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1巻
1-1
しおりを挟むプロローグ
――今見えている光景は、白昼夢なのか?
まるで、中世の教会のような荘厳なレリーフやステンドグラスに彩られた室内。そこで俺は法衣姿の男達に囲まれていた。すぐ目の前には紺のブレザーを着た男の子が立っている。
俺より背の低い、ショートカットの後ろ姿をぼんやり見つめる。
……さっき駅のホームで前に並んでた子だよな?
「神子様、よくぞお越しくださいました」
そう言って、法衣姿の男達は膝をつき礼をした。
「えっ? えっ? うそっ! エリアス様? これヤミケン⁇」
男の子が呟く。ヤミケンってなんだろ、なんかリアルな夢だなぁ。
「神子様、こちらへ!」
その時、大きな男が目の前に現れた。男は彼を引っ張り、自分の後ろに隠すようにして俺の前に立ちはだかる。
一方、俺は何がなんだか分からないままに、数人に体を押さえつけられ、跪かされた。
「何者だ! なぜ神子様といる!」
「何者って……なんですか? これ?」
「とぼけるなっ‼」
怒鳴られて驚いたが、なんとか状況を把握したかった。
俺はこれから仕事で、大事な契約があるんだ! 早く行かないと。
そこへ、ローブ姿の男が前へ出てきて、俺を上から下まで舐め回すように見下ろした。
ローブの陰になっているせいで目元しか見えないが、アクアマリンのような色合いの瞳に相応しく、俺を見る視線も冷たい。
「こちらも黒髪黒瞳ですか。――巻き込んでしまったのでしょうか? しかし、それでも選ばれし方しか召喚に応えないはず……なぜこんなおまけがついてきたのか……」
「この状況はあなたのせいなんですか?」
「私のせい……? そうとも言えますね。神子様をこちらの世界に召喚する神聖な儀式を取り仕切ったのは私ですから。なぜあなたがいるのか分かりませんが、はっきり言って不要ですね」
俺の問いかけに、ローブ姿の男はすげなく答えた。
神子? 召喚? おまけ?
「俺は大事な契約に行く途中なんです! 神子とか召喚ってなんなんですかっ?」
気が急いて思わず声を荒らげてしまう。すると、ローブの男が目を剥いてがなりたてた。
「この私に向かってなんという口の利き方だ! コイツを今すぐ放り出せ‼」
「す、すみません! でも、お願いですから説明してください」
このまま放り出されるのは困る! 落ち着け。なんとか熊本へ行く方法はないのか? 俺が行かなきゃ会社に迷惑がかかってしまう!
「待て、アリアーシュ。その男も黒髪黒瞳だ。神子様は状況を分かっておられるほうだろうが、彼もこちらへ呼んでしまったのだ。礼を尽くさねばなるまい」
そう言って、もう一人の男が前に出てきた。彼を見上げて、俺は思わず目を奪われた。
キラキラと輝く、色素の薄い金髪の美青年だ。すっと通った鼻筋と形の良い唇。作り物めいた繊細な顔立ちをしている。
白皙の肌に浮かぶ金色の瞳が、興味深げにこちらを見下ろしていた。
中世を舞台にしたドラマで見るような、赤い生地に黒で刺繍された上着を纏っている。
――これ、リアルですか? 映画の撮影?
