You are my one and only

泉 沙羅

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第3話

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その次の日の放課後から私は旧聖堂に行き、真琴さんと会うようになった。彼はオメガだから、ちゃんと教育も受けてないだろうにとても賢い人だった。何より感性が豊か。世間では「オメガは妊娠機能と繁殖しか取り柄がないので知能は低い」と言われているけど、それがデタラメな偏見であることが裏付けされたようだった。
彼は「普段敬語で話しかけられること全くないから落ち着かない」と言うので、お互いタメ口で話すことにした。真琴さんはアルファにタメ口をきくのは抵抗があるので、私に対しては敬語で話したいなんて言っていた。けれど、それでは対等ではないので、半ば強引にタメ口で話させた。だって、真琴さんは私より9つも年上みたいだから。
一般的にオメガは早ければ10歳、遅くても17歳くらいまでにはアルファと番になって家庭に入ってしまう。なぜ25歳を過ぎている真琴さんが番もなく、ここにいるのか不思議だったけど、そこはあまり深く考えなかった。……いや、私は考えたくなかっただけなのかもしれない。快くないことを知ってしまいそうだったから。

「真琴さんはよくお祈りしてるけど、神様を信じてるの? 私は神なんていないと思ってるけど」
私がぶっきらぼうにそう言うと真琴さんは困ったように微笑んだ。
「うーん……俗に言う『神を信じる』こととはちょっと違うかな……」
「私はバース性なんてとんでもないもの作り出した神様、とても信じられない。おかげでこんなディストピアな階級社会になっちゃったし、優秀なアルファ以外得する人誰もいない。私みたいなお粗末なアルファやベータ、オメガは理不尽に耐えなくちゃいけないのよ」
思わず漏れた本音。優しい真琴さんの前にいると安心して何でも話してしまう。真琴さんはまた、儚げな微笑みを浮かべると、真面目な顔になった。
「僕は……理不尽を作り出すのは神様じゃなくて人間だと思う」
「えっ」
「神から与えられたものを人間が分け合わないんじゃないかな」 
「神様は……私たちがちゃんと分け合うかどうか試してるの? 」
「全てを知っている神様はわざわざ人間を試したりしないんじゃない? 人間を試すとしたら……悪魔じゃないの」
私はハッとした。そう言えば毎日受けているキリスト教の授業で聞いたことがある。 ヘブライ語を直訳すると「悪魔サタン」は「試みる者」「誹謗する者」「妨げる者」という言葉になるという。旧約聖書のヨブ記では、敬虔に神を信じているヨブを悪魔が彼の信仰心を試そうと、彼を皮膚病にしたり、彼の子どもを死なせてみたりしていた。それでも信仰を捨てないヨブに妻が「いつまで無垢でいるのですか。神を呪って死んだ方がマシでしょう」などという言葉を吐いたっけ。はっきり言って私はその妻の意見に賛成だった。
だが、悪魔は邪悪な存在というよりは私たちを試す超越者……という考え方はとても新鮮に感じた。
そしてヨブ記で登場した悪魔は「いいですか、あいつはあれこれこうだからこうしてしまいましょう」というように、神にあることないこと告げ口していた。「誹謗する者」という意味を持つ悪魔は私たち人間にそっくりに思えた。
「私からすれば人間こそ悪魔よ。この世こそ地獄よ」
つい突き刺すような言い方をしてしまった。日頃の社会への恨みつらみが溜まりすぎていて。
「……そうかもね」
真琴さんは苦笑した。
「真琴さんは神様は善良な方だと思ってるの? 」
「……うーん、全知全能の神に善良もなにもないんじゃない」
そう言って真琴さんは笑った。彼は笑うと花のように可愛らしい。
「じゃあ、どういう気持ちでお祈りしてるの? 」
「太陽と月が昇ったり沈んだり、雨が降ったり、風が吹いたり、いつも通り世界が回って……こうして僕らが生かされている日常のずっとずっと深いところに何か大きな存在を感じ取りたいからかな。そしてその存在と対話して、僕もこの宇宙の1部なんだって感じたいから」
「……」
真琴さんにとって神様は「願いを叶えてくれる」というような都合のいい存在でも、「神様の言う通り」というような絶対的な存在でもないのだ。
「生きていると科学や理屈で説明できないことに出会うこともあるよね。それを『神』って呼ぶ人もいれば『愛』って呼ぶ人もいれば『奇跡』って呼ぶ人もいる。僕はそう思ってる」
そう言って真琴さんは遠い目でどこかを見ていた。その琥珀色の瞳に何が映っているんだろう。
私が真琴さんとこうして出会って同じ時を過ごしている今このときも、奇跡……いや、もしかしたら必然かもしれない出来事が幾重にも重なった上での結果だ。私たちがこうして語り合っているこの瞬間までに、気が遠くなるほど長くて膨大な歴史が積み重なっているのかと思うと、とても厳かな気持ちになる。
そして真琴さんと共有するこの時がたまらなく愛しくなる。
全て司っている大いなる存在……この宇宙から見れば私たちなんてほんの小さな生き物。塵ほどもない。
いつも「私が神だ」などと言わんばかりに偉ぶっているアルファも、そのアルファにいいように利用されているベータも、家畜かなにかのように扱われてるオメガも、広い宇宙の中に舞っている塵の1つにすぎない。そう思うと、ますますこの階級社会が下らなく思えてくるのと同時に、宇宙に対して自分があまりに小さくて何だか怖くもなってくる。
……気がついたら真琴さんの華奢な腕を掴んでいた。
「あっ……!ごめんなさい!」
慌てて手を離す。そんな私を見て真琴さんがくすくす笑う。きっと今私の顔は真っ赤っかだろうな。
「……なんてカッコつけて言ってみたけど、要するにこんな広いところにずっと1人でいると寂しいからそんなどうしようもないこと考えちゃうだけだよ。暇さえあればお祈りするのも、ただ単に神様以外に話し相手がいないからだと思う」
そう言ってまた無邪気に笑う真琴さん。
まだドキドキして目も合わせられず、うつむいてしまう私。
「……でも、もう寂しくないよ。君がいるから」
その言葉に思わず顔をあげると、またあの憂いを帯びた綺麗な微笑みを向けられた。彼の言葉に特別意味はなかったのかもしれない。けど、その香り以上に私に頭の芯が溶けるような感覚をもたらした。
……暗くなってきてしまった。真琴さんにまた明日と言って旧聖堂を出て、私は家路に着こうとした。

