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第3章

12. ごほうび

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「どうしました」
 泉李に抱き上げられた状態での朱璃の帰還に莉己が少し慌てたように腰を上げた。

「大丈夫。寝ているだけだ」
 倒れたのではないと分かりほっとした莉己は奥の部屋へ続く扉を開ける。そこには朱璃が何度も世話になった寝台が整えられていた。
 泉李がそっと寝台に寝かせると朱璃は全く起きる様子はなく、むしろすーすーと寝息を立て始めた。その穏やかな表情に二人は頬を緩ませた。

 朱璃が仲間たちと食堂に戻ってから2刻ほどしか経っていないのだが、やっと大事なものが手元に戻ってきたという想いが強かった。
 左将軍や弘由仁らに事後処理と報告を押し付けて王都に帰してから、朱璃の様子を見に行くまでの時間がどれほど長く感じたか。「朱璃の仲間を作るぞ作戦」は見事に成功したのに、この寂しさと言ったらなかった。あの時、朱璃が彼らと行くのを阻止し自分の腕の中に囲ったままにできればどれほど良かっただろうと考えては、その許されない感情を否定していた。
 機嫌の悪い友人は「早く迎えに行け」と言ったきり何も言わなかったが、きっと同じ気持ちだっただろう。

「何か食べていましたか」
「ああ、空の皿があったからな。少しは食べていたようだ」
 疲れ過ぎて食事も喉を通らなかったのではと心配する莉己たちには悪いが、軽く2、3人前はたいらげているであろう朱璃は満腹天国夢の中である。
「死ぬほど食って寝てるんだよ」という師匠のつぶやきが正解だったが二人には届いていなかった。

「……これで少しは楽になれれば良いのですが」
 朱璃の髪を撫でる莉己がそっとため息をついた。
「そうだな。もう山場は越えたんじゃないか。こいつの性格上、これからも何だかんだあるだろうが今度は仲間が助けてくれるさ」
 12期生の絆が深まった、心が通いあった現場を見てきた泉李は自信をもってそう言い切った。
「ええ。朱璃の思いやりの心が、バラバラだった彼らを繋いだんです。想像以上の結果ですよ」

 最初はバラバラで団結しようという思いすら無かった。それが少しずつ力を合わせるようになり、同期という仲間意識が生まれた。最初から上手くいかなかったからこそ、ケンカをしたり、悩んだり、喜んだり、楽しんだりしながら心を通わせ、支え合う仲間がいるから前進できるのだと身を持って経験したのだ。おそらく彼らはこの武修院で記憶に残る優秀な期生になるだろう。当然、籐朱璃の名前なしには語ることは出来ない伝説の12期生だ。

 今までの朱璃の苦しみや悲しみが報われたことに胸が熱くなりしんみりとしてしまった二人だったが、琉晟が湯を運んできたことで我に返った。そしてその数分後、彼らにしては珍しく百面相する羽目になる。

「あのさ……もうちょっと優しく取り扱ってやっては?」
 思わず泉李がそう言ってしまうほど、琉晟はちゃちゃちゃっと手慣れた様子で服を脱がして体を拭き始めたからだ。もちろん狼たちに(失礼)素肌を見せるつもりは毛頭ないので全て包布下で行われている

 ごろごろ手荒く転がされても爆睡している朱璃が、何とも言えず可愛いのやら気の毒やら可笑しいやら。

「ぷっ」
 莉己が吹き出し笑い転げ、つられて泉李の顔にも笑みが浮かぶ。
 琉晟の指示に従って人生初の女性の洗髪を手伝っているころには胸の中のモヤモヤがいつの間にか消えていた。

 もちろん朱璃が目を覚ますことはなく、時折幸せそうに微笑んだり、眉間にしわを寄せたりする様子がさらに笑いを誘う。しかしそれだけではなかった。

「はい。ではこれは葉っぱ何枚で買えますか? ふふふっ 全部くださ~い!!」
 
 突然、大きな声で手をあげた朱璃に泉李は驚いて目を丸くし、
「おやおや、朱璃は大金持ちの狸さんですね」と莉己は目を細めた。

「タコが……タコが入っていません」「ふふふっ あ~ねむ」「お椀が泣いてる おわんおわん。きゃはは」
「どうしよ~おっぱい取れた……あ~着脱式か……了解。じゃあ……Fにしよかな」「つぎ、降ります」「先生。お野菜も食べないと便秘になりますよ」

