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第3章
1.久遠の考察と黒歴史について
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籐朱璃は変わった奴だ。いや、非常に変わった奴だと思っている。
女性の身で武術大会で弓術部門で圧巻し武修院に入隊しただけでも珍しい経歴の持ち主なのだが、それだけではなかった。まず武術の実力としては弓術以外はてんでダメ(最近剣術は上達した)。武官を志す者なら誰でも知っている事も知らな過ぎた。
それから、行動がおかしい。おかしな事が多過ぎていちいち覚えてはいないのだが、朱璃のおかしさの根底のあるのは、常識や価値観にとらわれない前向き過ぎる思考回路だ。いじめられても当然だし、むしろ無視されるよりマシだと鈍感なまでに開き直って受け入れる度量。愚痴も言わず泣き言も言わない。自分の事はめんどくさがるくせに人にはお節介でたとえ敵でも身を削ってでも力になろうとする。こんなキツイ環境でもなぜか楽しそうにして緊張感がない。
それでいて自分に自信が無く価値のない存在だと思う自己肯定力が低く少しでも人の役に立てるようになりたいと考えている。
見た目は黙ってじっとしていれば可憐で「深窓の令嬢」という言葉がぴったりとくるのに、口を開けば商人弁のおばちゃんになる。平民なのに、高位貴族相手でも将軍相手でも調理員相手でも態度が同じ。誰に対しても媚びることなく、しかし決して上からの態度はとらない。ちょっと距離感が近いが、相手を敬っているのが解るのでなれなれしくても不快感を与えない。宗長官をはじめ講師陣たちに対しても同じような態度である。
このように久遠の常識が全く通用しない人間だった。初めて出会った人種で、最初から関わるのはやめた方が良いと警鐘がなっていたほどだ。結局、久遠の性格上ほってはおけずどっぷりと関わってしまい、多いに振り回された。最近では大体の事は「朱璃だから」で納得できるようになった自分は成長したと思う。
久遠は目の前で特盛牛丼を頬張っている本人を見つめながら改めて変なやつだ考えていた。
いつも思うがこの小さな体のどこに入るのかと感心するほどの食べっぷりだ。それでいてがつがつと食べるのではなく上品さがあるというか優雅な時間が流れている気さえするのはとても不思議である。
「ありがとう」
いつものように健翔に茶を注いでもらい、紫明からは小鉢を貰っている。席に着くまでの間に盆の上に饅頭が3個追加された。甘味の苦手なやつが朱璃におすそ分けするのだが最近は朱璃の笑顔見たさに饅頭をとっておく奴もいるようだ。あんな幸せそうな顔をすれば分からないでもないが、多い時は10個を超え紫明が太るから3個までにしろと苦言したほどだ。
一口がでかいのかみるみるうちに牛丼が減っていく。ここの調理員はみな朱璃を可愛がっており、 こっそり朱璃好みに野菜多め仕様になっているし言わずとも山椒が掛かっている。甘やかしてるな。
「久遠分けてあげよか?」「いらん」
視線を感じたのか見当違いな事を言ってくる(もうほとんどないだろ)あほな所ももう慣れた。
「お前、いつの間に剣舞おぼえたんだ」
少し前から気になっていた事を尋ねてみると驚いた顔をされた。
「えっ。いつ見たん」
あまりに美琳の見せてくれた剣舞が美しくて忘れられず、自己流で真似をしていたのを見られているとは思わなかった。とても人に見せれるレベルではないので恥ずかしすぎると朱璃は頬を赤らめた。
見られたくなかったのか恨めしそうに睨んでくるが、米粒が付いてるから全然迫力が無いと久遠は肩をすくめた。
東の空が紅黄色に染まった頃、いつものように朝練をしている朱璃を見かけたのは数日前の事だ。剣が空を斬る音と緩急のリズムをつけた朱璃の足音だけが静かに響き、剣舞を舞う姿はどこか幻想的で目を奪われ今でも目に焼き付いている。
牛丼を食っているこいつと同一人物には思えない。
「へぇ、俺も見たいな」
「まだ人に見せれるもんちゃうねん。格好いいなぁって美琳のマネしてただけやし」
「そうなのか。なかなか上手かったけど」
