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第五章 はじまりの終わり
はじまりの終わり
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爽太の瞳が、揺らぐ。言い当てられて気まずいからなのか、それとも自分では気づいていなかったことを指摘されて戸惑っているからなのかはわからない。
それでも爽太はすぐに持ち直し、さっきと同じ声色で問いかけてきた。
「どうしてそう思ったのか教えて」
「昨日、ヤッチ達と話してるの聞いたから」
あれか、と呟いて爽太が一瞬目を伏せ、すぐにまたこちらを見る。こんな時でも動揺しているのを隠そうとするところはやっぱり爽太らしい。
「確かに、高校の頃美波のこと好きだった。でもそれがどうしてさっきの話になるのかわからない」
私の目をまっすぐ見て言う爽太は嘘をついているようには見えなかった。きっと、本当に心当たりがないのだろう。
でも、私にはわかる。大晦日から今日までの九ヶ月ちょっとの間、爽太が私としてきたことはほとんど『青春のやり直し』だ。
「私が落ち込んでる時にたくさん甘やかしてくれるのって、昔の私にしてあげたかったことだよね?」
爽太が唇を引き結ぶ。
前にここで言ってた、『やっと』私が自分から爽太に寄ってきたという言葉。あれは大晦日から数えてじゃない。高校の頃から数年越しの『やっと』だ。
「花火の日にちょっと様子がおかしかったのも、後輩達見て昔のこと思い出しちゃったからなんでしょ?」
あの日の爽太が私としながら考えていたのはきっと、高校の頃の何も知らないまっさらだった私のこと。
「一昨日会いにきたのも、高校の頃みたいに本番前日に私の顔見ないと調子出なかったからじゃないの?」
マコと同じことを考えた一昨日の爽太が会いに来たのは、あの頃と同じ髪型ですっぴんの私。でも。
「ねえ爽太。今の私、制服も、お揃いのTシャツも着てないよ。怒って近くのもの蹴り飛ばしたりしないし校歌も吹かない。爽太じゃない人とも付き合ってた。昔の私は、もういないの」
なのに、爽太の心の中にはいる。爽太は今の私を通して昔の私を見てる。
――そんなこと、知りたくなかった。
黙って聞いていた爽太の唇が、ゆっくりと動く。
「……このこと考えてたから、俺の連絡無視した?」
私は何も言わずに頷く。今更そこを取り繕っても意味がない。
「二次会の後に川島さんが『美波がちょっと変』って教えてくれたから、会って話聞きたくて連絡したんだけど……そっか。美波は、そう思ってたんだ」
花火の日からずっと抱いてた疑問と『青春のやり直し』がはっきり頭の中で結びついたのは昨夜家に帰ってから。マコと話をしたのはその前だから時系列はちょっとずれているけれど、そこまで言う必要はない。
言わなければいけないことは、他にある。
「爽太、ごめんね」
「なんで美波が謝るの。謝らなきゃいけないのは、不安にさせた俺なのに」
ほんのちょっと困ったような顔をしながら言う爽太の姿に、胸がぎゅっと締め付けられる。
……ああ、こういうところも爽太らしい。自分の本心は見せずにいつも私を気づかって優しい言葉をかけてくれる、大事にしてくれる爽太のこと、やっぱり大好き。でも。
「……もう、無理だよ」
爽太の顔が一気にこわばる。高校に入学してからの十年半で初めて見る表情に一瞬気圧されそうになったけれどここで引くわけにはいかない。
今日私がここに来たのは、あの『初めて』からはじまった恋を終わりにするためなのだから。
私はおなかに力を入れ、喉のところで詰まりそうになる声を必死になって絞り出す。
「どれだけ私が爽太のこと好きでいたって、爽太に今の私を一番好きでいてもらえないのなら……これ以上一緒にいたって、むなしい、だけだから……」