「しかし、殿下! この男、私に向かって礼を欠いたのですよ!」
「まぁ、仕方ないだろう」
「ぐぅぅっ」
ローブの男は悔しそうに歯噛みする。
殿下だって? やはり夢なんだろうか。それにしては押さえつけられた体が痛む。――いやにリアルだ。夢ならば、こうしているうちに目が覚めるかも……覚めてくれ。
「あ、あのう、質問をしても?」
「殿下に直言など不敬だぞ!」
恐る恐る声を上げた俺に、ローブの男がまた怒鳴りつける。しかし、殿下とやらがそれを制して、視線で俺に先を促した。
「私は元いた所に戻らなくてはいけないんです。ここはどこですか? いつ帰してもらえますか?」
しかし、返ってきた答えはショックなものだった。
「ここはそなたのいた世界ではなく、別の世界なのだ。すまないが、帰る方法もない」
「えっ……ははっ……やっぱり夢かぁ」
早く覚めないかな。
殿下から告げられた言葉が信じられず、俺は乾いた笑みを零す。それに追い討ちをかけるように彼は衝撃の台詞を発した。
「――そなたはこの先この世界で生きねばならない。これは、夢ではなく、現実だ」
「っ⁉」
それを聞いた瞬間理性が吹っ飛んで、無理やり立とうとした。すかさず押さえ込まれたが、抵抗して暴れる。
「俺がいなきゃ契約が成立しないんだ! 重要な書類も全部俺が持ってる。こんなことしてる場合じゃないんだ。帰せっ! 今すぐ帰せ!」
拘束から逃れ、殿下に飛びつこうとした瞬間、大きな男が剣を抜いて俺の首に向けた。
「下がれっ! 斬り捨てるぞ!」
「あぁ、斬れよ! 俺のせいで会社に損害出すくらいなら死んだほうがマシだっ」
俺は猛然と暴れ、喉を晒しながら剣に飛び込もうとした。微かに剣先が首をかすったが、男が剣を引いたので大事には至らなかった。だが、後頭部に衝撃を感じる。
次の瞬間、目の前が真っ暗になり、俺は意識を失ったのだった。
◇
目が覚めると、豪華な天蓋付きのベッドの上だった。
薄暗いから夜だろうか。まだ夢が続いているのか?
ふと見下ろすと、両手首と足首に枷がつけられていた。それは太い鎖で柱に繋がれていて、一気に頭の中が冷えていく。やっぱり現実なのか?
そう思った瞬間、後頭部がズキズキと鈍く痛み始めた。
ああ、殴られたんだったな。首も手当てされているみたいだ。それにしても俺、いくら頭に血が上ったとはいえ剣に飛び込むとかどうかしてた……命大事に!
しかし、あれだけ酷い事を言われたにしては良い部屋すぎないか? あの流れは牢屋行きじゃないの?
ベッドの上で手枷をぼんやり見つめながら考えていると、ノックをして誰かが入ってきた。
がっしりとした体型で、グリーンの上着を着た、焦げ茶色の髪の男性だ。薄暗いので顔は分からないが、すごく背が高い。さっきも思ったが、出会う人物はことごとく大きかった。
「お目覚めですか?」
「はい……あ、あの、あなたは?」
「渡り人様のお世話をさせていただきます。よろしければ、お名前を教えていただけますか?」
「俺は、湊潤也です。ジュンヤと呼んでください」
「ジュンヤ様、ですね」
「さ、様なんていりません!」
「いいえ、ジュンヤ様は貴重な黒髪黒瞳のお方。失礼のないようお仕えせよと言われております」
――えっ? 邪魔者って言われたのに? 俺、不要なんですよね? 現に拘束されてるし。とはいえ、この人に尋ねても無駄かな? 命令されているだけみたいだし。
「あなたのお名前を聞いても良いですか?」
「私はエルビスと申します」
「エルビスさん、この手枷、外してもらえませんか?」
「私に権限はございませんので……申し訳ありません。お目覚めになったことを知らせてまいりますので、殿下とお話しください。それと、私に敬語は必要ありません」
「――仕方ないですね。あなたのせいではないので気にしないでください。あと、口調は習慣なので……慣れれば変わるかもしれませんが」
「分かりました。ジュンヤ様、お茶でもいかがですか?」
悄然と俯く俺を気遣うように、エルビスさんが尋ねた。
せっかくなのでお茶の用意をしてもらう。動くたびに鎖がジャラジャラと鳴るのは不快だが仕方ない。
お茶はカモミールティーに似た味わいで、心が落ち着く香りだった。そういう意図で出したんだろうが。お茶と軽食を用意した後、エルビスさんは下がっていって、俺はまた一人になった。