「ギャーやめて~はずかしい」
朝の自主練の時はかなりテンションが上がってマイステージって感じでノリノリで踊ってたから見られたくなかった。やっぱり周りに気をつけないあかんなと朱璃は反省していた。
その時当然のように一緒に食事をとっていたボンキュウが久遠を攻撃し始めた(もちろん牽制程度に軽くだが)
キュウは頭を突っつき、キュウは足に噛みつこうをしている。
「いたたた。ちょっと待て、俺は何もしてないぞ。いじめてないって。あ、こら」
「ははは。もっとやれ~覗き見した罰だ~」
朱璃の負の感情を察知した2匹はご主人様の敵を討っているのだろう。
ここへ来てから2か月余り、キュウは変わらないが、ボンはさらに狐だや狸だか分からない姿に成長していた。大きさもメスオオカミぐらいになり、まだ成長しそうである。2匹は付かず離れず朱璃のそばに居る感じで、それが何の違和感もなくなっている武修院の今日この頃であった。
「そういやお前、弘隊長となんかあんの?」
ぶっ
食べかけの饅頭を紫明に吹き出した朱璃は当然しこたま怒られた。
「信じられないっ」
未だぷりぷり怒っている潔癖症の紫明の為にボンに洗浄を頼む。ボンは主人の許しが出たので大喜び。尻尾をぶんぶん振ってペロペロ開始。しまいに耳まで念入りになめ始め、紫明は椅子から落ち身悶えている。
「わかった。わかったから。もうやめてくれ~。ボン、ありがとう もいいからっ。かんべんして~」
はっきり言って上下関係は紫明の方が低そうだなと思いながら、朱璃はしばらくしてからボンに「もういいよ」と声を掛けた。
紫明は「おぼえてろよ」と捨て台詞?をはいて食堂からいなくなってしまった。
故意ではないが紫明の質問がうやむやになったので朱璃は内心ほっとしていた。
何と言うか、あれは朱璃にとって『黒歴史』であるのであまり人に言いたくなかったのだ。
「で、弘隊長との関係は? お前全部顔にというか態度に出てるからばれてるから 気のせいって言うなよ」
久遠君真面目だね。
朱璃はため息をついた。
遡ること半日前、本日から野外生活の演習が始まった。来週には自分たちだけで山で1週間生活をすることになって居る。衣食住に加え危険の対応についても学び、任務中あらゆる状況にも臨機応変に対応できるようになることが目的だ。その講師に、現禁軍隊長の一人、弘由仁が現れたのだ。
「……」
やばいやばい
朱璃は彼が現れた時、さすがに動揺した。声を出さなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。
彼は、朱璃が数か月まえに一目ぼれし、求婚し、振られた相手だったからだ。
やばい
貫録ある大きな体に、もじゃもじゃ無精ひげでニコニコあったかい笑顔。ああ、やっぱり大好きなと〇ろみたい。
どうしよう。あのお腹に飛び込みたい衝動が抑えられるだろうか。
でも、大きくなってからねと言われたのに、まだ実現していないぞ。もっとボンキュウボンになってもう一度トライするつもりだったのに、ささやかな胸のふくらみは胸筋に吸収されそうになってる今日この頃。加えて大人女子とは程遠い、男所帯の一部化している自分。
せめて一人前になってから会いたかった。いや、それよりあの人隊長だったの!?
朱璃の百面相はしばらく続き、その混乱状態に友人たちが気付かないわけも無く、さっきの紫明の質問が生まれたのは当然だった。
朱璃の空腹が満たされるまで待ってくれたのは彼らの優しさだ。
「問題を起こす前にさっさと薄情しろ」
知っているのと知らないのではフォローの仕様が違う。好奇心からでは無く明らかに動揺していた朱璃の事を心配しての発言であった。
「ちょっと、さすがにここでは……」
珍しく小声の朱璃に久遠と健翔は顔を見合わせた。よほどの事情があるのだろうと察し、紫明も踏まえ機会を改めることにした。
こうして朱璃は自ら『黒歴史』を暴露する羽目になったのだった。
「……ばっかじゃねーの」
「えー。まぁ、若気の至りってことで」
「求婚てのは男がするもんなんだよ!」
「え、そっち?」
紫明の考えでは女性から求婚するのは言語道断。破廉恥な行いらしい。じゃあ、もしかしてそれだけで超減点されてるってこと!?
