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第五十八話 火天

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 静寂を破ったのは蠢く黒い何かだった。

 そして静寂を破った攻撃は飛ばす棘だ。

 その数は数え切れない程。

 左手を蠢く黒い何かの方に向けた。

 「ファイヤーウォール」

 すると火の壁が現れ、私に向かって飛来してくる棘状の黒い何かを焼き尽くした。

 火の壁が消えると、蠢く黒い何かはいなかった。

 上から何かが垂れ落ちてきた。

 それをよく確認してみると、黒い何かだった。

 一雫の黒い何かは蠢いていた。

 上から?

 そうか、上か。

 私は上を向いた。

 上にいたのだ。

 空に飛び上がっている蠢く黒い何かだった。

 私は全力に後ろに避けた。

 私が避けると同時に上から蠢く黒い何かが落ちてきた。

 蠢く黒い何かが地面を粉砕した。

 私は近付き、剣を左下から右上に斬り上げた。

 斜めに斬りさいたが、直ぐに再生したのだ。

 その時に上から落ちてきた一雫も集まった。

 剣は駄目か。

 左手を蠢く黒い何かの方に向けた。

 「ドラゴンファイヤー」

 ドラゴンの形を取った火は蠢く黒い何かを包んで燃やし始めたが、再生の方が上だった。

 やがてドラゴンファイヤーは消え、何事も無く蠢く黒い何かはいた。

 私の最高火力の魔法でも駄目か。

 なら、私の剣の極地だ。

 私は息を整え、心を静寂に。

 極地の集中。

 無意識の内に剣を振ったが、意味は無かった。

 ただ、この場が再び静寂に包まれただけだ。

 そうか。

 蠢く黒い何かは既に死んでいる。

 零に至っている。

 だから、静寂になることはない。

 既に静寂なのだ。

 存在ごとが。

 静寂を再び破ったのは蠢く黒い何かだった。

 「もう終わり。英雄」

 蠢く黒い何かは形を変え始めた。

 丸に四角に三角に様々な形に。

 声は変わっていく。
 
 いや、声が混ざり始めた。

 男の声に、女の声に、老人の声に、子供の声に。

 混ざり、混ざり、最後には悪意の声に変わった。

 そしてその声はある言葉を繰り返し続けている。

 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねと。

 ただ繰り返している。

 その言葉の中には笑い声も混じっていた。

 その笑い声は悪意に満ち溢れていた。

 燃やさなければいけない。

 この存在は。

 悪でしか無い存在を。

 そこで頭にある言葉が浮かんだ。

 そうか。

 ゴミを燃やした魔法はこんな名前だったのか。

 あの時私は怒りに体を支配されていたが、本当は燃やしたいと思っていたのか。

 なら、使うべきだ。

 この悪しき存在、いや、負の残滓が集まった存在を燃やし尽くさなければいけない。

 私は剣を仕舞い、祈るように両膝を地面についた。

 目を閉じ、心を静寂に。

 心を静寂にした私は目を開き、剣を抜いた。

 そして、剣の柄から手を離し、刃の部分を持ち、横にした。

 私は遥か空に届くように発した。

 「火天」

 すると、火が蠢く黒い何かを包んだ。

 その火にはドラゴンファイヤーと比べ物にならない程の火力がある。

 蠢く黒い何かは混ざった声で苦悶の声を上げていた。

 「こ、これは何だ?人が持てる力を超えている」

 「確かに超えているな。これは神の火だ」

 仏教では宇宙の偉大な力の1つである火が神格化した尊だ。

 元はインド神話の火神から仏教に取り入れられて護法神となったものだ。

 だから、焼き尽くすことが出来る。

 蠢く黒い何かを。

 火天は蠢く黒い何かの再生能力を上をいく。

 徐々に燃やされると同時に声は無くなっていく。

 火天が消えると、蠢く黒い何かは一雫だけになったのだ。

 苦悶の声を上げていた混ざった声はいつの間にか聞こえなくなっていた。

 「我々、いや、某は負けたのか」

 その声は混ざっておらず、聞いたことが無い声が聞こえた。

 若い男の声だった。

 「もう貴殿一人しか残って無いのか?」

 「その通りだ、英雄殿。元は剣士だった。卑怯な手で殺され、この世界に恨みを残し死んだ。だがな、英雄殿。貴殿のことを知って、そんな恨みは無くなった。全ては某が弱かっただけだという話」

 一雫になった蠢く黒い何かは私の方を向いた。

 「英雄殿。感謝する。某の恨みを打ち消してくれて。某の負の感情を打ち消してくれて」

 一雫になった蠢く黒い何かの体は消え始めていた。

 「名も無き者、いや、名も無き者達よ。この世界で苦しんだんだ。どうか冥福を」

 「英雄殿。貴殿というお方は。黒い何かになってしまった我々の中の代表として感謝を申し上げる。本当にありがとう、我々を救ってくれて」

 そう言い終えた蠢く黒い何かは何も残さず消えてしまった。

 消えたか。

 負の残滓をこの世界に残して死んでいった者達に冥福を。

 私が祈り終えると、私の周りの風景は変わっていた。

 自分の庭に戻っていたのだ。

 どうやら、戻って来たようだ。

 足音が聞こえた。

 2人分の。

 足音がした方を向くと、ラフな格好をしたメスリーとネグリジェ姿のセーリが私の方に向かって走ってきた。

 そしてそのまま私に抱きついてきた。

 「レーク。大丈夫?」

 「お兄様。何処も怪我とかしてないですか?」

 私は2人を抱き締めた。

 「ああ、何処も怪我とかしてない。だから、心配しないでくれ」

 2人は私の胸から顔を上げた。

 「良かったけど、レーク。もうこんな真似しないで。レークが危険な目にあって欲しくないから」

 「メスリーお姉様の言う通りです。お兄様。もう危険な目をしないで下さい」

 「約束するよ、メスリー、セーリ」

 「約束だよ、レーク」

 「約束ですよ、お兄様」

 2人は満面の笑みを浮べた。
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