選定した。二日以内にこちらに到着するのでその時紹介しよう」
「あの、私はまだこの部屋から出られないんでしょうか?」
さっきまで手枷がつけられてたし、この状況っていわば監禁ですよね。正直きついです。
「護衛と侍従を伴ってなら良い。立ち入り禁止の場所は彼らに聞くがいい」
「分かりました」
俺が頷くのを見て、殿下は満足げな表情を浮かべる。
「では、今日はこれで失礼しよう。困ったことがあれば侍従に言付けてくれ」
それから殿下はエルビスさんのみを残して、部屋を出て行った。あ~、疲れた。
みんながいなくなってホッと一息ついて、さっそく外に出たくなる。
「エルビスさん、外に出てみたいのですが」
「分かりました。ですが、まずはお着替えをいたしましょう。手枷もあり、ご不便をおかけして申し訳ありませんでした」
「エルビスさんのせいじゃないです! あ、それに、エルビスさんは、俺より神子様のほうにつくべきなのでは?」
俺の言葉を聞くと、エルビスさんは悲しそうな目で俯いてしまった。
「――私は、侍従として至らなかったでしょうか」
「違いますよ! だって、一般人の俺より、神子様のお世話のほうが名誉でしょう?」
「私はジュンヤ様のお世話を続けたいのです。ですから、このままお世話させてください」
慌てる俺に、エルビスさんは縋るような眼差しを向けてくる。
ううう、そんなこと言われたら断れない。神子様と交流できるように計るしかないか。後は一日も早くここを出て行くしかない。
「分かりました。ではこのままよろしくお願いします。ここにいるのも少しの間のことですし、その後は神子様をよろしくお願いしますね」
話し合いの時、エルビスさんは隅に控えていたので、俺が出て行くつもりなのは知っているだろう。なるべく早く出て行って、歩夢君のラブラブライフの応援をするさ。
「ジュンヤ様のお気持ちは分かりました。ですが、私はずっとここにいていただきたいです。……この気持ちはお伝えしておきます。では、お着替えをしましょう。本当は湯あみのご用意もしたいところでしたが夜にして、お着替えの前にお体をお拭きいたしますね」
それから、エルビスさんと、二人の侍従さんに体を隅々まで清拭された。恥ずかしいので辞退したが、聞いてもらえなかった。おかげで顔が真っ赤になったのは言うまでもない。
俺に用意された服は、白いドレープのある前開きシャツ、ロイヤルブルーとシルバーの糸で刺繍された豪華なジャケット、濃紺の太腿部分が膨らんだズボンだった。
ズボンは紐でウエストを締めるタイプだが、大きくてぶかぶかだ。裾は俺が寝ている間に測って裾上げしてくれたらしい。
後で仕立てたものを出してくれるそうだが、勿体ないと断った。聞いてもらえなかったけどな。
それにしても、服が全部大きい。
俺は日本では決して小さくないけど、殿下達も侍従さんも全員俺より上背がある。シャツも気をぬくとはだけそうだ。
歩夢君は仕立て上がるまでとりあえず子供用の服を着ているらしい。俺の服も貴族の子供用だ。子供の頃から大きいんだな……
着替えた後、しばらくして護衛の騎士さんがやってきた。
騎士は白い制服に、赤でパイピングが施されたジャケットを身につけている。肩章は赤と金だ。どうやら赤には意味がありそうだ。
おぉ~! 落ち着いて見ると騎士、カッコいい‼ 召喚された時はビビッてたからよく見てなかったよ。テンション上がる!