「そんなにあかん事? 久遠も健翔も同じ意見?」
久遠は『弘長官に求婚した』という考えてもいなかった告白に、まだまだ頭が着いていっていない。ただただボンを抱いて情けなそうに眉を下げている朱璃を見つめていた。
仕方なく健翔が相手をする。
「時と場合によるが、普通は男性から求婚する」
「そうなんやー 知らんかったわ。誰にも怒られへんかったし(大笑いはされたが)。もしかして印象悪くなってしまったかな。大きくなったらなって笑顔で言ってくれたんやけど社交辞令やったんやな」
「……まぁ、弘長官ならそうおっしゃるかな」
「……ちょっと待て。お前色々おかしい事わかっているか?」
久遠復活
「まずは何で急に求婚したんだ?」
「大会で再会した時に、ぐわっとなって、もうたまらんってなって気が付いたら結婚してって言ってました」
「……」
「痛い。何で叩くん」
「何かむかつく。結婚というのはそんなノリで言うもんじゃない。しかも相手は隊長だぞ。どこの誰ともわからない女に訳の分からない求婚されるなんて侮辱されたと切り捨てられても文句は言えない状況だったんだぞ」
「うそーこわっ。何それ」
「何それじゃねー。平民と貴族との結婚なんてよほどの事が無いと実現しない。普通は声かけることも難しい相手によくもまぁ、お前本当にあほだ」
「そんなに怒らなくても~」
久遠に随分怒られてしまったので朱璃は自分の行動が軽率でかなり常識外れだったと理解した。
これは、印象悪いどころか最悪ではないだろうか。しかも貴族とは……。もう無理やん。さようなら理想の人。
完全にしょげてしまった朱璃がさすがに可哀想になり紫明がフォローを入れる。
「久遠、隊長がこんなあほなガキの話をいちいち気にするとは思えないよ。現に大きくなったらなって言われてるし。もう忘れられているよ きっと。だから今更お咎めもないって」
あほなガキって、私一応20歳の大人なんですけど。あのときは(求婚した時)大人の魅力を発射させてなかったかも知れないけど、今はもう少しましに、なってないな。むしろ退化したかも。目の前のできらきらの笑顔の紫明を見ていたら、なんだか腹が立ってきた。何だよその綺麗さちょっと分けてくれてもいいんじゃないか!?
「ボン、ガブッといけ」
「はぁ!? 何だよ助けてやってんのに」
久遠は朱璃と紫明のいつものケンカを見ながら少し冷静さを取り戻していた。弘由仁というと禁軍の中ではやや特殊な8隊の隊長で、かなり優秀で王の信頼も厚い御仁だと認識している。子どもの無礼な振る舞いに対していちいち腹を立てるような器ではないはずだ。そう解っていたが朱璃の軽率な行動が許せなかったのだ。
朱璃の身分を気にしない行動に誰もが寛容なわけではない。本気で有無を言わさず切り捨てられることも無きにしも非ずなのだ。久遠の苛立ちの理由はそれだけではなかったが自身では未だ気付けていなかった。
健翔だけが感情的になることがあまりない久遠の態度に違和感を感じてはいたが、彼もまた絶対的に経験不足で明確な理由まで分かるはずがなかった。
「とりあえず、この件につきましては内密にお願いします」
さんざん騒いだ後に朱璃は最後にこう言った。
「もちろんだ。で、弘隊長の事は諦めたのか」
「分からんけど、今はそれどころじゃないから封印するわ。機会があれば謝るけど」
「よし、あほだけどえらいな」
頭を撫でてくれる紫明に朱璃は複雑な思いだ。絶対私の事年下と思っているよな。いつ誤解を解こうかな。
健翔はボンとキュウそして朱璃の順に頭を撫で、そろそろ部屋の戻るように促してきた。しれっと同等に扱われている気がするな。ちょっと複雑。
「お休み。また明日」
「ああ、しっかり睡眠はとれよ」
「お休み。ボンキュウもお休み言って、キュウ、お、や、す、み。お、や、す、み」
「まだ諦めてないのかよ。鳥がしゃべるより、お前が結婚できる方がまだ可能性あるよ」
紫明が茶化すように蒸し返した。
「ボンー。噛んでよし。ワン。行け」
『ワン』
「!!」
『ワン』
「!?」
『わん』
「もしかして、この世界の鳥ってワンって鳴く?」
「鳴かない」「鳴かねーよ」「聞いたことないな」