「賑やかだな」
「ええ、本当に……ぷぷっ 楽しそうですね」
 朱璃が寝言を言うのは知っていたがここまでとは思わなかった二人は、きっと悩みが解消されてリラックス出来たからだと喜ばしく思っていた。
 
『まずかったな……』 
 そんな彼らとは裏腹にじいやこと琉晟は彼らを手伝わせた事を後悔していた。
朱璃の秘密が知られてしまったという事もあったが、泉李と莉己の朱璃を見る瞳が以前に増して柔らかな感じがしたからだ。
 うちの子やっぱり凄いと手放しに喜べるわけも無く『濡れぬ先の傘』と琉晟は決意新たにしていた。
 もちろんそんな事はつゆ知らず、しばらくは莉己の笑い声が収まる事はなく、この部屋を別棟にしていて本当に良かったと思う泉李であった。



 
「占仙省から正式に王に詳細の報告があった。と同時に蒼家から正式に謝罪があったそうだ。もちろん入れ替わりの事実はが無断外出は認め、もう外出はしないそうだ」

「そうだろうと思いましたよ。どうせ星の検証、朱璃という存在の意義とかそんなやつでしょう」
 こう見えて誰よりも現実主義な莉己は占仙術に興味がなく、むしろ嫌っている。
「まぁそんなところだ。結果から言うと朱璃は我が国にとっては吉星。これで無罪放免ってとこだな」
「勝手に評価して勝手に結論を出して全く持って気に食わないですが、朱璃の身の安全がひとまず保障された点だけは良かったですね」
「ああ。秀美琳も完全に朱璃の手に落ちたしひとまず安心してもいいだろう」
「……」
 蒼白蓮の入れ替わりについては言及しないと王が判断した以上、目を瞑るしかなかった。
 莉己と泉李は茶を啜っている男に目をやる。そしていつも以上に不機嫌な様子に小さく肩をすくめた。

「あんな奴らは一族もろとも国外永久追放。もしくはミンチにして豚のエサか鳥のエサのすればすっきり片付いたのに」
「鳥はミンチなんか食べませんよ」
 莉己の突っこみにさらに眉間のしわを増やし男は続ける。

朴久遠パククオン千紫明センシメイ蘇健翔ソケンショウ康汰享コウタヒョンも国外追放だ」

 やっぱり琉晟の煎れる茶はうまいなぁと一息ついていた泉李が呆れたように問う。
「はぁ……団らは判るが、どうして朴久遠らもだ?」

「顔が気に食わん。あれは女が付きまとう。経済的自立どころか精神的自立も出来ていない小僧が青臭い理想を掲げるのも気に食わん。あとは家庭環境が違い過ぎる。挨拶も出来ない社会常識のない奴は追放だ」

 誰がこいつを国一番の伝説の宰相と言ったんだ。
 予想を上回る返事に「お前がいうな」と突っ込む気にもなれず煎餅を食べ始める泉李は呆れてため息をついていた。卓にうつ伏せて腹が痛いと笑い続ける莉己はほっておいて、琉晟は深く頷いているのでこれも無視。

 結局俺が相手するのか。
「あいつらは優秀だぞ。若さゆえの無謀な挑戦も可愛いもんだ。お前と違って常識もあるし朱璃のいい友達のなっただろうが」
「いや、気に食わん」
 その後も景雪のめちゃくちゃな批判は続く。挙句に靴のサイズまで文句を言い出す始末だ。て言うかどうして知っている?