静まり返った部屋で、これまでの出来事を思い出す。
もう元の世界に帰れないとか言ってたけど……
不安に駆られながら周りを見回すと、近くに俺のキャリーバッグが置かれていた。てっきり取り上げられたかと思っていたから、少し安心する。中身も確認するか。
俺は大手デパートの正社員で、現在は催事を任されていた。
次のオーガニックフーズフェスで、人気洋食レストランとこだわりのオーガニック野菜で有名な農家のコラボを企画して、やっとのことでオーケーが出たのだ。正式な契約と企画を詰めるため、熊本にある農家に出張する予定だった。
農家のオーナーが頷いてくれるまで長かったよな。でも、今までの努力は全部無駄になったんだ……
そう思うと涙が出そうになるが、堪える。泣いたらあいつらに負けた気がするから。
バッグの中を探ると、俺の分厚い手帳もちゃんとあった。無農薬トマトの栽培のこだわり、とか、巷で人気のソースの隠し味はこれじゃないか? といったメモがびっしり書き込まれている。俺の宝物だ。
手帳の表紙を撫でていると、コンコンとノックがあり誰かが入ってきた。
見ると、品格の感じられる男とローブの男、エルビスさん、それに腰に剣を下げた男が三人もいる。拘束された状態でこれだけ警戒されるなんて、俺はどれだけ危険視されてるんだろう。
「ジュンヤ様、こちらはエリアス殿下です」
「目が覚めて良かった。ジュンヤ殿というそうだな」
キラキラした殿下が俺の前に立ち、笑みを浮かべた。
「座ってゆっくり話をしたいのだが、良いか? 事情を話さねばなるまい」
「分かりました。その前に、この手枷はなんとかなりませんか?」
俺はこくりと頷いて、手枷のついた手首を殿下に差し出した。すると、殿下は笑みを消し、鋭い眼差しをこちらに注ぐ。
「自害せぬと約束してくれるのならば」
「えっ? しません! あの時は仕事のことで頭がいっぱいで、カッとなっただけです」
「だが、帰れぬと聞いた時に自害しようとしていただろう。そなたを保護するのが我らの役目なのだ」
「あの時は……。しかし、帰れないのならどうしようもありませんし、自殺なんかしたら両親に顔向けできません。だから、外してください」
殿下の目を見てしっかりと答える。いや、本当にアレは気の迷いですから、自殺はしないです。どんな時も生き抜くって決めてます。
「すまないが、国王陛下の許可が必要だ。必ず許可を頂いてくる故、明日まで我慢してほしい」
鍵を持っていないのなら信じて待つしかない。俺は素直に頷いた。
殿下が俺の正面に座ると、騎士達がそれを囲むように立つ。ローブの男は殿下の傍で油断なく俺を見据えている。
エルビスさんがまた用意してくれたお茶を一口飲んで、殿下が口を開いた。
「私はこのカルタス王国の第一王子、エリアス・アリスティド・カルタスだ。まずは、この度の神子召喚に巻き込んでしまったことについて、我が国の落ち度を認め、謝罪したいと思う」
意外とすんなり非を認めたので驚く。
「あなたがこの国で暮らせるよう尽力したいと思っている。急な話なので、すぐに返事をする必要はない。王宮で暮らしながら、この世界について学んでいけば、先のことも考えられるようになるだろう」
「ご丁寧にありがとうございます。ジュンヤ・ミナトです。あの……本当に元の世界へは帰れないんでしょうか? それに召喚とか、神子とか……どういうことですか?」
俺が聞くと、殿下は表情を曇らせた。
「我が国は水源に恵まれ豊かな国だった。だが、年々瘴気が水源と大地を穢している。それを浄化できるのは、異界より召喚される神子のみと伝えられてる」
そう言ってから殿下はちらりとローブの男を見た。
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ローブの男の尊大な口調は腹が立つけど、我慢我慢……
本当に帰れないのか? 両親は俺の突然の失踪をどう思うんだろう。
でも、祖母が言ってた。『どんなにしんどいことがあっても、頑張っていれば誰かが見てくれているよ。だから諦めたらだめだよ』って。
ならば、ここで俺のするべきことは?