腰を浮かせて私に手を伸ばしかけた爽太が、途中で動きを止める。爽太は少し迷う様子を見せてから結局元の姿勢に戻り、大きく深い息を吐いた。
「……話したいこと、これで全部?」
感情を押し殺しているのがはっきりわかる声で聞かれ、私は首を縦に振ってそのまま目線を膝の上にある自分の手へと落とす。
話さなきゃいけないことは全部言った。あとは爽太に『今までありがとう』ってお礼を言って、和室を抜けて襖を開けたところに脱いであるスリッパを履いて、玄関に置いておいた合鍵とカーディガンの横にスリッパを揃えて、靴を履いて車に乗って――家に帰らずに、駅前のビジホに行けばいい。そうして、親も大河もいないところで泣きたいだけ泣いてから明日の朝そのまま会社に行って元通りの生活をするだけ。しばらく、どころか相当引きずるだろうけど、いつか何かのきっかけで未練が消えるのはいっちゃんの時に経験済だ。大丈夫、大丈夫。
だいじょうぶ、だから、爽太の前では絶対泣いちゃダメ。
「じゃあ、次は俺に話させて」
……そんなにもったいぶらなくても、『わかった』の一言でいいのに。
ソファの座面が軽く揺れ、爽太が立ち上がったのがわかった。私のものより少し重い足音が五歩分鳴って、ぴたりと止まる。
思わず顔を上げた私の視界に映ったのは、テレビボードの抽斗からクリアファイルを取り出している爽太の姿だった。そこから中身を抜き取ってソファのほうへ戻ってきた爽太は、なぜか私の足元に膝をついて座り込む。
「ちゃんと話すけど、それだけじゃ足りないだろうから先にこれ見て」
差し出された紙は二つ折りにされていて中身が見えない。私は膝の上でスカートを握りしめていた手を解き、紙を受け取る。
開けてみて、と目線で促されてそっと紙を捲った瞬間、私は自分の目を疑った。
なにこれ。なんで、爽太がこれ持ってるの。
何度まばたきを繰り返してみても左上に印刷されている『婚姻届』の三文字はそのままで、私は慌てて爽太を見た。
「美波」
元旦に話した時と同じくらいか、それ以上に真剣な瞳にじっと見つめられる。
「――俺と、結婚してください」
それでも爽太はすぐに持ち直し、さっきと同じ声色で問いかけてきた。
「どうしてそう思ったのか教えて」
「昨日、ヤッチ達と話してるの聞いたから」
あれか、と呟いて爽太が一瞬目を伏せ、すぐにまたこちらを見る。こんな時でも動揺しているのを隠そうとするところはやっぱり爽太らしい。
「確かに、高校の頃美波のこと好きだった。でもそれがどうしてさっきの話になるのかわからない」
私の目をまっすぐ見て言う爽太は嘘をついているようには見えなかった。きっと、本当に心当たりがないのだろう。
でも、私にはわかる。大晦日から今日までの九ヶ月ちょっとの間、爽太が私としてきたことはほとんど『青春のやり直し』だ。
「私が落ち込んでる時にたくさん甘やかしてくれるのって、昔の私にしてあげたかったことだよね?」
爽太が唇を引き結ぶ。
前にここで言ってた、『やっと』私が自分から爽太に寄ってきたという言葉。あれは大晦日から数えてじゃない。高校の頃から数年越しの『やっと』だ。
「花火の日にちょっと様子がおかしかったのも、後輩達見て昔のこと思い出しちゃったからなんでしょ?」
あの日の爽太が私としながら考えていたのはきっと、高校の頃の何も知らないまっさらだった私のこと。
「一昨日会いにきたのも、高校の頃みたいに本番前日に私の顔見ないと調子出なかったからじゃないの?」
マコと同じことを考えた一昨日の爽太が会いに来たのは、あの頃と同じ髪型ですっぴんの私。でも。
「ねえ爽太。今の私、制服も、お揃いのTシャツも着てないよ。怒って近くのもの蹴り飛ばしたりしないし校歌も吹かない。爽太じゃない人とも付き合ってた。昔の私は、もういないの」
なのに、爽太の心の中にはいる。爽太は今の私を通して昔の私を見てる。