「私も足の大きさは八引ですよ。ふふふっ」
 ようやく笑いを抑えた莉己が涙をぬぐいながら反撃体勢に入ったのをみて泉李はお茶のお代わりを要求した。

「人は批判されればさせる程、それを否定したくなるものです。まずは共感し少しずつ同情、おかしいなと思わせて再び同情し寄り添い、じわじわと自ら離れたいと思わせてから引き寄せるが正解です」
 娘を彼氏と別れさす作戦かよと心の中でツッコむ泉李。
「……」
 聞き入っている琉晟からお茶のお代わりは無理そうなので自分で煎れる泉李は、あほだなこいつらと思いながら自分が朱璃に接吻をしたことが知れたらどうなるだろうかと考えてしまった。ミンチにされるかな。

「とにかく、追放しても朱璃が納得していなければ追い掛けていってしまうでしょうし、あの子はそういう子でしょう。もっとうまい方法はいくらでもありますよ」
「ちっ」
「大丈夫ですよ。ふふふっ。ああ、来季もここで剣の講師しますから。あの方たちの事は腕によりをかけて指導させていただきますよ。ふふふ」

 他愛のない?話は続いたが、やがていつものように何の前触れもなく景雪が帰ると言い出した。
「愛弟子の顔も見ずに帰るのですか? まぁ別にいいですけど。琉晟は置いていって下さいね。貴方も知っているでしょうが、極限の疲労がたまった状態の朱璃は怖い夢を見るのか突然情緒不安定になりますからね。誰かがそばに居てやらないと。本当は私がその役目を引き受けたいのですがしなくてはいけないことが、ああ、貴方が代わりにやって下さい。次月の禁軍との模擬交戦についての計画書です。得意でしょ。宜しく」



「……くそ」
 結局、景雪が朱璃の世話をすることになる。
 二人が白々しく部屋を出て行った戸口をにらみ続けていた景雪だったが、止みそうにない隣部屋から聞こえるうめき声に眉を寄せた。
 琉晟が用意した茶器セットと明かりを持って奥の部屋の向かう。

 苦しげな息づかい、寝汗でせっかく整えてもらった髪も乱れていた。うなされている朱璃を見るのは久しぶりだった。
「……」

 3年前、朱璃を引き取った頃は数えきれないほど見た状況であったが、ここ1~2年はほとんどなくなり安心していた。この武修院、禁軍への入隊が朱璃にどれほどのストレスを与えているのかは分かっていたが、こうして目の当たりにすると胸が痛んだ。
「おいバク、起きろ! バカかお前は。寝ていても騒がしい奴だな。目を覚ませっ バクッ」

 乱暴に体を揺さぶるとゆっくりと朱璃が目を開けた。
「……すえん せーい……ぐす」
 起き上がって首に抱きついてくる朱璃を優しく抱き留める。安心させるよう少し力を入れて抱きしめ、ゆっくり背中を擦った。
 泣きじゃくる朱璃は前と同じように柔らかかったが少し小さくなったように思えた。

「守ってやれなくて……すまなかった」
 武修院に入った時点で自分の役割は終わった。実際、隠居の身では自分に出来ることは何一つない。泉李や莉己、琉晟のように直接手は出せない。
 そんなことは分かっていたのに、琉晟からの報告を受けるたび苛立つ自分がいて、それに対してさらに苛立つ自分に呆れた。「いいかげん子離れしなよ」と言い偉そぶった顔がムカついたが蘭雅の言うとおりだと思う。

 やっと静かになり、穏やかな寝息を立て始めた朱璃を起こさぬようにそっと寝台へ戻す。
「……」
 左腕をそっと肩から抜いた途端、再び朱璃の腕が首に絡まった。
「お前なぁ~」
 朱璃の色香が鼻腔をくすぐり景雪はため息をついた。しばらくすると朱璃はそのまま寝入ってしまうと分かっていたので諦めて添い寝する。今度は深い眠りが来るまで剥がれずそのままの体制でいることにした。

 やがて目元にそっと口づけを落として完全に眠ったことを確認して起き上がった景雪は朱璃のあどけない寝顔にホッとする。そっと寝台から足を下ろすが、朱璃が寝返りを打ったので息をひそめてじっと動かず見守った。

「……」
「もぐもぐ、もぐもぐ」
「まだ何か食ってるのか」

「せんせい、先生……元気出してください。次は絶対出ますよ!」
「……お前の中で俺はどれほど便秘なんだ」

 結局、離れられず朝までいる事になると分かっていたのか琉晟も自室に勝手に戻っており、白々しくお置いてあった酒を手酌する。
「仕方がない、お前の寝言に付き合ってやるよ」




「馬屋掃除!! おわっ」

 飛び起きた朱璃は寝台から降りようとして何かを踏みつけた。後ずさりして息を整える。
「な、なに!?」
 まだ夜明け前なのだろう、薄暗い為手探りで寝台を探る。ぷにっと生暖かい感触が伝わってき、さらさらとした髪のような……髪?
(……人? 人っ!!)