朱璃がボンを犬だと信じたいがゆえにワンワンと話しかけていたのが原因だろうか。
『ワン ワン』
朱璃の肩の止まって得意げなキュウ。確かにしゃべった。おしゃべり出来るとやっと証明してくれた。
『ワン』
「どんまい」
女性の身で武術大会で弓術部門で圧巻し武修院に入隊しただけでも珍しい経歴の持ち主なのだが、それだけではなかった。まず武術の実力としては弓術以外はてんでダメ(最近剣術は上達した)。武官を志す者なら誰でも知っている事も知らな過ぎた。
それから、行動がおかしい。おかしな事が多過ぎていちいち覚えてはいないのだが、朱璃のおかしさの根底のあるのは、常識や価値観にとらわれない前向き過ぎる思考回路だ。いじめられても当然だし、むしろ無視されるよりマシだと鈍感なまでに開き直って受け入れる度量。愚痴も言わず泣き言も言わない。自分の事はめんどくさがるくせに人にはお節介でたとえ敵でも身を削ってでも力になろうとする。こんなキツイ環境でもなぜか楽しそうにして緊張感がない。
それでいて自分に自信が無く価値のない存在だと思う自己肯定力が低く少しでも人の役に立てるようになりたいと考えている。
見た目は黙ってじっとしていれば可憐で「深窓の令嬢」という言葉がぴったりとくるのに、口を開けば商人弁のおばちゃんになる。平民なのに、高位貴族相手でも将軍相手でも調理員相手でも態度が同じ。誰に対しても媚びることなく、しかし決して上からの態度はとらない。ちょっと距離感が近いが、相手を敬っているのが解るのでなれなれしくても不快感を与えない。宗長官をはじめ講師陣たちに対しても同じような態度である。
このように久遠の常識が全く通用しない人間だった。初めて出会った人種で、最初から関わるのはやめた方が良いと警鐘がなっていたほどだ。結局、久遠の性格上ほってはおけずどっぷりと関わってしまい、多いに振り回された。最近では大体の事は「朱璃だから」で納得できるようになった自分は成長したと思う。
久遠は目の前で特盛牛丼を頬張っている本人を見つめながら改めて変なやつだ考えていた。
いつも思うがこの小さな体のどこに入るのかと感心するほどの食べっぷりだ。それでいてがつがつと食べるのではなく上品さがあるというか優雅な時間が流れている気さえするのはとても不思議である。
「ありがとう」
いつものように健翔に茶を注いでもらい、紫明からは小鉢を貰っている。席に着くまでの間に盆の上に饅頭が3個追加された。甘味の苦手なやつが朱璃におすそ分けするのだが最近は朱璃の笑顔見たさに饅頭をとっておく奴もいるようだ。あんな幸せそうな顔をすれば分からないでもないが、多い時は10個を超え紫明が太るから3個までにしろと苦言したほどだ。
一口がでかいのかみるみるうちに牛丼が減っていく。ここの調理員はみな朱璃を可愛がっており、 こっそり朱璃好みに野菜多め仕様になっているし言わずとも山椒が掛かっている。甘やかしてるな。
「久遠分けてあげよか?」「いらん」
視線を感じたのか見当違いな事を言ってくる(もうほとんどないだろ)あほな所ももう慣れた。
「お前、いつの間に剣舞おぼえたんだ」
少し前から気になっていた事を尋ねてみると驚いた顔をされた。
「えっ。いつ見たん」
あまりに美琳の見せてくれた剣舞が美しくて忘れられず、自己流で真似をしていたのを見られているとは思わなかった。とても人に見せれるレベルではないので恥ずかしすぎると朱璃は頬を赤らめた。
見られたくなかったのか恨めしそうに睨んでくるが、米粒が付いてるから全然迫力が無いと久遠は肩をすくめた。
東の空が紅黄色に染まった頃、いつものように朝練をしている朱璃を見かけたのは数日前の事だ。剣が空を斬る音と緩急のリズムをつけた朱璃の足音だけが静かに響き、剣舞を舞う姿はどこか幻想的で目を奪われ今でも目に焼き付いている。
牛丼を食っているこいつと同一人物には思えない。
「へぇ、俺も見たいな」
「まだ人に見せれるもんちゃうねん。格好いいなぁって美琳のマネしてただけやし」
「そうなのか。なかなか上手かったけど」
「ギャーやめて~はずかしい」