「帰れないのなら、自分としてはまず、この世界について学習したいと思っています。それと、確認したいことがあるので、一緒に来た男の子と話をしたいんですが」
「危険なお前と神子様を会わせるなどあり得ん」
ローブの男が、眦を吊り上げ、食い気味に横入りしてきた。
「立ち合いをつけてもらって構いませんよ。声が届けば近づく必要もありません。まぁ、本人に拒否されたら断念しますが」
いちいち怒っていては疲れるのでスルーだ。俺は淡々と交渉するだけ。
しかし、見兼ねた殿下がローブの男を窘める。
「アリアーシュ、そう噛みつくな。分かった、神子に話してみよう。他に望みはあるか?」
ローブの男はアリアーシュというのか、などどうでも良いことを考えながら、殿下の問いに答えた。
「そうですね。一通りこの世界について学んだら、ここを出て暮らします。その際、資金が必要ですので、私が持っているもので換金できそうなものがあれば、買い取っていただけると助かるのですが……」
「……出て行くつもりか? それなら当面の資金はこちらで用意しよう」
「それは、お慈悲をくださるという意味ですか?」
「そう思ってくれて構わない」
――生活費を恵んでくれるんだってさ。金でなんでも思う通りになると思うなよ。
俺の心はどんどん冷え切っていく。声も同様に冷たいものになっていた。
「それはご辞退申し上げます」
「なぜだ?」
「私の祖国にはただより高い物はない、という格言がございます。苦労せず得た金銭、物にはいずれ対価を求められることもございますから。私はお邪魔なようなので今すぐ出て行きたいところですが、生活様式が明らかに違うので、せめて学ぶ時間をください」
俺は毅然と告げる。殿下は困ったようにこちらを見やった。
「出て行くかどうかは、じっくり考えると良い。教師となる者を選定してこちらへ遣わそう。それと、ジュンヤ殿は元の世界では何をしていたのか教えてもらえるだろうか」
「私は百貨店というところで働いていまして、商人とでも言いましょうか? 年齢は二十八歳です」
「「「二十八⁉」」」
その場にいた全員が、目を丸くしながら口を揃えた。
え、びっくりしすぎ。なんで?
「そうか、そうは見えないな……」
殿下は呟くように言って、まじまじと俺を見つめた。意味不明だ。
その他にも言いたいことがありそうだったものの、こちらの要望を聞いてくれた。
殿下の年齢は分からないが、動揺を見せず話す姿はさすが王族だと感心する。綺麗なのにほぼ無表情で怖いけど。
とりあえず、最悪だった初対面より、はるかにマシな雰囲気で話し合いは終わったのだった。
その後、俺は部屋で夕食を取った。だが、昼間寝てしまった(気絶とも言う)ので眠くない。
室内を歩き回れるくらいには鎖の長さがあるので、備えてある本棚に近づいてみる。整然と並ぶ本のうち一冊を手に取り、ページを捲った。
――なぜ、文字が読めるんだ?
