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第三章 雨降って地固ま、る?

甘やかし

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「あー、確かにあの子にちょっと似てるかも」

 あの子、というのは高校吹奏楽部の後輩のことだ。同じトランペットということもあり親しくしていたあの子が『楽譜に落書きされた。先輩、助けてください』と泣きついてきた時、私は爽太達にも協力してもらって筆跡から犯人を突き止め、皆の前で吊し上げた。その結果犯人二人が退部して平和になったと思っていたのだけれど。

「自分が発端なのに誰かを悪者にして逃げようとするところ、ね」
「そう。あの時は、ほんとに美波が気の毒だった」

 吹奏楽部で揉め事が起きたと知った担任から事情を聞かれたあの子は、『私は何もしないでって言ったのに、美波先輩が勝手にやったんです』と嘘をついた。そのせいで逆に私が辞めた二人へのイジメの加害者扱いされそうになり、誤解を解くのに苦労した記憶が甦る。

「……後で背中から撃たれるくらいなら、何もしなかったほうがマシだったんじゃないかって思っちゃう」
「確かに。でも、さ」

 言葉と同時に爽太が私の頭を引き寄せ、肩にもたれさせてくれる。

「あの時も、今回も、美波は間違ったことはしてないと思うよ。美波がすぐ動いたから商品の遅れが最小限で済んだわけだし、問題児の本性も見えた」

 美波を怒らせると怖いってこともよくわかっただろうし、と爽太が笑って付け加える。

「で、今回はどこに蹴り入れてきた?」

 イジメ疑惑で事情聴取を受けた時は、家に帰っても怒りが収まらずに自分の部屋の椅子を蹴り飛ばしてドアにぶつけてしまい、親にこっぴどく叱られたけれど。

「さすがにもうそんなことしない」
「偉い。美波、成長したね」
「上から目線」
「年上だから」

 来月、七月になったら五月生まれの爽太に追いつく。そうなったら年上なんて言わせない。
 私の頬を軽くつついてから爽太がまた口を開く。

「あと、パワハラに関しては部長が美波の目の前で釘刺してくれたんだろ? それ、美波がそういうことする人間じゃないってわかってるからだと思う。三年かけて積み重ねた信頼は簡単には揺らがないよ」
「そうだといいんだけど」
「今日のことだって、段取り全部済ませてあとは承認出すだけって状態で連絡くれるの営業としてはすごく助かるし、自分のせいじゃないのに挽回するために残業してまで拾い出しするのも、例の後輩はできる能力と暇があったとしてもやらないんじゃないかな」

 爽太の的確な笹本さん評に思わず頷いてしまう。確かに彼女は間違いなくやらない。それどころか、自分が原因で周囲が走り回っているのを見てもしれっと帰るタイプだ。

「美波のそういうところ、見てる人はちゃんと見てるから大丈夫だし、俺もわかってるから」

 穏やかな声とゆっくりした口調に、荒れていた気持ちが少しずつ凪いでいく。優しい言葉をかけてもらうのは嬉しいけれど。

「……こんなに甘やかしてもらっちゃっていいのかなぁ」
「いいに決まってるだろ。やっと甘やかしてあげられるようになったんだから」
「やっと?」

 今まで充分甘やかしてもらってるのに、と思いながら爽太の方に顔を向ける。ほんの少し困ったような雰囲気の瞳が、私を見つめていた。

「当日いきなり会いたいって言ったこと、今までなかった。……やっと美波が自分から寄ってきてくれたんだから、たくさん甘やかしてあげたい」

 言われてみれば年末年始のあの一件で先に声をかけてくれたのは爽太だった。そして今日も、指導係としての私の未熟さには触れずに甘やかしてくれている。
 ……本当に、爽太は優しいなぁ。

「ありがと、爽太」
「礼言われるようなことしてないし。……あのさ、美波」
「ん?」
「合鍵あるんだから、連絡しなくても好きな時にうちに来ていいんだよ。俺が出かけてたら防音室使って気晴らししたり、上で寝たりしながら暇つぶししてればいいから」

 気持ちは嬉しいけどそれだけは絶対しない。連絡なしで訪ねると、また知りたくないことを知ってしまうかもしれないから。
 わかった、と言わない代わりに、私は目を閉じてもう一度爽太にもたれかかった。大きな手がゆっくりと髪を撫でてくれるのが気持ちいい。

「美波、今日は色々お疲れ様」
「ほんっと色々ありすぎ。クソ男のことがどうでもよくなるくらいムカつくとは思わなかった」

 何気なく言ったその瞬間、規則正しいリズムで動いていた爽太の手がぴたりと止まった。

「……は?」

 普段よりも一オクターブ、とまではいかないけどかなり低い声が聞こえてきて目を開ける。

「美波、どういうこと? クソ男ってもしかしてあの早……二分のこと?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いてない」

 話したつもりだったけどそうではなかったらしい。
 真剣を通り越してちょっと怖い顔になっている爽太に事情を説明する。動画をネタに脅しをかけたと言ったところで爽太の眉間に皺が寄った。

「あの動画、正月に消したよな?」
「うん。ビビらせようと思って嘘ついただけ」

 お正月、爽太は『こんな気持ち悪いもの残しておく意味がないし、美波に二度と触らせたくない』と言ってスマホから動画を削除してくれた。クソ男は私が自分に執着しているみたいに言っていたけど、いつまでも私とあの動画にこだわっているのはあいつの方だ。

「動画消したところで、自分がしたことは消せないのにね。ほんっとに最後まで最低な奴だった」
「うん」
「まぁ、その後に『先輩休んでて忙しかったので』が来てあいつのことなんてすぐにどうでもよくなったけど」

 私の言葉に爽太が小さく笑う。

「その感じだと、口にするのも嫌だから黙ってたわけじゃなくて本気でどうでもよかったっぽいな」
「うん」
「ならよかった」

 爽太が私のおでこにキスをして、顔を覗きこんできた。

「だいぶスッキリした顔になってきた。もうひと押しで普段の美波に戻りそう」

 爽太に半分引き受けてもらって食べたいもの全部食べて、夜なのにトランペット吹きまくって、アイス食べながら愚痴聞いてもらってひたすら甘やかされて。ストレス発散に効果的なことは全部してもらったのに、もうひと押しと言われても。

「……スッキリすること、他に何かあるかなぁ」
「ひとつあるけど」
「え?」
「わかってるでしょ」

 言葉とほとんど同時にキスをされ、私はそっと目を閉じる。
 そっちの意味での甘やかしもほんの少し期待していたことは、爽太にしっかりバレていたらしい。
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