朝の自主練の時はかなりテンションが上がってマイステージって感じでノリノリで踊ってたから見られたくなかった。やっぱり周りに気をつけないあかんなと朱璃は反省していた。
その時当然のように一緒に食事をとっていたボンキュウが久遠を攻撃し始めた(もちろん牽制程度に軽くだが)
キュウは頭を突っつき、キュウは足に噛みつこうをしている。
「いたたた。ちょっと待て、俺は何もしてないぞ。いじめてないって。あ、こら」
「ははは。もっとやれ~覗き見した罰だ~」
朱璃の負の感情を察知した2匹はご主人様の敵を討っているのだろう。
ここへ来てから2か月余り、キュウは変わらないが、ボンはさらに狐だや狸だか分からない姿に成長していた。大きさもメスオオカミぐらいになり、まだ成長しそうである。2匹は付かず離れず朱璃のそばに居る感じで、それが何の違和感もなくなっている武修院の今日この頃であった。
「そういやお前、弘隊長となんかあんの?」
ぶっ
食べかけの饅頭を紫明に吹き出した朱璃は当然しこたま怒られた。
「信じられないっ」
未だぷりぷり怒っている潔癖症の紫明の為にボンに洗浄を頼む。ボンは主人の許しが出たので大喜び。尻尾をぶんぶん振ってペロペロ開始。しまいに耳まで念入りになめ始め、紫明は椅子から落ち身悶えている。
「わかった。わかったから。もうやめてくれ~。ボン、ありがとう もいいからっ。かんべんして~」
はっきり言って上下関係は紫明の方が低そうだなと思いながら、朱璃はしばらくしてからボンに「もういいよ」と声を掛けた。
紫明は「おぼえてろよ」と捨て台詞?をはいて食堂からいなくなってしまった。
故意ではないが紫明の質問がうやむやになったので朱璃は内心ほっとしていた。
何と言うか、あれは朱璃にとって『黒歴史』であるのであまり人に言いたくなかったのだ。
「で、弘隊長との関係は? お前全部顔にというか態度に出てるからばれてるから 気のせいって言うなよ」
久遠君真面目だね。
朱璃はため息をついた。
遡ること半日前、本日から野外生活の演習が始まった。来週には自分たちだけで山で1週間生活をすることになって居る。衣食住に加え危険の対応についても学び、任務中あらゆる状況にも臨機応変に対応できるようになることが目的だ。その講師に、現禁軍隊長の一人、弘由仁が現れたのだ。
「……」
やばいやばい
朱璃は彼が現れた時、さすがに動揺した。声を出さなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。
彼は、朱璃が数か月まえに一目ぼれし、求婚し、振られた相手だったからだ。
やばい
貫録ある大きな体に、もじゃもじゃ無精ひげでニコニコあったかい笑顔。ああ、やっぱり大好きなと〇ろみたい。
どうしよう。あのお腹に飛び込みたい衝動が抑えられるだろうか。
でも、大きくなってからねと言われたのに、まだ実現していないぞ。もっとボンキュウボンになってもう一度トライするつもりだったのに、ささやかな胸のふくらみは胸筋に吸収されそうになってる今日この頃。加えて大人女子とは程遠い、男所帯の一部化している自分。
せめて一人前になってから会いたかった。いや、それよりあの人隊長だったの!?
朱璃の百面相はしばらく続き、その混乱状態に友人たちが気付かないわけも無く、さっきの紫明の質問が生まれたのは当然だった。
朱璃の空腹が満たされるまで待ってくれたのは彼らの優しさだ。
「問題を起こす前にさっさと薄情しろ」
知っているのと知らないのではフォローの仕様が違う。好奇心からでは無く明らかに動揺していた朱璃の事を心配しての発言であった。
「ちょっと、さすがにここでは……」
珍しく小声の朱璃に久遠と健翔は顔を見合わせた。よほどの事情があるのだろうと察し、紫明も踏まえ機会を改めることにした。
こうして朱璃は自ら『黒歴史』を暴露する羽目になったのだった。
「……ばっかじゃねーの」
「えー。まぁ、若気の至りってことで」
「求婚てのは男がするもんなんだよ!」
「え、そっち?」
紫明の考えでは女性から求婚するのは言語道断。破廉恥な行いらしい。じゃあ、もしかしてそれだけで超減点されてるってこと!?