頭の中では騎士ヒャッホウとお祭り開催中だが、表情は冷静さを維持する。
「近衛騎士のウォーベルトと申します」
「同じくラドクルトと申します」
「ウォーベルトさん、ラドクルトさん、ジュンヤ・ミナトです。お手数をおかけしますが、よろしくお願いします」
騎士の二人に頭を下げると、エルビスさんが一歩前に出た。
「ジュンヤ様、私もお供いたします」
「よろしく、エルビスさん。どこが良いかなぁ」
「庭園に美しい花が咲いておりますが、いかがでしょう」
その提案にすぐさま頷き、俺達は部屋を出た。
エルビスさんに先導してもらいながら歩いていると、貴族らしい人達が遠巻きにこちらを見ていた。でも、決して近づいてこない。
気にしていたら神経がすり減るけど、やっぱり気になるな。
俺がいたのは王宮の端に位置する離れだったようで、少し歩いたところに庭園はあった。
シンメトリーの作りで、色とりどりのバラが咲き誇っていた。花の名前には詳しくないが、マーガレットのような花もたくさん咲いている。
「おお~すごい! 綺麗だ! 外の空気も最高!」
俺はウキウキと庭を歩き回っていたが、気が抜けたのか急に腹が鳴ってしまった。朝食も食欲がなくて、パンとスープしか食べられなかったしな。
エルビスさんに聞かれて、少し笑われてしまった。きまり悪く彼を見つめると、エルビスさんは優しく目元を緩める。
「失礼しました。こちらに食事を手配いたしましょうか? この先に東屋がございますよ」
「お願いします! 天気もいいし、気持ち良さそうですね」
さて、そんなこんなで東屋に食事を用意してくれたのだが。
「ぼっち飯かよ……」
いや、完全なる一人ぼっちのほうがまだマシだ。
エルビスさんも騎士さんも仕事中だからと、俺が食べるのを見ているだけ。
それじゃ三人がお腹すいちゃうじゃないか! それに、正直に言おう。寂しい! しかも、量がすごく多い。無理して急いで詰め込んだがギブアップ。
味つけが微妙に物足りないのも辛い。朝のスープもシンプルな味つけだったから、これがこの国のスタンダードなんだろう。
「ジュンヤ様、ゆっくり召し上がってくださいね。それに、それだけでよろしいのですか?」
エルビスさんがまだ料理の残った皿をちらりと一瞥して尋ねる。
いや、かなり食べましたけど!
とはいえ沢山残ってしまった。残りは夕食用にしてもらおうと頼んだが、却下されてしまう。
「あの、体格差もありますし、次からはこの半分でいいです。どうしよう、勿体ないな。ごめんなさい」
「お気になさらないでください。量のほうは次回から調整させていただきます」
こんな量を食べて動かないでいたら、あっという間に太りそうだ。
それから一度部屋に戻り休憩して、午後は運動がてら、王宮の書庫なども見せてもらった。
そして夕食もお昼同様、残してしまった。パンは硬くて顎が疲れるし、食べきるのが難しい。正直これが続くのは辛いのでなんとかしたい。料理人を傷つけないように伝えるにはどうしたら良いだろう。
結局、エルビスさん以外と会話せずに一日が終わった。他の人から避けられているのをひしひしと感じて、すごく寂しい。必死で平気なフリをしてるが、何日頑張れるかな。
俺はひっそりため息をついて眠りについた。
次の日、さっそく朝から、俺にこの世界について教えてくれる先生が来てくれた。
別室へ案内されると、サロンに、濃いグレーのローブを纏った白髪の男性が立っていた。
「初めまして。お待たせして申し訳ありません。ジュンヤ・ミナトです。よろしくお願いいたします」
「なんの。さして待っておりません。儂はバレットと申す学者です。ジュンヤ様とお話しするのを楽しみにしておりました」
柔和な笑みを浮かべるバレット様に緊張が解れていく。
「ジュンヤ様、バレット様は賢者の称号をお持ちです。なんでもお聞きになられると良いかと」
隣に控えていたエルビスさんの台詞に、俺は目を剥いた。
「賢者様⁉ そんな立派な方のお手を煩わせるなんて、申し訳ないです」
「そう畏まらずに、気軽にこの老人の相手をしてくだされ。儂も楽しませていただくからのぅ、ほっほっ」
たしかにご老人にとっては俺なんか子供だよな……
そう思うと気が抜けた。それに、やっと普通の会話ができそうな予感がして気持ちが浮上する。
「さて、ジュンヤ様は何をお知りになりたいですか?」
「そうですね、この国の名前しか聞いていないのですが……」
「なんと! あやつらときたら困ったものだ。改めまして、ここはカルタス王国と申します。この世界では、森と平野の広がるこのカルタス王国と、海に面したトラージェ皇国が勢力を二分し、その他の小さな国々は、このどちらかと同盟を組んでおります。魔力攻撃のカルタス、物理攻撃に強いトラージェ、といったところですな。現在は和平を結んでいますが、過去に何度も争いが起きています」
「今は平和なんですか?」
「実のところ、そうではありません。トラージェは以前から我が国の肥沃な土地を欲していて、小競り合いはいまだに起こっておるのです。彼の国の農地が痩せているのが原因かもしれませんな」
「う~ん、土が硬いのかもしれませんね。耕して土壌開発をすれば他国へ攻め入るのを考え直してくれるでしょうか?」
「おや、ジュンヤ様は農業に詳しいので?」
バレット様は意外そうに眉を上げた。俺は慌てて首を横に振る。
「とんでもない! 仕事で農家の方と話す機会が多かっただけです」
それにしても……海か! 魚が食べたいし、出汁の材料も見つかるかも。目指せ、和食!