そういえば、会話も普通にしていた。日本語のはずはないが……分からないよりはマシと開き直ることにする。そうじゃなくては対応できそうにない。
本の内容は、初代の王がこの国を興す時、神子様が支えて云々、という伝記物だった。わざと置いてあったのかな。まぁ、暇つぶしに読んでみるか。
◇
初代の神子は八百年前、泉のほとりに生息するロウインの花の開花と同時に突如現れた。
――俺と同じ黒髪黒瞳。挿絵から見るに武士のようだ。
当時は小国が乱立していた時代だったそうだ。
その神子は召喚ではなく、現在ではメイリル神を祀る神殿にある泉に現れたと記されている。その泉のすぐ側に、今では神樹と崇められる木が生えているのだという。
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人々は神殿で祈りを捧げた。そんな時、ある司教の夢枕にメイリル神が現れ、神樹ロウインに魔力を与えれば神子が降臨するとお告げを授けた。神子を召喚するため魔法陣を構築したが、失敗が続いた。
しかし、ある時神樹が花を咲かせ、祈るような気持ちで魔法陣を発動させたところ、泉に神子は落ちていた。
危く溺れるところを王子が飛び込んで助けた。神子は浄化の力で水を清め、この国とは違う知識で豊饒をもたらした。のちに王となる王子と結婚し、子供を産んだ。
神子の名前はマスミ……女性かな。
疑問もあるが意外と面白い、そうして、ベッドに持ち込んで読んでいるうちに、俺は寝落ちしていたのだった。
side エリアス
神子を召喚したあの日。我々は神樹の開花を知らされ、急ぎ神殿へ集まり、召還の準備をしていた。
神樹の開花は突然で、その際はすべての公務を擲って神殿へ向かうと決められていた。
過去の降臨を踏まえ、魔導士と神官達は召喚の陣を組んでいた。泉に現れた神子が落ちることなく神殿に転移されるように、神子の安全を第一に訓練してきた。
過去、二人の神子はこの国を救い、癒しを与えてくれた。
生きているうちに神子と会えるかもしれない。胸が熱くなった。
とはいえ、神子が降臨するのは国難の時。実際、今、カルタス王国は再び水が汚染され、一部の地域で疫病が広がっている。喜んではいけないとは思うが、心のうちに納めているだけなら許されるだろう。
固唾を呑んで魔法陣を見つめる。
しばらくして魔法陣が強烈な光を放ち、神子と思われる少年と、後ろにもう一人、青年が立っていた。
その存在に気がついた父上――陛下は、とっさに神子を害する者と思い青年を拘束させた。
愛らしい容貌の神子は、大きな瞳を瞬かせていた。だが、すぐに私とダリウス、そして陛下の名を呼んで、我々を驚かせた。
彼こそが神子と誰もが色めき立ち、陛下も彼の手を取った。陛下は呆然としているもう一人の青年をしばし見つめていたが、私に任せ神子を連れていった。
そして、魔法陣があった場所には、凛とした面差しの青年が、美しい瞳を不安げに彷徨わせて立っていた。彼の容貌は一見冷たい印象を与えるも艶やかで、独特な色香を放っている。
彼はひたすら困惑している様子だったが、その仕草が人を惑わすと判断した者達がいたのも事実だった。
それから彼は祖国に帰りたいと訴えた。だが、否と答えるしかない。
その瞬間、不安げに揺れていた瞳が一転して怒りに燃え上がり、大きな任務を背負っていたことを告げた。我々は彼の重大な任務を阻害してしまったのだ。そして、任務が果たせぬなら死んだほうがマシだと、押さえ込まれているにもかかわらず、近衛騎士団長であるダリウスの剣に飛び込んできた。
怜悧な外見からは想像もつかないほどの激情を秘めた青年。その黒々と濡れる瞳を目にして、私の胸には今までにない感情が湧き上がっていた。これが何かは分からないが、彼の力になってやりたいと思った。
わずかに剣先が触れたせいで、象牙色の肌に一筋血が流れる。