――そんなこと、知りたくなかった。
黙って聞いていた爽太の唇が、ゆっくりと動く。
「……このこと考えてたから、俺の連絡無視した?」
私は何も言わずに頷く。今更そこを取り繕っても意味がない。
「二次会の後に川島さんが『美波がちょっと変』って教えてくれたから、会って話聞きたくて連絡したんだけど……そっか。美波は、そう思ってたんだ」
花火の日からずっと抱いてた疑問と『青春のやり直し』がはっきり頭の中で結びついたのは昨夜家に帰ってから。マコと話をしたのはその前だから時系列はちょっとずれているけれど、そこまで言う必要はない。
言わなければいけないことは、他にある。
「爽太、ごめんね」
「なんで美波が謝るの。謝らなきゃいけないのは、不安にさせた俺なのに」
ほんのちょっと困ったような顔をしながら言う爽太の姿に、胸がぎゅっと締め付けられる。
……ああ、こういうところも爽太らしい。自分の本心は見せずにいつも私を気づかって優しい言葉をかけてくれる、大事にしてくれる爽太のこと、やっぱり大好き。でも。
「……もう、無理だよ」
爽太の顔が一気にこわばる。高校に入学してからの十年半で初めて見る表情に一瞬気圧されそうになったけれどここで引くわけにはいかない。
今日私がここに来たのは、あの『初めて』からはじまった恋を終わりにするためなのだから。
私はおなかに力を入れ、喉のところで詰まりそうになる声を必死になって絞り出す。
「どれだけ私が爽太のこと好きでいたって、爽太に今の私を一番好きでいてもらえないのなら……これ以上一緒にいたって、むなしい、だけだから……」
腰を浮かせて私に手を伸ばしかけた爽太が、途中で動きを止める。爽太は少し迷う様子を見せてから結局元の姿勢に戻り、大きく深い息を吐いた。
「……話したいこと、これで全部?」
感情を押し殺しているのがはっきりわかる声で聞かれ、私は首を縦に振ってそのまま目線を膝の上にある自分の手へと落とす。
話さなきゃいけないことは全部言った。あとは爽太に『今までありがとう』ってお礼を言って、和室を抜けて襖を開けたところに脱いであるスリッパを履いて、玄関に置いておいた合鍵とカーディガンの横にスリッパを揃えて、靴を履いて車に乗って――家に帰らずに、駅前のビジホに行けばいい。そうして、親も大河もいないところで泣きたいだけ泣いてから明日の朝そのまま会社に行って元通りの生活をするだけ。しばらく、どころか相当引きずるだろうけど、いつか何かのきっかけで未練が消えるのはいっちゃんの時に経験済だ。大丈夫、大丈夫。
だいじょうぶ、だから、爽太の前では絶対泣いちゃダメ。
「じゃあ、次は俺に話させて」
……そんなにもったいぶらなくても、『わかった』の一言でいいのに。
ソファの座面が軽く揺れ、爽太が立ち上がったのがわかった。私のものより少し重い足音が五歩分鳴って、ぴたりと止まる。
思わず顔を上げた私の視界に映ったのは、テレビボードの抽斗からクリアファイルを取り出している爽太の姿だった。そこから中身を抜き取ってソファのほうへ戻ってきた爽太は、なぜか私の足元に膝をついて座り込む。
「ちゃんと話すけど、それだけじゃ足りないだろうから先にこれ見て」
差し出された紙は二つ折りにされていて中身が見えない。私は膝の上でスカートを握りしめていた手を解き、紙を受け取る。
開けてみて、と目線で促されてそっと紙を捲った瞬間、私は自分の目を疑った。
なにこれ。なんで、爽太がこれ持ってるの。
何度まばたきを繰り返してみても左上に印刷されている『婚姻届』の三文字はそのままで、私は慌てて爽太を見た。
「美波」
元旦に話した時と同じくらいか、それ以上に真剣な瞳にじっと見つめられる。
「――俺と、結婚してください」
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