「トラージェには行けないのでしょうか?」
「……興味がおありかな?」
「海産物に興味があります。私の元いた国と同じ素材があるかもしれませんし」
「今はちと難しいですなぁ」
バレット様は渋面を作って言った。残念だ。
でも、いいこと思いついた! 俺は商人になろうかな。いろんな国を商売して巡るんだ。
「実は、ここを出たらどんな仕事をしたらいいか考えていましたが、商人になりたいです」
「王宮を出て、お一人で暮らすおつもりかな?」
不思議そうな顔で見つめてくるバレット様。しかし、ここでは仕事をさせてもらえそうにないし、とにかく無視がきつい。元から人と関わるのは好きだし、何より俺は普通に暮らしたいだけなのだ。
「もちろんです。今はお世話になってしまっているので、早く自立しなくては」
「……ジュンヤ様、率直に申し上げて良いかな?」
ゆっくりと区切るように話しながら、バレット様は俺を見つめた。
「そのお姿では、市井では暮らせません。この世界にない色をお持ちの神子様やジュンヤ様は、それだけで人目を引きます。そして、あなた達を手に入れようとする者達が数多くいるのです。しかもジュンヤ様。その美しさでは一人歩きをした途端、拐かされる危険があります」
拐かされる? 女子供じゃあるまいし。って、女性はいないんだった。それに俺が美しいなんてどんな冗談だ。そんなこと言われたのは初めてだよ。
俺は訝しげに彼を見つめた。
「バレット様。私は普通の男ですよ……」
「ご自分ではお分かりでないんですなぁ。その色っぽい目で見上げられたら、男はグラっときますぞ? 殿下がジジイの儂を引っ張り出した理由が分かりましたわ」
バレット様は、パチンとイタズラっぽくウインクをして、ワッハッハと豪快に笑った。この人、若い時に相当遊んでるな。
「その美しい黒い瞳で見つめられると、ジジイも枯れていないと思いましたぞ? 神子様は明らかに子供であったので平気でしたがのぉ。ジュンヤ様は会話も身のこなしも洗練されておられるので余計に際立ちますぞ。警護をしっかりとつけていただかないと危なっかしい」
俺は言葉を失って、すぐに返事はできなかった。美しいとか色っぽいとか、俺を形容するワードに含まれておりませんって。
「髪を染めるとか、私の国では目の色も変える道具がありましたが、そういうものはありますか?」
王宮から離れるには色を変えるしかないと焦りを感じる。髪はブリーチするか……スキンヘッドは避けたい!
「目の色は難しいですな。髪を染める者はおりますが、その黒を変えるなど勿体ない」
逆に言うと、髪色だけでも変えられたらなんとかなるかも。目は隠したりすればどうにかなる、かな?
「そのあたりは、自分で考えます。他に知りたいのは、この国の文化をざっと理解したいです。生活習慣、物価、生産物など商売に不可欠なものは細かく。魔法についても知りたいです。ひと通り知ったら、周辺国のことも学びたいです」
「ジュンヤ様は勉学に貪欲な良い生徒だ。ご希望の資料を用意いたしますよ。儂もこの歳で楽しみが増えた。感謝いたしますぞ」
「こちらこそよろしくお願いします、バレット様」
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