触れてみたいと思う欲求を抑え、気を失った彼を手当てさせ、離宮に連れて行くよう指示した。魔導士長は牢へ入れ監禁するよう進言したが、彼も黒髪黒瞳の持ち主だ。そのような扱いはするべきではない。
そして、私はどうしても彼が気になり、離宮にダリウスや騎士達と共に向かう。
「ダリウス、彼は目が覚めたらまた暴れるかもしれない。自害する可能性もある。だが、投獄などもってのほかだ。良い手はないか」
「あの一瞬剣を引いたので無事でしたが、私でなければ命を落としていたかもしれません。一切の迷いなく飛び込んできました。あの時は勇敢に立ち向かってきましたが、この体は羽のように軽い。勝算などなかったはず。死を覚悟していたのは間違いありません。説得できるまで、枷をつけ鎖で行動を制限いたしましょう。誇り高い者には屈辱でしょうが、致し方ありません」
ダリウスは青年の顔を痛ましそうに見下ろした。
珍しくダリウスは本音を吐露した。すでに周囲は私と信頼する近衛騎士だけだからだろう。幼い頃から私に仕え、互いに最も信頼しあっている。仕事を離れれば敬語など抜きに話すし、兄弟のように接することのできる数少ない友だ。
そして今、気を失っている青年の手足を縛り、ダリウスが横抱きにして運んでいる。
担架での移動も考えたが、目が覚めたら暴れて落ちる危険もある。その点ダリウスは我が国でもっとも屈強な近衛騎士団長だ。彼よりはるかに体躯の勝るダリウスなら、抱き込むだけで拘束できる。王子である私も、本気の彼の力には敵わないのだから。
移動中、部下に枷の準備を指示し離宮の一室に入る。そして、寝台に寝かせた。
ダリウスと三人ほど待機させ、私は眠る彼の様子をじっくりと観察した。生地も仕立ても良い衣服、変わった形のタイは明らかにシルクだ。貴族階級だろう。
そして、短く美しく刈り込まれた黒髪に触れてみる。ゆるい巻き髪はサラリとした手触りだ。細く柔らかい。いつまでも触っていられる。
肌も……滑らかだ。ミルクに蜜を混ぜたような、なんとも不思議な色だ。
やがてやってきた騎士に枷を取りつけさせ、鍵は私が持つことにした。彼の処遇に関して、陛下は全面的に私に任せると言い、神子に夢中だ。あまりの愛らしさに、この短時間ですっかり心を奪われたらしい。
ふと、先程の彼の言葉が脳裏をよぎる。
『あぁ、斬れよ! 俺のせいで会社に損害出すくらいなら死んだほうがマシだっ』
なんと崇高で苛烈な魂だ。
なぜか無性に惹きつけられた。彼が神子でなくともなんとか守りたい。
枷と鎖で繋がれた彼の眠る姿を目に焼きつけ、私はそっと部屋を辞した。彼も何か大きな役割を持って神が遣わしたのではないか。そう思えてならなかった。
その後、目覚めた彼と話す時間が取れた。名をジュンヤというらしい。
気持ちが落ち着いた彼は穏やかで、言葉遣いも所作も美しく優雅だった。神子の快活さとはまた違った魅力がある。
父上や宰相は、ジュンヤの容貌を見て魔族ではないかと疑っていた。
一瞬で目を奪われる艶やかさがあったからだ。魔族は人を超越した美貌を持つという。だが、遥か遠い自国に引きこもり、人間には干渉しない。だから、彼が魔族だというのはおかしな話だ。
改めてジュンヤを正面から見据える。そのかんばせは、この国の者とは違い凛としていて、細い顎と赤い唇が妖艶に映った。切れ長の目の奥に、黒い瞳が揺らめいている。
父上は、恐らく彼に魅了された。
それ故に遠ざけ危険視しているのだろう。男好きで何人も側室や愛人のいる父上なら、彼が神子召喚で来たのでなければ即日部屋に連れ込んでいたはずだ。冷遇されるのはかわいそうだが、彼が無事で良かったと思う。
少年が神子と判断されたのは、神子とは純潔でなければ、浄化の力を発現しないとされているからだ。二代目様の文献にそう記載されている。また、召喚されてすぐ、我々の名前を口にしていた。
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