「ちょっと、あなた」
薄暗いところで突然声をかけられてびっくりしてしまった。声の主はシスター・ミカエラだった。たまにキリスト教の授業やお祈りの時間に顔を出す年配のシスターだ。基本他人に興味がない私はどういう人なのかはよく知らないが。
「なんなんですか、いきなり。びっくりするじゃないですか」
シスター・ミカエラは私の抗議など受け止めていないようで、ただ顔を顰めている。
「あなた、アレとあんまり仲良くしない方がいいわよ」
「『アレ』?」
「ベータの女性はオメガなんかに用はないでしょ? 仲良くするのはやめときなさい。ただのオメガならまだしもアレだけには近寄らない方がいいわよ。面倒なことに巻き込まれるかもしれないし、頭が悪くなるわよ」
シスター・ミカエラはそう吐き捨てて去っていった。皮肉だ。神に仕える身なのに悪魔みたいなこと言ってる。でも彼女に向かって「悪魔」なんて言ったら停学だろうな。

家に帰ると、玄関に2人分の靴が並んでいた。来客だろうか。耳をすますとリビングから話し声が聞こえてきた。
「千歳もなあ……あれじゃあ、お先真っ暗だ」
声からすると祖父だろう。私のこと話してやがる。
「そんな、まだ私は諦めてないわよ。それにあの子なりに頑張ってるわ。学校の成績だっていい方よ」
母の声だ。
「ベータの中では、でしょ。あの子はあれでも一応アルファなのよ。ベータの中でちょっと上なくらいじゃアルファでいる意味ないし、番を見つけるのも厳しいわよ。なんだかんだ言っても、オメガの連中だって優秀なアルファの種が欲しいんだから。それにアルファの女はほぼ不妊みたいなものだし、ベータの男とは結婚できまいよ。ベータはベータ同士で結婚するのが1番いいって言われてるし、アルファはだいたいオメガ選ぶしね」
祖母の声だ。また気持ちの悪い話をしてる。
「……あの男が言ってたように、やっぱり堕ろしたほうがよかったんじゃないのか。あの子のためにも」
……私の胸に祖父の言葉がグサリと突き刺さる。なんで今更傷つくのか。私自身だって内心そう思っていたじゃないか。
「お父さんなんてこと言うの!! 」
母がそう叫んで火がついたようにワッと泣き出した。
……私だって泣きたいよ。
「そんなこと言うもんじゃないわよ」と祖父を諌める祖母の声が聞こえる。
「聞いてますよ」というアピールのためにリビングのドアの前の床をガンと踏み鳴らしてやろうかとも思ったけど、それはさすがに母が可哀想なので思いとどまった。
祖父母は私が結婚できないことや遺伝子を残せないことを心配しているみたいだが、私は結婚なんてするつもりないし、遺伝子なんて残したくない。自分が生まれてこなきゃよかったと思ってるのに、新たな生命を生み出すつもりなんてない。
「真琴さん……」
せっかく安らかな気持ちになれたのに、台無しだ。真琴さんに触れた手には、まだ彼の甘い香りが残っていた。ゆっくり吸い込むと頭の芯が溶けるようなあの感覚が甦る。そして下腹部が熱くなってくるのだ。……これは興奮してペニスが生えてくる前触れだ。私の中のアルファの本能がオメガの彼を抱きたい、孕ませたいと訴えているのか。
……我ながら気持ちが悪い。通りすがりのオメガのフェロモンに当てられて同じような状態になったときも自分で自分がおぞましくなるのに。真琴さんに対しても反応してしまう自分へショックはその何千倍、何万倍にも値した。彼は私に微笑みかけてくれたのに。優しく接してくれたのに。綺麗だと言ってくれたのに。そんな彼を組み敷いて貫きたいと思ってるなんて。やはり私も父と同じ、歩くちんこなのか。
「中途半端な欠陥品アルファのくせに! こんなときだけ1人前に反応してんじゃないよ! 」
部屋で一人、そう自分に怒鳴りつけると熱の籠った下腹部をガッと拳で殴った。
「っ……!!」
痛みに呻きながら、腹を押さえて蹲る。もう何もかも嫌すぎて涙も出なかった。