 とっさに小刀を探すも寝衣しか身に着けておらず見つからなかった。神経を張りつめて人だと思われる物体から距離をとりながら寝台を降りようとした時、四つん這いの足首を掴まれた。
「ぎゃぁ~」

 心臓が飛び出すほど驚き叫んでしまった。もうこうなったら戦うしかないと目についた燭台をはしっと掴む。そして足首を掴む手を捻じりあげ燭台を振り下ろす。

「お前なぁ……それで俺をぶんなぐる気か」
 捻じられた右手は痛いが笑いが込み上げてくるのを抑えながら景雪は言った。

「えっ、 えっ? 景先生?」
 目を凝らして見つめると、夢にまで見た師匠の姿がそこにはあった。
「……」
 朱璃はいそいそと燭台を台に戻すと再び布団に潜り込んだ。

 横臥でその様子を見ていた景雪は驚きを隠せない。何度かゴソゴソともがいた末、景雪の胸の中にスッポリと治まった朱璃はペタッとくっついてくる。

「何ををしている?」
「目が覚めると大変やからしゃべりません。こんないい夢二度と見れないかもしれへんのに」
 首を振りつつ今度はギュッと抱きついてくる。この状況から推測すると朱璃は夢だと判断したのであろう。

「……」
 隣に自分が寝ていることを喜んでいると分かったわけだが、なぜこんなに嬉しいんだ?
 体温が上昇したのを自覚した景雪は空いている左手で無意識に顔を覆っていた。

「くそ……。バクのくせして、どうしてこう、いちいち可愛いんだ」

 本気で夢の中だと信じ、再び夢の中に帰って行った朱璃の頬を軽くつまむと丈夫な歯で噛まれそうになった。
「……ありえん」

 あり得ない。と思っていた。
 朱璃に対して愛情を持つことなど無いと自信があったのだが、あの事件以来その自信が揺らいでいた。離れて暮らすようになって3か月。求めていた平穏な時が戻ってきたのに、毎日が味気なくつまらなかった。
 おかげで飛天の馬鹿に付き合ってしまったり、琉晟の言いなりになって石臼なんかを引いてしまった。

「はぁ……もう、降参」

 4年前に突然現れ、景雪の全知識全認識を激しくかき乱したのは、超弱小小娘朱璃だった。穏やかな安心出来る唯一の場所を作ってくれた最愛の女性とは真逆の存在。彼女を失い、もうひとを愛することはないと思っていたのに……。
 何も出来ない弱い自分受け止め、強くなろうと必死に生きようと、必死で戦う姿に情が湧かないわけがない。賢く大きな力を持っているのに劣等感が強く自己肯定力が低い。そのくせ天然的に鈍感で明るく前向きで周りを笑顔にする。どこの箱入り娘かと思うほど危機管理力が無いくせに馬鹿が付くほどお人好しで優しくあらゆる厄介ごとに首をつっこむ困った奴。
 いつしか振り回され、朱璃のペースに巻き込まれ、人生感まで変わってしまった。

 愛情をなど不可能だ。

 胸の中に居る小さな存在。少し短くなった黒髪を何度も撫でくちずけを落とす。
「たまらなく、可愛い」と飛天が言っていた意味が今は理解できる。
 だからと言って以上の、所謂恋人と言う関係になりたいとは本気で思っていない。むしろこの師弟関係に大満足だった。
 朱璃が自分の事を男として見ているとは思えず、師匠≒親兄弟と言ったところだろう。出来ることなら血のつながりのある兄妹の方が良かったと思うあたり、無自覚に重症なのだが誰にも打ち明けるつもりが無いのでおかしいと指摘されることもない。

 こうして景雪はこの3か月間の朱璃不足を補うため朝まで添い寝をし、愛弟子の為に一言だけ伝言を告げると機嫌よく帰って行ったのだった。
 
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