「そんなにあかん事? 久遠も健翔も同じ意見?」
久遠は『弘長官に求婚した』という考えてもいなかった告白に、まだまだ頭が着いていっていない。ただただボンを抱いて情けなそうに眉を下げている朱璃を見つめていた。
仕方なく健翔が相手をする。
「時と場合によるが、普通は男性から求婚する」
「そうなんやー 知らんかったわ。誰にも怒られへんかったし(大笑いはされたが)。もしかして印象悪くなってしまったかな。大きくなったらなって笑顔で言ってくれたんやけど社交辞令やったんやな」
「……まぁ、弘長官ならそうおっしゃるかな」
「……ちょっと待て。お前色々おかしい事わかっているか?」
久遠復活
「まずは何で急に求婚したんだ?」
「大会で再会した時に、ぐわっとなって、もうたまらんってなって気が付いたら結婚してって言ってました」
「……」
「痛い。何で叩くん」
「何かむかつく。結婚というのはそんなノリで言うもんじゃない。しかも相手は隊長だぞ。どこの誰ともわからない女に訳の分からない求婚されるなんて侮辱されたと切り捨てられても文句は言えない状況だったんだぞ」
「うそーこわっ。何それ」
「何それじゃねー。平民と貴族との結婚なんてよほどの事が無いと実現しない。普通は声かけることも難しい相手によくもまぁ、お前本当にあほだ」
「そんなに怒らなくても~」
久遠に随分怒られてしまったので朱璃は自分の行動が軽率でかなり常識外れだったと理解した。
これは、印象悪いどころか最悪ではないだろうか。しかも貴族とは……。もう無理やん。さようなら理想の人。
完全にしょげてしまった朱璃がさすがに可哀想になり紫明がフォローを入れる。
「久遠、隊長がこんなあほなガキの話をいちいち気にするとは思えないよ。現に大きくなったらなって言われてるし。もう忘れられているよ きっと。だから今更お咎めもないって」
あほなガキって、私一応20歳の大人なんですけど。あのときは(求婚した時)大人の魅力を発射させてなかったかも知れないけど、今はもう少しましに、なってないな。むしろ退化したかも。目の前のできらきらの笑顔の紫明を見ていたら、なんだか腹が立ってきた。何だよその綺麗さちょっと分けてくれてもいいんじゃないか!?
「ボン、ガブッといけ」
「はぁ!? 何だよ助けてやってんのに」
久遠は朱璃と紫明のいつものケンカを見ながら少し冷静さを取り戻していた。弘由仁というと禁軍の中ではやや特殊な8隊の隊長で、かなり優秀で王の信頼も厚い御仁だと認識している。子どもの無礼な振る舞いに対していちいち腹を立てるような器ではないはずだ。そう解っていたが朱璃の軽率な行動が許せなかったのだ。
朱璃の身分を気にしない行動に誰もが寛容なわけではない。本気で有無を言わさず切り捨てられることも無きにしも非ずなのだ。久遠の苛立ちの理由はそれだけではなかったが自身では未だ気付けていなかった。
健翔だけが感情的になることがあまりない久遠の態度に違和感を感じてはいたが、彼もまた絶対的に経験不足で明確な理由まで分かるはずがなかった。
「とりあえず、この件につきましては内密にお願いします」
さんざん騒いだ後に朱璃は最後にこう言った。
「もちろんだ。で、弘隊長の事は諦めたのか」
「分からんけど、今はそれどころじゃないから封印するわ。機会があれば謝るけど」
「よし、あほだけどえらいな」
頭を撫でてくれる紫明に朱璃は複雑な思いだ。絶対私の事年下と思っているよな。いつ誤解を解こうかな。
健翔はボンとキュウそして朱璃の順に頭を撫で、そろそろ部屋の戻るように促してきた。しれっと同等に扱われている気がするな。ちょっと複雑。
「お休み。また明日」
「ああ、しっかり睡眠はとれよ」
「お休み。ボンキュウもお休み言って、キュウ、お、や、す、み。お、や、す、み」
「まだ諦めてないのかよ。鳥がしゃべるより、お前が結婚できる方がまだ可能性あるよ」
紫明が茶化すように蒸し返した。
「ボンー。噛んでよし。ワン。行け」
『ワン』
「!!」
『ワン』
「!?」
『わん』
「もしかして、この世界の鳥ってワンって鳴く?」
「鳴かない」「鳴かねーよ」「聞いたことないな」
朱璃がボンを犬だと信じたいがゆえにワンワンと話しかけていたのが原因だろうか。
『ワン ワン』
朱璃の肩の止まって得意げなキュウ。確かにしゃべった。おしゃべり出来るとやっと証明してくれた。
『ワン』
「どんまい」
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