「見て見て千歳ちゃん、この『受胎告知』面白いよ。『無理やり天使といやいやマリア』だって。そりゃあ突然わけもわからず、妊娠させられたら嫌だよね」
「……そうね」
放課後、旧聖堂に置いてあった古い宗教画集を真琴さんと見ていた。彼と過ごす時間はとても楽しいのに、昨日のことがちらちら頭をよぎってしまう。
「千歳ちゃん、どうしたの? 元気ないね」
察しのいい彼は、心配そうに私の顔を覗き込んでそう言った。
「ううん、ちょっと考え事してただけ」
「そう……」
真琴さんは全て包み込んでくれる。問い詰めたり、押し付けたりもしてこない。真琴さんに優しくされるのが苦しい。私はあなたを犯したいと思っている、最低な精子脳女なのに。
……そのとき、扉の外からガヤガヤとした話し声が聞こえた。その話し声がどんどん近づいてくると、どれも聞きなれた声であることがわかった。
「真琴さん、隠れよう」
「えっ」
「私のクラスの人達だわ」
私は真琴さんの手を引いて、懺悔室に隠れた。彼らは旧聖堂の扉を開いて、中へ入ってきた。
「うわー、カビくせぇ。先生たちもこんなところに教材置かないで欲しいよな。あー気味わりぃ。バケモンでも出るんじゃねえか」
「やめろよ、気持ち悪い」
彼らには真琴さんの香りが分からないらしい。発情期でもない限り、ベータにオメガの香りはわかりづらいから。
「ほら、つべこべ言ってないでさっさと資料集もって出よう」
私のクラスの男子2人、そして萌香。3人は明日の授業で使う資料集を取りに来たらしい。
「そう言えばさー、朝先生が『彼らはまともな知能を持ってないし、我々ベータにもたらす利益はほとんどないのでなるべくオメガとは深く関わらないように』って言ってたじゃん? そのときのあかつきの顔見たか? 超怖かったぜ」
……私のことを話している。そういえばそんなこともあったっけ。オメガへの差別発言は何度聴いても不快になる。クラスメイトたちは平気みたいだったけど、私は我慢ならない。
「俺、あいつ気難しくて嫌い。なんか理屈っぽいし。ベータのくせに。本当はちんこついてんじゃねーの」
「あははっ! ばーか。あんな地味で冴えないアルファがいるかよ。だいたいさあ、先生だって嘘は言ってねぇじゃん。何がそんなに気に入らないんだか。あいつ、こないだ事件起こしたあのバカオメガのことも庇ってたよな」
「確か『くすのきさんはベータのクラスにいても教科によっては私より成績良かった、だからオメガが知能低いなんて偏見だ』って言ってたよな。犯罪者のオメガ庇うとか偽善者通り越して馬鹿だよな。ちょっとくらい勉強できたって所詮オメガなんてアルファの肉便器兼出産マシーンなんだよ。セックスと子作り以外なんの取り柄もないんだから大人しくアルファに股開いて孕まされてりゃいいんだよ。ったく、あのバカオメガ女もやらせてもくれないくせに、フェロモン撒き散らして俺たちをムラムラさせるだけムラムラさせて消えやがって。本当に迷惑だ」
「全くなあ! やらせてくれないんだったら俺たちに関わってんなって思うわ。あいつら、『私たちはアルファに縋らないと生きていけない』ってやたら悲劇のヒロインぶってるけど、オメガはアルファに養ってもらえて羨ましいくらいだぜ。俺たちベータはアルファの女になんて絶対相手されないんだから、黙ってアルファにこき使われて地道に働くしかないんだよ。オメガにはオメガの幸せな生き方があるんだから、ベータやアルファと張り合おうなんて大馬鹿者だよ」
「やっぱりオメガは知能が低いからそこら辺が理解できないのかねぇ。ベータやアルファと同じように学校行ったり働けないから差別だなんて笑わせんなって話だよ」
「それな。差別じゃなくて区別だよな。出産マシーンに学校通わせたって時間と金の無駄だよな。あいつら、アルファに番解消されたくらいで病むし、メンタルも弱すぎなんだよ。養ってもらえることなんてほとんどなくて、アルファに顎で使われながらあくせく働かなくちゃいけない俺たちベータ男の身にもなれよな。なぁ、大野おおの。お前よく暁と仲良くできるよな」
ここでずっと黙っていた萌香が遠慮がちに口を開いた。萌香はベータだが、ベータの女だってオメガほどではないにしても、アルファやベータ男に同じようなことを言われたり、私の母のように「ベータの卵子に用はない」などとアルファにヤリ捨てされることが多々あるので、さすがに少し不快そうな顔で聞いていた。
「んー、そうね。確かに千歳は色々考えすぎだと思うよ。小難しいことばかり考えてないで、もっと普通に勉強して友達作ってお洒落して青春すればいいのにって思うよ。地味にしてるけど、元は綺麗だし。それにバース性なんて自分では変えられないんだから、自分のバース性に合わせた生き方をするのがいいって意見に私は賛成かな。それにもっとオメガ差別が酷い国も沢山あるし、うちはまだいい方だと思う。こないだニュースでオメガには名前がなくて番号で呼ばれる国が取り上げられてたけど、ああいう国に比べればうちはまだ人道的だよね。正直、千歳と話してると疲れるときもあるな」
……それからも男子2人は言いたい放題、萌香はしずしずと2人の後に続き、資料集を抱えて出ていった。
私の横で全てを聞いていたであろう、真琴さんの方を見る。彼はなんとも辛そうに悲しそうに私に微笑みかけた。綺麗な琥珀色の瞳が歪んでいる。
「ごめんなさい、真琴さん。私のせいで嫌な話聞かせちゃったね……」
真琴さんは黙って首を横に振る。辛いだろうに無理に微笑みを浮かべている。……本当にごめんなさい。
「……っ……! 」
もう堪えきれない。嗚咽が込み上げる。
何がそんなに悲しい? 何がそんなに悔しい? 
わかってたじゃないか。世の中こんなものだって。なんでこんなに悲しいのかわからなかった。
ただ、アルファとしてもベータとしても認められない自分が悔しいのだ、アルファに逆らえない鬱憤をオメガを蔑むことで解消せざるえないベータが哀れなのだ、こうしてサンドバッグにされて差別に抵抗することも許されないオメガがそれ以上に気の毒なのだ、そんなこと考えたって自分の力ではどうしようもないことが虚しいのだ、全て投げ出して自分のことだけ考えて生きた方が楽だし、周りからも嫌がられないことが分かってるのに、それができない自分がもどかしいのだ、そしてこんな思いを抱えているのは自分だけのような気がして、その孤独感に耐えられないのだ。
膝を抱え、顔を伏せて咽び泣く私を、真琴さんがそっと抱きしめてくれた。甘いオレンジの香りが私を包む。真琴さんは何も言わず、ただ、ずっと私を胸に抱いていてくれた。






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